血に宿る力 02
ディディエとの相談の結果、ただの人間ということになっているメルヴィは、火と雷の2種類のエレメントだけを使える振りをすることになった。2種類の魔法が使えるだけでも人間としてはかなり希少なのだが、先日のアルクトドゥス襲来の際に公衆の面前で火と雷を両方使ってしまっているので、その2つについては今更隠すことは出来ない。
全エレメントが使える魔女であるということを隠すために、対外的には火の雷の2つだけを使い、その他の魔法は人前では使わないようにする。また、対象物に直接作用することの出来る力――魔女だけが使える“妖術”――の方も、決して使ってはいけない、とディディエはメルヴィに注意した。
ディディエはメルヴィが男装していることと魔女との混血であるということは知っているが、メルヴィが“ユーリ・ニーニマー”ではなく、辺境伯令嬢の“メルヴィ・マルヴァレフト”であるということについては知らない。
素性について聞かなくて良いのかとディディエに尋ねたら、「あら、あたしも女の恰好をしてる男なわけだし、人の事情に首突っ込む趣味はないわよぉ」とあっさり流されてしまった。
ディディエは男性でありながら女性の恰好をして女言葉で話す。実際のところ、彼の(彼女の?)性自認がどちらであるのか、また性的嗜好がどうであるのかということはよく分からない。曰く、「あたしはあたし、男でも女でもなくディディエ・ピクスリーだし、男だろうと女だろうとユーリちゃんのことは好きよ」とのことである。
メルヴィはディディエのそういうところに好感を抱いていた。
ディディエはとてもニュートラルな人で、種族や性別といったレッテルを人にも自分にも貼ることがない。メルヴィの生まれや育ちがどうであったとしても彼には関係がなく、今目の前にいるメルヴィのことを受け入れて尊重してくれる。
「あの……ピクスリー先生は、貴族、なのですか……?」
先ほど渡された水の鏡の蓋に描かれた紋章のことを思い出しながら、メルヴィは尋ねた。
ルートが以前に「貴族なら誰も使ったことがある」という言い方をしていたので、きっと水の鏡は貴族階級であれば必ず持っているもので、逆を言えば平民には持ち得ないものなのだろう。メルヴィの目に留まることがないよう隠していただけで、おそらくメルヴィの家にもあるのだと思う。
ディディエが持っていた鏡の蓋に彫られた紋章は、ツバメのモチーフだった。
幾らメルヴィがこの国の事情に疎いとしても、それが意味するところを知らぬほど無知ではない。
この国の古い名門貴族の家柄は、紋章に鳥のモチーフを用いている。メルヴィが生まれたマルヴァレフト家もその一つであり、紋章のモチーフはカラスだ。
その血筋の正しさを誇示するかのように、古い名門貴族は空を舞う鳥を紋章に抱く。その一方で、新しい新興貴族は地を這う動物を、更には金で爵位を買った貴族は植物のモチーフを用いることになっている。
なお、メーレンベルフ王家はそれら全てを統べる象徴として太陽と月の紋章を掲げている。
純血の魔女であるディディエは、両親共に魔女の間から生まれたはずだ。
それなのに貴族、それも鳥の紋章を持つ名門貴族の生まれだというのだろうか。
「……いーい? ユーリちゃん。あたしもあんたのことは何も聞かない代わりに、あんたもあたしのことを詮索するのはナシよ。あたしは、ディディエ・ピクスリー。それ以外の何者でもないわ。ここアカデミーにも、バカみたいな差別がたくさんあるけど、それでも外の世界よりずっとマシよ。だからあたしはずっとここに居るの」
あたしみたいなのを雇ってくれるしね、とディディエは微笑んで言った。
私は、私。それ以外の何者でもない。
そう胸を張って言えることが、自分にも出来るだろうか、とメルヴィは思った。
名前を変えて、性別を偽って、身分を隠して、種族を誤魔化して、メルヴィは今ここに居る。
キトリやミランが見ている“ユーリ”の姿は、全てがニセモノの存在だ。
名前も性別も身分も種族も全てはただの外側に纏ったラッピングに過ぎず、それらを全て無くしても、私は私だ、と、本当に言えるだろうか。
もし私の素性がバレてしまったとしたら、彼らは態度を変えるだろうか?
それとも、私は私だと、受け入れてくれるだろうか?
もしも自分が逆の立場だったら?
私は本当に、性別や身分、種族の色眼鏡を外して、本当の彼ら自身のことを見ることが出来ているのだろうか?
考えれば考えるほど、メルヴィは分からなくなった。
「……人の本質を見るのは、難しいことよ」
考え込んでいるメルヴィの胸の内を見透かすかのように、ディディエが言った。
「人はどうしても外側に騙されてしまうもの。だから、あたしはこんな恰好をしてるの」
こんな、と言いながらディディエは自分のピンク色の髪と派手なブラウスをつまんで見せた。
「でもね、こんな恰好をしているからこそ、分かることがあるのよ。ユーリちゃんもきっと、それに気が付くときがくるわ。あんたのその変装はね、物事の本質を見極めるための武器にもなるのよ」
あたしもあんたくらいの歳の頃からそれに気付いていたらもっと生きやすかったのに、とディディエは言った。
ディディエがメルヴィを見つめる目は、いつもとても優しい。
その目を見ていると、メルヴィは何故だかとても懐かしい気持ちになった。
ディディエとのレッスンを終えて、温室を後にするとメルヴィは時計を見た。
ちょうど図書館が開館する時間だ。授業の開始までにはまだ時間がある。
くるりと向きを変えて、クラスルームのある中央棟ではなく、図書館の方へ足を進める。
開館したばかりの図書館には、まだ誰も居ない。
メルヴィはいそいそと目当ての棚へ行って幾つかの本を物色すると、それらを持って貸出のカウンターへ向かった。
メルヴィの手の中には、「怖いほど当たるエレメント性格診断」「エレメントで相性が分かる本」「ドキドキ!エレメント別★気になるあの人の攻略方法」などという本が抱えられている。
王国の知の結晶とも呼ばれるアカデミーの図書館にて最初に借りる本がこれというのは、かなり恥ずかしいものがある。
誰かに見つかる前にさっさと借りてしまおうと、カウンターに本を差し出したところで、隣のカウンターの前に立っていた一人の青年とバチッと目が合った。
焦げ茶色の髪に、黒い瞳。それ程高くない身長に、やせ型の体つき。黒縁の眼鏡を掛けている。アカデミーの制服に身を包んでいるが、貴族の子息たちのような無駄なキラキラオーラがない、一目で平民と分かる風貌だ。
青年の目が、すっとメルヴィの手元に向けられる。
メルヴィは手の中の本を慌てて隠そうとしたが、貸出の手続きをする職員の手によってそれは露わにされてしまった。
早朝からこんな本を借りている姿を人に見られるなんて恥ずかしいにもほどがある。
「……待たせたね、ベイカー君。このリストにある本は全部、2階の書庫にしかないみたいだ」
青年の方のカウンターの奥で何かを調べていた職員が、戻ってきて青年に話しかけた。
「そうですか……」
「本当は私だって君みたいに勉強熱心な子には見せてあげたいんだけどね。規則だからなあ。悪いね、いつも」
「いえ、大丈夫です。いつもすみません。では、これだけ借りていきます」
ベイカーと呼ばれた青年はそう言うと、手に持っていた何冊かの本をカウンターに差し出した。
どれも分厚く、いかにも難しそうな本ばかりだ。
図書館の2階は、貴族しか立ち入ることが出来ないばかりか、平民はそこにある本を閲覧することさえ出来ない。
勉強会の後で、そのことについて憤慨していたメルヴィに、平民であるトビアスは「仕方ないですよ。貴重な資料を持ち出されたり盗まれたりするのを防ぎたいんでしょう」と言った。それではまるで平民が盗みを働くみたいじゃないの、とメルヴィが言うと、「否定出来ないのが、悲しいところですね」とトビアスは笑った。
トビアスは仕方がないと言うけれど、やはりそれはおかしい、とメルヴィは思う。
現に、こうして困っている生徒が居るではないか。
メルヴィは隣の貸出カウンターに載せられた本に視線を送った。
その中の一冊に目が留まる。見覚えのある背表紙だった。
古代魔術の本だ!
メルヴィの家にあった数少ない魔法に関する書籍の一つ、古代魔術について書かれた古い本が、青年の手元にあった。
かなり古いもので、実践とは程遠い言い伝えレベルの内容について書かれている本だ。
あんな本を借りる人がいるのか……と思いながら、ふとアカデミーにやってきた初日のことを思い出す。掲示板に貼られていた、古代魔術研究サークルのチラシ。
そこに書かれていた代表者の名前は、ヒュー・ベイカーだった。
さっき、職員が彼に「ベイカー君」と呼びかけていた。
つまり、もしかしたらこの人が、古代魔術研究サークルの代表者ヒュー・ベイカーなのかもしれない。
古代魔術サークルに興味津々のメルヴィは、思いがけずヒュー・ベイカーらしき人に出会えた喜びから、勇んで青年に声を掛けようとした。
けれどはっと気が付き、自分の手元にあるエレメント占いの本たちを改めて見つめる。
いかにも難しそうな本や古めかしい本を何冊も借りているヒューに対して、自分が借りようとしている本のなんと軽薄なことか。さっきヒューと目が合ったときも、思えばバカにするような目でこちらを見られたような気がする。
そんなことを考えてメルヴィが迷っているうちに、ヒューはさっさと本の貸出を済ませると目の前から歩き去ってしまった。
また会えるだろうか、と思う。アカデミ―内のどこかで見かけたら、今度こそ声を掛けてみよう、と思いながら、メルヴィも荷物をまとめて図書館を後にした。
「何読んでるんです?」
授業が始まるまではまだ時間があったが、特に行くあてもないので早めにクラスルームにやってきたメルヴィが早速本を読んでいると、ほどなくしてやってきたトビアスが上から覗き込んだ。
「!! わっ、ちょっと、見ないで頂戴!!」
メルヴィは慌てて本を隠そうとする。トビアスは素早くその手を掴むと、メルヴィの手から読みかけの本を取り上げた。
「ドキドキ!エレメント別★気になるあの人の攻略方法……、って何ですかこれ」
トビアスに題名を読み上げられて、メルヴィは恥ずかしさのあまり真っ赤になって顔を覆う。
「違うのよ……ピクスリー先生とのレッスンでエレメントで性格が分かるって話になって……それでちょっと気になって借りてみただけなの……」
「そんな恥ずかしがらなくてもいいじゃないですか。お嬢様もこういうのに興味があったんですね。かわいいですよ、女の子っぽくて」
トビアスが笑う。
「かわいいって……私は今は女の子じゃないんだから……」
真っ赤な顔のまま、メルヴィは指の間からトビアスを見上げた。
「かわいいですよ。男の恰好でも、どんな姿でも。お嬢様はお嬢様です」
トビアスの手が、メルヴィの髪に触れる。
その髪は、本当の姿とは色も長さも違う、ニセモノの髪だ。
けれどその髪に触れるトビアスの手は、小さい頃からずっと変わることがなく、優しく温かい。
たとえ偽りの姿でも、メルヴィはメルヴィだと言ってくれる人が傍に居る。
そのことが、こんなにも心強いものかと、メルヴィは思った。
「だけど少しだけ、俺は複雑ですね」
ふいに、トビアスが言った。メルヴィは顔を上げて、トビアスの目をじっと見つめる。
「……だってその本、魔力のない俺には全く関係ない内容ですもんね」
メルヴィの視線を避けるように顔を逸らしたトビアスが、独り言のように呟いた。




