血に宿る力 01
ディディエとの朝の特別レッスンは、そもそも魔法についての知識が大幅に不足しているメルヴィにとって、非常に助けになるものとなった。
ディディエはアカデミーの卒業生で、3年間の基礎課程の卒業後もアカデミーに残って専門課程に進み、更にそのまま研究員となって研究を続け、今では教師として魔法科・医学科の幾つかの授業を担当しているらしい。
かれこれ15年はアカデミーに居るとのことだったので、おそらく年齢は30代前半くらいなのだろう。年齢を聞くと怒られそうなので、メルヴィは直接聞くことは辞めておくことにした。
専門分野は薬草学で、この温室もディディエが管理している。
温室はかなり広いとはいえ、気候の異なる地域の植物や薬草をこうして一つの空間の中で栽培出来るのはどうしてだろう、と思う。
屋敷ではメルヴィも庭の森の植物を育てていたが、特に薬草は育てるのが難しく、枯らしたり腐らせたりしてしまったものも多かった。
「ウフフ、だってあたしは魔女ですもの」
ディディエは指先から細かい霧のシャワーを出して植物たちに水やりをする。
「私も一応、半分は魔女なんですけど……」
ディディエには女であるということがバレているので、メルヴィはディディエの前では普段通りの口調で話すことにしていた。
ディディエがやっているのを真似してメルヴィも霧を出してみようとするが、上手く出来ずに水鉄砲のような水がぴゅっと目の前の薬草に掛かった。
勢いよく水を掛けられた薬草が、驚いたようにピンッと硬直する。
「あっ、ちょっと! その子は繊細なのよ! 気を付けて頂戴!」
「ごめんなさい、上手く霧が出せなくて……」
ディディエは硬直している薬草にそっと手を添えると、「大丈夫、大丈夫よ~」と話しかけながら風を出す。柔らかい風にそよそよとなびきながら、薬草は元のようにくるんと丸まっていった。表情や言葉はないのに、薬草がまるで生き物のように見えてくるから不思議だ。今はリラックスしているように丸まっている。
「ユーリちゃんは水の魔法が苦手なのね? フフ、見た感じ、苦手そうだもんねぇ」
「苦手……なんですかね? 分からないです。 そもそも、エレメントの中に、得意と苦手があるものなのでしょうかか?」
「あるわよぉ、人間と同じで、魔女にもエレメントとの相性はあるの」
魔法というものは、自らの血液の中にある魔力を使って、エレメントと呼ばれる自然の力を「借りる」行為である。
エレメントは全部で5種類ある――――火、水、雷、風、光、の5つである。
魔女は全てのエレメントの力を使うことが出来るが、人間や、魔女以外の異種族は、一人につき1種類の力しか使うことが出来ない。
そのことについて、メルヴィが「魔女ってすごくないですか」と言ったことがあったが、ディディエからは
「魔法を使う女と書いて魔女なんだから、魔女が魔法に特化した能力を持ってるのは当たり前でしょ。キリンは首が長くて、ゾウは鼻が長いみたいなもので、それぞれの種族には違った特性ってものがあるのよ」
と言われてしまった。他の異種族のことについても、メルヴィは知らないことが多い。
「エレメントとの相性って、どうしたら分かるんですか?」
魔女以外であれば、使える力=相性の良いエレメントなので迷うことがないが、魔女との混血であるメルヴィは全ての力が使えてしまうので、相性と言われてもピンとこない。
「あら、簡単よ。水の鏡を使えばいいのよ」
と、ディディエが言った。
水の鏡。
アルクトドゥスに襲われる前の食堂で、“メルヴィ”(トビアス)に魔力がないことを証明するためにルートが使った道具だ。
そういえば、あの時は触れる前にルートが止めてくれたんだった、とメルヴィは思い出す。
もしもあの場で“ユーリ”(メルヴィ)が鏡に触れていたら、人間にはあるまじき魔力の量や、全てのエレメントが使えることが明らかになってしまい、“ユーリ”が魔女だということがバレていただろう。
ルートにとっては“ユーリ”はただの人間の従者のはずなので、止めたのには別の理由があるのだろうが(王家の紋章のついた道具に平民が触れたらいけないとか、そんな感じのくだらない身分差別があるのかも知れない?)、何はともあれ、あの時ルートが制止してくれて良かった、と改めてメルヴィは思った。
「水の鏡なら、あたしも持ってるわ。ほら」
ディディエが胸元からコンパクトを取り出し、メルヴィに差し出した。
随分古いもののようで、蓋の部分にはツバメのモチーフの紋章が彫られている。
「……あたしの家の紋章よ。この鏡は、代々受け継がれてきたものなの。まぁ、残念ながら、それもあたしの代で終わりだけどね」
手渡された鏡の紋章をじっと見つめていたメルヴィに、ディディエが言った。
これ以上踏み込んではいけない気がして、メルヴィは返事は返さなかった。代わりに、コンパクトを開いて鏡に自らの姿を映す。
手の中に収まる小さなコンパクトの、下の部分の水鏡が、ぐるぐると勢いよく渦を巻く。上の部分には5色の色の光が浮かびあがっている。
「これは……?」
見方が分からず、メルヴィはディディエを見上げた。ディディエが鏡の中を覗き込む。
「魔女の血が半分しか入っていない割には、かなりの魔力ね。その辺の魔女よりよっぽど強いわ。それから……、ほら、ここを見て」
ディディエの指が、上の鏡の方を指す。
「赤と黄色が他の色よりも大きくて強いでしょ? これが得意なエレメント。ユーリちゃんの場合は、火と雷ね。それから、一番小さくて弱いのが、青い光。苦手なエレメントよ。やっぱり、水が苦手なのねぇ」
ちなみにあたしはね、と言いながら、ディディエがメルヴィの手の中からひょいっと鏡を取って自分の手の上に乗せた。
水の鏡が、メルヴィの時よりもずっと速く回転し、細かい粒子になって浮き上がっている。
これは魔力が更に強い、ということだろうか、とメルヴィは思う。さすがは純血の魔女だ。メルヴィが思っているよりもずっとディディエはすごい人なのかもしれない。
上の鏡の方には、メルヴィのときよりもずっとはっきりと強く光が出ている。全てが大きく見えるが、中でも青色と乳白色の光が特に強い。逆に小さいのは、強いて言えば赤だろうか。
「得意なのは青……水と、白は光のエレメントですか? それから、苦手なのは火?」
鏡を覗き込みながら、メルヴィは見様見真似で読み解いてみる。
水と光の魔法が得意なのであれば、ディディエが植物を育てるのが上手いのも頷ける。水と光はどちらも植物の成長に欠かせない要素だ。
「そうそう、よく分かったわね。それにしても、ユーリちゃんは火が得意であたしは苦手、あたしは水が得意でユーリちゃんは苦手、なんて、あたし達まるで正反対の性格なのね? でもそっちの方が、意外と相性が良かったりするのよね、フフ」
コンパクトを閉じながら、ディディエが笑った。
「エレメントって、性格に関係するんでしょうか?」
「ん~~。一応医学を嗜んでるものとしては、エレメント性格診断なんてただの迷信だ、って言いたいところだけど、女子としてはやっぱり信じちゃうわよねぇ」
「あ、なんか占いみたいなものですか」
「そうそう、でも何だかんだ、結構当たるのよぉ。相性診断なんてのも流行ってるわよ。本もたくさん出てるから、気になるお相手がいるなら調べてみたらいいんじゃない?」
ウフフ、とディディエが笑う。
「……ちなみに、水のエレメントってどんな性格ですか?」
何かを少し考えてから、メルヴィは尋ねた。
「あら! 気になる人は水のエレメントなの? あらヤダ、もしかしてあたし?! ウフフ、やだ、困っちゃうわ。水はねえ、知性のエレメントなの。冷静沈着で思慮深く、理性的で集中力があり、洞察力に優れているの。……ちょっと、そんな顔しないでよ。あたしこう見えて結構思慮深いタイプなのよ……、それから、欠点としては、集団行動が苦手でマイペース、皮肉屋でニヒリスト、って感じかしら」
「……つまり、先生から見た私は、あわてんぼうで浅はかで、感情的で注意力散漫、物事の味方が表面的……ってことですね?」
ディディエから「水の魔法が苦手そう」と言われたことを思い出して、メルヴィは言った。
水が知性のエレメントなのであれば、それがいかにも苦手そうに見えると言われたことに、なかなか複雑な思いがする。
「ちょっと、そんなに怒らないでよ! そういう意味で言ったんじゃないわよ! 感情的で短気なのは火のエレメントの悪いところよ。ほら見なさい、絶対にエレメント占いって当たるんだから!」
ディディエが冷静沈着で思慮深いかどうかは置いておいて、メルヴィはふと、彼女の友人たちのことを思い浮かべていた。
あとでキトリに会ったら、何のエレメントなのか聞いてみよう。キトリは水のエレメントのような気がする。
相性診断の本も図書館で探してみよう。
メルヴィの火と、水は、性格が正反対らしいけど、正反対って、結局相性は良いのだろうか? 悪いのだろうか?
それから……同じ火同士の相性は、どうなのだろうか? と思う。
メルヴィの頭に、巧みに火を操る黒髪の王子の姿がチラリと浮かんだ。