温室の魔女 03
ディディエの指がメルヴィの茶色の髪を梳く。
どうやって誤魔化そうか、とメルヴィは視線を泳がせた。
メルヴィは今、魔法で髪の色と長さを変えている。それは本来の“辺境伯令嬢メルヴィ・マルヴァレフト”ではなく、“平民で従者の男子ユーリ・ニーニマー”に変装するためなので、髪の毛のことがバレるのは変装がバレることに繋がりかねない。
押し黙っているメルヴィに、ディディエが呆れたように言った。
「やだ、別に取って食いはしないわよ。ただ気になっただけ。だって、あんたのこれ、魔法でやってるんでしょう? あたしのこれは薬草で染めてるんだけど、どうしても痛んじゃうのよねぇ」
これ、と言いながら、ディディエは自分の鮮やかなピンク色の髪を指でつまんで見せた。
「あ、それ、染めてるんですね」
「当たり前じゃない。こんな色の髪、天然じゃならないわよ」
確かに、ここまで明るいピンク色は、様々な人種や種族が集まるパラヴァの街でも見たことがない。
この国では染髪はあまり一般的ではなく、髪を染めている人はどちらかというと旅芸人や行商人のような自由な立場の人が多い。
特に貴族社会においては、生まれや出自を暗に示すためか、生まれ持った髪や瞳、肌の色というものを重要視しているように思う。髪や瞳、肌の色は、その人の中に流れる血を如実に表すものだからこそ、それを誇る人が居ると同時に、それを差別や偏見の矛先とする人も少なくない。
そういえば、ルートの髪は黒い。そのことに、初めてメルヴィは違和感を持った。
王国に住む者であれば誰もが目にしたことのある、そこかしこに掲げられた肖像画に描かれた国王と王妃の髪は、どちらも共に金髪だ。
何故なんだろう、と疑問に思う。自分がいかにルートについて何も知らないかを、改めて思い知らされた。
「あっ、えっと……はい、そうですね、これは魔法で色を変えてます……」
髪にかけている魔法のことをディディエは見抜いているようなので、誤魔化しても仕方がないと観念してメルヴィは認めた。
「えっと、まずは水の魔法で、髪の内部に水分を入れて、そうすると、こう……髪が膨れて表面が開いた感じになるので、その中にある……髪の色の元? みたいなところに意識を集中させて、そこを浄化する力を入れるんです。それで、そうやって一旦色をなくした後で、布を染めたりするときに使う、色を変える魔法をそこにかけるんです。そうすると、髪の色が変わります……上手く伝わってますか?」
メルヴィは説明する。メルヴィが使う魔法はあくまで自己流なので、言葉で説明するのは難しい。メルヴィも試行錯誤をしながらたどり着いた方法なのだ。ちなみに、髪の毛の中にある色の元みたいなところを一度浄化して無色にしないと、色は上手く入らない。それを発見するまでが一番大変だった……と、苦労話をしても仕方がないので、それについては話さないこととする。
「……はあ?」
ディディエは思わず声を作ることを忘れて男の声を上げた。
「……あんた、それ全部自分で考えたっていうの?」
「はい。上手くいく方法を見つけるまでに、結構時間は掛かりましたけど」
「でしょうね。なに、あんた暇人なの」
「時間だけはたくさんあったもので……あの、この魔法って何か変なのでしょうか?」
他の人がどうやって魔法を使っているのかが分からないメルヴィは、ディディエの反応に不安になって尋ねた。
ディディエは片方の眉を上げると、呆れたように首を振る。
「変っていうか、普通はやらないわね。原理自体は簡単よ? 多少の魔力も必要だけど、ある一定以上の力のある魔女だったら誰でも出来るレベルの魔法だわ。でも普通はやらない。何でだと思う? 面倒臭いからよ。こんなやり方するの、髪の色を変えることに執念を燃やす人だけよ」
薬草で染めた方がよっぽど早いもの、とディディエは言った。
メルヴィは、まさにその、“髪の毛を変えることに執念を燃やす人”であったので、何も言うことが出来ない。
メルヴィの魔法は、どれも必要だと思うことを叶えるために試行錯誤を繰り返して自分で編み出したものだ。長年屋敷に閉じ込められていたので、面倒臭いことに費やす時間だけは膨大にあった。
「あのね、あたしも含めてだけど、魔女っていうのは大体が怠惰な生き物なの。だから面倒なやり方は誰もやらないわ。皆もっとシンプルに力を使うの」
そういうものなのか、と納得しかけてから、ふと気が付く。
「あの、ピクスリー先生は、魔女……なんですか?」
だって先生は男、ですよね? という言葉を、口に出して良いものか少し迷って言いよどむ。
魔女、という呼称から、何となく魔女には女性しか居ないものだと思っていた。メルヴィが知っている魔女は、会ったことのないメルヴィの母親と、パラヴァの街で医者をやっている老女、それから時々どこからともなくやってきて街の市場で薬や薬草を売っていた女の三人だけだが、全員が女性だった。
ディディエは女性の恰好をしているが、生物学的には男性に見える。そういえば、男の魔女も居るということを今まで考えたことがなかった。
「あらやだ、あんたホントに何も知らないのねぇ。“魔女”って呼び方は人間がつけたものなだけで、男の魔女もいるのよ。ま、元々男が生まれにくい種族なせいで、絶滅危惧種かってくらいに男の数は少ないけどね。それでも、少しはいるわ。だって、男が居なかったら繁殖出来ないでしょ?」
「繁殖って……」
「男の魔女なんて、魔女界では繁殖の道具としか思われてないわよ。何せ男の数が少ないものだから、種の奪い合いで熾烈な争いが絶えないの。まるで種馬みたいな扱いをされるわ」
ディディエは心底うんざりとしたような顔をする。
繁殖、だの、種馬、だの、露骨なワードにメルヴィは顔を引きつらせた。何となくではあるが、ディディエが女性の装いをしているのは、そうした環境に原因があるのだろうか、という思いが頭をかすめる。
そんなメルヴィの様子を見て、ディディエが言った。
「ちょっと、何引いた顔してんのよ。あんたにとっても他人事じゃないでしょう? あんたも魔女なんだから」
「!」
何故それを、と、メルヴィは凍り付いた。
王立アカデミーに通う“ユーリ・ニーニマー”は、あくまで平民で従者で、ただの人間であるという設定である。“魔女との混血の辺境伯令嬢”は、あくまでトビアスが演じている“メルヴィ”の方だ。
メルヴィは何も言えず、愕然とした顔のまま固まっていた。
髪のことも、魔女であることも、こんなにも簡単にバレるなんて思ってもいなかったのだ。
体を小さく震わせるメルディに、ディディエはため息を一つつき、暖かい目を向ける。そして、ぽんとメルヴィの頭に手を置くと、優しい声で言った。
「……あんたの事情は知らないし、話したくないなら何も聞かないから安心して頂戴。ただ、あたしは他の魔女よりもちょっとだけ優秀な魔女で、更に医者の真似事もしてるから、人の身体を見る目が冴えてるの。大丈夫、他の人にはそうそう簡単に分かるものじゃないわ。だけどあたしには見ただけで分かっちゃうのよ――――あんたが左手に怪我をしてることも、髪の毛に魔法を掛けてることも、魔女の血が流れてることも、それから、女だってことも」
ディディエの手がメルヴィの頭を撫でる。その手は大きくてごつごつとしていて、ディディエが大人の男であることを感じさせた。
目の前にある顔はピンク色の髪で派手な化粧をしているのに、ディディエの手はどこか父マルセルを思い起こさせるようで、メルヴィは涙が出そうになる。
「あの、このことをルートには……」
「ナイショなのね? ……いいわよ、あたしとユーリちゃん、二人だけの秘密ね」
ディディエはそう言うと、メルヴィの額にちゅっとキスをした。
「!!!」
「約束の印よ。何よ、そんな顔しなくてもいいじゃない。女同士でしょう?」
「女同士じゃないですよ!」
「そうね、フフ、ユーリちゃんは男だもんね? あら、でもそうしたらあたしも生物学的には男だから、やっぱり何の問題もないわね?」
ガラス張りの温室に、朝の光が差し込んでいる。
世界中から集められた植物や薬草に囲まれたこの暖かい部屋の中で、ピンク色の髪をした魔女による「特別レッスン」が、こうして始まったのであった。