温室の魔女 02
翌朝、メルヴィは二時間早く寮を出て、中央棟ではなく研究棟へ向かっていた。
今日から始まる、魔法の「特別レッスン」のためである。
この「特別レッスン」は昨夜、怪我の手当をしていた際にルートから提案されたものであった。
研究科目の専攻授業が始まるのは来週のため、それまでの時間を使って、昨年度の授業内容も含めた魔法の基礎を学んだ方が良い、とのことだった。
毎日授業開始前の朝の時間に、研究棟の温室へ行くように、とルートは言った。そこに、この「特別レッスン」の先生が居るらしい。
温室へは初日に一度案内されていたから、迷わずにたどり着くことが出来た。研究棟の裏手に作られた、ガラス張りのドームのような形の建物である。
メルヴィはそっと扉を開ける。
「あのー……」
中を覗き込むように扉から顔を出す。ぱっと見渡す限りに人影は見えない。
温室の中にはまるでジャングルのように鬱蒼と様々な植物が生い茂っていて、見通しが悪い。
「あら、いらっしゃい」
緑の植物の間から、鮮やかなピンク色がひょこりと現れた。
「ルートちゃんから聞いてるわよ、さっ、入って入って」
現れたのは、トビアスと比べても同じくらいの背丈のある、長身の――――女性……の服を着た男性、だと思われる、人物だった。ピンク色の長い髪をまとめ髪にして、女性ものの派手な柄物のブラウスを身に着けている。
化粧のためか、それとも元々整っているであろう顔立ちのためか、トビアスのひどい女装姿と比べると、かなり美人に見える。しかし体つきはどう見ても男性であることは間違いなさそうだった。
「あたしはディディエ・ピクスリー。一応、魔法科の先生ってことになってるけど、担当してる授業はほとんどないのよ」
ディディエはメルヴィの前に進み出ると、上から下まで、じろじろとメルヴィの全身を見つめた。
「ユーリ・ニーニマーです。あの……特別レッスンをしてくださるって聞いて……」
「特別レッスン、ね。まったく、なんでルートちゃんはいつもあたしに頼むのかしらね? ほんと、あたしが教えられることなんてそんなに無いのにねぇ」
「えっと、他にもレッスンしてる方がいるのですか?」
「あら、あんた知らずに来たの? 今日は来ないって言ってたけど、この時間はね、いつもあたしがルートちゃんに教えてる時間なの。フフ、あたしとルートちゃんの秘密の特別レッスンなのよ、……なーんて言ったら怒られちゃうかしらね?」
ウフフフ、とディディエが笑う。
ルートちゃん、という呼び方が気になる。
毎朝ディディエと“秘密の特別レッスン?”をしてるということだし、かなり親しい仲なのだろうか?
……“メルヴィ”(トビアス)に対してもかなり満更じゃない感じを出してるし、ルートの好みのタイプって、こういうタイプ……なのかしら?
人の好みって分からないものね、と、メルヴィはぼんやりとそんなことを思いながら、ふと疑問が頭を過った。
「ルートが魔法科のピクスリー先生からレッスンを……? ルートは騎士道科ですよね?」
ルートは騎士道科に所属している。
どちらかと言えば細身で物静かな雰囲気のルートが騎士道科というのは意外な気もしたのだが、クラスのご令嬢たちの噂話によるとどうやら剣の腕も立つらしかった。
「ウフフ、ルートちゃんは魔法も得意なのよぉ。というより、生まれつきの体質を考えれば魔法科に居るべきなのよね」
生まれつきの体質、についてはよく分からないが、魔法が得意、ということについては思い至る節がある。
昨日のアルクトドゥスの襲撃に際して、ルートは火を使って応戦をしていた。的確に的を定めて、適切な火力で火を飛ばし続けるということは簡単ではない。それを完璧にコントロールしていたのだから、かなりの腕があるというのが分かる。
それに、あの煙を出す魔法。今までの生活では煙だけを出す必要がなかったからやってみたことはないが、自分にも出来るだろうか、とメルヴィは思った。今度練習してみよう。
「それなのに何で騎士道科に居るんですか?」
「ルートちゃん自身は魔法科に行くつもりだったんだけどね、御父上――国王陛下が許可しなかったのよ。王子は代々騎士道科を専攻するものだ、とか言っちゃって、無理やり騎士道科に進ませたのよね」
それで騎士道科でも活躍しちゃうんだからスゴイわよねぇ、とディディエが言う。
「へえ、色々大変なんですね……王子っていうのも」
ずっと王都から離れたところにいたために国王や王室についてはよく知らないが、色々しがらみがあるんだろうか、とメルヴィは思った。
「それがねぇ、ルートちゃんにはそんなことを言っておきながら、今年、魔法科に入ってくるらしいのよぉ。あの、かわいーい顔した第三王子サマが」
「第三王子?」
第三王子、というと、ルートの弟だ。これもメルヴィは知識の上でしか知らないが、ルートの一つ年下の弟で、その愛らしい容姿から巷では“メーレンベルフの天使”と呼ばれている。確か名前はエルウィンという。
「そうなのよぉ。ま、あたしには理由は分からないんだけどね。ルートちゃんもおうちの事情はあまり話したがらないし」
ルートには許可されなかった魔法科への進学が、エルウィンには許可される。
その理由は分からないが、魔法科ということになればメルヴィにとっては同じ専攻の後輩となる。どこかで関わることもあるだろうか、と思った。
「あたしの授業には当たらないといいけどねぇ。あたし、あの子どうも苦手なのよ。……あ、これはナイショね。王子サマにそんなこと言ったってバレたら不敬罪で捕まっちゃう」
ディディエは唇に人差し指を当てると、付け睫毛なのか不自然に目尻だけが長い睫毛を揺らして、バチッとウインクして見せた。
「それはそうと、レッスンの前にあたしからも一つ質問してもいーい?」
ディディエが顔をぐいっと近づける。
ディディエのごつごつとした大きな手が、メルヴィの髪に触れた。
「……この髪の毛、地毛じゃないわね? どうやってるのかしら?」
メルヴィの顔から、さっと血の気が引いた。