二人のクラスメイト 02
「ったく、落ち着けって。お前、意外と短気なんだから」
「……ごめん」
ミランがルートの肩を掴んで席に座らせる。
「あー、ごめんな。いきなり。びっくりした? 俺ね、異種族なんだよね。ライカンなの。貴族連中の中には異種族に反感を持つ奴も多いからさ」
さらりとミランが言った。
ライカン―――人狼とも呼ばれる異種族。
普段は人間と同じ姿形をしているが、満月の夜に狼に姿を変える獣人である。人間を凌駕する怪力と鋭い爪と牙を持ち、種を通して狂暴で残忍な性質であると一般的には言われている。
ライカンは他の異種族と比べて高い社会性を持っていることが特徴で、群れで行動し、種族の中に独自の階級制度を持っている。
パラヴァの街を始めとするマルヴァレフト領の中にも幾つかのライカンの群れが暮らしていたので、メルヴィはライカンをよく知っている。
巷ではいかにライカンが狂暴な生き物であると言われていたとしても、メルヴィの知っている彼らは全く違う。
彼らは誇り高く、礼節を重んじ、俗世におもねらない孤高の種族である。
領主である父マルセルも常にライカンを尊重し、彼らに敬意を払うようメルヴィに教えてきた。そして、領地の中でライカンが独自の社会生活を送れるように尽力するマルセルの背中を見てメルヴィは育った。
「ミランはライカン族の王の息子なんだよ」
と、ルートが言った。
ライカンの王! メルヴィは目を見開く。
ライカンは縄張り意識の強い生き物で、二十から百人程度からなる群れで生活している。
そして、各地に散らばる幾つもの群れの上に、全てのライカンを統括する、たった一人の王が君臨している。
ライカンたちが彼らの頂く王をいかに崇拝しているのかを、メルヴィはよく知っている。全てのライカンにとって、ライカンの王は強く、大きく、絶対的な存在である。
ライカンの王の息子ということは、ミランは将来は全てのライカンを統べる王になる男であるということか。
「……そうとは知らず大変失礼いたしました。ミラン様」
メルヴィは咄嗟に深く頭を下げた。メルヴィの姿を見て、トビアスも慌てて頭を下げる。
「……!」
そんな二人の様子に、ルートとミラン、そしてキトリも驚いている。
「……驚いた。君たちはライカンに頭を下げるのか」
ルートが言った。
「ライカンを統べる王のご子息です。頭を垂れるべき身分の方です」
頭を下げるメルヴィの上から、ははっと笑う声が降ってきた。
「メルヴィ、ユーリ、頭を上げてくれ。俺はそんな大した男じゃないよ。ミランでいい」
ミランはそう言って笑うと、メルヴィの頭に向かって手を伸ばす。
「でも、ありがとな。ライカンに対する敬意を示してくれたこと、種族を代表して礼を言う」
ミランの手が、メルヴィの頭をくしゃっと撫でた。
その瞬間、メルヴィの両脇の二人がびくっと肩を震わせて反応したかと思えば、メルヴィは大きく左に引き寄せられる。
気が付けばトビアスがメルヴィの腕を引いて自分の方に引き寄せており、ルートがミランの手を掴んでいた。
「あぁ?! なんだよ、取って食いやしねえよ」
ルートに手を掴まれたミランがルートを睨む。
「君は信用出来ない。……ユーリは僕の大切な婚約者の従者だ、気軽に触らないでくれ」
「なんだよ、別にいいじゃねーか! 婚約者だけじゃなくその従者までお前のものだっていうのかよ」
「メルヴィもユーリも一人の人間だ。誰の所有物でもない」
「だったら止めるなっ」
「君みたいな乱暴者が迂闊に触って怪我でもしたらどうする」
メルヴィそっちのけでルートとミランが言い合いをしているのを、メルヴィはトビアスに半ば抱きしめられるような体勢のままポカンと眺めていた。
「あの……トビアス、苦しい……」
小さい声で呟くと、トビアスが「あっ、申し訳ありません……っ」と言いながら手を離す。
よく分からないけれど、ルートとミランは随分仲が良いらしい、とメルヴィは思った。
メルヴィが知るルート・メーレンベルフという人間は、いつもにっこりと隙なく微笑んでいて、いつでも落ち着いている印象だった。それが、ミランに対してはくだけた雰囲気で、リラックスしているように見える。
ルートがこんな風に誰かと言い争う姿は、メルヴィの目には新鮮に映った。
友達って感じ、だな、と思う。
目の前で言い合いをする二人を、メルヴィは羨ましいと思った。
屋敷に閉じ込められて育ったメルヴィには、トビアス以外の友人が居ない。
……友達になれるだろうか、と、思う。
キトリやミラン……ルートと、友達に。
「それにしても、異種族に対して偏見を持たない奴は、俺らにとってはそれだけで嬉しい存在だよ。――――なあキトリ?」
ルートの手を交わしながら、ミランがひょいっと顔を傾けてキトリの方を見た。
「うん」
と、キトリが頷いた。
「?」
二人のやりとりに不思議そうな顔をするメルヴィに、ルートが口を挟む。
「キトリはセイレーンなんだ」
「!」
メルヴィは驚いて口を開けた。
セイレーンは水陸どちらでも生活をすることが出来る異種族で、美しい歌声を持ち、人の心を惑わせたり幻覚を見せることが出来る“幻術”を使うことが出来る。魔女の使う“妖術”が物体や肉体に作用する魔法であるのに対し、セイレーンが使う“幻術”は精神に作用する。
女のセイレーンは皆その容姿が極めて美しいことで知られ、男のセイレーンは逆に醜いことで知られている。
また、男女ともに力が弱く体も丈夫ではないため、近年は数が減っていることが問題となっている。
そうか、それで嘘を!
メルヴィはセイレーンに会うのは初めてだったが、「セイレーンは嘘を見抜くことが出来る」というのは本で読んで知っていた。
初めて出会うセイレーンに、メルヴィは胸が昂った。
美しい歌声を持つ、儚く可憐な美貌の異種族。ずっと会ってみたいと思っていた!
「セイレーン! どうりで美人だと思いました! セイレーンは嘘が分かるっていうのも本当だったんですね! わぁ、すごいな……、セイレーンに会うのは初めてです! ね、トビア……お嬢様っ?」
興奮のままに顔を向けたメルヴィに対して、トビアスが気まずそうに目を逸らす。
「えっと……そうですね……」
歯切れの悪い口調で、目を泳がせている。
「? お嬢様もセイレーンに会うのは初めてですよね? パラヴァは海から遠いせいか、街中でお会いしたことがないですし」
メルヴィはトビアスの顔を覗き込んだ。
「えーと……ワタシは……」
トビアスはチラリとキトリを見る。キトリはじっとトビアスを見つめていた。
ここで嘘をついてもバレてしまうことを悟ったのか、トビアスは観念したように言った。
「ワタシは、お会いしたことがありますよ。……パラヴァには何人ものセイレーンがいらっしゃいますから」
「えっ、そうなの!?」
思わずメルヴィは素に戻って声を上げてから、慌てて口を押さえた。
パラヴァにセイレーンが居るなんて、全く知らなかった。
ほぼ屋敷に閉じ込められていたとはいえ、16年間もパラヴァに暮らしていて、街に出たことも一度や二度ではないというのに、一切会ったことがないなんてあり得るだろうか。
……それに、トビアスが心なしか気まずそうな顔をしているのは、一体何故なんだろう?
メルヴィは顔にはてなを浮かべて首を傾げた。
「キトリはヘイノーラ伯爵の養女だから、伯爵令嬢でもあるんだよ」
明らかに会話の流れを変えるように、ルートが言った。
「ま、まあ! そうなんですわね! ワタシは社交界へは出ておらず、存じ上げなくて申し訳ありません」
話題が切り替わったことに安心したように、トビアスが取り繕って言った。貴族令嬢同士であれば通常は舞踏会やお茶会などで顔を合わせていることが多いので、辺境伯令嬢であるメルヴィが伯爵令嬢であるキトリを知らなかったことへの言い訳である。
「……社交界は、私もキライ」
キトリが言った。
「みんな、嘘ばっかり」
そう言って、プイっと顔を逸らせる。
「ははは、キトリみたいに嘘が分かる人にとっては、地獄のような場所だろうね。何しろ本当のことを話す人の方が少ないくらいなんだから」
ルートが笑いながら言った。
「あの、このクラスに他に異種族の方はいらっしゃいますか?」
ライカンの王子とセイレーンと共に机を並べていることに興奮しているメルヴィが尋ねると、ミランとキトリの視線がチラリとルートに向けられた。
二人の視線を受けながら、ルートは何も言わずに口を噤んでいる。
そこから何かを察したように、ミランは一つため息を吐くと口を開いた。
「純血の異種族は、俺とキトリだけだよ」
ミランとキトリが交わした視線の意味に、メルヴィはこの時は気が付いていなかった。
ごく一部の人間だけしか知ることのない第二王子の出生の秘密を、メルヴィが知るのは、もう少し先のことである。