二人のクラスメイト 01
春の月第一週三日目。
王立アカデミーでは本日より新学期が始まる。転校生として基礎課程二年に編入したメルヴィとトビアス(対外的には“ユーリ”と“メルヴィ”)は、事務手続きの際に説明を受けた通りに二年生のクラスルームに向かっていた。
今日になってから一度もルートは姿を見せていなかった。メルヴィが朝起きた時には既に部屋に居らず、ここに来るまでにも会っていない。
結局昨日は一日一緒に居たからあまり感じていなかったが、こうしてルートと離れてみると、アカデミーという未知の場所に対する緊張が湧き上がってくる。メルヴィは少しだけ心細いような気持ちになった。
「あっ、ここね。基礎課程二年って書いてあるわ」
案内図の通りに歩いていると、すぐに目当ての場所にたどり着いた。教室に掛かっている表札が、ここが目的の部屋であることを告げている。
恐る恐る扉を開く。
教室はそれなりに広く、階段のように段差になってすり鉢状に広がっている。一番下には教師が立つのであろう教壇とスクリーンが備え付けられていた。
既に教室には二十名ほどの生徒が居り、あちこちの椅子に座って談笑したり本を読んだりなど各々で過ごしている。
入口に現れたメルヴィとトビアスに、教室内の視線が一斉に集まる。
その中には今朝二人を取り囲んでいたご令嬢たちや、アンリエットの姿もあった。
じろじろと、値踏みするような視線に晒される。
好奇の目もあれば、ご令嬢たちのように非難するような目もあった。
ひそひそと話す声。
誰もが二人に注目をしているのに、誰も話しかけようとはしなかった。
あちらこちらで交わされる会話が漏れて聞こえてくる。
「あれがルート様の……」
「まあ、なんであんな女とルート様は……」
「あれだろ噂の……魔女との混血……」
「何するか分からないぞ、魔女なんだから……」
「女の癖に騎士道科に入るらしい……」
「まるでゴリラみたいな女だ……」
「あの従者は平民らしい……」
「平民がアカデミーに来るなんて……」
「魔法科専攻らしい……平民に魔法など……」
メルヴィは悟った。
どうやら、ありとあらゆる点において、自分たちは異質な存在であるらしい。
メルヴィとトビアスに向けられた視線は、古くからの伝統の上に築かれたこの王国において、二人がどのように見られているかということを如実に表していた。
王子であるルートが侯爵家との縁談を蹴って婚約を交わしたこと。
その相手がまるで貴族令嬢らしくない見た目であること。
魔女という異種族との混血であること。
女が力を持ち、強くなること。
平民がアカデミーに入学すること。
平民が魔法を使うこと。
その全てが、彼らにとっては好ましくないことであり、許せないことであるらしかった。
「えっと……」
入口に立ったまま、どうしたら良いのか分からずにメルヴィは立ち尽くしていた。
「……邪魔。早く入って」
後ろから聞こえてきた小さな声に、振り返る。
そこにいたのは、青み掛かった白銀の髪をポニーテールに結んだ、背の小さな少女だった。
よく見れば整った綺麗な顔立ちをしているが、眼を伏せて口を結んでいるせいか、美人であるということよりも不機嫌そうな表情の印象の方が強い。
「……席は自由。どこに座ってもいい」
そう言いながら、少女はメルヴィとトビアスの横をすり抜けて教室に入った。
何となく、少女の後をついて教室に入る。
少女は教室の左、窓際の一番後ろの席に座った。
それに倣うように、空いていたその一つ前の席にメルヴィとトビアスも座る。
ちらりと目を上げて、メルヴィは少女の様子を伺った。
睫毛が長く、瞳は薄いアイスブルーで、肌は白く、体は細く、全てがメルヴィの一回り小さい。(トビアスと比べると三分の一くらいの大きさしかない)
「あのっ……はじめましてっ、ワタシ、メルヴィ・マルヴァレフトっていいます!」
「!? ……ちょっと、トビアス、何で話しかけたのっ……」
突然少女に向かって話しかけたトビアスの服を、メルヴィは思い切り引っ張った。
「いや、せっかく話しかけてくれたんだから友達になれるかなと……席のこと教えてくれていい人っぽいし」
「単に邪魔だったらから声かけただけでしょ! 邪魔って言われたじゃない!」
こそこそと話す二人の様子を、少女は無表情でじっと見つめている。
「……キトリ。キトリ・ヘイノーラ」
おもむろに少女が口を開いた。どうやら彼女の名前であるらしいそれは、相変わらず小さい声ではあったが、しっかりとメルヴィの耳に届いた。
「キトリさん……っていうんですね。わた……俺はユーリです」
「メルヴィ、ユーリ」
確認するように、キトリはメルヴィとトビアスをそれぞれに見ながら名前を復唱する。それから少し何かを考えるように、二人の顔をじっと見つめた。
「……嘘ついてる」
「えっ?」
「嘘、ついてるね。名前、本当は違う?」
キトリは真っ直ぐにこちらを見つめている。
「私、嘘が分かる」
メルヴィは動けなくなった。背中に汗が流れる感触がするのに、指の先は冷たくなる。
どうしよう、と思った。
キトリの真っ直ぐな目を逸らすことが出来ない。
嘘が分かる? そんなことがあるんだろうか。
でも、キトリの様子からするとそれは本当のようだった。
何か……何とかして誤魔化さなきゃ……と、メルヴィが硬直したまま脳の回転させているときだった。
「うん、ごめん。ワタシたち、嘘をついてます。でも今はここにメルヴィとユーリとして通ってます」
ふいに、トビアスがそう言った。
あっさりと嘘を認める、あっけらかんとした口調だった。メルヴィは驚いてトビアスの方を見る。トビアスは動揺している素振りもない。
「……ふうん。そう。……分かった」
キトリは無表情のままそう言うと、それ以上は何も聞いてこなかった。
「あの……何で、とか、聞かないんですか」
メルヴィはおずおずと尋ねる。
「? 別に。興味ない」
キトリは平然と言った。本当に興味がないようにきょとんとしている。
「“メルヴィ”、“ユーリ”」
そしてもう一度、繰り返すようにそう言うと、うん、と小さく頷いた。
「あっ! 騎士道科と生物科が帰ってきたぞ!!」
誰かが声を上げると同時に、教室がわっと湧き上がる。
顔を上げると、教室の入り口に人だかりが出来ていた。
「東の森に魔獣が出たんだって?!」
「大丈夫だった??」
「お怪我はありませんでしたか?!」
入口を取り囲んでいる幾つもの頭の向こうに、見慣れた黒髪の頭が見える。
そこには、ルートの姿があった。
「メルヴィ! ユーリ!」
ルートはメルヴィと目が合うと、人を掻き分けてこちらに向かってくる。
アカデミーの制服の上からマントを羽織っていて、心なしか髪がいつもよりも乱れていた。
教室の目線が再び一気にメルヴィの方に集まるが、ルートはまるで気にしない様子で優雅に歩いてくる。
「朝は迎えに行けなくてごめんね。アカデミーの東の森に魔獣が出たから、騎士道科と生物科が討伐に駆り出されてね」
そう言いながら、空いていたメルヴィの隣の席に腰を下ろす。
「魔獣、というと……」
「冬眠明けのアルクトドゥスだよ。ただでさえ狂暴なのに、冬眠明けで気が立っているから更に厄介だった。普通は奥の森に棲息していてアカデミーの方までは降りてこないはずなんだけどね」
アルクトドゥスはクマの古代種にもあたる巨大な肉食の魔獣で、獰猛な性格で知られている。鋭い牙と素早い脚を持っており、生きた肉を好んで食べる。まともに人間が戦ったら敵わない相手である。
家にあった図鑑で見たことのあるその姿をメルヴィは思い浮かべる。四メートル程の大きさの巨大なクマの絵を思い出し、小さく身震いをした。
「――――森の一部が伐採されてる。そのせいであいつらのエサが少なくなってんだよ」
ドサッという荒々しい音と共に、メルヴィの前にオレンジ色の頭が現れた。
乱暴な動作で前の席に座ったのは、釣り気味の眉と目が野性的な印象を与える青年。ルートと同じようにマントを纏っているが、それはあちこち擦れたり破れたりと大分汚れている。マントの下に見える制服も着崩していて、ネクタイを緩めた首元は襟が大きく開いているのがわかった。
「紹介するね、メルヴィ、ユーリ。こいつはミラン。ミラン・オースター。僕の友人だ」
「どーも。あんたたちの話はルートから聞いてるよ。ミランでいい。よろしくな」
椅子の背もたれに腕を掛けて後ろを向いたミランが、ニカッと豪快に口を開けて笑いながら言った。
隙がなく優雅で物腰の柔らかいルートの友人にしては、意外なタイプだ、と思う。パッと見た印象だけでも、ミランはガサツで乱暴で、豪快な人物のようだった。
ミランはメルヴィ達の後ろに居たキトリの姿を見つけると、軽く手を上げて合図をする。
「よっ、キトリ、久しぶり! 元気だったか? ……キトリと会話できるってことは、あんたたちは信用出来る人間ってことか」
「……嘘はついてる」
キトリの言葉に、ルートがピクリとわずかに反応したのが、メルヴィには分かった。
「えっそうなの? こいつら嘘つきなの?」
「嘘つき……ではない。嘘をついてるって言った言葉は嘘じゃなかった」
「んー? よくわかんねえな。ま、いっか。どんな奴らかは俺が自分で見極めるよ」
メルヴィを挟んで交わされるミランとキトリの会話を、口を挟むことも出来ずにメルヴィはただ黙って聞いていた。
「ルート様」
聞き覚えのある凛としたよく通る声に、メルヴィはビクンと反応した。
その声がこの名前を呼ぶのを、どこかで恐れていたのだ。
「やあ、アンリエット。久しぶりだね。休暇はどうだった?」
いつの間にかルートの隣にアンリエットが立っていた。
金髪の巻き髪は毛先まで輝いていて、スッと伸びた背筋がそのスタイルの良さを際立たせている。
メルヴィ達が教室にやってきた時には、視線だけをちらりと送りはしたものの座ったまま顔さえも動かすことがなかったアンリエットが、こうしてルートのところへはわざわざやってきている。
ルートは座ったままにっこりとアンリエットに笑顔を向けた。
幼馴染……仲睦まじく……婚約目前だった……
ご令嬢たちから聞いた話が頭の中を巡る。
何となく直視出来ないような気持ちになって、メルヴィは下を向いた。握った手のひらをもぞもぞと意味なく動かしながら、二人が会話をしている右側の耳に全身の意識が集中してしまう。
「ルート様、あちらにお席をご用意しております。宜しければいらしてくださいませ」
アンリエットの声がする。
メルヴィたちが来る前は、ルートとアンリエットは一緒に授業を受けていたんだろうか、と思う。
「申し訳ないけれど、僕はここに座ってるんだ」
メルヴィはぎゅっと自分の手を握り締めた。
「ルート様」
「僕が誰とどこに座るかは、僕が決める。他人にとやかく言われたくないね」
下を向いたまま、メルヴィはそっと視線を右へと向ける。
アンリエットはその美しい瞳を真っ直ぐにルートに向けて、じっとルートを見つめている。
それに向き合うルートはにっこりと微笑んで、目だけは全く笑っていなかった。
他人、という言葉を殊更に強調したように聞こえた。
「……お望みであれば、ご婚約者様とご一緒でも構いません。ご婚約者様とお二人で、こちらへ」
アンリエットの視線がさっと動き、ミラン、キトリ、そしてメルヴィのことを一瞬だけ見た。
アンリエットの瞳がメルヴィを映すのは、これが初めてである。
婚約者――――"メルヴィ"(トビアス)とでも良い、ということだろうか。
メルヴィは驚いて思わず顔を上げ、アンリエットの顔を見た。
アンリエットは相変わらず落ち着いた様子で表情が変わらないが、その瞳にはわずかに悲しみの色が見えるような気がした。
婚約目前と言われながら、別の女と婚約した男。
その男に向かって、婚約者と一緒でもいいから隣に来いというのは、どういう心境なのだろう。
その顔をまじまじと見つめていたメルヴィは、再び視線を泳がせたアンリエットとばちりと目が合った。
アンリエットはすぐに視線を戻し、ルートに向き直る。そして静かな声で、言った。
「王子であるあなた様が、異種族や平民と席を共にすることは避けるべきです。お立場をお考え下さい」
「もう一度言う。僕は自分の意志でここに居るし、誰とどこに座るかは僕が選ぶ」
ルートは立ち上がると、ゆっくりと、しかし強い声で言った。
「……分かりました。けれど、不要な反感を招くような言動は、なるべくお控えくださいませ」
アンリエットは膝を折って一礼すると、くるりと踵を返して立ち去った。
その後ろ姿からは、彼女が今どんな顔をしているのかは分からなかった。




