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令嬢と従者は屋敷を抜け出す 01

 太陽と月の紋章を掲げるメーレンベルフ王国の東の端。

 国境に接する、面積だけは広大だが大部分が荒野というその土地は、マルセル・マルヴァレフト辺境伯によって治められている。


 マルヴァレフト領の中心である辺境都市パラヴァは、自国・異国双方からの旅人や商人が溢れ、王都とは異なる様相を呈していた。


 まだ見ぬ世界への旅路に目を輝かせる若者、異国の珍しい宝石や食べ物で賑わう市場。

 あちこちで音楽が奏でられ、旅芸人の一座が即興で踊り始めれば通りすがりの人々も踊りに加わっていく。老若男女が歌い踊り、笑い声が響く。


 その一方で、物騒な武器を腰からぶら下げた男たちは昼間から酒を呑んで大声で喧嘩をし、街角には化粧の濃い女がわずかな布だけを纏って立っている。

 路地裏や酒場では意味ありげな密談が交わされ、外套やストールで顔を隠した人も多い。


 ここは世界中から様々な人が集まり、種族や身分が意味を為さない辺境の街である。



 マルセル・マルヴァレフト辺境伯の屋敷は、そんな辺境都市パラヴァの中心部からやや外れたところにある。

 領主の館にしてはこぢんまりとした作りで、レンガの壁一面を覆いつくすように絡む蔦は外界と屋敷とを隔て、昼でも薄暗い屋敷の様子はまるでお化け屋敷のように不気味で近寄り難かった。

 遠くから見ればびっしりと隙間なく蔦が生えているように見える壁は、よくよく見れば蔦に埋もれていくつかの窓がある。

 並んだ窓の中の一つ、二階の一番端の部屋の窓に、二つの人影が浮かんでいた。


「お父様の馬車はもう出た?」


 小さな方の人影――辺境伯令嬢、メルヴィ・マルヴァフトが細身の体を前に乗り出すと、美しいプラチナブロンドの長い髪がさらさらと揺れ、彼女の顎の下にあるもう一つの人影の頬に掛かる。

 メルヴィは長い睫毛に縁どられた大きなサファイアの瞳を大きく開いて、窓の外の様子を伺った。


「上に乗らないでくださいよ、お嬢様」


 メルヴィの体の下で、ややくすんだブロンドの短髪の青年が咎めるようにメルヴィを見上げる。長身で筋骨隆々の大柄なこの青年は、メルヴィの従者であり、護衛であり、従兄弟であり、唯一の友人であるトビアス・ニーニマーである。


「……それにしても、旦那様が朝から正装して馬車でお出かけなんて珍しいですね? 今日は一体何があるんです?」


 動いているのを見るのは数年ぶりとも言えるようなマルヴァレフト家のよそ行きの馬車を見送りながら、人の良さそうな顔を傾げてトビアスはメルヴィに尋ねた。


 メルヴィの父、マルセル・マルヴァレフト辺境伯は社交嫌い・貴族嫌いの変人として知られる人物である。

 マルセルは王都には殆ど訪れることがなく、辺境の領地に引きこもって生活をしており、何か月間も家から出ないことも珍しくない。


 メルヴィはマルセルの一人娘である。

 マルセルはメルヴィが生まれた時からこの屋敷に閉じ込め、外に出ることを禁じて16年間育ててきた。

 

 そのため、メルヴィは16歳になったというのに社交界にデビューもしておらず、王都にある王立アカデミーに通うこともなく、従者で従兄弟のトビアス以外には友人もいない。


「第二王子がお忍びでいらっしゃるそうよ」


 メルヴィがため息を吐きながら答える。

 いくら貴族嫌いといえども王子様の来訪とあっては辺境伯として対応をしなければならず、父マルセルは重い腰を上げて朝から出掛けていったのだった。


「何でまた王子様なんかがこんなところに?」


 トビアスが驚いて顔を上げる。思いのほか近くにメルヴィの顔があることに動揺して慌てて顔を逸らすが、メルヴィは気にする素振りもなく窓の外を見つめている。

 ここパラヴァは王都から遠いだけでなく、決して治安が良いとは言えない街である。それはそれで独特の自由な活気があって魅力的な街ではあるが、わざわざ王子様が訪れるような場所ではない。



「辺境の青い薔薇―――」


 眼下に並ぶパラヴァの街並みのずっと向こう、要塞の先に広がる荒野を見つめながらメルヴィが言った。


「―――辺境に咲くと噂の、“幻の青薔薇”を探してるんですって」


「辺境の青い薔薇? 言い伝えでしか聞いたことのない代物じゃないですか。

それをわざわざ探しに?」


 幻の青薔薇の伝説はこの国には古くから伝わっている。メルヴィは家にある本でその伝説を読んだことがあった。

 

その花から作った香水は愛の妙薬となり、ヴァンパイアが口にすれば不死の呪いを解き、魔女に贈れば願いが叶えられるという幻の青い薔薇。


 だが同時にそれは「実現不可能なもの」と代名詞としても用いられ、その気のない相手からの求愛を断る際の言い回しとして「青い薔薇を頂けるのであれば考えてもいい」と言う言葉さえあるくらいだ。


「さあ? つれない女性に片思いでもしてるんじゃない?」

 女性からの遠回しな断りの文句を真に受けて、王族の権限を使って青薔薇探しでもしているのだろうか、とメルヴィは思った。


 不可能を可能にする、夢のような青い薔薇を探しにやってくる王子。

 一体どんな目的があってのことかは分からないが、それに付き合わされるお父様はとんだ災難だ。


「第二王子って言えば、ルート・メーレンベルフ殿下ですよね。ミステリアスな漆黒の貴公子として街の女の子たちからは人気ですよ。なんでも、かなりの美形らしいですよ」

 トビアスがそう言うと、初めてメルヴィはトビアスの方に顔を向けた。


「“街の女の子”」

 トビアスの言った言葉を繰り返す。


「……街の酒場には女性の店員がいるんです。飲みに行くと、女性が付いてくれて、話をするんです。……話をするだけですよ!?」

「別に何も言ってないわ」

「健全な……健全な店ですからね!?」


 メルヴィより3つ年上のトビアスは19歳で、この国では既に成人を迎え飲酒をすることが出来る。

 お世辞にも上品な街とは言えないパラヴァの街の酒場には、どの店にも女性が居る。

 パラヴァの場合はその半数はオプションの“性的サービス”を提供する店だが、そうではない“健全な”酒場であっても、この国では酒場に女性は欠かせない。


 貴族が平民の上に立ち、男が女の上に立つことを当然と考えるこの国においては、酒と女はセットで捉えられ、どちらも男を喜ばせるために存在するのだと考える人も多い。


 年下の女性であるメルヴィに幼少より仕え、メルヴィを主として大切に思って生きてきたトビアスにとっては共感の出来ない考え方ではあるが、街に出て酒場に行けばその他大勢の男性と同様に扱われ、性的ではないにしても甲斐甲斐しい接待を受けることが多かった。



「トビアスもそういうところに行くのね」 

「だから健全な店ですって!」


 メルヴィは意外そうな顔でしばらくトビアスを見つめたあと、面白がるようにふふっと笑う。


 幼い頃から共に育ってきたせいか、それとも大柄な体つきの割に童顔な顔立ちのせいか、メルヴィはトビアスのことを成人男性として意識したことがなかった。


 しかし、屋敷から出ることを許されていないメルヴィとは違い、従者であるトビアスは自由に街へ出ることが出来る。

 メルヴィの知らない顔がそこにはあるのかも知れないと思うと、単純な興味で面白く思う気持ちと共に、少しだけ面白くないような気持になるのは何故だろう。



「別に隠さなくたっていいのよ。じゃあ今日は、その“女の子たち”のお店も紹介してくれるかしら」

「えっ?! 今日は―――って、わあっ!」


 窓から離れて室内へと歩き出したメルヴィを追いかけるように振り返ったトビアスの目に、露わになったメルヴィの白い肩が飛び込んでくる。

 メルヴィはドレスの襟元のリボンを解き、着替えを始めようとしていた。


「な、な、なにしてるんですか……!」


 トビアスは真っ赤になりながら自らの手で目を覆う。

 目をつぶっても、一瞬だけ見えたその姿が鮮明に瞼の裏に焼き付いている。

 美しいプラチナブロンドの髪が体の稜線に沿って滑り、その合間から肩が覗く。陶器のように白い肌に覆われた、華奢な肩。



「何って……お父様が出掛けたら、こっそり街に行くって約束でしょ。早くあなたも支度して」


 メルヴィの父、マルセル・マルヴァレフト辺境伯は、メルヴィを人の目から隠して育ててきた。

 メルヴィは王都から遠く離れたこの辺境都市から出たことがなく、この屋敷から出ることも許されていなかった。


 その理由は、メルヴィが生まれた経緯にある。


 生まれながらの貴族であるマルセルは、元々人付き合いが悪く、特に社交界や貴族社会を疎んでいた。

 頭が良く、剣で戦わせれば強く、高度魔法も使いこなすマルセルは早くから頭角を現し、若くして先代より辺境伯の爵位を継いだ。

 優秀で高貴な家柄の男を周囲が放っておくはずもなく、マルセルの下には数多の縁談が持ち込まれたが、彼は全てを断り続けた。


 そんなマルセルには、生涯でただ一人だけ、心から愛した女性がいる。

 それは、ヴェルヘルミーナという名の魔女だった。


 この世界には、人間の他に、魔女やライカン(人狼)、ヴァンパイア、セイレーンと言った異種族が存在する。


 異種族は見た目こそ人間と同じであるものの、人間とは異なる生態を持ち、人間にはない力を使うことが出来る。

 しかしながらその数は圧倒的少数であり、この国においては異種族は異端と考えられ、差別や偏見の目で見る者も多い。


 自分とは違う力の存在を、人は恐れる。

 特にその力が強大であればあるほど、支配階級から見れば権威を脅かす脅威の存在となる。

 恐れは敵意に変わり、自らの権利を守ろうとする動きは異端への迫害に繋がっていく。


 この国の貴族たちにとっても同じことであった。

 

 マルセルはヴェルヘルミーナとの結婚を望んだが、この国では異種族との婚姻は許されておらず、特に貴族であるマルセルが魔女と結婚するなどということは許されないことであった。

 それでもマルセルはヴェルヘルミーナを愛し、王都から遠く離れた領地に彼女と共に引きこもり、やがて一人の女の子が生まれた。これがメルヴィである。


 しかし、ヴェルヘルミーナはメルヴィを産んですぐに失踪してしまった。


 何者かに連れ去られたのか、自ら出ていったのか。

 それさえも分からないまま、16年の月日が経った。


 マルセルは残された一人娘の存在は明らかにしたものの、メルヴィを屋敷に閉じ込め、人の目に触れないようにした。

 屋敷にはごく少数の信用出来る使用人だけを雇い、メルヴィが屋敷の外へ出ることを禁じた。


 こうして、誰もその姿を知らない、幻の“辺境伯令嬢メルヴィ・マルヴァレフト”が誕生したのである。



 しかしながら、メルヴィは好奇心旺盛で活発な少女に成長し、次第に外の世界に興味を持つようになっていった。


 そしていつしか、父の目を盗み、変装して屋敷を抜け出し、街に繰り出すようになった。


 普段から家に閉じ込められているメルヴィの顔を知る人は少ない。

 元より、王都から遠く離れ、貴族は殆どおらず、平民や異種族、外国人も多い街である。


 誰もお互いのことを知らず、必要以上に深く探り合うこともなく、その場限りの時間を楽しむ街。

 その人波の中で、“メルヴィ・マルヴァレフト”ではない一人の少女として過ごす時間を、少女は純粋に楽しんでいた。



「なんせお父様が屋敷から出るのは半年ぶりだもの! お陰でこの半年間、私まで家に缶詰めよ」


 赤面したまま目を覆っているトビアスのことは全く気にかける素振りもなく、メルヴィはドレスを脱いで町娘風のワンピースに着替えを続けようとする。


「わ、分かりましたから! 今すぐ部屋を出ますので、そのまま動かないでください……!」


 メルヴィにしてみれば、トビアスは幼い頃から共に育った兄弟のような存在である。

 何を今更気にしているのかしら、と思いながら、慌てて部屋から出ていくトビアスの後ろ姿を見送った。



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