いざアカデミーへ 03
「あの……ここは一体……」
メルヴィは扉を開けると、きょとんとした顔で首を傾げる。
「何って、君の部屋だよ」
扉の入り口にもたれかかったルートが、にやりと笑いながら言った。
メーレンベルフ王国の王都は、王城を中心に作られた城下町である。街全体をぐるりと囲むように城壁が建てられ、全ての門に衛兵が配置されている。
街の中に屋敷を持つのは、貴族と、王都で働くごく一部の平民のみである。王都で働く平民の多くは門の内側に家を持つことが出来ず、場外から通いで働いている者も多い。
メルヴィの祖父の代まではマルヴァレフト家も王都に屋敷を持っていたのだが、マルセルに代替わりしたときに手放してしまい、元の屋敷は今では貿易商人のギルドの本拠地として使われている。
王立アカデミーは王都の東の端に位置する。小高い丘に沿って広がる広大な敷地の三分の一は森で、残りの整備された部分には、各種試合を行うための広いグラウンドや、生物科が保有する魔獣の厩舎が配されている。敷地内には湖もあり、夏にはボート遊び、冬にはアイススケートなどを楽しむことが出来る。
校舎は立派な尖塔と美しいステンドグラスのある大講堂を備えた「中央棟」と、渡り廊下で繋がる「研究棟」、そして後から増設された「新棟」の三つに分かれており、そこから少し離れて、ケヤキの並木が並ぶ遊歩道を歩いた先に全校生徒が生活する寮の建物がある。
長い旅路を馬車に揺れられて王都に入った時には、王都の仰々しく華美な様子に少しげんなりしていたメルヴィだったが、アカデミーの中は想像していたよりもずっと過ごしやすそうだと安堵した。絢爛豪華というよりは歴史を感じさせる趣で、落ち着いていて安心感がある。
これまでの引きこもり生活から一転してあれよあれよという間に始まってしまったアカデミー生活だったが、ルートに案内されて校内を見て回るうちに、これからここで過ごすのだという実感が湧いてきてメルヴィは胸が躍るのが分かった。
家の蔵書とは比べ物にならない程たくさんの本で溢れる図書館に、初めて見る魔獣が並ぶ厩舎。図鑑でしか見たことのない薬草が生い茂る温室。
掲示板には、なんと古代魔術を学ぶサークルのチラシが貼ってあったのである。
そのチラシはメルヴィを歓喜させた。メルヴィを魔法から遠ざけるために家には魔法についての資料が殆どなかったのだが、唯一、古代魔術については記載のある本があった。古代魔術は今ではもう廃れてしまって、おまじないやゲン担ぎ程度に扱われているものなので、問題ないとマルセルが判断したのだろう。しかし、魔法を使う方法を求めて、メルヴィはその本を何度も繰り返し読んできたのだ。
ここにはそれを研究するサークルがあるというのか。これは是非入ってみたい。
アカデミーというものは貴族のご子息やご令嬢が通う社交界のミニチュアのようなものだと思っていたこともあり、これまで全く興味を持つことがなかった。
けれどこうしていざ足を踏み入れてみると、この国随一の研究機関というのがよく分かる。あちこちに興味を引かれるものがあり、好奇心がくすぐられる。
ルートによる案内ツアーは三つの棟を全て見学し終わって、最後に寮のある建物に向かっていた。寮は建物ごと男女に分かれているため、二つの建物の分かれる入口のところでトビアスとは別れることになる。
……今更だけど、トビアスは女子寮、私は男子寮に入るのだ、とメルヴィは思った。
トビアス、大丈夫かしら?!
自分が男子寮に入るという心配よりも、トビアスが女子寮に入ることを心配するメルヴィが、トビアスに向かって不安そうな顔を向ける。
大きな目で悩ましげに見つめられて、トビアスは「うぅ……」と声にならない声を上げて額を押さえた。
「……くれぐれも気を付けてくださいね!? 何かあったら、いつでも、お……ワタシを呼んでくださいね!?」
メルヴィの肩をがしっと掴みながら、必死の形相でトビアスが言う。
「あぁ、今からでも、どうにかして同じ部屋になるとか……、無理ですかね?!」
「何を言ってるんだい、メルヴィ。それじゃまるでどっちが従者か分からないよ?」
ルートはトビアスの手をぐいっと掴むと、メルヴィの肩から引き離した。
「お嬢様こそ、くれぐれもお気をつけて。問題を起こさぬよう、最新の注意を払って生活してくださいね?」
絶対にバレないようにしてね! という気持ちを込めて、トビアスの手を両手でぐっと握る。
諦めきれないようにまだもごもごと何かを言っているトビアスを何とか女子寮に送り出してから、ルートに導かれて男子寮の建物の中に入った。
「寮は三階建てになっていて、各学年ごとにフロアが分かれている。僕たちは2年生だから2階だね」
2階へと続く階段をのぼりながら、ルートが言った。
「そして、残念ながら、というべきだけど、この寮でも身分制度が物を言わせていてね。身分によって使う部屋が違う。こんなところでまで区別をしたがるなんてほんとにバカげてるよ。ほら、ここからこっちが貴族が使う部屋で、向こうが平民の部屋」
階段を挟んで左右に並ぶ部屋を手で指し示す。確かに、言われてみれば部屋の作りがぱっと見ただけでも大分違っている。
“ユーリ・ニーニマー”は平民なので、迷わず平民の方の部屋に向かってメルヴィは歩き出そうとした。
「……貴族の部屋は一人部屋だけど、平民は四人部屋だよ」
「!?!?」
ルートの声に、メルヴィはぴたりと足を止める。
よ、四人部屋!? 聞いてない! 聞いてないよお父様!!!
今は遠く離れた屋敷の中で、書斎のデスクに座っているであろうマルセルの姿を思い出しながら、メルヴィは心の中で呼びかけた。
歩き出した足がそれ以上先に進めないまま、メルヴィは途方に暮れた。
自らの身の危険というよりも、変装がバレることの方のみが浮かんでいるメルヴィではあったが、とにかく四人部屋になるなんてことは想定外で、そこから一歩も動けなくなってしまった。
はあ、とルートがため息を吐く音が聞こえた。
「……君の部屋は別に用意してある。僕の大事な婚約者の従者を、大部屋に入れるわけにもいかないからね」
「!!」
泣きそうな顔でメルヴィはばっとルートを振り返る。
「まったく、何も考えてなかったの……? どうするつもりだったの、君は」
と呟いたルートの声は、ため息に交じってメルヴィの耳には届かなかった。
こっち、と促すルートに後を着いて歩いていく。
個室になっている貴族の部屋が両脇に並ぶ廊下をずんずん進んでいっても、なかなか目的地にはつかなかった。
最後に、廊下の突き当りまで来たところで、角部屋になっている一際大きな扉の前でルートは立ち止まる。
「ここは……?」
「ここは僕の部屋。代々王族はアカデミーに通うことになってるから、寮にも王族専用の部屋があるんだ」
慣れた手つきで部屋を開けるルートの後ろから部屋に入る。部屋の中は寮の一室にしては広く、派手ではないものの上質だと一目で分かる家具が備え付けられていた。
ルートのものであろう上着が脱いだままソファの背に掛けられており、大きな机には本が積まれて何枚もの紙が散乱している。机の上には飲みかけのカップが置かれていた。
とても汚いという訳ではないがそれなりに乱雑で、それが逆に生活感のようなものを醸し出しており、何故だか急にメルヴィはどぎまぎとした。
ここがルートの部屋で、ルートがここで生活しているんだということを実感させられる。
「それで、えっと……」
何でここに案内されてるんだっけ? と思いながら、メルヴィはルートを見上げた。
「そこの奥の扉を開けてみて」
ルートが部屋の奥を示した。
言われた通りに扉を開けると、そこには小さい部屋があった。
ルートの部屋から見れば三分の一ほどの大きさで、ベッドと机とクローゼットでほぼいっぱいくらいの部屋である。
「あの……ここは一体……」
メルヴィは扉を開けると、きょとんとした顔で首を傾げる。
「何って、君の部屋だよ」
扉の入り口にもたれかかったルートが、にやりと笑いながら言った。
「!?」
「正確に言えば、本来は僕の従者が使うための部屋なんだけど、僕に従者は居ないからね」
しれっとした顔でルートは言葉を続ける。
「……本当は貴族用の個室を用意したかったんだけど、それはそれで面倒臭いことを言う奴らが多くてね。少し手狭で申し訳ないけど、ここなら個室だし、僕の部屋の一部を僕がどう使おうが自由だから誰からも文句を言われなくて済む。廊下に面した扉がないから出入りは必ず僕の部屋を通らなきゃいけないのは不便だと思うけど、内側から閉められるように鍵をつけたから君のプライバシーも守られる。僕の部屋には専用のバスルームもあるから、もし良ければ使ってくれて構わないよ」
「えっと、とても有難いんですが、何故……? 毎回俺がここを通るんじゃ、殿下の方のプライバシーは守られませんよね? そういうのって、王族の方のセキュリティとして、いいんでしょうか……。殿下はちょっと、俺のことを信用しすぎじゃないですか?」
メルヴィが尋ねると、ルートはふっと吹き出して笑った。
「信用しすぎ、か。逆に聞くけど、君は僕を信用してるの?」
「信用、ですか? えっ、はい。勿論してます」
何も考えずに思わず答えてから、ふと脳裏に、先日の夜のことが蘇った。
ルートの部屋にうっかり入り、眠るルートに近づこうとして捕らえられた日のこと。
強い力で押さえつけられて、首を噛まれたこと。
……すっかり忘れてたけど、そういえばこの人、猟奇的な趣味(?)があるんだった……
その後のどたばたのせいでいつの間にかあの夜の記憶を忘却の彼方に追いやっていたことを思い出す。
結局あれは、何だったんだろう?
いきなり噛みつくような趣味(?)がある人と、鍵があるとは言え同じ部屋で過ごすのは危険なのかしら……?
今更ながらにそう思って、メルヴィはまじまじとルートを見つめた。
「そっか。君は僕を信用してるんだ? じゃあ僕はその信用に応えなきゃいけないね」
視線の先に居るルートが、メルヴィに微笑みかける。
あの夜の真相は、何も分からないけれど、と、メルヴィは思った。
この人を信じてみよう、と。
この人と、もっと話がしてみたいから。
この人が何を見て、何を感じ、何を考えているのかを、もっと知りたいから。
こうして、メルヴィにとって初めての寮生活は、ルートの部屋の一部を間借りする形でスタートした。
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