いざアカデミーへ 02
寮生活のための荷物が届くのは午後になるとの知らせを受けると、それまでの間に校舎の案内をするとルートが申し出た。
それが実際は案内という名目の「婚約者お披露目ツアー」であるということに気が付いたのは出発した後で、校内を回りきる頃にはアカデミー内でメルヴィたちのことを知らぬ者はいない程になっていた。
ルートはトビアスに腕を差し出してエスコートの姿勢を取っている。トビアスが身に着けたアカデミーの制服のワンピースは、新たに購入したとは言え女性もののサイズなので肩はパンパンにはち切れそうになっていた。
これ見よがしに腕を組み、寄り添って歩く二人の後ろをついて歩きながら、メルヴィは頭を押さえた。
どこを歩いていても好奇の視線に晒され、ひそひそと噂話が聞こえてくる。
「ところで、二人はもう専攻は決めた?」
講堂や図書館、各学年のクラスルームなどがある「中央棟」を一通り見て回って、「研究棟」へ向かう渡り廊下を渡りながら、ルートが尋ねた。
今日はまだ授業が始まっていない日であるためか研究棟の方はひっそりとしていて、人の視線を逃れた安心感でメルヴィがほっと一息ついたところだった。
アカデミーの基礎課程は3年間のコースで、16歳のメルヴィ達は2年生への編入となる。
(実際にはトビアスは19歳の成人男性なのだが、“メルヴィ”が16歳であるために、性別だけでなく年齢まで誤魔化しての学園生活という過酷な労働を強いられている)
アカデミーの授業は大きく二種類に分かれていて、全員が必ず受ける教養科目と、それぞれの専攻に合わせて専門的な内容を学ぶ研究科目がある。事前にマルセルから話は聞いていたから、メルヴィの希望は決まっていた。
「わた……オレは魔法科に」
「そうだね。ユーリはちゃんとした魔法の訓練を一度受けた方がいいからね。“メルヴィ”はどうする?」
ルートがトビアスに尋ねる。
「お……ワタシは、まだ迷っていて」
トビアスは困ったように言った。
「……ワタシには、特にやりたいことがないんです。魔法も使えないし」
「ユーリのように始めから魔法を使える人の方が珍しいんだよ。もし使いたいと思ってるんだったら、魔法科に進んでみるのもいいと思うよ」
そう言ってから、少し何かを考えるような顔をして、ルートは言葉を続けた。
「……貴族には魔法を使う人が多いけど、それは貴族がアカデミーで教育を受けたからに過ぎない。アカデミーの門戸がもっともっと広く開かれるようになれば、平民にだって魔法が浸透するはずなんだ。魔法は選ばれし者に与えられた特別な力なんかじゃなくて、教育を受ける機会があったかどうかの証に過ぎないんだから。学ぶ機会さえあれば誰でも得られる力だよ。……だからこそ、平民や異種族が力をつけることを恐れる貴族連中たちが、アカデミーから彼らを追い出そうと躍起になっているんだけど」
そこまで話し終わると、ルートはふと我に返ったように言葉を止めた。そして、「ごめんね、いきなり」と気まずそうな顔をした。
「だから、僕が言いたいのは、それが何に対してであっても、「出来るようになりたい」と思う気持ちは、いつだって上達への始めの一歩だっていうこと。強い気持ちは、時に、持って生まれた素質や能力や……血の力を凌駕する。……と、僕は信じてる」
ルートはそう言うと、優しい顔で笑った。
その笑顔に、メルヴィの胸が一瞬だけ跳ねる。自分に向けられた微笑みではないのに、何故かルートを直視することが出来なくて顔を逸らした。
王都から遠く離れた辺境の地で、屋敷の中に閉じこもって生きてきたメルヴィは、ルートの言葉にいつも驚かされる。
この国の体制のこと、貴族社会のこと、人間と異種族のこと。
自分がこの16年間、いかに何も見ずに、何も考えず、ただ漫然と与えられた環境の中で生きてきたのかを思い知らされる。
この人はきっと、私が見たことのないものをたくさん見て、聞いて、経験してきたのだろう。
そして、様々なことを感じ、考え、今こうして自らの信念を持って生きている。
もっとルートと話がしたい、とメルヴィは思った。
この人の目には、どんな世界が見えているんだろうか。
もっとルートのことが知りたい、と、何となく、そう思った。
「ありがとうございます。でも、その……そんなお言葉の後に非常に恐縮なんですけど、ワタシ、その……魔力が全く無くて……」
と気まずそうにトビアスが言うと、ルートは驚いたように目を見開いた。
「魔力が無い? 魔法が使えない、じゃなくて、そもそも魔力が全く無いってこと? そんなの、あり得ない……いや、でも、そうか……どうりで何の匂いもしないわけか……」
最後の方はぶつぶつと独り言のように言うと、ルートは突然、ははは、と声を上げて笑った。
「いいね、いいね。ますます君たちのことが気に入った」
言葉の意味が分からずにポカンとするメルヴィとトビアスを顧みず、ルートは言葉を続ける。
「とはいえ、この先も魔法を使えるようになる可能性がゼロってことになると、専攻出来る科目の選択肢は狭まるね。魔法科は勿論のこと、魔獣や幻獣・精霊の研究をする生物科や、治癒魔法や薬草学を学ぶ医学科にも進めなくなる。残るのは、芸術科、政治経済科、歴史科とかかな」
「芸術……政治経済……歴史……」
どれも苦手そうな顔で、トビアスが繰り返す。
どうしよう、と悩むトビアスを励ましながら歩いていると、カキン、と聞き慣れない金属音が聞こえてきた。
その音のする方に目を向ける。研究棟の中庭で、何人かの生徒が剣を構えて向き合っていた。
「!」
「あれは……!?」
今にも決闘が始まりそうな様子に驚いたメルヴィとトビアスが同時に息を飲んだ。
「ん? あぁ、大丈夫、あれはただの訓練だから。騎士道科専攻の生徒たちだよ」
「騎士道科?」
ルートの言葉に、トビアスが聞き返す。
「そう、剣術を始めとした武術一般の訓練と、騎士としての忠義とか礼儀とか、そういうのを一通り学ぶ科だね。ちなみに僕も騎士道科を専攻している」
剣を構えて向かい合った二人の学生が、互いに間合いを取りながらじりじりと一歩、一歩と間を詰めていく。
そして次の瞬間、奥に居た方の学生が先に一歩を踏み込んだ。
剣を握り締めた手を振りかざしながら、大きく踏み出す。
手前の方の学生は一瞬身じろいだように見えたが、すぐに剣を構えなおして、攻撃を受けた。
カキン!と一際大きな音が響く。
思わず目を閉じてしまったメルヴィが次に目を開けた時には、先に踏み込んだ学生の剣が地面に落ち、がくりと膝をついているところだった。
人が剣で戦うところを、初めて見た。
戦いの所作は両者共に美しく、まるで舞踏のようで、膝をついた敗者に対して勝者が手を差し伸べている様子も堂々としていて優雅だ。
これが騎士道なのね、と思いながら、惚れ惚れとその様子を見ていたメルヴィは、自分の横で何倍もの熱い視線を中庭に送っている人物がいることに気が付いた。
メルヴィはイヤな予感がした。トビアスの目が輝いている。
「お……ワタシ……」
キラキラとした目を真っ直ぐに中庭に向けながら、トビアスの唇が動く。
「待って、ねえ……」
メルヴィはトビアスを制止しようとする。だがメルヴィの言葉が届くよりも前に、トビアスが口を開いた。
「ワタシ、騎士道科に行きたいです!!」
……やっぱり!!!!
「トビア……お、“お嬢様”!!」
メルヴィは、ルートと腕を組んで歩いていたトビアスの腕をぐいっと掴んで引き寄せた。
「あなたは……”お嬢様“は! 今! 貴族令嬢! なんですよ!! どこの貴族令嬢が騎士道を専攻するんですか!! ダメ、考え直して!」
バレたくなかったら、貴族令嬢らしくして!
という気持ちを込めて、ぎゅっとトビアスの腕をつかむ。
ふっ、と声が聞こえた。
顔を上げれば、ルートが肩を震わせて笑っている。
「この国では女性は騎士団に入れない。そもそも、女性が戦うなんて信じられないと思われてるからね。女性らしく、おしとやかで、前に出過ぎることなく控えめにいることが、理想の女性だと思われている。だから当然、このアカデミーの騎士道科にも女性は居ない」
ルートが笑いながら言った。
「でも海を渡った外国には、騎士団や軍隊に女性がいる国もあると聞く。うん、そうだね。芸術や政治経済や歴史より、ずっと君に向いてるだろう。……君が騎士道科に入れるよう、僕が学長に掛け合ってみる」
「殿下まで!」
振り返ったメルヴィは、空いていた方の手で、思わずルートの腕を掴む。両手にそれぞれトビアスとルートの腕を掴んで、全く話を聞かない二人を咎めるようにぎゅうっと強く握り締めた。
まるでゴリラのように大柄で筋肉質な巨体で剣を振るう貴族令嬢なんて、王子の婚約者ということを抜きにしても目立つに決まっている。
トビアスのせいでますます視線を集めるだろうことを想像して、メルヴィは頭が痛くなる。
どうか……どうかバレませんように……
メルヴィの眉間にはより一層深い皺が刻まれることになった。