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第二王子は薔薇を食む 02


「……第二王子ともあろうお方が、おひとりで、護衛もつけず、私に何の相談もなく、ご公務もほったらかして、辺境の地まで行っていた、と。それで、案の定何者かに襲撃された、と。

 ……あなたは一体何をやってるんですか」


 王城に戻るなり待ち構えていたのは、ルートの側近という名のお目付け役のコルネリオ・ネイハウスである。


 ルートより一つ年上のこの男は、宰相を務めるエルネスト・ネイハウスの息子であり、生まれた時から王家に忠誠を誓う人物だ。ダークブロンドの髪をぴっちりとセットし、常に神経質そうに眉間に皺を寄せている。

 規律を重んじ伝統を尊重する、献身的で理想的な臣下ではあるが、残念ながら彼が忠義を尽くしているのはメーレンベルフ王朝そのものであり、異端児であるルート個人に対してはむしろ思うところが多いようである。


「一人で行ったのは、個人的な用件のためだったからだよ。他意はない。予定外に戻るのが遅くなってしまったことは謝る。襲撃については……まあちょっとヘマはしちゃったけど、こうして無事に生きてる」


 ルートは面倒臭そうに早口でそう言うと、顔を逸らしてひらひらと片手を振った。


「……私の選んだ護衛が、そんなに信用出来ませんか」


 コルネリオが眉間に皺を寄せて、苦々しい顔で言った。


「僕は誰のことも信用していない。……お前も含めてね」


 ルートはマントを脱いだ。それを受取ろうとしたコルネリオの手を制して、自らの手で壁に掛ける。


 コルネリオの方を見ないまま、ルートは自室の奥に歩を進める。そして慣れた動作で窓枠に腰を掛けると、花瓶に挿してあった薔薇の花から花びらを一枚もいだ。


「ではせめて、次にどこかにお出かけの際には、あなたが信頼なさっているご友人のあの獣をお連れください。盾くらいにはなるでしょう。王族の血がいたずらに流されることは避けるべきです」


 花びらを咥えていたルートが、そのままじろりと目線だけをコルネリオの方へ向ける。その目には不機嫌さが表れていた。


「ミランはライカン族の王の息子、やがてはライカンの王になる男だよ。もっと敬意を持つべきだ。……もっとも、ミランがどんな生まれでどんな種族だったとしても、人を貶めて良い理由にはならないけれど」


「……この国に王は一人しかおりません。あなたの御父上、メーレンベルフ王クリストフェル陛下ただ一人です。陛下以外を、王として敬う必要はないかと。

 ましてやライカン―――人狼など」


 真っ直ぐに背筋を伸ばして、迷いない目でコルネリオが言った。

 ルートは呆れたようにため息を吐く。


 これだから、この男とは相容れない。


 代々王家に仕え、メーレンベルフ家の忠実な家臣であるネイハウスの家に生まれたコルネリオは、この国の伝統や王制に対して絶対的な支持を持っている。


 男は女よりも偉く、貴族は平民より偉く、王族は貴族よりも偉く、王はその頂点に立ち、……人間は異種族よりも偉い、と信じて疑わない人間である。


 だからこそ、コルネリオがルートに対してどう思っているかということを、ルートはよく分かっている。



 メーレンベルフ王クリストフェルには、三人の息子がいる。


 長男は、クラース・メーレンベルフ第一王子。

 ルートの一つ上の兄クラースは、背が高く、父王譲りのアッシュブロンドの髪にヘーゼルの瞳を持つ。これはメーレンベルフ家に代々受け継がれる特徴でもある。顔の全てのパーツが正しい位置に配置されたかのような端正の顔立ちの美男で、ルートと同じく少しだけ垂れ目の目元が甘い。真面目で誠実、穏やかな性格の人格者で、誰からも評判の良い好青年として絶大な人気を誇っている。


 クラースとルートの弟にあたるのは、三男エルウィン・メーレンベルフ第三王子である。

 年齢はルートの一つ下で、こちらもクラースと同じくアッシュブロンドの髪にヘーゼルの瞳を持つ。色彩はクラースと同じであるにも関わらず、顔から受ける印象は大きく異なる。男性らしく大人っぽい顔付きのクラースに対し、エルウィンはまるで少女のような可憐で可愛らしい顔立ちで、“天使”と称されることも多い。

 華やかなものを好む性格で、社交に強く、人の心をつかむのが上手い。第三王子ということもあってか王城ではまるでマスコットのように可愛がられているが、その本質は抜け目なく狡猾な野心家であるとルートは思っている。


 兄と弟が王家の血筋を表す色彩を持つのに対し、第二王子であるルートの髪と瞳の色が異なるのは、彼だけ母親が違うことに由来する。


 ルートに流れるこの母親の血こそが、ルートがこの国を憎む理由であり、コルネリオがルートを疎んじる理由でもある。


 自らの中に流れる、兄や弟とは違う血。

 ――――母から受け継いだ、異種族の血。


 第二王子であるルートが異種族との混血であるということは、ごくごく限られた一部の人間しか知らない事実である。

 公にでもなったら王室の権威を揺るがすスキャンダルに発展しかねない。


 ルートはコルネリオから視線を逸らすと、口元で薔薇の花を弄びながら、再び窓の外を見た。


「あぁ、それから、婚約をしたから」


「……今なんと?」


 コルネリオが目を見開いた。


「だから、婚約をした。相手はマルヴァレフト辺境伯のご令嬢メルヴィ嬢。辺境伯令嬢だから家柄的にも問題ないし、年齢は僕と同い年。僕は彼女に一目惚れして、その場で婚約を申し込んだ。辺境伯の了承も頂いている。何も問題ないね?」


「何を言ってるんですか! あなたは来月にもローデンヴェルク侯爵のご令嬢アンリエット様とご婚約されることになっているんですよ!」

 コルネリオは大声をあげる。ルートは面倒臭そうにコルネリオにちらりとだけ視線を送った。


「ごめんね。でも恋に落ちちゃったのは仕方ないよね? 残念ながらこの国は一夫一妻制だから、アンリエットとは婚約出来ないね」


 アンリエット・ローデンヴェルクはルートと同い年で、この国で最も古く力のある貴族であるローデンヴェルク侯爵家のご令嬢だ。幼少時より王城に出入りし、お茶会等でも顔を合わせていたし、アカデミーでも同じクラスに属する旧知の仲である。

 磨き上げられた美貌は頭の先からつま先まで隙なく美しく、物腰は上品で気高く、プライドが高く、妥協を許さない、貴族令嬢のお手本のような人である。

彼女が今の姿になるまでに血の滲むような努力を重ねてきたことを、ルートはよく知っている。

 出会った頃にはまだ残されていた無邪気さは早々に失われ、王妃になるための教育を朝から晩まで叩き込まれ、社交界にデビューする頃には完璧な令嬢に成長していた。


 そのストイックで努力家なところは素直に称賛に値するし、敬意を抱いても居る。別にアンリエット個人が嫌なわけではない。


 ただ――――アンリエットが信じ、自らの本当の意志を犠牲にしてまでも目指そうとしているものそれ自体が、ルートにとっては唾棄すべき悪しき伝統であり、討つべき目前の敵なのである。


 コルネリオにしても、アンリエットにしても、幼少時より共に育ってきた彼らのことを、ルートは憎く思っているわけではない。

 

 ただ、ルートが目指す理想は、どこまでいっても彼らの信念とは相容れないのである。



 身分や性別や種族に関わらず、市民一人一人に自由で平等な権利を。

 生まれや血筋に制限されることなく、誰もが望むように生きる世界を――――

 

 ……たとえ、今のこの国の在り方を根底から覆すことになったとしても。



 ルートにとっての「幸せ」は、コルネリオやアンリエットにとっての「幸せ」とは違う。


 彼らと敵対したいわけではないのに、信じる道を進もうとすればするほど、戦わなければいけない相手が増える。いつかはきっと、はっきりと袂を分かつ日が来るのだろう。コルネリオやアンリエットとも、そして、兄弟であるクラースやエルウィンとも、……そして、国王である父とさえも。



「マルヴァレフト辺境伯令嬢……。誰もその姿を見たことがないという、幻のご令嬢ですか。……魔女との混血の」


 コルネリオは憎々しげにそう呟くと、薄い唇を強く噛んだ。


「私は認めません……これ以上、王室に異種族の血を入れるなど……! 王族の血は崇高なものです……劣等種の血を入れて穢してはいけない……っ!」


 その言葉に、ルートがぴくりと眉を上げた。

 ルートは深く息を吸い込むと、窓から飛び降りる。そして、すっと右手を上げた。細くて白い指が、コルネリオの背後にある扉を指した。

 血のように赤いルビーの瞳が、怒りを湛えている。


「今すぐこの部屋を出ていけ、コルネリオ。

 ……まさか忘れたわけじゃないよね? 僕はその気になれば、今この場で、お前をその“穢れた劣等種”の眷属にしてやることも出来るんだよ」


 血の気の引いた顔でそそくさと部屋を後にするコルネリオの後ろ姿を見送ると、ルートはそのままずるずると壁に沿ってしゃがみ込んだ。

 壁に体を預ける。押し付けた額が冷やされて、頭に上った血が引いていくような気がした。


 ルートは目を閉じると床にしゃがんだまま長い溜息をついた。


 いつのまにか握りしめてしまっていた薔薇の花が、手の中で散り散りになってルートの白い肌をかすかに赤く染めている。


 彼の体の中に流れる血、母から受け継いだ異種族の血が、今日もこの青年を苛む。



 メーレンベルフ王国の華やかな王都。

 その中心にある荘厳な王城の一室で、ルートは手のひらに残る花びらの残骸に舌を這わせた。


 太陽が沈み、王城は闇に包まれる。

 

 夜の訪れと共に騒ぎ出す自らの中の異端の血を押さえ込むように、ルート・メーレンベルフは再び強く拳を握りしめた。

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