第二王子は薔薇を食む 01
想定外の襲撃を受けたせいで、夜には王都に戻るはずだった予定は一泊に変更された。深夜に目覚めた時に伝達鳥を飛ばしてはいるが、それでも急な予定変更に王城がパニックになっているであろうことは想像出来る。
そもそもが、誰にも行先を告げずに一人で出てきたのだ。
戻ったら待ち構えているであろう、側近という名のお目付け役の顔を思いながら、メーレンベルフ王国第二王子 ルート・メーレンベルフはため息をついた。
先ほど庭を出る時にもう一輪拝借してきた薔薇の花を片手に、その花びらを口に咥える。
薔薇は貴重な栄養源だ。
昨日の襲撃で魔力を吸い取られたからか、まだ体が安定しない。
不自由なことの多いこの体を、今更呪ってみても仕方がない。この体で生きていくしかないのだ。
花びらを一枚ずつ、千切っては口に入れる。
この家の薔薇は、わずかに魔力の味がする。
自然界にあるものには元々少量の魔力が宿っているが、それは普通に口にしただけでは感じられない程度の量である。こうして味を感じるということは、土を耕したり水をあげたりするときに、誰かが魔法を使って育てた証拠である。
「庭の薔薇を育てる程度のことに魔法を使うなんてね。……一体どれだけの力があるんだか」
ルートの脳裏に、大きなサファイアの瞳をした、従者の服を着た華奢な一人の人影が浮かぶ。
紅茶の入ったカップを落としそうになった時に、咄嗟にそれを魔法で浮かせていたのを、ルートは見逃さなかった。
植物と同様、人間にも元々少量の魔力が宿っている。
基本的にはそれはごく少量のため、人間は魔法を使うことが出来ない。だが一部ではあるが、高い魔力を持ち、魔法を操ることが出来る人間もいる。魔法が使えるということは力があるということなので、結果として今日では魔法を使える人間は貴族に多い。
と言っても、人間が使える魔法は極めて限られたものだけである。
人間の魔法は、火や水、風といった自然界にあるものの力を少しだけ借りる。
自然の力と人間の間には相性があるので、人間は一種類のエメレントの力しか使うことが出来ない。
火を操る者は水を操ることが出来ない、というように。
そして、あくまでそれは「力を借りる」だけなので、対象物に直接作用するようなことも出来ない。つまり、風を起こして木の葉を巻き上げることは出来ても、木の葉自体に作用して“浮かせる”ことは出来ないのである。
あの時、確かにカップは“浮いて”いた。
風で下から吹き上げていたのではなく、カップ自体に浮かせる力を与えていたように見えた。
対象物に直接作用するのは、人間の魔法ではない。
それは妖術と呼ばれる――――魔女の魔法である。
妖術は魔女のみが使うことの出来る魔法だ。
「魔女の血を引く辺境伯令嬢、か」
ルートはそう呟くと、長い睫毛に縁どられた赤い瞳を細めると、にやりと笑って、再び薔薇の花びらを口に入れた。
「こちら、ギルドから連れて参りました」
ユーリ・ニーニマーと名乗ったサファイアの瞳を持つ華奢な使用人の少年(と、称することにする)が、屋敷の外にある厩舎でルートを待っていた。
ユーリの手には手綱が握られ、その先にはルートの愛馬・ハンネスが繋がれている。
ルートはこの馬に乗って王都からやってきたのだが、マルヴァレフト辺境伯邸を訪れる前に寄ったパラヴァのギルドで馬を預けて、街中ではマルセルが乗ってきた馬車に乗って行動をしていた。
今日王都に戻るにあたり、預けたままになっていたハンネスをユーリが連れてきてくれたのだった。
「ありがとう。ごめんね、わざわざ」
「いえ……それより、お一人で、馬で、いらっしゃったのですか?」
ユーリが訝しげにルートを見る。
普通、貴族は移動に馬車を使う。更に言えば、護衛の一人や二人をつけるのも当然である。ましてやルートはこの国の王子なのだから、単身馬に乗ってこの辺境の地まで赴いたということに驚くのも無理はない。
「……護衛につく人間を信用するより、一人で行動した方が安全だからね」
そう言ってルートは笑った。
敵が多いのは、今に始まったことじゃない。
外側だけでなく、王城の中にも敵は多い。むしろ、味方だと思える人間の方が少ないくらいだ。
まあ、それもそうか、とルートは思う。
だからこそ、力をつけなければいけない。
自らの目的を果たすためにも、勝ち残らなければならない――――
手綱を受け取りながら、ルートはじっとユーリのサファイアの瞳を見つめた。
この婚約によって、彼女たちの人生は大きく変わってしまうだろう。
自分の戦いに彼女たちを巻き込んでしまうことを、申し訳なく思う。申し訳なく思うその気持ちは、嘘ではない。
けれど同時に、勝つためには手段を選んでいる場合ではないのだという気持ちが、ルートのわずかに傷んだ良心を覆い隠す。
「じゃあ、また。来週に。アカデミーで会おう。"メルヴィ"にもよろしくね」
この婚約によって、戦況が変わる。
しなければならないことが山積みである。
ルートは愛馬にまたがると、勢いよくその腹を蹴ってパラヴァの街を後にした。