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プロポーズを回避せよ 04

 急な展開に頭がついていかず、メルヴィは何も言えずに固まっていた。


 貴族令嬢でありながら世間からは隔絶されて育ってきたメルヴィは、婚約も、王子も、アカデミーも、王都も、魔法でさえも、何もかもが自分とは関係のない世界の話だと思っていた。きっとこのままこの街で、この屋敷の中で、ひっそりと成長し大人になっていくものだと思い込んでいた。マルセルに愛され、トビアスと笑い合い、生活をちょっと便利にするためだけに魔法を使い、そうして生きていくものだと、そう思っていたのだ。


 それが、今やメルヴィはこの国の王子の婚約者で、来週から王都のアカデミーに通うようにと言われている。


 たった一瞬で、世界が大きく変わってしまった。黙り込むメルヴィとトビアスをそれぞれ見つめてから、ルートはため息を吐くと、少しだけ申し訳なさそうな顔をした。


「少し話をしたいのですが、お嬢様をお借りしても?」

 ルートに問いかけられて、マルセルが頷く。

「ええ、どうぞ」


「この素敵なお庭を案内してくれない? メルヴィ。……それからユーリも」

「……ご案内します」

 先に動いたメルヴィが、庭へと続くガラス扉を開けた。

 メルヴィに促されて、ルートが庭に出る。その後ろからトビアスが続いた。


 三人は連れ立って森の中を歩く。

 来週には暦の上では春の月が訪れる時期ではあるが、まだ外の気温は低く、昼間だというのに森の中はひんやりと冷たい。

話がしたいと言ったはずのルートは何も言わず、時折足が枯れ葉を踏む音がやけに大きく聞こえた。どこかで鳥が鳴いている。



「……正直な話をすれば、君には申し訳ないと思ってるんだ」


 しばらく無言で歩いていると、ふいにルートが口を開いた。自然とメルヴィの足が止まる。

 ルートの美しい唇が「申し訳ない」なんて言葉を発することが信じられなくて、メルヴィは驚いて振り返った。

 俯いたルートの目元に、少し長めの前髪が掛かる。どんな顔をしているのか、その表情は見えなかった。


「君も知っている通り、この国のしきたりでは、自分より高位の男から求婚された女性はそれを断ることが出来ない。だから僕が申し込んだ時点で、君は僕の婚約者にならなくちゃいけない、君の意志がどうであろうと。本当は、君が僕との婚約を心から望んでくれたら良かったんだけどね」


それは上手くいかなかったかな、とルートは苦笑いした。


「だから強引に進めさせてもらった。……こんなやり方をして、申し訳ないと思ってる。でも……僕にはどうしても君が必要なんだ。分かってほしい、なんて言うのは、傲慢だと思うけど……アカデミーを卒業するまでの二年間だけでいい。君の時間を僕に貸してほしい」


 メルヴィもトビアスも、何も言えないままルートを見つめた。まるで独り言のようにルートが言葉を続ける。


「二年後にアカデミーを卒業するとき、その時点で君に僕と結婚する意志がなかったら、この婚約を破棄するよ。約束する。僕は必ず、君の意志を尊重する」


 ルートはゆっくりとその場に屈みこむと、足元に咲いていた薔薇の花を一つ手に取り、そっと手折った。


「本来はこんなやり方は許されていいはずがないんだ。それを行使している僕が言うのはおかしいと思うけど……」


 手の中の薔薇の花を見つめながら、独り言のように、それでもしっかりと強い声でルートは言葉を紡ぐ。


「……どんな人であっても、その人の意志は尊重されなければいけない。身分や、性別や、種族に関わらず……人は皆、平等に個人として尊重される権利がある。王族も、貴族も、平民も、男も、女も、人間も、異種族も。誰かが誰かの上に立つとか、支配するとか、そんなことがあってはいけないんだ、本当は。今の世の中は間違ってるよ。生まれや育ちや流れる血に関係なく、誰もが自由で、平等で……誰からも侵害されず、心のままに生きる権利を持つべきだし、そういう世界こそが正しい、と……僕はそう、思ってる」


 ルートの細くて白い指が、薔薇の花の花びらを千切る。そしてゆっくりと、それを口に含み、食べた。

 薔薇に触れた唇が、血色を帯びたように赤みを増したような気がした。


 メルヴィは、ルートが言った言葉を考えていた。


 身分や性別や種族に関わらず、誰もが自由で平等な権利を持つ。

 それはまるで、この国の今の体制――ルートの父である国王が治めるこの国の王制――を否定するような発言ではないか。


 言葉を選ぶように、何かを確かめるように、そっと口を開く。


「恐れながら、殿下……それはあくまで、理念の上で……そうでありたいという、理想……だと思って良いのでしょうか」


 そうでなけば、現国王や貴族社会に反対する、「危険思想」とも捉えられかねない考え方だ。


 長い睫毛に縁どられた赤い目を細めて、ルートの視線がメルヴィを捉える。


「……もし、そうではないといったら?」


 ルートが再度薔薇の花びらを千切って口に入れる。それから、赤く染まった唇ににっこりと優雅な微笑みを浮かべて言った。


「身分や性別、種族に関わらず、一人一人の市民が自由で平等に生きられる世界を作る……

 ――――たとえ、この国を治める古い(くびき)を、僕がこの手で断ち切ることになったとしても」


 風が強く吹いた。

 森の木が揺れる。枝と枝がぶつかり合い、ザア……という音を立てる。

 風に巻き上げられた前髪の奥で、ルートの赤い瞳が強い意志に輝いていた。


 手の中に残っていた数枚の花びらが、風に舞ってどこかへ飛んで行った。



 ――――この人は、この国を変えようとしているのだ、

 と、メルヴィは悟った。


 メーレンベルフ王国は、強力な王権とそれを支える貴族社会によって築かれている。

 王は貴族の上に立ち、貴族は平民の上に立つ。

 そして同時に、男性は女性よりも優れ、人間は異種族――魔女、ヴァンパイア、ライカン、セイレーンなど――よりも優れていると考えられている。


 強いもの・優れたものがあり、弱いもの・劣っているものがあるからこそ、階級社会が成り立ち、この国を治める強固な基盤が出来ている。


 全ての市民が自由で平等な権利を有するなどというのは、理想論だ。

 その権利を本当に全市民に与えようとするなら――――この王国の在り方を根底から覆さなければいけない。


 それはつまり、王制を廃止するということにも繋がりかねないのではないか。



 メルヴィは目を見開き、目の前の一人の青年の姿をまじまじと見つめた。

 

 ルート・メーレンベルフは、その黒髪を風に遊ばせながら、血のように赤い瞳を細めて微笑んでいる。最後に残った一枚の花びらが、彼の手から離れていく。


 この美しい青年が行おうとしていることの壮大さを思い、メルヴィは静かに息を飲んだ。




「私も娘と話がしたいのですが、宜しいでしょうか」


 その声に振り返ると、そこにはマルセルが立っていた。


「勿論です。では、僕は先に戻らせて頂きますね」


 ルートはそう言うと、サロンの方に向かって去っていった。森の中にはマルセル、メルヴィ、トビアスの三人が残される。


「……それで」


 森の奥の少し開けたところまで来ると、マルセルはメルヴィとトビアスをベンチに座らせ、自分は立ったまま腕を組んで二人を見下ろした。


「お前たちは何をやってるんだ」


 男装したメルヴィと女装したトビアスの二人を交互に見ながら、マルセルが呆れたように言った。


「お父様、あの、これは……! ええっと……その……」

 メルヴィはもごもごと口ごもり、トビアスは情けない顔をしたまま下を向いている。


「もういい、お前の考えそうなことは分かってる。大方、トビアスと入れ替わって婚約を回避しようとしたのだろう。全く、お前は本当に突拍子もないことばかりする。後先考えずに行動するから、事態がややこしくなるんじゃないか。現に今、お前たちは面倒なことになってるのを分かっているのか。これからしばらく、その姿のままなんだぞ」

 マルセルはため息を吐いた。


「ごめんなさい……」

 メルヴィはしょんぼりと力なく首を垂れる。


 メルヴィの思いつきで始まったこの入れ替わり劇は、今や思わぬ方向へ動き出している。


 トビアス扮する“メルヴィ”がルートと婚約し、メルヴィ扮する“ユーリ”と共にアカデミーに通う。

 ルートの約束によって、二年後には無事に婚約を破棄できることにはなったものの、それはつまり、これから二年間、この姿のままで過ごさなければいけないことを示していた。


 動き出してしまった事態に途方に暮れながら、メルヴィは後悔に沈んでいた。


「……だが、悪いことばかりではないぞ」


 マルセルの言葉に、メルヴィは顔を上げる。


「その姿でアカデミーに入学するということは、お前は素性を隠したまま、貴族社会にも魔女の血にも縛られず、自由に生活できるということだ。お前の身分もその血も、世の中に出れば良くも悪くも目立つ。戦う武器にも身を亡ぼす凶器にもなり得るものなんだ。それを上手く使えるようになるまで、素性を隠して準備が出来るのはいいことだよ。アカデミーで学べるものは多い。魔法の訓練も出来るしな。お前にとって、貴重な経験となるはずだ」


 そして、マルセルはトビアスの方を向いた。


「それから、トビアス」

「はいっ」


「メルヴィのせいで、お前にその姿で二年間を過ごさせること、申し訳なく思う。本当にすまない。……ただ、私は、出来るならお前に教育を受けさせたいと、ずっと思っていたんだ。だからこうして、学びの機会が出来たことを良かったとも思っている。幼い頃からこの家で働かせて、学校にも通わせず、家庭教師もつけず、悪いことをしてしまった」

 頭を下げるマルセルに、トビアスは慌てたように立ちあがって手を振った。


「いやいやっ、そんな! 俺はお嬢様のためなら女装だってなんだって全然平気です! それに、そんな風に旦那様に仰って頂けるなんて……俺みたいな庶民がアカデミーで学べるなんて滅多にないことなんで、この機会を無駄にしないよう、頑張ってきます!!」

 トビアスの言葉に、マルセルは安心したようにかすかに微笑んだ。


「アカデミーには、平民もいる。平民が入学するためには厳しい試験があるから人数は少ないが、その分優秀な学生ばかりだよ。わずかだが異種族の者も居るはずだ。

……メルヴィ、トビアス。学問だけでなく、様々な人と出会って、経験を重ねて、多くのことを学んできてほしい」


 マルセルの目が、真っ直ぐに二人を見つめていた。そして、二人の手を取ると、マルセルはゆっくりと、しかし強い口調で言った。



「そして……――――来るべき時に備えて、力をつけてきてほしい。

 いつの日か、戦わなければいけない日が来る。その時に、自分の心が信じる道を進むことの出来る力を」


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