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プロポーズを回避せよ 03


 ――――私の計画は、完全に失敗に終わった。


 メルヴィ・マルヴァレフトは、己の浅慮を後悔した。


 マルヴァレフト辺境伯邸の一階にあるサロンは、サロン部分だけが庭にせり出すように作られており、三方の壁と天井が全面ガラス張りになっている。この国の一般的な貴族の館では、庭というものは外側に面して開かれて作られていることが多いが、マルヴァレフト邸の庭は建物の裏側に外からは見えないように作られていた。


 様々な木々が鬱蒼と生い茂った庭は、庭というよりも小さな森のようである。

 この小さな森には小さな川が流れ、野薔薇が咲き、メルヴィが栽培しているハーブやイチゴやキノコなどが生えている。森の奥の方には、今からずっと昔にマルセルが木に結びつけてくれたブランコや、メルヴィに頼まれてトビアスが作ったベンチがある。


 この庭は幼い頃からのメルヴィの遊び場である。来客など来ないこの屋敷においては、このサロンはもっぱら、庭で遊ぶメルヴィを眺めながらマルセルがお茶を楽しむために使われていた。



 そんな木漏れ日が差し込むのどかなサロンに、今日は不穏な空気が満ちている。


 そこには、大柄な体をショッキングピンクのドレスに押し込み金髪縦ロールの髪を揺らす女装姿の従者と、その後ろで男性用の従者の服を纏った彼の主人と、そんな二人の前でにっこりと優雅に微笑む黒髪の王子がいた。



「はじめまして! ワタシ、メルヴィ・マルヴァレフトと申します! この度はお会い出来て嬉しゅうございます、殿下! ……あっ……眩暈が……」


 トビアス扮する“メルヴィ”は、甲高い声でそう自己紹介をすると、突然額に手を当てて大げさにふらつく。


「!?」

 突然のトビアスの行動に、トビアスの後ろに立っていたメルヴィが眉を上げる。



 眩暈……? えっ、もしかして……「弱さ」?! これはもしかして、トビアス流の「弱さ」の演出なの……?! 


 メルヴィは非難するような目でジロリと後ろから睨みつけると、「唐突すぎるでしょ、バカ! ヘタクソ!」 と、心の中でトビアスを叱った。



「あっ…と、ゔわッ!?」


 大きな身振りでふらつこうとしていたトビアスが、突然野太い声を上げる。

 床まである長い丈のドレスの裾が、ヒールを履いたトビアスの足に絡む。体を傾けた拍子に、ドレスの裾を踏んでしまったのだ。トビアスの体が、大きく前に倒れ込む。


 あぶないっ!


 それに気が付いたメルヴィが、トビアスの体を浮かせようと指先を光らせた時だった。



「おっと。……大丈夫ですか、メルヴィ嬢?」


 倒れ込むトビアス巨体を、ルートが両手で抱きとめていた。

 元々大柄の体に、更にフリルを重ねたドレスを身に着けたトビアスはかなり重いであろうに、まるで羽のようにふわりと受け止めている。


 トビアスを胸の中に抱えて(トビアスはルートよりも背が高く体格が良いので、実際にはルートの腕から体の大部分がはみ出しているが)、ルートは少し顔を傾けると、トビアスの顔を覗き込んで微笑んだ。


 “漆黒の貴公子”の極上の微笑みを至近距離で浴びせられて、心なしかトビアスが赤面している。



 あぁ、トビアスが、ほだされている……! 何ちょっと照れてるのよ!

 メルヴィはギギギ、と奥歯を噛んだ。


「はじめまして、メルヴィ嬢。僕はルート・メーレンベルフと申します。昨日は君の御父上に大変お世話になり、心から感謝している。その上、こうして君と知り合うことが出来た」


 ルートはトビアスを腕の中に抱き締めたまま、その瞳を逸らさずに言った。



 ……あれ、なんか……ちょっと待って、王子の方もまんざらでもなさそうな感じ、じゃない……?


 ルートの赤い瞳はどことなく潤んでいるようにも見えて、その瞳いっぱいに(少しはみ出して)トビアスが映っている。



 昼下がりの暖かな陽だまりの中、庭の木々が揺れる音がする。

 目の前には、優雅に微笑む王子様と、彼の腕の中で頬を染めるご令嬢。


 一体、誰がこの展開を想像しただろうか――――




 それからしばらく、何故かどんどん距離を縮めていくトビアスとルートのイチャイチャを見守る羽目になったメルヴィが、虚ろな目で三杯目の紅茶を用意しようとしたときだった。



「突然で驚くかも知れないけれど、君に伝えたいことがあるんだ」


 と、ルートが口を開いた。


 遂にやってきたその瞬間に、メルヴィとトビアスの体がびくりと硬直する。

 ルートはそっとトビアスの手を取ると、少し上目遣いで言った。


「メルヴィ嬢、僕の婚約者になってくれませんか?」


 事前に知っていたとは言え、いざその言葉を目の当たりにすると、メルヴィの胸は何故か動揺した。


 もしこの言葉を向けられていたのが本当に自分だったら――――私はどうしていただろうか?


 もし昨夜のことがなくて、今朝の会話もなくて……今日、このサロンで初めて王子に会って、自己紹介をし合って、会話を楽しんで、そうした後で、この言葉を言われていたら?

 王子の瞳が私を映して、その手が私の手を取って、あの胸に抱き寄せられていたのが、私だったとしたら?


 もしそうだったら、私は何て答えただろう?



「殿下……あの……ワタシは……殿下とは……」


 メルヴィの胸に芽生えた複雑な感情をよそに、トビアスが断りの言葉を言いかける。王子から貴族令嬢である“メルヴィ”への求婚を断ることは出来ないのだが、焦ったトビアスはその前提を忘れてしまっている。



「……じゃあ、言い方を変えようかな」


 トビアスの顔の前に、にゅっとルートの手の平が伸びる。


 そしてその手はそのまま、トビアスの口を塞いだ。


 一瞬、何が起こったのか理解できず、トビアスとメルヴィは固まった。

 ルートが正面から、トビアスの口を手の平で押さえつけたのである。

 その顔は相変わらずにっこりと微笑んでいる。


「君は今日から僕の婚約者だよ。よろしくね、メルヴィ」


「はあ!?」

 口を押えられているトビアスが何かを言うよりも早く、その後ろからメルヴィが声を出した。

 その声に、ルートが首を回してメルヴィの方を見た。


「ご存知の通り、僕はこの国の王子だよ。残念だけど君の方からこの申し出を断ることは出来ない」


 ルートは手を離して立ち上がると、パクパクと口を開けているトビアスを横目に、つかつかとメルヴィの方へ歩み寄る。

 そして、メルヴィが持っていた紅茶のカップを横から手に取り、その場で立ったまま口をつけた。



「お、お父様……じゃない……だ、旦那様っ、旦那様の許可が要ります!!」


 しれっと一人優雅に紅茶を飲むルートに、メルヴィが必死に食って掛かる。


「うん? うん、そうだね。辺境伯にも僕たちの婚約のご報告をしないとね? ほら、ちょうど彼がやってきたよ」


 まるでそれが見えていたかのように、ルートの言葉が終わると同時にサロンの扉が開く。

 扉の向こうには、メルヴィの父、マルセル・マルヴァレフト辺境伯が立っていた。



「あぁ、ここにいましたか、殿下。……と……?」


 マルセルの目が、ぐるりと室内を一周する。

 ソファには、ドレスを着て眉を下げてこちらを見る女装姿のトビアス。そして、その後ろでサーヴィングカートの横に立っているのは、使用人の服を着て視線を泳がせる男装姿のメルヴィ。

 その二人の間で、上品な所作で立ったまま紅茶を飲んでいるルート。


 最初に口を開いたのはルートだった。


「ごきげんよう、辺境伯。昨日は本当にありがとうございました。日帰りで帰る予定のところ、急遽一晩泊めて頂いたことにも感謝しています。お礼は改めてさせて頂きます。あぁあと、それから、先ほどお嬢様に婚約の申し込みをさせて頂きました。詳しい手続きなど、また改めて城の方から使いを寄こしますのでよろしくお願いします。……それで、その手の中にあるのは、昨日私を襲った者が使っていた革紐ですね? 何か分かりましたか?」


 相変わらずぺらぺらとよく回る口である。

 そして、完全にルートにとっての本題は最後の話題だと言わんばかりに、最後の部分だけ、笑顔が消えて真剣な表情になった。

 マルセルの手の中にある、布に包んだ革紐をルートはじっと見つめている。


「えっ?! あ、あぁ……そうです、お調べしたところ、この紐自体に、何かの術が掛けられています。これに触れると、触れたものの魔力が吸われるようです。おそらくは禁制妖術の一種かと……。魔術ではなく妖術となると、私では手を出せる分野ではなく、これ以上調べるのが難しくなってきまして」


 発言の前半部分についてはとりあえず置いておくことにしたらしいマルセルが、紐についての説明をする。


「妖術、か……。アカデミーに、詳しい者がおります」


 少し考えてから、ルートが言った。


 アカデミーとは、王都にある王立アカデミーという教育機関である。

 主に貴族の令息令嬢が通うための学校だが、基礎課程に加えて魔法や武術に特化した専門課程もあり、この国で最も進んだ研究が行われている場所でもある。


「来週から新学期で私はアカデミーに戻りますから、もしよろしければ私が持ち帰らせて頂き、その者に見せたいのですが構いませんか?」


「勿論です。どうぞお持ちください」


 マルセルが布ごと紐をルートに渡す。手渡されたそれをじっとしばらく見つめてから、おもむろにルートが口を開いた。


「……これは私からの提案なのですが、お嬢様をアカデミーに通わせる気はないでしょうか?」


「メルヴィを、ですか……?」

 マルセルの視線が、トビアスとメルヴィを行ったり来たりする。


「もし良ければ、こちらの従者の方もご一緒に。彼は魔法が使えるようですからね。アカデミーできちんとした訓練を受けた方がいいでしょう?」


 ルートはそう言うと、メルヴィの方を振り返った。


「可愛らしい従者さん、君の名前は?」


「名前?! えーっと……ユ、ユーリです! ユーリ・ニーニマー……と申します……?」


 突然名前を尋ねられて、そんな設定をまるで考えていなかったメルヴィは、しどろもどろになりながら思いついた名前を答えた。ユーリはトビアスの歳の離れた弟の名前だ。確かもうすぐ3歳になる。



「ユーリ、ね。……メルヴィ、ユーリ。もし良ければ、僕と一緒に王都のアカデミーに来る気はない? アカデミーはきっと君たちにとってためになる場所だと思うんだ」


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