プロポーズを回避せよ 02
「自分で言うのも悲しいですけど、これは絶対ないですよ……」
今にもはち切れそうなショッキングピンクのドレスに身を包み、金髪縦ロールのカツラをかぶった鏡の中の姿を見つめながら、「こんなのただの女装したゴリラじゃないですか」とトビアスが言った。
「あり得なければあり得ない程いいのよ。ほら、ちょっと上向いて」
椅子に座るトビアスと鏡台との間に膝をついたメルヴィは、トビアスの頬にこれでもかというほど頬紅をはたき込む。メルヴィは相変わらず使用人の姿に男装したままである。
「うわっ、ちょっとお嬢様、やりすぎです! って、あぁ、……女装したゴリラが、女装した発情期のゴリラに進化してる……」
ドレスと同じくらいピンク色に染まった自らの顔を見たトビアスが情けない声を出す。
「ところでお嬢様、婚約を撤回したくなるようなご令嬢の言動って、具体的に何すればいいんですかね?」
ドレスのボリュームのせいで普段よりも更に大きくなった体を丸めながらトビアスが尋ねた。メルヴィは化粧の手を止めて、唇に指を当てて何かを考える。
「そうね……例えば、魅力的な女性がどんな人かを考えてみてから、それの逆をやってみる、っていうのはどうかしら? ねえトビアス、あなたの考える魅力的な女性ってどんな人?」
トビアスの目に、目の前で微笑む彼の主人の姿が映る。髪を短く変えて、男性の、それも使用人の服に身を包んでいても、その魅力は変わることがない。
これがいつものプラチナブロンドの髪でないことを少し残念に思いながら、トビアスはそっとメルヴィの髪に触れた。
「……俺にとっての魅力的な女性は……強くて、凛々しくて、聡明で、いつもちょっと変わったことばかりを考える、一緒に居て飽きない女性です」
愛おしそうにメルヴィを見つめるトビアスの真っ直ぐな視線を受けながら、メルヴィはきょとんとした顔をした。
「つまり、ええっと……弱くて、なよなよしくて、頭が悪くて、常識的で、一緒に居ると退屈な女性……、を目指すということね? 意外に難度が高いわ……」
メルヴィの顔は真剣である。そのまま、うーん、と目を閉じて考え込む。
「まず、“弱い”ってところから躓いちゃうのよ。だってこんなゴリラが弱い訳ないでしょう」
「……当たり前のようにゴリラ扱いしないでください。ちょっと俺の乙女心が傷つきます」
「なよなよしい、っていうのも……うーん、どう見ても強そうなゴリラだし……。それから、頭が悪いっていうのも難しいわ……ゴリラの知能は結構すごいのよ……?」
「だから、ゴリラを前提にしないでくださいね?!」
「そうね、それから……。……一番最後が、一番難しいわね?」
「?」
ふふふ、と笑いながらメルヴィが言った。メルヴィの言葉の意図をはかりかねているトビアスに、メルヴィは楽しそうに言葉を続ける。
「だって、トビアスと一緒に居るのは、楽しいもの」
トビアスが目を見開く。そして、メルヴィの髪からさっと手を下ろすと、そのままぐっと拳を握り締めた。
目の前にあるのは、屈託なく笑う少女の笑顔。
サファイアの瞳を見えないくらい細めて、可憐な唇を無邪気に開いて、トビアスに向かってメルヴィが微笑みかけている。
このまま抱きしめることが出来たら、どんなに良いだろうか、と思う。
立場も身分も気にせず、彼女をこの腕に抱いて、自分のものにする。
そんなことが出来たらいいのに。
その願いが叶うことはないことを、トビアスは分かっている。握り締めた両手に力が入る。このまま手を回せば目の前の体を抱きしめることは簡単なはずなのに、この手が彼女に届くことはない。
無邪気に笑うメルヴィの笑顔を直視できなくて逸らした視線が、鏡の中の自分とぶつかる。
あぁ、なんて滑稽だろう、と思った。
――――派手な衣服に身を包み、化粧で頬を染めたその姿は、まるでピエロそのものじゃないか。
急に黙り込んだトビアスに、メルヴィが心配そうに大きな瞳を開いて見上げる。
「……がんばりましょう、ね。お嬢様」
トビアスは軽く首を振ると、彼の美しい主人を安心させるように、にこっと微笑んだ。
「目指せ、婚約回避! ですよ」
ゴリラだってピエロだってなんでもいい。
この人の笑顔を守ることが出来るなら、何にだってなろう。
鏡の中の自分を正面から見据えながら、トビアスはそう決心した。
メルヴィの寝室にてゴリラ系令嬢が誕生していた頃、屋敷の別の部屋では、マルセル・マルヴァレフト辺境伯が、うず高く積まれた本に囲まれて熱心に何かを調べていた。彼の手には、昨日王子が捕らわれた際に使われていた革紐が握られている。
また別の部屋では、再び窓に腰を掛けたルート・メーレンベルフ第二王子が、パラヴァの街の向こうに広がる荒野を見つめながら風に髪を揺らしていた。
扉をノックする音で王子が振り返ると、そこには朝一で現れた華奢な使用人の少年の姿がある。
使用人の少年は、美しいサファイアの瞳を瞬かせながら、王子に告げた。
「メルヴィお嬢様が、サロンにてお待ちです」
王子はにやりと微笑むと、トン、と軽い足取りで窓から降りた。