プロポーズを回避せよ 01
「トビアス!!」
メルヴィの部屋で主の帰りを待っていたトビアスのもとに、待ち人が勢い良く駆け込んできた。
ぜえぜえと息を切らし、魔法で短くした髪は走ったせいで乱れている。メルヴィはトビアスの姿を見つけると、そのままの勢いでトビアスの胸に飛び込んだ。
「お、お嬢様……!? どうしました?!」
いきなりのメルヴィの行動に慌てるトビアスが、メルヴィの体に触れないように両手を上げたまま尋ねる。
「婚約……」
「えっ?」
「婚約を申し込まれるわ!!!!」
トビアスの胸元を握り締めて、メルヴィがぐいっと顔を上げる。至近距離に近づいた顔に、トビアスは思わず息を飲んだ。
「婚約?! ええっと、誰と、誰が?」
事態を飲み込めないトビアスが、精一杯顔を上に逸らして顔と顔の距離を取りながら言った。
「私と、殿下が、よ! あの人、私に婚約を申し込む気なのよ!」
「!」
メルヴィの言葉に、トビアスは凍り付く。トビアスの胸に顔を押し付けながら、現実を振り払うかのようにメルヴィはぶんぶんと思い切り首を振った。
「あの人、私の顔も知らないって言ってたわ。顔も知らないのに婚約を申し込むのよ! これだから貴族って信じられない! 必要なのは家柄だけなのよ。私はそんな結婚は御免だわ。ただの貴族相手でもイヤなのに、よりもよって王子様となんて!!
……あぁでも、どうしたらいいの、王子様からの申し出となれば、私に断ることなんて許されないじゃない……」
身分と性別による差別が横行しているこの国では、高位の男性から定位の女性への求婚は断ることが出来ない。
はああ……と力なくため息を吐きながら、トビアスの体に沿ってズルズルと下にしゃがみ込んでいく。トビアスの足元にしゃがみこんだメルヴィは、ふと目線を上げた。トビアスの脚の向こうにある鏡に、自分の姿が映っている。
使用人の服を着て、男装した、自分の姿――――
鏡に映る自分をしばらく見つめてから、何かを思いついたように顔を上げてトビアスを見る。真っ直ぐに見上げるメルヴィの視線に、トビアスは反射的に苦笑いをしてしまった。また良からぬ“思いつき”に輝く主人の顔に、とてつもなく嫌な予感が沸き起こる。
「私から断れないんだとしたら、向こうに撤回させればいいのよ」
メルヴィはすくっと立ち上がると、部屋の奥へ歩いていく。奥の壁の扉を開ければ、ドレスが何着も収納されている衣装室がある。メルヴィはその中に入り、しばらくガサゴソと何かを探していた。
やがて片手に、目が痛くなるようなショキングピンクのドレスと、金色の塊を持って衣装室から現れる。ドレスは何重にもフリルが重なり、更にエメラルドグリーンと黄色の水玉模様のリボンが付いているというド派手なデザインだ。以前にどこかの貴族からプレゼントされたまま、袖を通すことなく衣装室に眠っていた代物である。
入口付近に立ち尽くしたままだったトビアスに向かって、メルヴィは遠くからドレスを持った手を突き出し、目を凝らすように目を細めた。そして、まるでメルヴィの目には何かが見えているように、うん、と頷く。
メルヴィはトビアスの前まで来ると、その大きな体にドレスを当てがい、言った。
「ねえトビアス、これを着て……」
「……お嬢様。……まさかとは思いますが……」
「それからこのカツラをかぶって……」
「……まさか……、まさかですよね……?」
「……私の振りをしてちょうだい!」
そうはっきりとメルヴィが告げると、トビアスは「やっぱり……」と頭を押さえる。
「何言ってるんですか! ダメですよ、絶対バレます! 俺がどれだけデカいと思ってるんです!? こんなデカい女居るわけないでしょう!? それに、庶民の生まれだし、ガサツだし、お嬢様の振りなんて絶対に出来ませんよ!!」
トビアスの体にぐいぐいとドレスを押し付けるメルヴィの腕を制止しながら、トビアスが叫んだ。
「だからこそ意味があるんじゃない! ようは、“メルヴィ・マルヴァレフト”が、思わず婚約を取り下げたくなるようなご令嬢だったらいいのよ」
メルヴィは背伸びをすると、手に持っていた金色のカツラをトビアスの頭にかぶせる。何のためにメルヴィがこんなものを持っていたのか分からないが、それはぐりぐりと渦を巻く金髪の縦ロールだった。
無理やりかぶせられたカツラの乱れた縦ロールの向こうで、トビアスが困った顔を見せる。大柄の体に似合わないくらい、眉がすっかり下がっている。
「これを着て、なるべく貴族令嬢らしからぬ言動をして欲しいの」
メルヴィがその大きな瞳いっぱいにトビアスを映し、「ダメ?」とでも言いたげに首を傾げる。そんな顔で見つめられると、トビアスはもう何も言えなくなってしまう。
「……どうなっても、知らないですからね」
カツラと共にトビアスの頭に伸ばされていたメルヴィの手を、そのままぐいっと掴む。
ありがとう、と言おうとして口を開きかけたメルヴィが見上げると、そこにあるトビアスの瞳が想像以上に真剣で、熱を帯びているように見えた。
「もし途中でお嬢様がやっぱり結婚したいって思ったとしても、俺はあなたが結婚するのを阻止しますよ」
ピンク色のドレスを押し当てられて金髪縦ロールのカツラをかぶった大柄な従者は、そう言うと眉を下げて笑った。