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蟲《むし》  作者: もりよしあき
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第七話

昔々の特撮ドラマ「ウルトラQ」あたりをモチーフに話を考えています。あと、古い特撮映画とか「ゾンビ」などホラー映画も参考にしています。

初めて書いたものですので、設定のおかしいところがあるかも知れませんが、ご容赦下さい。

(2021年3月29日一部修正しました。)

第七話

 真由美が助手席に乗りこむと、運転席の皆口女史からタブレットを手渡された。

 タブレットのモニターには地図が表示されており、一部が赤いグラデーションで覆われていた。真由美たちの高校のある場所に、赤い丸印が点滅していて、そこに女王蜂がいるらしい。

「その赤い表示のあるところは、女王蜂の影響下だからね。」

 つまり、電波が影響を受ける範囲で、バグが発生するかもしれないとのことだった。

 ある程度の誤差が考えられるものの、かなり広い範囲が影響下になっていて、今更ながら女王蜂のスペックの高さに驚く。

 ちなみに、このタブレットのシステムは受信するだけのものなので、蜂は寄って来ないだろうとのことだ。

 車が走り出したので、真由美は父に向かって手を振った。父はにこやかに見送ってくれたが、この後、後悔の念に駆られることを、真由美は知らない。

 皆口女史の車は軽四のSUVで、車内にはアニソンが流れていて、キャラクターフィギュアやグッズなどが、いくつも置いてあった。

 皆口女史は上機嫌で運転している。ポニーテールにした髪が、ハンドルを切るたびに楽しそうに揺れている。まるでこれから遊びに出かける、小学生みたいだ。

「あのー、今さらですけど、出てきちゃってホントに良かったんですか?」

 真由美は自分が振った話ではあったが、頼る相手を間違えたのではないか?と、さすがに不安になった。

「大丈夫、大丈夫。杉田氏はああ見えて人望があるからね、ちゃんとやってくれるのよ。でもカタいから、一緒にいてもつまらないんだよねぇ。」

 どうやら、研究室で籠っていることに、耐えられなくなったようだ。

「そうなんですか?昨日の朝、立ち寄った時には、親切にしてくれてましたけど…。」

「へぇ~、ひょっとしたら杉田氏は、ロリコンなのかも知れないわねぇ。今度、かまかけて見よう。」

 そう言って皆口女史は、怪しげに笑う。

「女子高生って、ロリコン対象だっけ?」

 真由美は上半身を後ろに向けて意見を求めるが、綾子は検討が付かないらしく、難しい顔をして首を横に振った。

「神崎が幼児体型だからだ。」

 山崎のセクハラ発言に、真由美が眉をひそめる。少しはおとなしくしておこうと思ったが、どうにも腹の虫が治まらない。とは言え、運転席の後部にいる山崎に、このポジションから手を出すことができない。しかたないので、別の手段を考えた。

「綾ちゃん、私の代わりに、そいつしばいといて!」

 ムチャ振りをする。

「え?私が?」

「うん、ソレで。」

 そう言って綾子が持っている、デッキブラシを見た。

 綾子が恐る恐るデッキブラシを構えて、山崎が白羽取りの体制を取る。

「お楽しみのところ悪いけど、近道をするからちゃんと捕まっててねぇ。」

 皆口の言う近道というのは、町から山間部へ向かう旧道のことだ。舗装はされているが、かなり曲がりくねっていて、普段から通行する車は少ない。時期が時期だけに、対向車もいないようで、かなりスピードを出していた。カーブのたびに、体が右に左に振られる上に、場所によっては高低差があるので、ほとんどジェットコースターである。

 助手席の真由美は、「うぅっ、」と唸るばかりで声も出ない。

 綾子も山崎も、体を支えるのに一生懸命だった。

「山崎…くんは、なんでついてきたの?」

「…携帯を忘れてきたから、取りに行くんだ。付き添いは、ついでだ。」

「無理しなくても、いいのに…。」

「大原こそなんで、デッキブラシ、持ってんだ…?」

「これはほら…、真由美の…、お守りだから、わぁ!」

 急カーブを曲がったので、キキーッとタイヤがきしんで、体が横に振られる。ちなみに皆口女史は運転に夢中だったようで、そのへんの話は聞いてなかった。

 長い坂道をノーブレーキで下って行く。

 真由美たちが悲鳴を上げるそばで、「ヤァッホー!」と、雄叫びを上げていた。


「近寄ってきたら撃て!」

「ホントに、撃ってしまっていいんですね?」

 今は見る影もないが、もともとは同じ人間なので、実際に銃で撃つことは躊躇(ためら)われたようだ。

 津田隊長率いる第2分隊の5人は、正午前に真由美たちの高校に到着した。

 主に陸上競技に使われている第1グラウンドに侵入すると、4、5人の甲殻人が体育館の中から姿を現した。

 南側入口の扉が開いている。甲殻人たちが開けたのだろうか?

「構わん、既に自我は無いという話だ。」

 蜂に体を乗っ取られた時点で、本人の人格が失われているという話は、隊員たちにも周知済みだ。

 近づいてきた甲殻人の1体に向けて、島崎隊員がライフルで発砲する。

 額を狙ったようだが直撃にならず、頭をかすめて後方にはじかれた。

「くそっ!」彼らの外殻の硬さに、思わず舌打ちする。

 甲殻人は大きくのけ反ったが、すぐに体制を戻した。

 頭部に外傷が残ったが、ふらついている程度で大した効果は無いようだった。他の隊員が彼に習って発砲を始めたが、甲殻人たちは体育館の中に戻ってしまった。

 隊員の一人が、甲殻人を追って走り出した。

「待て、深追いするな!」

 彼が足を停めると、どこからか黒い蜂が飛んできた。

逢坂(おうさか)、下がれ!車に戻るんだ!」

 全員が遊撃車(機動隊所有の大型車両)に戻ってドアを閉めると、蜂たちは車の上空を回り始めた。

 十数匹というところだが、全員が刺されてしまっては、その後に行動に支障が出る。

 問題の線虫らしきものを、除去する方法が確立されていない。

 発症するまでの2~3時間の間に、甲殻人を倒すという選択肢も無くはないが、そこまでしなければならないほど、追い込まれているわけでない。

「バカ野郎!慎重にやれと言われただろうが!」

「いつも真っ先に出張(でば)って行く、島崎さんに言われたくはないです。」

 迂闊な行動をした逢坂が、島崎にヘルメットの上から小突かれている。

「外装の隙間から、車内に入ってきたりしませんよね?」

 運転席に座る楠木(くすのき)は、大柄な男だがホラー映画のような今回の案件に、かなり敏感になっているようだ。

「アレに刺されると、さっきの黒い奴みたいになってしまうんですね?」

 紅一点の雨宮は、落ち着いてはいるが、その顔を見る限り、恐怖感は隠しきれていない。

「報告では、一割強の者が変異する前に死んでしまったそうだ。」

 津田もそうだが、隊員たちも甲殻人化した人間を、直に見るのは初めてで、明らかに浮足立っていた。

 死体なら昨日のうちに見たが、実際に動いている彼らを見ると、TVゲームでもやっているようで、現実感が失われてしまいそうで恐い。

「楠木、車を下のグラウンドに戻せ。」

 第1グラウンドと第2グラウンドには段差があるので、車両の往来ができるようスロープが設けられている。遊撃車を第2グラウンドに移動させると、蜂たちは離れて行った。

 津田は車を降りて、体育館の方を睨んだ。

 蜂も甲殻人たちも出て来ない。

 第1グラウンドから先が、蜂たちのテリトリー、ということなのだろうか?

「いいか、彼らは未知の生き物だが、銃で撃てば倒せるし、蜂自体は普通の虫と変わらん。手で叩いて潰せる。刺されなければなんてことは無いし、刺されても早急に対処すれば、ヤツらの傀儡(かいらい)になることはない。大事なのは恐れずに心臓か、頭を狙う事だ。ただし黒くなっているヤツは、正面から当たらなければ、ダメージにはならんから気をつけろ。」

 隊員たちの動揺は、いくらか(やわ)らいだようだ。

「次のプランを実行する。」

 雨宮が偵察用のドローンの、準備を始める。

「ここからだと、体育館の入口が見えにくいので、操作しにくいですねぇ」

「すまんが、何とか頼む。体育館の中の状況ぐらい分からないと、報告書も書けない。」

 この学校は山の手にあり、第1グラウンドは第2グラウンドより2mほど高く、体育館と校舎は、さらに1mほど段差を設けてある。体育館前の通路には樹木が植えてあることもあって、津田たちがいる場所からは、体育館入口が目視できなかった。

「どこかの国で作られた、生物兵器じゃないですよねぇ?」

「そういう詮索は後でいいから、目の前の作業に集中するんだ。」

「はい…。」

 津田の返事が愛想なかったので、雨宮は不服そうにドローンの準備を続けた。

「隊長、通信ができません。」

「通信ケーブルは復旧してないようです。」

「やはりダメか。」

 逢坂と楠木は有線通信の為の、電話線の接続に向かったが、近場の電柱のケーブルには、信号が来てない事を確認して戻ってきた。

 ここへ来る途中で、電柱にトラックに衝突して倒れていた。運転手がどうなったかは分からないが、通信ケーブルの修理が終わっているか気にはなっていた。外出制限が伝えられているので、ケーブルの修理は後回しになっているようだ。

 幸い電気は別のルートから送られているようで、校内で照明が点いているのが確認されていた。

「準備できました。」

 雨宮の操作で、ドローンは飛びあがり、体育館に近づいて行く。

 パソコンのモニターには、ドローンのカメラ映像が映っている。

 開け放たれた南側の扉から、中へ侵入させる。

 少し入ったところで、ぐるっと周りを見回して見るが、甲殻人も蜂も見えない。

 舞台の上に、何かある。

「人の、死体?!」

 パソコンを操作していた雨宮は、思わず口元を押さえた。津田も険しい表情で見ていた。

 ズームして見ると、死体らしいものが積まれており、床には血が染み出している。1mぐらい積み上げられていて、周囲に蜂が飛んでおり、死体の隙間から出入りしている。よく見ると警察官らしい死体もある。どこか別の部署の者が、先に来ていたらしい。

「アレは“蜂の巣”じゃないのか?」

 火災現場で救出された女性は、体の上に何人も人が乗っており、火傷から逃れたという。

 これがこの蜂たちの巣のつくり方ではないか、という仮説があった。

 蜂の巣であるのなら、女王蜂がいるはずだ。

「だとしたら、随分趣味が悪いですね。」

 津田が先走ったような発言をしたので、雨宮は皮肉の意味も込めて意見した。

 もう少し、よく見ようとして接近させたところで、モニターが乱れて砂嵐画像になった。やがて、床に落ちたらしいカメラの映像が映し出された。

「落とされたみたいです。」

「隊長、蜂が何匹か、こちらに向かってきます!」

 双眼鏡で監視していた島崎が、あわてて報告してきた。

「雨宮、パソコンの電源を切れ、すぐにだ!」

「アプリが、すぐに終了できません。」

 シャットダウン途中のパソコンを取り上げて放り投げ、雨宮を車内に引きずり込んでドアを閉めた。

 4人しかいない。

「逢坂はどこだ?」

「いました、あそこです!」

 島崎がグラウンドの外に駆けだしていく、逢坂を見つけた。

 しかし蜂たちは逢坂には目もくれず、モバイルパソコンに取り付くと、強力な顎でかじり始めた。

「逢坂はどうでもいいのか?」

「たぶん電波を出している対象が、敵扱いされるんじゃないでしょうか。」

 蜂に(たか)られるパソコンと、逢坂を見比べて雨宮が冷静に判断していた。

 蜂たちの顎は強力なようで、モバイルパソコンは、見る間に合成樹脂の部分が削られて、ボロボロになっていった。

「いま、火炎放射器を使えば、一網打尽なんですがね。」

「あれば良かったんだがな…。」

 島崎が大雑把な方法を提案したが、津田の言うように今回は用意されていない。

「私のパソコンが…。」

 無残な姿になっていく、モバイルパソコンを見て雨宮がしょげていた。

 いかな愛着があったとしても、これは隊の備品で、彼女のものではない。

 パソコンの電源ランプが消えて、しばらくすると蜂たちは離れて行った。

 動作音が止まった時点で、蜂にとっては“死んだモノ”扱いされたのだろうか。

 モバイルパソコンは樹脂製の外殻を一部失って、無残な状態になっていたが、使えなくはないようだ。

「全力疾走じゃ!馬鹿野郎!」

 逢坂が島崎に叱咤されて、走って戻ってくる。

「すまない、電波に反応するとは聞いていたんだが…。」

「いえ、ドローンの誘導電波に反応するかも知れないということを、失念していました、すみません。」

 雨宮は落ち込んでいたが、淡々とパソコンの点検をしていた。モニターを伏せていたので、外側だけがやられたようだ。

「隊長、誘導できるものなら、おびき出して一気に片付けるのはどうですか?」

「このモバイルでか?」

「逢坂を放っておいて、パソコンに集まってきましたよねぇ。蜂だけでも駆除できるのなら、残りは人並みの大きさの者達だけになりますから、対処しやすくなります。」

 島崎の提案は、もう一度ドローンのアプリを起動させて、蜂をおびき出し、殺虫剤で一網打尽にしてしまおうというものだ。この場合出てくるのは働きバチだけで、女王蜂は巣から動かないはずだ。

「甲殻人も出てきたらどうします、奴らには殺虫剤は効かんでしょう?」

 楠木がおずおずと意見するが、島崎は怪訝な顔で、楠木の肩に手を回す。

「やつらと揉み合っている最中に、蜂に刺されたいか?」

「いや、それは…。」

「嫌だろう、ならやっちまおうぜぇ。」

 楠木は慎重だが気が弱いので、横柄な島崎に押されている。

 確かに甲殻人に集中している間に、こっそり近づいてきた蜂に刺されるのは、ごめん被りたい。

 この段階でいったん引き返す道もあったのだが、“女王蜂捕獲の密命”を反故(ほご)にするのもはばかられた。

 この命令は、ここへ赴く直前に、とある幹部から直接指示されたもので、第2分隊の隊員しか聞いていない。極力“生け捕りで”と念を押された。学術研究上、生物学の観点からも、大変有用なものだと説明があった。もちろん、その言葉通りに理解してはいない。この生き物が大変危険なことは、津田もよくわかっていた。しかし、状況の変化において、拠点と連絡が取れない以上、独自の判断で対処しなければならない。結局、雨宮を説得して島崎の提案を実行することになった。

 彼女は複雑な気分だったが、目的のためには仕方なかった。

 網で蜂働きバチを捕獲してはどうか、と提案してみたが、何匹いるかわからない働きバチは動きが早く、そして逃げられた後は反撃が恐かった。そして働きバチの捕獲指示は出ていない。不安要素は一つでも、排除しておいた方がいいという事になった。


「準備できました。」

 雨宮がアプリを起動させたパソコンを、第1グラウンドの端に置いて離れる。

 パソコンのモニターは、体育館の中の様子を映し出した。

 ドローン本体は動かせないが、カメラは生きているらしい。

 パソコンから5mほど離れたところで、陸上競技用の小道具の影に隠れて様子を見る。

 各々が殺虫剤のスプレーを持っていた。

 水鉄砲型なので、これぐらいの距離があっても、充分届くものだ。

 ガタイのいい機動隊員が完全防備をして、殺虫剤のスプレーを構える。

 インスタグラムに乗せたら、炎上間違い無しの絵面である。

「黒いヤツも、これで何とかできたらいいのになぁ。」

「そんなんだったら、俺たちの仕事じゃあないですよねぇ。」

 楠木がぼやいていたが、逢坂にディスられていた。

 間もなく蜂が飛んできて、パソコンに(たか)り始めた。

 十数匹の蜂が、さっきと同じように、パソコンをかじりだした。

「撃て!」隊長の合図でパソコンをめがけて、殺虫剤が撒かれた。

 霧状ではなく、荒い水滴の薬剤がパソコンめがけて降り注ぐ。

 パソコンのモニターは、乱れた画面を映した後、真っ黒になった。

 蜂は、地面に落ちるものの、濡れた羽で飛ぶことができず、羽をバタつかせて動き回っている。

 どうやら即効性はないようだ。

 そんな中、1匹が部隊のいる方へ飛んできた。

 逢坂がその蜂に気づいて手で払おうとした時、横から火の手が上がり、蜂を包み込んだ。

「わぁ!」

 予想もしえなかった事態に、焦った逢坂が軽く悲鳴を上げた。

 島崎が殺虫剤のスプレー缶の前に、ライターの火をかざして、即席の火炎放射器にしたのだった。

 彼はその炎をパソコンに向けて放射、死にかけていた蜂と、パソコンにとどめを刺した。

 さらに飛んできた数匹の蜂にも火炎を放射、蜂はおおかた駆除されたようだ。

「あーあ…。」

 雨宮が燃えているパソコンを見て、落胆の声を上げた。

「なんだよ、殺虫剤でべとべとになった時点で、死んだも同然だろう。」

 雨宮は不服そうに島崎を睨んでいたが、もう復活は望めなかった。

「危ないじゃないですか、俺まで焼けたらどうすんですか?」

「刺されるのと焼けるのと、どっちがいいよぉ?」「どっちも嫌ですよ!」

 逢坂が文句を言っていたが、島崎はあまり気にとめていないようだ。

 それ以降は遊撃車を第1グラウンドに移動しても、蜂も甲殻人も出て来なかったので、体育館の中へ侵入することになった。

 逃げた蜂もいたので、その動向は気になったが、目標である女王蜂の捕獲が優先された。

 雨宮を車に残し、完全防備の4名で侵入を試みる。

 南側入口から覗きこむと、左手に舞台が見える。

 その手前に、蜂に落とされたと思われる、ドローンが転がっていた。

 蜂はともかくとして、甲殻人たちの姿が見えない。

 どこかに隠れているのだろうか?

「隊長、さっき表に出てきた連中しか、居ないんじゃないですかね?」

「報告では2、30人はいたという話だ。気を抜くなよ、島崎。」

「昨日の話ですよね、全員が黒いヤツになるわけじゃないとも、ありましたよね?」

「楠木さん、黒いヤツになれなかった者は、死んじゃったらしいですよ。」

「では、あれは、黒いヤツになり損なったヤツか、襲われた人達か。」

 津田が足を止めて、舞台を見る。

 ドローンのカメラで見たように、人の死体が積まれている。

 先ほどの作戦で、殲滅できたものなのか、蜂はここにはいないようだ。

 目だけが黒くなった死体もあったので、“なり損なって死ぬこともある”というのは事実らしい。

 皆死んでいると思われたその中で、腕を振っている者がいた。

 先ほどドローンのモニターで見た警察官だ。

「生存者だ!」

 そう思った途端、警察官としての本分を思い出したのか、意気が上がった隊員たちは、一気に舞台に駆け上がる。

「待て!お前らぁ!」

 津田は警戒すべきと思って、皆を制止しようとしたが敵わず、少し遅れて舞台に上がることになった。

 先頭を切って被害者に近づいた島崎が見たのは、目が黒くなった警官の姿だった。

 愕然とする隊員たちの前で、黒い目をしたその男はゆっくりと立ち上がった。

 死体の中に紛れ込んでいた、数体の甲殻人も起き上がった。

 実際の死体は2、3体で、残りは甲殻人か、目の黒くなった者達だった。

「て、撤収!」

 津田の合図で舞台の下に降りようとしたが、既にそこには甲殻人が殺到していた。

 ざっと30人、いや、もっといそうだ。

「どこに隠れていやがった!」

 扉や窓のカーテンの影に、隠れていたと思われる。

 否応なしに銃撃が始まる。

 発砲するも、なかなか倒れない。甲殻人たちは何発かあたっても、平気で近づいてきた。なかには発砲の瞬間、体を斜めにして弾丸の直撃を避ける者もいた。それならば、目が黒くなった奴を先にと思ったが、そいつらは甲殻人の後方に回り込んでいた。

「くそぉー!」

 島崎が自動小銃で連射するが、やはり効果は薄く、舞台袖に追い詰められていく。

 楠木が観覧席に昇る細い階段を見つけ、順に昇って行く。先に昇った者は後続の援護だ。

 最後に階段を昇った逢坂のふくらはぎに、黒い目の警官が噛みついた。

 上段から島崎が警官だった男を撃ち、津田と楠木で引っ張り上げた。

 観覧席を正面入口側に向かうが、そっちの階段からも甲殻人が近づいてきた。

 外から遊撃車のクラクションが聞こえた。

 なにかあった時には、クラクションを鳴らすよう指示していたので、雨宮の方も襲われたらしい。

 彼女のほうはどうなっているのか、ここからでは確認のしようがない。

 正面入口側から来る甲殻人を、撃ち倒しつつ進むが、容易ではない。

 通路が階段状の座席になっていて、歩く幅が狭いためうまく立ち回れない。

 甲殻人は急所に当たらなければ、弾がはじかれて、すぐに立ち上がって来た。

「ええい、面倒(めんど)くさい!」

 島崎は自動小銃を使っていたが、あまり効果がないので、シールドを使って甲殻人を、観覧席の下にたたき落としていた。シールド・バッシュというやつだ。甲殻人の体は頑丈で、これくらいの高さから落ちても平気なようで、すぐに立ち上がってきた。

 取りこぼしたものは、津田と、その肩を借りている逢坂が銃で撃って進む。

 しんがりは楠木が、シールドと銃を使い分けてガードしていた。

 正面エントランス横の階段にたどり着いたが、下には降りられそうになかった。

 多数の甲殻人が、階段で待ち構えていたのだ。

「まだ、こんなに居やがる。」

 島崎が近寄ってきた黒い目のヤツを、シールドを叩きつけて落としたが、すぐに別の甲殻人が昇ってきた。加えて、逢坂の怪我は深刻なようで、とうとう銃を握れなくなってしまった。

「逢坂ぁ!しっかりしろ!」

 津田が声をかけるが、朦朧(もうろう)としていて返事が無い。

 しんがりを担当していた楠木も、シールドや防具がボロボロになっていた。

 隊員たちの銃の残弾も、心もとなくなっていた。

 しかたなく正面入口の上にある、ミキサー室に逃げ込んだ。

 中にあった棚や机、照明器具を動かして、バリケードにする。

 ドアはここだけで、館内が見渡せる窓があるが、あとは放送機器や照明の操作機器があるだけの、4畳半ほどの狭いスペースだった。

 そして体育館の中には、まだ多数の甲殻人がいる。

「連中、思ったより頭が良いようですねぇ。」

 楠木がバリケードを押さえつつ、銃の残弾を確認する。ここから見る限り、甲殻人の姿は無い。銃撃を恐れて隠れているのだろう。

「島崎、窓から狙えそうか?」

「ダメですねぇ、ヤツらこの部屋の下に隠れています。」

 島崎がガラス窓を割ってライフル銃を構えるが、狙撃できない場所に身を隠してしまった。

「逢坂はどうですか?」

「血が止まらん、しばらくは持つと思うが…、」

 津田は逢坂の止血を終えると、立ち上がり、忌々しそうに舞台上の死体を見た。

「アレは、罠だったというわけか…。」


「何が、あった?」

 小山は現場の惨状を見て困惑した。

 彼らが真由美たちの高校に到着した時、第2グラウンドには横倒しになった、津田分隊の遊撃車があった。

 二つのグラウンドの間には、2mほど段差があり、その則面(のりめん)にコンクリートの柱が建っていて、ボール除けのネットが張られていたのだが、そのネットを突き破って落ちてきたようだ。

 幸い火は出ておらず、周りに甲殻人たちも見えない。

 少し離れた場所に車を停めて、横転している遊撃車に向かう。

 甲殻人が隠れていないとは限らないので、注意深く接近し車内を覗く。

 運転席で気を失っている、雨宮隊員を見つけた。

 外からフロントガラスを叩いてみたが、反応が無い。

 今は上になっているが、助手席側のドアを開けて井上が中に入り、呼吸を確認し頬を叩いて起こしにかかった。

「起きなさい、なにがあったの!」

「うぅっ…、あっ、井上さん…なんでここに?」

「大丈夫?大丈夫なら早く起きて、状況を説明しなさい。」

 雨宮隊員は車内から出て来たが、少しふらふらしている。

 車体が横転した時に、頭をぶつけたようで、額から血が出ていた。


「では他の4人は、体育館に入ったんだな?」

 雨宮は額を押さえながら頷いた。応急処置ではあるが、傷口を消毒して包帯が巻かれている。

「それからしばらくして銃の発砲音が聞こえて、応援に行こうと思ったんですが…。」

 車両を移動しようとしたが、甲殻人が車に取り付いて、ドアを開けようとしたので、操作を誤ったとのことだった。

 ちなみに突入してから、30分ほど経過しているらしい。

「中の状況が知りたいが、なんとかならんか?」

 双眼鏡を使って確認するが、段差のある関係上、開いている扉からは、甲殻人も他の隊員たちも見えなかった。

 体育館の前に、樹木が植えてあることも相まって、余計に見づらい状態だ。

「到着時にドローンを使って撮った映像がありますが、PCが無いので…。」

「蜂に襲撃されたか?」

「はい、…なんで知ってるんですか?」

「私たちもパソコンの電波を辿られたらしくて、襲撃されたのよ。」

「ドローンは壊れてしまったがね。」

 雨宮のパソコンは、ひどい状態だったが再起動ができたので、データだけ抜き取って、ハチをおびき出すために使ったという。

「かなりの数が集まってきたところに、殺虫剤をかけて撃退を試みましたが…。」

 落とすことは出来たが、絶命には至らず、飛び立って襲ってきた個体もあったので、気の短い隊員がライターとスプレーで火炎放射を行い、それがパソコンにも引火したと説明する。

 井上がパソコンを持って来て、雨宮のメモリーカードの再生を始めた。

「ところでそちらの班の、他の皆さんはどうしたんですか?待機中ですか?」

「一人死亡、二人重体だ。想定外のトラブルもあったが、ヤツらを侮った結果だ。」

「こちらも想定外の事が、あったんでしょう?」

「体育館内の事はわかりませんが、充分考えられます。あっ、私たちと別に警官が来ていたようです。」

「ほんとかね?」

「はい、でも既に襲われた後みたいで…。」

 パソコンのモニターにドローンカメラの映像が映り、体育館内に入ったところから、舞台上を映す。

 5、6人の死体らしいモノが、積み上げられているのがわかる。

 上のほうに警官らしい死体が見える。

「津田隊長がこれは、蜂の巣ではないかと言っていました。」

「……昨日の火災現場と状況が似ているから、そう判断したのでしょうか?」

 モニターには蜂らしきものが、死体の間から出たり入ったりしているように見える。

「なるほど、死体が積み上げられているようだなぁ。」

「この後、蜂に襲撃されたのよねぇ?」

「可能なら女王蜂の捕獲を、指示されていましたので…。」

 小山が険しい顔になった。

「それで中に入ったのね。」

 井上も同様である。

「調査だけではなかったか?捕獲の話は聞いていないぞ、どこから来た指示だ。」

「津田隊長は、上からの指示だと…。」

 小山は少し考えてから、右派寄りの幹部からの指示ではないかと思い至った。

「…おおかた防衛省あたりに、コネのある幹部の指示だろう、対策本部に顔を出していたしなぁ。厚労省絡みかも知れん。」

 恐ろしい生き物でも、戦略的に利用価値はあるし、新種の生物であるから、医療関係では未発見の酵素とか研究の需要があるからだ。

「どんなモノでもお金に換算しようとする人は、いるものなんですねぇ。」

「…自分で獲りに来ればいいのに…。」

 雨宮が辛辣な意見を言っていた。

 余計な任務さえなければ、怪我することもなかったし、PCを燃やす事もなかった。

「まったくだ。」

 それを聞いた雨宮が、驚いて小山の方を見るが、小山は「ひとりごとだ。」と、ごまかした。

 井上が小さく笑っていた。

 ドローンが落ちたところで、映像が終わる。

「落ちたドローンは、完全に死んでるの?」

「この時はカメラは生きていたようですが、肝心のパソコンが焼けてしまったので…。」

「では、こちらのパソコンを落ちたドローンと連携できるか、やってみましょう。ドローンの型番とIDはわかりますか?」

 井上がドローン操作アプリを起動した。

「井上君、蜂が飛んで来るんじゃないか?」

 大学でドローン操作時に、蜂の襲撃を受けたことを思い出してか、小山が立ち上がり周囲を警戒し始めた。

「先の作戦で、大方の蜂は退治できたものと、思われますが…。」

「未知の生物の相手をしているんだ、もしもの事態も想定しておいた方がいい。」

 雨宮隊員の言葉をさえぎるように、固い口調で言い含めた。

 自分たちの後悔も、そこには加味されている。

「はい。」

 雨宮隊員は立ち上がると、気を引き締めるように服装の確認と、銃の点検を始めた。

「ドローンは飛ばせないようです。反応がありません。カメラだけでも使えないかやってみます。蜂が来たら教えて下さい。」

「殺虫剤を貰ってくれば良かったなぁ。」

「即効性はなかったですよ?」言いながら、殺虫剤のスプレーを準備する。

「よく効くヤツがあるんだ。」

「そうなんですか?」

 綾子が持ち込んできた、殺虫剤の事を言っているようだ。

「繋がりました。」

 パソコンのモニターに映像が映った。

 ドローンが傾いているからなのか、映像が斜めになっていた。

 思った以上の甲殻人が、体育館の一画に集まっている。

 画面上に映っている個体だけでも、30体くらいはいそうだ。

 どうやら観覧席の下らしいが、どのあたりなのかわからない。

 観覧席の横に部屋らしいものがあって、小窓に銃を構える機動隊員の姿が映り込んでいた。

 もっとも銃を持った腕しか映っていないので、誰だかわからないうえに、他のメンバーの安否もわからない。

「カメラの向きを、変えられないか?」

「だめですねぇ、プロペラが死んでいるようです。」

「これは、ミキサー室ではないでしょうか?照明とか音声とか調整する。」

「ということは、正面エントランスの上あたりか…。」

 体育館の東側入口の上である。

「津田隊長達は、ここに閉じ込められているってことですか?」

「無事ならな。ヤツらは意外と頭がいいから、囲まれているのかも知れない。」

「催涙弾を撃ち込むのは、どうでしょう?」

「蜂をいぶり出すのには有効だが、甲殻人には効かないだろう。」

 なん匹か残っているという、蜂を一時的に遠ざけることしかできない。

 大学での攻防でも、催涙弾の煙にたじろいだりする甲殻人はいなかった。

「津田たちが、余計にしんどくなるだけだなぁ。」

 周囲を警戒していた小山の目に、消火栓の文字が映った。

「水攻めというのは、どうだろう。」

 体育館の西側、プール棟の壁に消火栓と、ホースの格納設備があった。

「倒すことはできなくても、吹き飛ばすぐらいはできるはずだ。」


 小山が消火用のホースを持って、体育館南入口に近づくと、中から甲殻人が近づいてきた。

 放水管を構えたところに、発砲音がして近くの地面に着弾した。

 ミキサー室から誰かが甲殻人を狙撃したらしいが、甲殻人の体をかすめて、跳弾になったようだ。向こうからは、小山が見えていないのだろう。続けて2回、発砲があったが、うまく避けられているようで、ダメージになっていない。跳弾が飛んできそうで、作業に集中できない。

 こういう事態とは言え、仲間に撃たれるのはごめん被りたい。

「後で説教してやる。」

 そう言って少しばかり下がって、後方に合図を送った。

 雨宮が消火栓のバルブをひねり、放水管に水圧が伝わってきた。

 圧力をかけられた水は、一気に放たれて、目の前に迫っていた甲殻人を吹き飛ばす。

 甲殻人は体育館の壁沿いに転がって行った。

 体育館の中からは、数人の甲殻人が近寄ってくるのが見えた。

 小山は水の圧力に振り回されそうになったが、なんとか放水の向きを体育館の中に向けた。

 飛びかかって来た甲殻人が水の勢いに負けて、奥の方へ転がって行った。

 その先には、パソコンのモニターで見たように、30体くらいの甲殻人がたむろしていた。

 どうやら2階のミキサー室に入り込んでいる、津田たちを狙っていたようだ。

 津田たちにもこちらの存在がわかったと思われるので、入口に近づいて放水を続ける。

 さらに何人かの甲殻人が、こちらに向かってきた。

 体育館内に押し戻された甲殻人たちは、床が滑るので面白いように転がって行った。

 さすがに何回か繰り返すと、甲殻人たちも疲れて来たらしく、動きが緩慢になってきた。

 しかし、まだミキサー室の下には多くの甲殻人が陣取っていた。

 ミキサー室の窓から何か叫んでいる者がいるが、放水の音で聞こえなかった。

 ライフルや拳銃で狙撃し始めた。

 後方でも井上と雨宮が発砲し始めた。

 体育館の裏側から回ってきた甲殻人がいたらしい。

 ふと、体育館内にいた甲殻人の動きが止まった。

 井上たちに迫っていた甲殻人もだった。

 打ち合わせをでもしたかのように、すべての甲殻人が校舎の方へ移動し始めた。

 周りを確認すると、井上が校舎の方を見て怒鳴っているようだった。

「何やってんの、あの子は!」

 東校舎の3階の窓から、手を振る真由美を確認したからだった。そして叫んだ。

「逃げなさーい!黒いヤツらが行くわよぉ!」


 小山たちが雨宮を横転した車両から助け出していた頃、真由美たちは高校の正門前に到着していた。

「あー、楽しかった!」

 SUVから降りて背伸びをする皆口とは対照的に、真由美たちは疲労困ぱいしていた。

 車を降りると、校門近くに座り込む。

「あー、地面が揺れてない、嬉しい…。」

 綾子が露骨にヘタレていた。

 すぐ近くで山崎は、四つん這いになって、必死の形相で堪えていた。

『ここで戻したら負けだ。』

 顔をあげると、校門の少し先にパトカーが止めてあることに気付く。

「警察の人が来てるのかなぁ?」

 真由美も気が付いたようで、ふらふらとパトカーへ向かうと、中を覗き込んだ。

「お巡りさん、いた?」

 皆口が軽快な足取りで近づいてきて、真由美に尋ねる。

 真由美は皆口の様子を見て、げんなりとしつつ首を横に振った。

 警察の人が来ているのなら、校内のどこかにいるのかも知れない。いろいろ助けてもらえるかも知れない。そう考えつつ、まだふらつく足で下足室の方へ向かった。

 綾子と山崎がよろよろという感じで、立ち上がって追いかけて行く。

「君たち、ゾンビみたいよ。」皆口が後ろから楽しそうについて行く。

 山崎が何か言いたそうに皆口を見たが、口を押えたまま足を進めた。

「隊長さんたち、どこだろう?」

 下足室からグラウンドを見てみたが、小山たちも、彼らが乗って行った車も見えない。

 グラウンドの間にあるネットが破れていたが、他に変わった所もなかった。

 タブレットの地図では、付近一帯が赤いグラデーションで覆われていて、女王蜂の居場所は特定できなくなっていた。

「さっきまでは、体育館あたり?で、マーカーが点滅していたみたいだったんだけど…。」

 皆口女史の説明では、女王蜂がヒステリーを起こしているから、電波が乱れているのだという。

「蜂がヒステリーって、どーゆーことですか?」

 タブレットを覗き込んだ綾子が、皆口女史に説明を求めるが、彼女の感覚的な表現らしいので、理解できなかったようだ。

 真由美からタブレットを受け取った皆口が、モニターを調整する。

 モニターが一瞬乱れて、マーカーが校舎内で点滅した。

 しかし、すぐに元に戻って、広範囲で赤い表示になってしまった。

「あれ?バグかなぁ。」

 リセットをかけてみるが、モニターに変化はなかった。

 体育館に女王蜂がいるのなら、井上さんたちもそっちの方にいると考えられる。

 しかし、迂闊に近づけば怒られるのは仕方ないとして、間違って撃たれるかも知れないし、それより前に甲殻人に襲われるかも知れない。できればそれは避けたい。

 あくまでも、井上さんが蜂に刺されていないか、確認するのが目的だ。

 離れた場所から所在を確認し、本人に伝えなければならないのだ。

 山崎が階段の方へ歩き出した。

「3階からなら見えるんじゃないか?…僕は、携帯を取りに行くけどな。」

 山崎に続いて、中央階段(東棟と南棟の間の階段)に向かう。

 途中、保健室の前を通った時に、皆口が驚いて足を停めた。

 ドアが開けられたままになっていたのだが、床もベッドも血まみれになっていたからだ。

 よく見ると、廊下にもところどころ血の跡があった。

 さすがにちょっと怖くなった。

 そんな校舎の中を、真由美たちはてくてくと歩いて行く。

 いや、綾子は腰が引けているようで、真由美の両肩を掴んでおどおどと歩いてゆく。

「大丈夫なんでしょうねぇ?」

 皆口も遅れないように、早足で追いかけた。

 3階に上がり、南棟の窓からグラウンドの方を見ると、2台の車両が見えた。

 1階からでは、グラウンドの段差で見えなかったようだ。

 1台は井上たちが乗っていた車だから、構内にいるのは間違いない。

 もう1台の大型車両は、横倒しになっている。

 第1グラウンドからずり落ちた跡がある。

 体育館の前に誰かいるようだが、ここからでは体育館前の樹木の影になっていて、誰かはわからない。

「井上さんたちかなぁ?」

「別動隊の人達かも知れないし、さっきのパトカーの人たちかも。」

 体育館前の通路と第1グラウンドには1mほど段差があって、桜の木が植えられている。

 初夏である今は緑の葉が茂り、通路に日陰を作っていた。

 今、作戦中なら声をかける訳にはいかない。

 邪魔になってしまう。というか、余計に怒られる。

「端の部屋からなら、見えるかもしれないわね。」

 東棟の端の部屋、2年1組の教室へ向かう。

 綾子と皆口が続く。

 3組の真由美たちの教室の前を通る。

 昨日の惨劇の跡は見たくなかったので、さっさと通り過ぎる。

 皆口は割れたガラス窓や、教室内の惨状が気になったので、「昨日、何があったの?」と、聞きながら追いかけて行く。

 山崎は携帯電話を回収するために、自分たちの教室に入っていた。

 彼の席は廊下側の前から2番目なので、ドアを開けてすぐ自席に行って、カバンの中に入っていた携帯電話を回収した。

 残念ながらバッテリーが切れていた。

 普段からネットやゲームで使い過ぎていたうえに、一晩充電なしで放っておいたので、仕方ないと言えば仕方ない。

 教室の後ろの方には、血だまりがあって、嫌な臭いが充満していた。

 窓が開けられたままになっていた。

 昨日、深見さんが襲われた時の記憶が蘇る。

 …死体が無くなっていた。

 引きずって移動された跡があり、その先に4、5人の死体が積まれていた。

 机や椅子が動かされていて、その影になっていたので、廊下からは見えなかったのだ。

 深見さんらしい亡骸以外にも、見知った顔があった。

 思わず胃の内容物が逆流する。

 四つん這いになって戻していた。

「はぁ、はぁ…。」

 ひとしきり戻した後、あらためて死体の山を確認する。

 また戻しそうになったが、何とか堪えた。

 死体と死体の隙間から、一匹の蜂が顔を出した。

 少し大きい。

「…女王蜂、…か?」

 その声が聞こえたかどうかはわからないが、蜂はピクッとして山崎の方を見た。

 見たような気がする。

 あわてて教室を出て、真由美たちのいる1組の教室へ向かった。


「逃げなさーい!黒いヤツらが、行くわよぉ。」

 窓から大きく手を振っていた真由美の顔は、一気に困惑したものに変わった。

「黒いヤツって、甲殻人?」

「なんで?」

「私たち、なにもしてないよね?」

「まだ、ね。」

 綾子と顔を見合わせる。

「ふぉ、ほほに、みょうおうわひば!」

 何やらおかしな叫び声が聞こえたので、三人がいっせいに声のした方を見た。

 教室の入口に山崎が飛び込んで来て、何事か叫んでいた。

 が、普段から大きな声など出さないうえに、慌てていた山崎は、うまく発声できなかったようで、何を言っているのかわからなかった。でもその表情から、重大なことを告げようとしているのは理解できた。

 真由美はすごく怪訝な顔をした。

 綾子もキョトンとして、山崎を見ていた。

 皆口がクスッと笑っていたのは、山崎の噛み具合が面白かったからだ。

 山崎は顔を真っ赤にして、下を向いてしまったが、顔を上げて目一杯真剣な表情で、もう一度言った。

「そ、そこに女王蜂がいた!」

 真由美も綾子もハッとした。

「女王蜂が?」

「どこに?」

「3組、ぼくたちの教室。」

 真由美が走り出した。

 教室に入ると、血だまりの向こうに死体が積まれていて、悪臭を放っていた。

 思わず両手で口と鼻を覆う。

 できれば目も塞いで、知り合いの無残な死に顔など見ないようにしたかったが、そういうわけにもいかない。

 山崎の言うように、女王蜂がいて、死体の間から顔を覗かせていた。

 後から来た綾子はチラッと見ただけで、廊下に戻って口を押さえた。

「実際にあると、こんなに酷いもんなんだねぇ」

 皆口女史は、昔見た映画か何かと、比較したらしい。

 真由美と同じように、手で口と鼻を覆った。

「綾ちゃん、殺虫剤は?」

「あっ、あっ、ごめん、車の中に置いてきた。」

 いま、この女王蜂を殺してしまえばすべて終わるのだが、その決定打が無かった。

 ならばこの場で潰してしまおうと、デッキブラシを振り上げたが、女王蜂は飛び立って天井に停まった。

「真由美、たいへん!」

 女王蜂を睨みつけていると、廊下にいる綾子が大声を上げた。

 真由美が廊下に出ると、北側(1組側)の階段を甲殻人たちが昇ってきた。

 どうやら女王蜂が呼び寄せたらしい。

 急いで中央階段に向かう。

 しかし、中央階段からも甲殻人が4、5人昇ってきたので、挟まれてしまった。

 万事休すと思われた。

 井上さんから指示があった時点で、逃げ出せばよかった…。

「ごめん、またやっちゃった。」

「真由美…。」

 デッキブラシを構えて、目一杯虚勢を張る真由美の横を、山崎が通り抜けた。

 シューっと言う音がして、前にいる甲殻人の顔に、白い液状のものが吹きかけられた。

 山崎が廊下にあった消火器を、甲殻人たちに向かって吹きかけたのだ。

 視界を奪われてパニクっているそいつらに、山崎が消火器そのものをぶつける。

 頭に当てるつもりだったが、甲殻人の胴体付近に当たって、あまりダメージを与えられなかった。

 しかし転がって行く消火器に足を取られて、一人の甲殻人が転んだ。

 その時に別の甲殻人の肩を掴んだのだが、床にまかれた消火剤が滑ったようで、甲殻人たちは連鎖的に転んだ。

「いっ、今のうちに!」

 本当は頭にぶつけたかった山崎だったが、結果オーライだ。

 倒れている甲殻人たちの間を通り抜けて、南棟の非常口に向かう。

「あっ!」

 倒れていた甲殻人の一人に足を掴まれて、真由美が転んだ。

「えっ?」

 綾子が振り返った時、どういうわけか山崎が真っ先に動いていた。

 真由美の持っていたデッキブラシを掴むと、甲殻人の頭に思い切り振り降ろした。

 しかし、あまりダメージが無かったようで、山崎はもう2、3回、甲殻人の頭にデッキブラシを叩きつけた。

 結果、なんとか拘束を解かれた真由美を、綾子が引き起こして走り出す。

 山崎も一息つく間もなく、デッキブラシを持って走り出した。

 甲殻人たちはすぐに立ち上がり、追いかけて来たからだ。

 突き当たりのドアを、開ければ非常階段だ。

 一足先にたどり着いた皆口がドアを開け、一斉に外に出る。

 ここは外付けの、鉄製の階段になっている。

 気を付けないと、足を踏み外して転んでしまいそうで、もどかしい。

 後ろからパン、パンっと発砲音が聞こえ出した。

 警察の人達が、来てくれたようだ。

 ホッとしたのもつかの間、踊り場で後ろを見ると、階段へ出て追いかけて来る甲殻人がいたので、真由美たちは必死に階段を降りた。

「あっ!」

 最後尾にいた山崎が、デッキブラシを手摺に引っ掛けて、落としてしまった。

 拾っている余裕はなかった。

 が、追いかけてきた甲殻人が、デッキブラシに足を取られて転んだ。

 そのまま踊り場の手すりに、頭からぶつかって止まった。

 ガゴンッと、大きな音が響いた。

 山崎のすぐ後ろだったので、彼は「ひぃ!」と、小さく悲鳴を上げていた。

 もう一人の甲殻人は、勢いが付いていて止まれず、手摺にぶつかって体制を崩し、踊り場から地面に落ちた。

 2階の踊り場から落ちた甲殻人は、地面にうつ伏せに倒れていたが、誰かが近づいてきたのを感じたのか、ムクッと体を起こした。

 階段を降りてきた皆口は「ヒッ!」と声を上げて立ち止った。

 しかし、起き上がろうとした甲殻人は、何者かに背中を踏みつけられ、胸の辺りを撃たれて動きを停めた。

 井上はヘルメットや防弾ベストなど、装備を完全装着して現れた。

 銃を甲殻人に向けたまま、その絶命を確認する。

「井上さーん。」

 ハグしに来た真由美を左手でいなすと、彼女の後ろから近づいて来た、もう一人の甲殻人に向かって発砲した。倒れる甲殻人を横目に、真由美たちをチラ見して、校舎から離れるよう合図した。

 真由美は驚いたようで、眼をパチクリとしていたが、綾子に引っ張られて下がった。

 非常階段の上の方を、なんだかもどかしそうに見ているのは、彼女も銃を撃ちまくる方に回りたかったから、かも知れない。

 階上からは、激しい銃撃の音が聞こえてくる。

 時折り雄叫びのようなものも聞こえて来て、皆口女史はその都度ビクビクしていた。

「もっと離れなさーい!」

 真由美たちは校舎から3mほど離れていたが、まだ足りないようで、グラウンドの中央あたりまで下がった。

 3階では小山たち機動隊員が、甲殻人相手に奮戦していた。

 甲殻人たちは小山隊長の放水攻撃が効いていたのか、かなり疲弊していたらしい。ミキサー室から、島崎たちが狙撃していた効果もあって、かなりの数を減らしていた。負傷した逢坂を雨宮に預け、銃弾を補填して攻勢に出たのだった。

 遅れて中央階段を昇ってきた黒い目のヤツが、小山に撃たれて、階段を転げ落ちる。

 津田が正面から来た甲殻人の両手を、シールドで受け止めて、心臓の辺りを拳銃で撃ちぬいた。

 島崎は体育館で罠に()められた意趣返しとばかりに、雄叫びを上げつつ銃を撃ちまくっていた。

 窓側から跳びかかってきた甲殻人を、楠木がシールドで跳ね飛ばした。

 ガッシャーンと音がして、窓ガラスをぶち破り、甲殻人がグラウンドに落ちてきた。

 さっきまで真由美たちのいた辺りに落ちた。

「あっぶなぁー…!」

 皆口女史がビックリしていた。

 井上が近づいて、まだ動いているのを確認すると、銃で胸の辺りを撃ちぬいた。

 皆がその様子を見て戦々恐々としていたのだが、井上が何かに気付いて叫んだ。

「神崎さん、後ろ!」

 いつの間にか、真由美のすぐ後ろに甲殻人がいた。大きく口を開いて、今にも真由美に噛みつこうとしていた。

 振り向いた真由美は、悲鳴を上げる前に何かに押されて、後ろ向きに倒れた。

(いた)っ!」

「早く、立って!」

 横に山崎が伏せていて、早く立ち上がるよう促した。

 どうやら山崎が押し倒してくれたので、噛みつかれずに済んだようだ。

 立ち上がって甲殻人から距離を取る。

 甲殻人は噛みつきに失敗して、前かがみになっていたが、ゆっくりと顔を上げて真由美たちの方を見る。

 わき腹と足に傷がある。昨日、病院を襲い、関巡査に撃たれた個体だった。ケガのせいか、動きが遅い。

 綾子と皆口女史は、井上の方に逃げていた。

「伏せて!」

 真由美と山崎が身をかがめると、井上は甲殻人に駆け寄りながら発砲、甲殻人は銃弾を数発喰らって倒れた。

 甲殻人が息絶えた事を確認した井上が「大丈夫?」と、真由美に声をかけた。

「大丈夫です。」と、答えた真由美だったが、横にいた山崎の腕を握るその手は、ひどく震えていて、かなり動揺していた。手を握られた山崎も、真由美がしおらしく見えたので、少しの間目が離せなかった。

 井上が離れて行くと、真由美も山崎の腕を離して「ありがとう。」と、小さい声で言った。

「真由美ぃ!」綾子が走ってきたので、真由美も駆け寄って抱きついていた。

 山崎は真由美に掴まれていた腕をさすって、余韻をかみしめているようだったが、皆口が見ているのに気が付くと腕を離し、ぶっきら棒な表情に戻した。

 ガッシャーンと音がしたのでそちらを見ると、3階の非常口から、甲殻人が何人か飛び出してきた。

 階段の途中に引っ掛かって、動かなくなっていた。

 どうやら死んだらしい。

 しばらくして銃声が止んだ。

 3階非常口から、小山隊長が顔を出して合図をしていた。

 何とか殲滅できたらしい。

 井上は銃を収めてヘルメットを外すと、真由美たちの前に歩いてきた。

 立ち止って深呼吸すると、どこから声を出しているのかと思うくらいの怒声を響かせた。

「何やってんですか、あなたたちは!死ぬかも知れなかったんですよ!」

 皆口は笑ってごまかそうとし、山崎は目線をあさっての方に向けた。

 綾子は迫力負けして青ざめている。

 真由美も恐くて泣きそうになったが、何とか堪えて井上を見た。

 伝えなければならない事があったからだ。

「ごめんなさい、心配だったんです。井上さんの事が…。」

 なんとか顔を前に向けて釈明するが、堪え切れず涙がこぼれてしまって、ぐずぐずになってしまった。

「私…、なんで?」

 井上は、自分の事が心配だったと言われて、拍子抜けしてしまった。

「蜂に…刺されてないか、心配だったんだってさ。」

 ぐずぐず泣いている真由美を見かねてか、山崎が珍しくフォローした。その後すぐに横を向いて、顔を赤くしていた。

 心当たりのない井上は、ますます訳がわからなくなった。

「私は見てなかったんだけど、不審者と階段で揉み合った時に、刺されたんじゃないかって言ってましたが…。」

 皆口は一応、年上ということもあって、知っている範囲で釈明する。

「あら、あなた…、」

 井上は皆口の顔を覚えていた。

 研究室から救出した直後に、リュウに捕らえられていた彼女だったからだ。

「井上さんが倒れていたところに…、蜂の死骸があって、調べてもらったら…人を刺した後だって…。」

 ぐずぐずだが、真由美の話でやっとわかった。

 白髪交じりの長髪男に飛びかかった後、少しの間、気を失っていたのを思い出した。

 両手と頭、首周り、太ももの裏側など手で触って、蜂に刺された跡らしいものが無いか確認する。

 念のため纏めた髪を持ち上げて、首の後ろを真由美に見せる。

 綺麗な首筋だった。

「どう?刺された跡はある?」

「あ、ありません。良かった、井上さん刺されてない。」

「よかったねぇ、真由美。」

「うん。」

 綾子と抱き合って喜ぶ。

「ということは、から騒ぎね?」

「へっ?!」井上の言葉にドキッとする。

 確かに危険を冒して、ここに来た意味が無くなってしまう。

「嘘よ、心配してくれてありがとね。」

 そう言って真由美の両肩に手を当てて、ニコッと笑った。

 でもすぐに厳しい表情になって続けた。

「でも、あなたたちを守るためにやっている事だからね、あなたたちは自分の身の安全を一番に考えないとダメよ、いいわね!」

「はい。」と言って、真由美は頬を拭った。

「井上くん、お説教は終わったかね?」

 小山隊長が非常階段から降りてきた。

「終わりました。今、行きます。」

 井上はヒラヒラと手を振って、走って行った。

 真由美と綾子も手を振っていた。

 皆口女史はなんだか引きつった笑いで、手を振っていた。

 井上は皆口女史を見て、クスッと笑っていたようだった。

 山崎も手を振るべきかと悩んでいたが、重大な事を思い出した。

「お、おい、蜂…、女王蜂!」

 感極まってしまって、うっかり忘れてしまうところだった。

「あわっ、隊長さん、井上さん、3階に、女王蜂が!」

 非常階段へ足を向けていた小山と井上が振り向いた。

「どの部屋だ?」

「私たちの教室です!」

 そう言って、2年3組の教室の場所を指さした。


「情報によると、女王蜂は卵を産み付けた者の上に、死体を積み上げるようです。」

「その報告書なら読んだ。火災現場から助け出された人が、あんな状況だったらしいな。」

「残念ながら、助けられなかったようですがね。」

 3組の教室の入り口で、小山と津田が“蜂の巣”と目される、死体の山を観察している。

 ここの学生だろうか、制服を着た4、5人の死体が積まれていた。

 ほかの隊員たちは、手分けして校舎内を確認して回っている。

 幸いなのかどうなのか、女王蜂はまだそこにいて、落ち着きなく死体の隙間を、出たり入ったりしていた。

「で、どうする?捕まえて上に渡すつもりか?」

「正直、嫌な利用方法しか思い浮かびませんから、どうしたものかと…。」

 小山は少し考えてから、ある提案をした。

「…よし、それじゃあ、死んでいた事にしよう。」

「…いいんですか?」

 幹部の指示に逆らうようなことを、サラッと言ってのける小山に、津田は驚いていた。

 よほど肝が据わっているからなのだろうか、それとも、なにかいい考えがあるのだろうか。

「殺してしまったでは、命令違反で将来に関わるし、逃げられたのでは面目がたたないうえに、蜂を探さなければならないし、新たな犠牲者も出るかも知れん。でも死んでいたのなら、誰の責任にもならん。」

 責任の回避だった。

「私もその案に賛成です。」

 井上が殺虫剤を持って来て、小山に手渡した。

 綾子が持って来た殺虫剤を、取りに行っていたのだ。

「“ゴキブリバタンQ”って、蜂用じゃないじゃないですか?」

「効果は実証済みだ。」

 小山が殺虫剤を持って、ゆっくり死体の山に近づいて行く。

 どこからか、別の蜂が小山の方へ飛んできた。

「隊長、上です!」

 井上が気付いて声を上げたので、殺虫剤を噴射してその蜂を落とした。

 女王蜂は危険を感知したように飛びあがり、天井に停まるかと思いきや、窓の外に飛び出した。

「しまった!」

 あわてて女王蜂に向けて殺虫剤を噴射するも、風のせいで霧散してしまって届かない。

「あーっ!」

 窓から身を乗り出す小山たちを、真由美たちも校庭から見ていた。

 青い空に、黒い蜂が飛んで行くのが分かる。

「失敗したみたいだな。」

 山崎がダメな大人を見るような感じでぼやいた。

「逃げられちゃう!」

 バサァっと羽音がしたようだった。

 校舎より上に飛び上がった女王蜂を、黒い大きな影がさらって行った。

「「ああーっ!」」

 真由美たちも、小山たちも驚嘆の声を上げた。

「なにアレ?」

「鷹よ。」

「タカ?」

 綾子の質問には、真由美が答えていた。

 そう、野生の鳥は、蜂を捕食するのだ。

 固いくちばしで咥えられてしまった以上、逃げられはしないだろう。

「言い訳を考える必要が、無くなりましたねぇ。」

「あの鳥を捕まえてこいとは、言わないでしょうからねぇ。」

 事件の完結を祝福するような、清々しい青い空に鷹が飛んでいた。

「文字通り“(とんび)油揚(あぶらげ)をさらわれた”わけだなぁ。」

 清々しくない小山のジョークに、津田が冷めた目を向けて答えた。

「うまいこと言ったつもりでしょうけど、小山さんの責任ですからね。」

 津田は自分の責任を転嫁できる、と思ったようだ。

「私は隊長のそういうところ、嫌いではありません。」

 井上の意見もなんとも曖昧なものだった。

「もう少し評価してくれても、いいんじゃないか?」

「「却下です。」」

 二人の声がハモっていた。

「…そうか、うん、よし、片付けるぞ。」

 小山隊長は少し考えた後、そう答えて後処理の手配を始めた。

 鷹は、学校の周りをしばらく飛んでいたが、やがて山の方へ飛んで行った。


「ハチクマっていう鷹の種類がいて、スズメバチを獲って食べるんだって。」

「鳥なのに、ハチクマ?」

「正確に言うと、スズメバチの巣を襲って、幼虫をヒナの餌にするんだって。」

「アレが、…甲殻人みたいになることは、ないのか?」

 山崎が興味津々な感じで聞いてきた。

「鷹が?甲殻人みたいに?」

 そう言うと、ちょっと意地悪な顔をして答える。

「あるかもねぇ。で、そのうち空の大怪獣みたいになって…、山崎くらいなら一口でバクっと!」両手をあげて、怪物が人を襲うようなポーズをとる。

 山崎は最初のうちは、感心して聞いていたが、途中でハタと気が付いた。

「神崎ぃ、嘘だなぁー!」

「当たり前じゃん!」

「嘘つくなら、もう少しうまくやれよ!」

「えーっ、信じてたでしょう?」

「し、信じてなんかいないー!」

 顔を真っ赤にして怒っている。

 真由美は、悪戯好きの子供みたいな顔で笑っていた。

「子供の喧嘩みたいだねぇ。」

 二人を笑って見ていた皆口に、綾子が尋ねてきた。

「でもほんとに、そういうことはないんですか?」

 本気で心配しているようだ。

 ちなみに鳥が蜂に刺されたりしないのは、羽が固くて針が通らないからだ。

「私たち人間も含めて、動物の消化液は結構強力なのよ。そんなところにむき出しの神経みたいなアレが入ったら、あっという間に消化されちゃうわ。」

 うまく伝わらなかったようで、綾子が頭の上に?を浮かべているような顔をしていた。

 別の説明をして見る。

「“踊り食い”って知ってるでしょ?食べた小魚に食べられちゃった人はいないよね?」

「あっ、そうですよね。」

 やっと、安心したみたいだった。


 皆口のタブレットのモニターから、赤いグラデーションが消えていた。

 電波干渉が無くなり、間違いなく女王蜂は絶命したようだ。

「携帯が使えるはずだから、確認してみて下さい!」

 津田隊長が真っ先に、対策本部へ連絡を入れた。

 救急車と応援の手配を頼んでいた。

 それ以降は、通話が混雑していたみたいで、普通に使えるようになるには、もう少し時間がかかるようだ。

 教室の積み上げられた死体の山からは、予想通り生存者が助け出された。

 学校の教師や生徒では無く、学校の関係者ではない、体格のいい男性だった。

 甲殻人に噛まれたらしく、意識が無かった。

 救急車が来たら、病院に搬送して検査してもらうらしい。

 メールが使えるようなので、真由美は父親と母親に連絡を入れた。

 関巡査と鈴村刑事に連絡を取りたかったが、電話番号を聞いていなかった。

 追いかけている男のうち、どちらかが蜂に刺されているかも知れないのだ。

 彼らがどうなろうが、自業自得だと思ったが、どこかで暴れられると迷惑この上ない。

 とりあえず二人には、情報として伝えておかなければならない。

 対策本部から別途連絡するだろうから、放っておいてもいいだろう。

 驚いたことに、綾子が関巡査とメルアドの交換をしていた。

「いつの間に!」

「別に、変な目的じゃないからね!」

 ツンデレみたいな返答が帰ってきた。

 対策本部からの連絡もだが、関巡査たちは電波干渉の原因である、もう一体の“女王蜂”をも、追っているわけだから、女王蜂が死んだりしない限り、携帯電話は使えないだろう。

 鈴村刑事の事だから、リュウを捕まえるか、逃げられるかするまで、つまりは結果が出るまで、連絡は入れて来ない事も考えられる。

「携帯が鳴っても、出ないんじゃないか?」

 山崎のもっともな意見に、真由美が苦笑いする。

「直接連絡が取れるのは、全部片付いてからだねぇ。」

 綾子のアプローチは、生暖かく見守ることにして、真由美たちは、病院へ送ってもらうことになった。

 なぜ病院かと言えば、警察からの自宅待機依頼の解除が、まだ発表されていないからである。

 事件の原因は排除されたものの、警察が事態の収拾を確認するまでは、解除されないのであった。

 彼女らはお昼を食べていないのだが、すぐに食べられそうなコンビニやファストフード店は、まだ開けていないのだ。その点、病院なら確実に食堂が開いている、メニューは限られているが…。

 しかし、問題が無いわけでもない。

「あー、お腹空いた。」

「そう言えば朝早かったのに、お昼まだだねぇ」

「さっきもそんな話してなかった?」

 既に午後2時に近い。

「ふん、腹の小さい連中だなぁ。」

 強がった山崎の腹の虫が、キュウと鳴った。お約束だ。

「お腹は正直だねぇ。」

 真由美は意地悪そうな顔をして、山崎の顔を覗きこんでいた。

 山崎は顔を真っ赤にして黙り込んだ。

「およ?」

 てっきり何か返して来るかと思ったが、無反応だったので意外だった。

「じゃあ、そのお腹を満たすためにも、近道を飛ばしますか。」

 病院へは皆口女史が送ってくれることになっていた。

「「「それはやめてぇー!」」」

 三人の声は、見事にユニゾンしたという。


続く

今回も長くなってしまいました。読み苦しい点がありましたら、ご容赦ください。

機動隊の分隊が5人編成というのは、ウィキペディアで得た情報ですが、女性が入っているものかどうかは知りません。リプリー(エイリアンシリーズ)みたいに、カッコいい女性隊員がいたらいいなと思って“井上さん”を創作しました。

作中に出てくる、“ゴキブリバタンQ”なる殺虫剤は完全な創作です。無いと思いますが、探したりしないでください。

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