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蟲《むし》  作者: もりよしあき
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第六話

昔々の特撮ドラマ「ウルトラQ」あたりをモチーフに話を考えています。あと、古い特撮映画とか「ゾンビ」などホラー映画も参考にしています。

設定のおかしいところがあるかも知れませんが、ご容赦下さい。

“大学編”の後半になります。

今回もアクションシーンが多いです。

(2021年3月29日一部修正しました。)

第六話

 大学の本館に逃げ込んだ不法入国者:リュウ・ユウチェンは、蜂の動きを警戒しつつ建物の裏手に回り、奥の図書館がある方へ進んだ。

 研究棟の横を通りがかった時に、窓から中を覗きこんだが、パソコンは起動しているものの、研究員たちの姿は見えない。

 代わりに、不気味な姿に変異した二人の人間が居て、奥にある頑丈そうな扉を爪で削っていた。

 蜂に襲われた人間のなれの果てだろうと、彼らの昆虫のような目を見て思った。

 調査に行った島で、蜂に刺された者たちと、同じようになっていたからだ。

 彼らも皮膚がはがれて、黒い外殻のようなものが見えていたのを、覚えていたからだった。

 窓に近い場所にいたので、ことのほか注意して通り抜けた。

 図書館の前まで来た時、物音に気付いて身を隠した。

 裏手から変異した者たちが現れ、学舎のほうへ向かって移動して行った。

 直後に黒い蜂の集団が、彼らを追って飛んで行った。

 彼らが来た方向に、女王蜂がいるはずだ。

 銃声が聞こえ始めた。

 どうやら先に来ていた警察の連中と、一戦始めたようだ。

 図書館の裏手には庭園があり、その一画に熱帯の植物が植えてある温室があった。

 扉は開けっぱなしだった。

 中に入ると、ひと際背の高い熱帯植物の根元に、男が寝かされていた。

 ここの警備員だろうか、かなり体格がいい。

 腕を噛まれたらしく、止血のためにタオルが巻かれているが、既に真っ赤になっていた。

 苦しそうに息をしているが、意識はない。

 周りには蜂の死骸と、蜂たちを入れていたらしい瓶が散乱していた。

 一匹の蜂が、男の体の上に陣取っている。

 周りに散らばっている蜂より少し大きい、見覚えがある、女王蜂だ。

 しきりに羽を動かしているが、うまく飛べないようで、少し飛んでは着地する、という動作を繰り返している。

 ここへ運ばれてくる段階で、何か問題があったのかも知れない。

 どういう事情でそうなったのかわからないが、飛べないのなら都合がいい。

 他の黒い蜂や、真っ黒になった者たちは出払っているらしく、周りにはいない。

 これからこの男に、卵を産みつけようとしていたのかも知れない。

 漂流していた船の中で、ケガをして動けなくなった船員に、女王蜂が卵を産み付けているのを見た。

 台風に遭遇し、揺れている船内での出来事だった。

 その後、雨風が激しくなって、船から落ちてしまったので、幻ではなかったかと思っていた。

 島で見たあの骨も、実は人間のモノだったのかもしれない。

 転がっていたガラス瓶を手に取ると、ゆっくりと女王蜂に近づいて行く。

 小さめの瓶だが、割れては居なかったし、蓋もちゃんと停まるようだ。

 女王蜂が着地したところにガラス瓶を被せた。

 そして飛びあがったのを見計らって、ガラス瓶をずらして蓋を閉めた。

 リュウは得意気に、瓶の中の女王蜂を見つめていた。


 井上を先頭に、隊長と鈴村が続いて本館へ入っていく。

 入口扉のガラスが割られていたので、リュウの存在を警戒しつつ建物内を捜索する。

 リュウは銃を持っていて、どこかに潜んでいるかも知れないのだが、学舎内にいた痕跡こそあれ、その姿は確認できない。

 今のところ、蜂や甲殻人の姿も見えない。

「あれで打ち止めだと、ありがたいがな。」

「そうですね。」

 通路の先頭を歩く井上が、止まるように合図をした。

 先ほどドローンで覗いた、研究室の前まで来た。

 そのドローンは中庭で、蜂にかじられた無残な姿を(さら)していた。

 開けっぱなしのドアから、姿勢を下げて侵入する。

 誰もいないと思われたが、奥の方で物音がしている。

「いました!」

 井上の報告に、隊長の顔が強張った。

 奥に頑丈そうな木の扉があって、それを開けるべく、爪でガリガリと削っている甲殻人がいた。

「中に誰かいるのか?」「救助対象かも知れません。」

 隊長と井上が話していると、不意にガタンっと物音がした。

 鈴村がコードに引っ掛かって、机の上にあった電気スタンドを落としてしまったのだ。

「…すんまへん。」

 申し訳なさそうに、隊長を見た。

 甲殻人たちは気がついたようで、こちらに向きを変えると、機敏な動作で近づいてきた。

「来るぞ!」

 隊長は甲殻人の方に向き直って、銃を構えた。

 甲殻人の外殻は意外と硬く、脇や手、足などの湾曲部に当たると、銃弾がいなされてしまう。

 甲殻人たちもそれがわかっているのか、銃を撃ったタイミングに合わせて、体の向きを斜めに変えて、直撃を避けているようだ。さっき相手にしていた連中よりも、動きがいい。

「なんちゅう、やっちゃ!」

 鈴村が今更ながら、彼らの狡猾(こうかつ)さに悪態をつく。

 おかげでたいしたダメージを与える事ができないまま、接近されてしまった。

 甲殻人は硬く尖った手先を、突き刺すように迫ってきた。井上は甲殻人の腕を、銃本体で防いだり、いなしたりしながら、後退していたが壁に突き当たってしまった。井上の顔を狙って突いてきた、甲殻人の右手を、体をずらしてかわした。その手は、壁に深く刺さっていた。次いで左手の突きを、銃を使っていなし、即座に銃を甲殻人の複眼に当てて引き金を引いた。ゼロ距離で頭部に4発の銃弾を喰らった甲殻人は、右手を壁に刺したまま、崩れ落ちた。

 井上が激闘を強いられている時、もう一人の甲殻人は隊長に襲いかかっていた。隊長は甲殻人の攻撃を、井上に背中を向けるようにかわした。これは乱戦になった時、流れ弾が味方の方に飛んで行かないように考えたものだ。しかし、鈴村はわかってなかったようで、反対側に避けてしまった。甲殻人に銃を向けたが、隊長と接近していたので撃てずにいた。隊長の向こうに井上隊員がいて、甲殻人と戦っているのが見えた。

 隊長も銃を撃つことができず、甲殻人の爪の攻撃を、両手で支える破目になった。力負けしそうになっていた時、甲殻人の頭部に折りたたみ椅子が直撃した。鈴村が近場にあった椅子で、甲殻人を殴りつけたのだ。膝をついた甲殻人の後頭部に隊長が銃を突き付け、止めを刺した。

「同士打ちにならんように、体制を組んどったのに、気がつかんですんませんでした。」

「いや、すぐに気付いて援護できたわけだから、上出来だ。」

「隊長は甘いです。」

 甲殻人を撃ち倒した井上が、弾倉を入れ替えながら戻ってきた。

「井上君、御苦労。」

「銃の腕はともかく、実戦でコードに足を引っ掛けるようなポカをする者を、見過ごすことはできません。」

「ならどうするね?」

「終業後に一ヶ月、柔剣道を中心とした修練が必要かと思います。」

「一ヶ月でっかぁ?」

「スパルタだねぇ。」

「とにかく落ち着きが足りません、事後報告で上申しておくべきかと…、」

「そうか、わかった。」

「いや、わからんといて下さい、一ヶ月はちょっと…。」

 鈴村があせって隊長に抗議するが、井上が割り込んできて、胸ぐらを掴まれる。

「わかりましたか?」

 井上の目が座っていた。例えるなら山の中で、熊のような肉食獣と遭遇してしまった、そんな恐怖感であろうか。実際にそんな経験はないのだが、『アカン、喰われる。』そんな感覚に襲われたという。

「わ、わかりました…。」

 他に選択肢が見つからなかった。

「よろしい。」

 ニコッと笑って手を離すと、隊長について倉庫へと向かう。

 甲殻人の相手をするより、消耗した気がする。

 なるべく逆らわんようにしようと、心に誓う鈴村だった。


 研究室の倉庫のドアが開けられると、中に居た者たちは一様に安堵の表情を見せた。この部屋は貴重な資料などが収められており、盗難防止のため頑丈な扉を設けてあるが、他に出入り口は無く、明かり取りの小窓があるだけだった。

「ありがとう、助かりました。」

 年長と思われる猫背の男が、出て来て礼を言った。

 この人が神崎教授なのだろうと、すぐにわかった。

「無事でよかったです。」

 隊長はあいさつ代わりに握手をした。

 襲撃は明け方にあったようで、甲殻人に気づいた警備員が報告してきたという。

 仮眠していた者もたたき起して、鍵のかかる倉庫に逃げ込んだ。

「その後、警備の人の姿が見えないんですが…。」

 甲殻人が侵入してきたので、研究員たちだけで倉庫に逃げ込んだという。

 しかし、生きている蜂のサンプルも持ち込んでいたので、ずっとマークされていたらしい。

 研究員たちはわらわらと出て来て、各人の机に戻り片づけを始めた。

 そして甲殻人の死体を見て、どよめいていた。

 何人かは室外へ出ようとしていた。

 長い時間閉じ込められていたので、トイレに行こうとしたようだ。

「銃を持った不審者がいます!部屋を出るのは少し待ちなさい。」

 井上が強い口調で警告すると、ほとんどの者が部屋を出たところで引き返した。

 だが、一人だけ(こら)え切れなかったのか、駆けだして行ってしまった。

 井上が研究室を出ると、トイレの方から短い悲鳴が聞こえた。

 トイレに行く通路を曲がったところで、女性研究員がリュウに捕まえられていた。左腕を首に回し、こめかみに銃を押しつけている。

 研究員は絞められている首がきついのか、真っ赤になって顔を引き()らせていた。

 リュウは井上を見て舌打ちすると、彼女を抱えたまま近づいてきた。

「彼女を話しなさい、撃ちますよ!」

 井上隊員は銃を構えたが、リュウは止まらない。

 むしろ、撃てるものなら撃ってみろ、と言いたげに前に出てくる。

 しかたなしに一歩、二歩と後方へ下がった。

 研究室から顔を出して、覗いていた者がいたので、手で合図して中へ入らせた。

 扉のすぐ前まで来ると、動きを停めた。

 あらためて銃を研究員に押しつけると、「蜂のサンプルを渡せ。」と言った。

「渡したら、彼女を放してくれるのか?」

「勘違いするな、アレは俺のものだ。」

 隊長が出て来て交渉を始めたが、リュウは彼女を解放する気はないようだ。

 ヘタをするとこのまま、人質として連れて行かれてしまうかも知れない。

 井上が隊長に目配せして、隊長が小さく肯いた。

 神崎教授が、サンプルの入ったケースを隊長に手渡す。

 平べったい透明な樹脂製のケースの中に、5、6匹の蜂が入っており、ごそごそと動いていた。

「床に置け。」

 隊長が一歩前に出てケースを床に置くと、リュウが中に顎で指示をする。

「ケースを取れ。」

 研究員を抱えたまま体をかがめて、研究員にケースを掴ませると、後ろ向きに廊下を下がって行く。

 井上は距離を取ったまま、ゆっくり追いかける。

 銃は構えたままだ。

 本館入り口前まで来たところで、裏から回り込んでいた鈴村が、建物の影で待ち構えていたが、リュウは気付いていたようで、飛びかかる寸前に銃を向けられた。

 機会を逸してしまった鈴村が、悔しそうにしていると、リュウの後方からスプレー缶らしきものが飛んできた。

 鈴村の表情に気付いて、振り返ったリュウのこめかみに、殺虫剤のスプレー缶が当たった。

 そのはずみで体制を崩したリュウが手を緩めた隙に、抱えられていた女子研究員が、手をほどいて抜け出した。

 女性研究員に発砲しようとしたリュウに、鈴村が飛びかかる。

 バンっという音がして弾が発射されたが、地面を撃ったようだ。

 銃を払い落し、そのまま腕を取ってリュウを地面に押さえつける。

「観念しいや!」

 リュウが悔しそうに歯噛みする。

「やりましたね、鈴村さん。」

 いつの間にか真由美たちが、北館の方から駆け寄って来ていた。

 いちばん前を走って来た直哉は、片手に殺虫剤のスプレー缶を持っていた。

 リュウの後頭部に、スプレー缶を投げつけたのも直哉だった。

「来たらあかん!離れときぃ!」

 鈴村の警告に足を止めた直哉を、警備室の陰から出てきた男が殴り飛ばした。

 中庭をゴロゴロと転がって、仰向けに倒れた。

 直哉を助けようして飛び出してきた千佳の腕を、その男が掴んで締め上げる。

「きゃっ!」

 千佳が苦しそうに悲鳴を上げる。

「そいつを放してもらおうか?」

 千佳の首にナイフを突き付けて、鈴村を睨む。

 白髪交じりの長髪を後ろで縛った、痩せぎすの男だ。

 どうやらリュウの仲間らしい。

 千佳は顔面蒼白という感じで、卒倒するんじゃないかと思われたが、気丈に堪えていた。

「そっちも動くなよ、この嬢ちゃんが死んでも知らんぞ。」

 視界の端に真由美たちを確認して、釘を刺した。

 真由美もスプレー缶を持ったまま、奥歯をかみしめている。

 おそらくぶつけてやろうとか、考えていたのだろう。

 その後ろに関巡査がいたが、どうすることもできずズボンの後ろに銃を隠すと、真由美をかばうように、彼女の肩を引いて自分の影に隠した。

 綾子と山崎は通路の影から、顔を半分だけ出して、様子を見ていた。

 鈴村が歯嚙みしてリュウの手を放すと、リュウは立ち上がり服に付いた砂を払う。

 顔を上げると素早い動作で、鈴村を殴りつけた。

 鈴村は2、3歩下がったが、倒れなかった。

 唇を切ったようで、口を拭うとペッと血のつばを吐いてリュウを睨む。

 再び人質を取られてしまった。

 井上も遅れて来た隊長も、動けなかった。

 直哉は気を失ったらしく、倒れたまま動かなかった。

 千佳は声こそ出ないが、心配そうに直哉を見ていた。

「遅いぞ。」

「すまんなぁ、この辺は不案内なもんでなぁ。」

 この協力者の男も、地元の人間ではないようだ。

「車は?」

「ああ、大丈夫だ。」

 リュウは銃を拾うと、次にサンプルのケースを拾おうとして、ケースの蓋が開いていることに気付いた。

 あわてて拾って、蓋を閉めた。

 中に蜂が何匹か入っているから、逃げてはいないだろうと思った。

 上着のポケットの中にある、何かを確認していたのを、真由美は見逃さなかった。

 リュウと仲間の男が、千佳を抱えたままでロータリーの方へ移動して行く。

「蜂だ!」

 真由美が、二人の男の周りを飛ぶ蜂を見つけた。

 リュウが警戒して周りをキョロキョロしながら、階段を降り始めた。

 長髪の男は蜂の事を知らないのか、挙動不審な動きをするリュウに「どうした?」と声をかけるが、返事がない。

 千佳を抱えたまま後ずさりしていたので、足元がお留守になっていた。

「うあっ!」

 転がっていたスプレー缶に乗ってしまい、後ろ向きにひっくり返り頭を打った。

 直哉がリュウに投げつけたものだった。

 千佳も一緒にひっくり返ったが、男の体がクッションになりダメージはなかった。

 ナイフが喉元にあったので怖かったのだが、腕が緩んだことに気付くと、ナイフを持つ腕を押し退けて抜け出した。

 起き上がった男が、千佳を捕まえようと手を伸ばしたが、近くまで来ていた井上が飛びかかり、弾みで二人とも、ロータリーの階段を転げ落ちた。

 真由美と鈴村が階段の上から見下ろすと、二人の男が走って逃げていくところだった。

 ロータリーの外に、大型の四輪駆動車があって、階段下には井上が倒れていた。

 ナイフが階段の途中に落ちていたが、井上に怪我はないようだ。

 鈴村が駆け寄って、息があるのを確認する。

 後から階段を降りてきた真由美に、「後、頼むでぇ。」と言い放って、彼らを追うべく自前の車の方へ走って行く。

「一人にしとけないからね。」と言って関巡査もそれに続く。

「待って下さい、俺も行きますから!」

「なんや()んのかいな、早よ乗らんか、逃げられてまうやないか!」

 新喜劇みたいな掛け合いをしながら、大型の四駆を追いかけて行った。

「うぅ~ん。」

「大丈夫ですか?」

 井上が気が付いたようなので、真由美はしゃがみ込んで声をかけた。

「井上君、大丈夫か?!」

 階段の上から隊長が声をかけた時には、井上に押さえこまれた真由美が、空いている手で地面を叩いて「ギブ、ギブです、ギブ!」と、(うめ)いていた。

 井上は状況がつかめていない様子で、真由美の腕を固めたまま、周りをキョロキョロしており、なかなか放してくれなかった。


 真由美が、井上の押さえこみから解放されて階段を上がると、意識を取り戻した直哉が、千佳にしがみつかれているところだった。

「なお君、良かった、なお君、わぁ~。」

「えっ、千佳ねぇ、なに?どうなったの?」

 自らも不審者に捕まり、恐い目にあったせいもあるのか、千佳は子供のように泣きじゃくっていた。

 一方の直哉は、殴られて気を失っていたため、その後の展開を知らないから、この反応は無理もない。

 まあ、せっかくだから、しばらく放っておいてあげようと、綾子に目配せして父のいる研究室の方に向かった。

「肩、大丈夫?」

 井上に関節技をきめられて、半泣きになっていた真由美を綾子が気遣う。

「自分の丈夫さが、恨めしくなるくらいには…。」

 真由美は肩を回して、丈夫さをアピールしようとしたが、ピッキーンっと音がしそうなくらい痛かったので、腕を押さえてうずくまった。さすがにその道のプロの技は、侮りがたいものがあった。

「バカな奴だなぁ。」とぼやきながら、山崎がついてきた。

 研究棟から出てきた父を見つけた真由美は、駆け寄って抱きついた。

 研究員の人たちが一緒だったが、周りの目とかは気にしていないようだ。

「お父さん、また着替えてないでしょ!汗臭いよ。」

「いやぁ、昨日も忙しくてねぇ。」

 言い訳をしながら頭の後ろを掻いている父に、もう一度抱きつく。

「真由美…。」

 その父も愛しげに、娘の頭を撫でていた。

教授ー(せんせー)、小山さんが確認して欲しい事があるそうですぅ。」

 図書館の方から、研究員の人が大きな声で呼んでいる。

 小山さんとは、調査隊の隊長のことである。

「わかったーっ!」

 父は娘の肩を押してヒョイと引き離すと、すたすたと図書館へと足を向ける。

「お父さん、クールだねえ。」と、綾子が声をかけてきた。

 父は仕事を優先したようだが、「お父さん、ツンデレだから。」と、言い訳する。

「少しは自重しろよ。」

 山崎がぼやいていた。なぜか顔が赤い。

 真由美はここへきて、泣きべそを掻いていたようで、手で目元を擦ってから振り返った。

「ごめんね、私ばっかり、綾ちゃんも早く帰りたいよね。」

「私のところは、家に誰もいないからね。事態が収まらないとダメね。」

 綾子は真由美の様子を見ていて、ほっこりしていたようで、にこやかに答えた。

 残念ながら、この騒ぎはまだ収まっていないのだ。

 かなりの数の蜂と甲殻人を退治したので、携帯電話の状況を確認してみたが、まだ復旧していなかった。

 スマホのアンテナ表示はしっかり立っているのだが、通信は混雑状態だとガイダンスが流れた。

 復帰したところに、使用者が一度に通話を始めたので、基地局が対処できなくなっただけかも知れない。

 しかし、まだどこかに蜂がいるかも知れないので、再び電源を切った。

「全然、変わってない…。」

「実はこの町以外、全部…蜂に浸食されているとか…。」

 山崎が不吉な事を言いだした。

「そんな、バッドエンドは嫌だわ。」

「病院でテレビが見れたから、そんなことはないわよ。」

 綾子は今朝、病院でテレビを見ていた時、未知の感染症が発生して、一部の地域が封鎖されている、というニュースを見たそうだ。

「まだどこかに、蜂の巣があるってことかな?」

「さっきの男が蜂を連れて行ったなら、もう終わりじゃないのか?」

 声のする方を見ると、手当てが終わった直哉が千佳と二人、近寄って来ていた。

 手当てとは言っても、腫れた頬に薬を塗って、ガーゼを貼ってもらっただけだ。

 千佳はまぶたを腫らして、直哉の腕を両手でつかんでいたが、大丈夫そうだ。

「痛そうだねぇ、大丈夫?」

「スタントをやっているとは、思えないブッ飛ばされぶりだったぞ。」

 山崎がここぞとばかりに、皮肉を言っている。

「まさか助っ人がいるとは思わなくて…。」

 油断していたから、すごくいい一発を貰ってしまったとのこと。

 殴られた後のことは、記憶にないらしい。

 ちなみに、スタントをやっているからと言って、不意打ちをうまく受けられるかと言えば、決してそんなことはないと思う。

 直哉の腫れている顔を気にして、綾子が声をかけた。

「あのぅ、一度診てもらっておいた方が、いいですよ。」

「…ケガをしてる人達と一緒に、病院に連れて行ってもらおうと思ってるの。」

 大学の人が病院に連絡を取ったそうで、救急車が来ることを千佳が聞いてきていた。あれだけ派手に吹っ飛ばされたので、さすがに心配らしい。

 関巡査と鈴村刑事はリュウを追って行ってしまったから、病院に送ってくれる人を探すより、救急車の到着を待つ方が早いようだ。

 直哉の腫れた顔を見て千佳が「…ちゃんと捕まるといいわねぇ。」とため息交じりにぼやいた。自分たちをひどい目に合わせた者たちだから、是非とも罰が下って欲しいものだと思ったようだ。

 一方、殴られっぱなしで、千佳にひどい事をした連中に、一発も返せなかった直哉としては、気の晴れないところであったが、「ああいう危険人物と関わって、殴られただけで済んだのは、幸運だったかもしれない。」と、隊長さんから聞いていたそうで、「鈴村さんと関さんが追いかけて行ったんなら、大丈夫でしょ。僕らも無事だし。」

 そう言って、ニコッと笑うが頬が腫れているので、ちょっと痛そうな顔をしていた。

「…捕まるといいけどなぁ。」

 山崎がまた、空気を読まない発言をして、真由美に睨まれていた。

 もともと鈴村は、リュウを捕まえるために来たのだから、本来の仕事に戻ったわけである。

「なんで関さんも付いて行ったの?」

 千佳はこの時、直哉のことでいっぱいいっぱいだったので、ほかのことは見ていなかったようだ。

「一人にしておけない、って言っていたような…。」

 知らない間に親近感が湧いたのかも知れないし、普通に心配だっただけかも知れない。

「放っとくと何するかわからないから、心配だったんじゃないかな?」

 真由美がそう言って笑うと、みんなが胡乱な目で真由美を見て口籠った。

「あれ?」

「…神崎がそれを言うか?」

 最初に口を開いたのは山崎だった。

「そうね、もっと慎重に行動した方がいいわ、女の子なんだから。」

 千佳が先輩らしく、危なっかしい真由美の行動を批判する。

 横で直哉と綾子がうんうんと、うなずいている。

「えぇ、私ってそんなですかぁ?!」

 今まで自覚がなかったわけではないが、好奇心を優先してきた結果なのかも知れない。

「で、でも…、」“今までうまくいっていたからいいじゃない”と反論しようとしたところに呼出しがかかった。

「神崎さぁん、神崎真由美さぁん、いませんかぁ?」

 図書館の方から、真由美の名前を呼ぶ声が聞こえた。

 真由美の名前を呼びながら、こちらに駆けてくる女性がいた。

「はぁい、私です。」

 手を上げて答える。

 またなんかやっちゃったんじゃないかと、ほかのみんなは考えていた。

「教授が、お父さんが来て欲しいって!」


 図書館裏の庭園に、ガラスで囲われた温室があった。

 中には熱帯の植物が植えられており、ムワッとする暑い空気が淀んでいた。

 大学へは何度も来ているが、この温室に入るのは初めてだった。

 背の高い熱帯植物の前で、父と隊長さんが待っていた。

 今は運び出されてここにいないが、警備員の人が意識不明で寝かされていたらしい。

「ここに散らばっているのは、真由美たちが病院で捕まえたもので間違いないか、確認したいんだが、どうだろう?」

 気持ちが悪くて潰したりしなかったので、原形をとどめた蜂の死骸がそこかしこに散らばっていた。

 遺体から引きずり出したモノもあるので、血が付いていて、なかなか生々しい。

『あの時、潰しておけばなぁ…。』とか思いつつ、真由美は周りを見回した。

「数を確認した方がいいか?」

 直哉が手伝いを申し出てくれたが、もともとの数を覚えていないからと断って、代わりに別の頼みをした。

 100体近くあった個体を全部は覚えていないが、明らかにここに無いものがある。5個あった容器の一つは、サンプルとして病院に置いてきたので、ここには4個の容器を持ってきてもらったはずだった。それが3個しかないのと、女王蜂ではないかと目星をつけた、2体の内の1体だ。

 それは他の働きバチよりひと回りくらい大きく、一見してそれとわかるものであった。

 宿主(しゅくしゅ)の体(女王蜂の場合は眼球)から出て来た時の光景は、当分の間忘れられそうにない。その時の光景を思い出して、気分が悪くなったので、頭を振って気持ちを落ち着ける。

 その女王蜂の死骸がここには1体しか無く、もう1体が見当たらない。

 潰されていたり、他の場所に落ちていたりしないかと、直哉たちにも手伝ってもらって探して見たが、やはり無い。

「あの男が捕まえて、持って行ったのかも…。」

 そういえば協力者が来た時、リュウがポケットを確認していたのを思い出した。

「やはり警備員の人は、女王蜂に卵を産みつけさせるために、ここに運び込まれたわけだね。」

「生きていたのは女王蜂で、リュウが捕獲して持ち去ったということですか。」

 真由美と父がうなづくと、小山隊長は報告の為に出て行った。

「あの蜂は、全部死んでたんじゃなかったの?」

 綾子が小声で聞いてきた。

「女王蜂の片方が、仮死状態だったみたい…。」

「それで小山さん達が、襲われたの?」

「なんだ、神崎のミスじゃないか。」

 そう言われて、思わず頭に血が上る。

「未知の生き物相手だから、わからなかったのよぉ!」

 山崎のひと言に、真由美が憤懣(ふんまん)の矛先を向ける。

 足をジタバタさせて、頭から蒸気を吹き出しそうな勢いである。

「そんなよく知らない生き物相手に、よく頑張ったね。」

 父のやさしい言葉に、思わず体内の圧力が下がる。

 シューっという感じで、ガスが抜けていくようだった。

 ヨタヨタする足並みで、父親の方へ歩み寄って行く。

教授(せんせぇ)、ちょっと見ていただきたいものがあるんですが!」

 研究員の女性がタブレットを持って来たので、父はプイッと後ろを向いて、そっちの方へ行ってしまった。

「あ…。」置いてきぼりを喰らったようだ。

「…お父さん、クールだねぇ。」

 さっきも聞いたようなセリフを、今度は千佳が言っていた。

「…お父さん、ツンデレなんです…。」一応弁明しておいた。


「この画面を見て欲しいんですが…。」

 神崎教授は、研究員の皆口恭子が差し出した、タブレットのモニター画面を見た。

 そこにはこの付近一帯の地図らしい図形が表示されており、その上に等圧線のようなグラデーションが乗っている。

「これは…、どういうものかね?」

「えーっと、簡単に言うと女王蜂の電波の影響範囲を現わしたものです。」

「え?」

「昨日、(おっしゃ)ってましたよねぇ、女王蜂の発信する電波が分かれば、巣の位置が特定できるんじゃないかって。」

「ああ、言ったけど…。」

「さっき女王蜂の電波の特定ができたので、シュミレーターに組み込んで見たんです。」

「わかったの?」

「わかったんです!」

 そういえば蜂たちが電波を発信している事を、発見したのも皆口であった。

 彼女は某ラジオ番組のヘビーリスナーで、研究室にいつもラジオを持ち込んでいるのだが、蜂が研究室に持ち込まれた際、ノイズが激しくなったので不審に思ったという。

「じつは数日前から、ラジオに妙なノイズが入るようになったので、気にしていたんです。」

 市内の幾つかのポイントに中継器を設置して、調べていたらしい。

「中継器?」

「事後報告ですみません、備品を勝手に使いました。後で戻して置くつもりだったんです。」

 ここで言う中継器というのは、無線などの届きにくいところと通信するための、いわば増幅器(ブースター)である。

 連携してポーリング機能を使うと、電波の帰って来る時間で距離を測ることもできる。その機能を利用して、範囲限定のレーダーシステムを組み上げたらしい。

 FM放送で使っている低い周波数であれば、比較的影響が少なかったので、それを基準にシュミレーションしてみたという。

「市内にある電波塔なども借用して、ポーリングを実施、繋がらない範囲を表示しました。」

「それ、勝手に借用して良かったの?」

 ブースターの設置は、二週間ほど前からこっそり行っていたものらしい。

「それ、プライベートな目的で、設置したんだよねぇ?」

 それがたまたま今回、蜂の活動状況を確認するためのツールになったようだ。

 返事をする代わりに、ニコッと笑って、初期の設定で地図をモニターに表示した。

 どうやらその辺は、否定するつもりがないらしい。

 受信状況の悪い区域には、赤いグラデーションがかかるようだ。

 その区域内に、女王蜂がいる確率が高いということだ。

「1時間ごとにポーリングを行って、受信状況を記録、地図上に表示できるようにしました。」

 1時間前の画面が表示される。

 影響範囲が広く、画面の8割がたが赤いグラデーションで染まっている。

 蜂同士の交信が激しい時には、うまく測定できないらしい。

 当然こんな画面では、女王蜂の居場所はつかめない。

「女王蜂が、ヒステリーを起こしているような感じなんです。」

「…すまない、言ってる意味がよくわからない。」

 時々、電波の強弱が頻繁になり、範囲を絞りこめなくなるらしい。

「で、これが今の状況です。」

 近場の蜂がいなくなったことで、測定環境が良くなり、想定通りの動作ができるようになったという。

「表示が2か所になったねぇ。」

 ここより北方向と、西方向に赤くグラデーションされた部分がある。

 でもまだ広過ぎる。

「さらに、先ほどまでこの付近一帯を覆っていた、電波の周波数を入力します。」

 ソレは、女王蜂の発していた電波らしい。

 画面上に二つの赤い丸が出現し、点滅している。

 地図の端で小さく点滅している方を指して、彼女は言った。

「こっちのは、クソ野郎……、失礼しました、逃亡中の不審者男の位置だと思われます。」

 教授は少し引いた。

 普段から言葉づかいは悪いが、あからさまに人の悪口を、言うような娘さんでは無かったからだ。

 どうやら彼女は、不審者の男に只ならぬ執着があるらしい。

 そう言えば少し前、彼女が不審者に捕まって、銃を突きつけられていたのを思い出した。

「怖い思いをしたんだから、無理ないよ。…うん、お疲れ様。」

 気を取り直して、苦労をねぎらった。

「いや、まぁ…、それだけでは、ないんですが…。」

 顔を赤くして、口ごもった。

 態度がおかしいので気にはなったが、彼女の功績は評価しなければならない。

 機材を勝手に使ったことも、“なにか得体の知れない事象が起きている”ことを予見して、早めに調査を始めたのだ、とすれば言い訳も立つ。

 軽く咳払いしてから返答した。

「うっ、うん、するとこの赤い点の場所に、もう一匹女王蜂がいるかも知れない、ってことでいいんだね。」

「はっ、はい、そうです!」

 彼女は元気よく答えたが、教授は少し困った顔をした。

 その赤い点が示す場所は、真由美たちの高校であったからだ。


「わかりました、では。」

 対策本部と電話連絡を取っていた小山隊長は、報告を終えて受話器を置いた。

 真由美たちの高校へ、向かうことになったようだ。

 既に別班が現地に向かっているが、未だ現着の連絡が無いとのことだった。

 現状の確認が目的なので、目標の高校には女王蜂と、それを守る甲殻人が多数いるという事も知らないようだ。既に戦闘状態に入っているかも知れない。

「任務は情報の通達と助言、場合によっては支援ということですね。」

 井上さんは任務の内容を確認すると、車に乗り込んだ。

 小山隊長は足を怪我していたのだが、「血は止まったので大丈夫だ。」と言っていた。

「では、教授、中村達をよろしくお願いします。」

「小山さんも、お気をつけて。」

「真由美さん、あまりお父さんを困らせてはダメよ。」

「あ、はい、気をつけます。」

 慌ただしく隊長さんたちは出て行った。

 見送りで教授と真由美、綾子の3人がロータリーまで来ていた。

 学校内の説明と、昨日の騒動について補足を頼まれたのだった。

 真由美父は「手伝いはいいけど、作業の邪魔をしてはだめだよ。」と告げて、研究室に戻って行った。

「井上さんに、気に入られたみたいだね。」

「釘を刺されたんだよぉ。」

 綾子はにこやかに笑っていたが、真由美は苦笑いだ。

 もうすぐ救急車が来るので、他のみんなは研究員の人達と一緒に、けが人の移動や、散らかった施設の後片付けを手伝っていた。真由美たちも参加するつもりだ。

「そういえば、あの時の蜂はどうなったのかなぁ?」

 階段を昇ったところで、立ち止まる。

「蜂?…いつのこと?」

 千佳が捕まっていた時、リュウと協力者の男の周りを飛んでいた、黒い蜂を見たのだ。

 あの後、井上と協力者の男が階段落ちしたので、わからなくなっていた。

「群れから(はぐ)れたら、死んじゃうんじゃないの?」

「そうだといいんだけど…。」

 群れから、逸れてしまった働きバチは、基本的には死んでしまうらしい。単体では生きていくことができないらしく、よしんば別の巣を見つけても、仲間に入れてもらえないという。

 もとよりあの蜂が、どの女王蜂に仕えていたのかは確認しようがない。

 自分の女王が死んでしまった場合、ほかの巣の女王蜂を助けたりするのだろうか?でも独特の進化をして、電波で連絡を取り合うような生き物なら、考えられなくもない。そうだとしたら、女王蜂を追いかけるはずだが、自動車を追いかけていけるほど速くは飛べないはずだ。遠からず死んでしまうのだろう。

 病院から逃げ出した人達は、北の方へ向かったと、病院で見た警察の報告書には書かれていた。その人たちは、どこかで死んでいるかも知れないが、集団で移動している以上、目的地があるのかも知れない。

 報告書には山間部へ向かったのではないか、との推測が書かれていた。

 確かに病院から北の方向に山はあるが、手前に真由美たちの高校もあった。

「まさか、学校の方に行ってないよねぇ…。」

 不安感を拭えないまま、蜂が飛んで行ったであろう方向を見つめる。

 気が付けば、陽が高く昇っていた。

 朝が早かったからなのか、落ち着いたからなのか、急に空腹感が押し寄せてきて、腹の虫がキューと鳴いた。

「おや、まあ。」綾子が小さく笑う。

「お腹すいたなぁ。」

「もうすぐお昼だからねぇ。」

「非常食の乾パン、持ってくればよかった。」

 せっかく学校から持ち出したのに、病院に置いて来てしまったのだった。

「なにか、持ってない?」

「無いわよ、ほら。」

 綾子がスカートの、ポケットの内側を引っ張って見せる。と、彼女の家の鍵がポロっと落ちた。鈴が付いていたので、コロコロと音が鳴って、階段の下まで転がった

 慌てて拾いに降りる綾子の、鍵を拾おうとして伸ばした手が止まる。ちょっと気味悪そうな顔をしている。

「どうしたの?」

「蜂の死骸って、集めていたかなぁ?」

 そこには黒い蜂の死骸が落ちていた。


 原形を保ったまま死んでいる個体は、真由美たちが病院で捕らえたモノだけだった。北棟の教室で、殺虫剤で退治した個体は、全部踏みつぶしていたからだ。

 直哉も鈴村さんを助けた時に、蜂を踏みつぶしたと言っていた。

「殺虫剤をかけられた蜂が、ここまで来て力尽きたんじゃないの?」

「綾ちゃん、殺虫剤の臭いがしないの、ほら。」

 シャーレに入れられた蜂の死骸を、綾子の顔に近づけるが、綾子は眉をしかめて顔を反らした。

「ごめん、真由美、やめて。」

 なんだか虐めているような気がして、慌ててシャーレを引っ込める。

「あ、ごめん。」

「相変わらず、人の迷惑を考えないヤツだ。」

 なぜか山崎も一緒だ。

 ここは父の研究室、ロータリーの階段で見つけた蜂の死骸を、見てもらおうと思ったのだが、ちょうど救急車が来たので、父はそっちに行ってしまった。

 千佳と直哉は、病院に同行させてもらうために交渉中だった。

 救急車は4台来ているが、次いで何台か来ることになっている。

 けが人を優先にして、銃撃で死んでしまった甲殻人化した人たちも、順番に移送するとのことだった。大学の研究員の皆さんが手伝っているが、真由美たちには今、手伝えることが無い。

「じゃあ、山崎、見てみて。」

 山崎の前にシャーレを差し出す。

 山崎はビビったのか、少し後ずさりしたが、思い直して顔を近づけ、臭いを嗅いでいる。

 猫が、初対面の人の手の匂いを嗅ぐ仕草に似ていた。

「ごめん、わからん。」

 さっきの殺虫剤の臭いが鼻についていて、判断できないらしい。

「良かったら、ぼくが見てあげよう。」

 ニコッと笑って手を差し伸べてくれたのは、“イケメン”杉田研究員だった。

「救急車の方、手伝わなくていいんですか?」

「いやぁ、その、血とか死体とか苦手でね。」

 手伝えないので、蜂の死骸の回収とかやっていたらしい。

「リア充台無しだな。」

 山崎が皮肉を言っていた。

「いやぁ、面目ない。」

 臆面もなくサラッと返されたので、山崎がタジタジとなっていた。

「この蜂が針を刺した後かどうか、わかればいいのかな?」

「誰かを刺した後なら、刺された人が居るかも知れないですから。」

 ピンセットで、蜂の腹部を確認している杉田。その手元を、じっくりと見ている真由美と山崎。

 綾子だけは少し距離を置いていた。

「血とかダメなのに、虫の解剖は平気なの?」

 杉田はしばらくの間、拡大鏡で蜂の腹部を観察していたが、拡大鏡を覗き込んだまま、結果を報告した。

「これはどうやら、人を刺した後みたいだな、線虫みたいな部位がない。」

「誰か、刺されてるってことか?」

「刺されていても早めに処置すれば、怪物化しないで済むんですよね。」

「小さく脆い生き物だし、本体を傷つけないように取り出すのは難しいよ。ちゃんとした設備が整った病院で処置しないと、たぶんダメだね。」

 綾子と山崎が露出している腕や、首周りを確認している。

 綾子がシャツの襟をずらして、内側を確認していたのを、山崎や杉田が見ていたので、あわてて戻した。

「大丈夫だよ、綾ちゃん。刺されてなんかないよ、山崎も。」

 刺されれば痛みを感じるはずだし、刺されたところには特長のある、二つの赤い(あと)が残っているはずなのだが、二人にはそれが無い。

 むしろ、何かをしていたために、刺されたことに気付いていないのではないか、と思えるのだ。

「井上さんかも知れない…。」

 リュウの協力者の男と、もみ合って階段落ちした後、彼女は蜂の死骸のあったあたりで昏倒していた。

 意識の無い間なら、蜂に刺されたことに気付かないと思われる。

「手に負えないくらい強力な、甲殻人になっちゃうかも!」

「おおっ!」感嘆の声を上げたのは山崎だ。

「いや、綾ちゃんそれは無いから!」

「えっ、そうなの?」

 なぜか山崎も、がっかりしていた。

 もともと別の生物である以上、寄生している蜂には、人の体を動かすだけでも大変な負担がかかるはずのだ。もちろん、それ自体は相当すごいことなのだ。しかも、時間の経過により慣れてくるはずなので、完全に甲殻人化すれば、人並みに動けたと考えられる。最初に病院で見た二人の甲殻人は、人並み以上に動いていたから、寄生してからかなり時間が経っていると思われる。

 しかし、個人の能力を活かせるかというと、組み合った時の筋力ぐらいではないか、反射神経を活かせるほどにはならないだろう、という話を父から聞いていた。

「もしも、綾ちゃんが突然、蜂になったとしたら、六本ある手足、それから羽を自由に動かせると思う?」

「蜂…?いやよ、蜂なんて!」綾子は凄く嫌な顔をした。

「いや、だから、もしもの話だって、イモムシよりは増しでしょ」

 綾子は少しの間、ちょっと気持ち悪そうな顔になって考えていた。

「…あぁ、たぶん無理。」

「うん、蜂にとっても、同じなんだよ。」

 脳にかかる情報量が違い過ぎるから、まともには動かせないのだ。

 なぜ、人の体を乗っ取るような習性なのかはわからないが、目が黒くなっただけの人たちが、ゾンビみたいな動作だったのは、そういう理由だと推測される。

 それはともかくとして、脳にたどり着いた時点で、人格を失うわけだから、寄生されてしまった人にとっては、命にかかわることには違いない。

「なんとか、助けてあげたいのだけど…。」

「救急車でも奪って行くか?」

 山崎が、傍若無人な事を言いだした。

「私たちは犯罪集団か?」

 何かやってくれるのか、とも思ったがそうじゃなかった。

「いや、…神崎なら、やるんじゃないかと……、」

 言った後で、山崎の表情が引きつる。

 嫌な視線を感じて、ゆっくりと真由美のほうを見た。

 案の定、腕を組んだ真由美が、黒いオーラを纏って、山崎を睨んでいた。

 山崎はゆっくりとした動作で、杉田の座っている椅子の影に隠れた。

「隠れなくても何もしないわよ。」ため息をついて、肩を落とした。

「さっきもいろいろ言われちゃったし、私だって空気ぐらい読めるからね。」

 千佳からも危なっかしいと言われていたので、気にしていたようだ。

「…後で、何かするつもりだろ?」

 杉田の背中から顔だけ出して、ジト目で見ている。

 椅子の背もたれを掴んでいるので、杉田氏は盾代わりに使われているようで、困った顔をしていた。

「そんなこと、…しないわよ。」

 実は内心、考えていなかったわけでもないので、ちょっと目が泳いでいた。

「………」

 山崎はまだ、疑っているようで、体制を崩さない。

 しばし硬直状態が続いて、そろそろイラっとしてきた真由美に、声をかけてきた殊勝な人がいた。

「面白そうねぇ、どこかに行くのなら送ってあげましょうか?」

 声をかけて来たのは、研究員の皆口さんだった。

 近くで真由美たちのやり取りを見て、笑って見ていた人だった。

「あっ、ノーパソの人。」

 さきほど、真由美の前から父を連れて行った人でもある。

 女王蜂の位置が特定できたのも、彼女の技術力があってのことである。


「学校?あなたたちの?あの蜂がいるのよねぇ…、危なくないの?」

 もちろん蜂や、甲殻人がいると思うが、基本近づかない予定だ。

 井上さんを見つけて、蜂に刺されているようなら、急ぎ病院に行くように促すのが目的である。

 早い人で、2、3時間で発症するとのことだから、今からならまだ間に合う。

「もちろん、刺されてなければそれで終わりです。」

「その井上さん?だっけ、以外の人が刺されていても問題ないの?」

「井上さん以外だと、刺されたのは2人組のどちらかになりますが、それなら自業自得ですよね。」

 気の毒とも思わない口調で返答する。

 皆口女史の意向もさして変わりないようで、ニヤッと笑う。

「そうよねぇ、拳銃を突きつけられた時は、生きた心地がしなかったわ。」

「私もここに連れて来られる時に、拳銃で脅されたんですよ!」

「あなたも?わぁー、仲間ぁ。」

 両手を取って上下に振る。

 心なしか真由美が押されているようだ。

 辛さを共有できる存在に会えて、うれしかったのだろう。

 綾子は微笑ましく見ていたが、山崎は「子供か。」とだけつぶやいてブスッとしていた。

「もちろん、二人を追っている人達に、連絡はしますけどね。」

「ぜひ捕まえて欲しいものだわ!」

「もっともです!」

 そう言ってがっしりと握手する。

 結束が深まったようだ。


「じゃあ、さっさと行ってみようか!」

 皆口女史が自席から、タブレットと車の鍵、ショルダーバッグを持ち出してきた。

 白衣は標準装備なのか、身に着けたままだ。

「そういうわけで、ちょっと出かけてくるので、お願いしますねぇ!」

「ちょっと待って、教授から留守番、頼まれてたよねぇ。」

 杉田は止めようとしたのだが、そんなことは聞いちゃいなかった。

「ここは杉田さんがいれば大丈夫でしょ、こっちは人命が懸かってるんですよ!それじゃあ。」

 にこやかに手を振って、研究室を出て行く。

 他の研究員たちも呆れている。

 真由美はなんだか申し訳なくなってしまったので、ペコっと頭を下げて、それに続く。

 綾子と山崎も、真由美を追いかけて出て行った。

 もっともな理由をつけて、外出の必要性をアピールしているが、どう見ても興味本位にしか見えない。

 もしくは、ここでじっとしていることに、飽きただけかも知れない。

 彼女の車が置いてある駐車場へ向かう。

 真由美は出発する前に、父に報告に行った。

「危ないからやめなさい!真由美が無理にやらなくてもいい事だ。」

 普通の父親がするように、真由美の父もまた娘の安全を一番に考えた。

「でも、通信手段が無いから直接伝え無くちゃならないし、井上さんは恐い人だけど、いい人だし、命の恩人なんだよ。」

「それなら私が行こう、だから真由美はここにいなさい。」

「ダメだよ、お父さんはここの責任者なんだから、警察や病院とも連絡取らなくちゃならないでしょう。あと確認だけしたらすぐに帰って来るから、ね!」

 父は少し考えた後、深ぁいため息をついた。

 隊員さんの事も心配だが、娘の事はもっと心配だ。

 しかし娘はこういう時、人の事を優先して譲らない。

「わかった。じゃあ井上さんの事を確認できたら、すぐに帰って来るんだよ、いいね。」

「うん、ありがとう、お父さん。」

 皆口女史の運転する軽四のSUVが来たので、真由美は手を振って駆けて行った。

 助手席に乗り込み手を振る娘を、やはり手を振って見送った。

「誰に似たかなぁ…。」

 父親は、娘が皆口女史の車で出て行くのを見送った後、少し後悔した。

 真由美もそうだが、皆口女史も結構、好き勝手にやっちゃうタイプだった。

「中継器、勝手に使ってたしなぁ…。」

「友達が二人付いて行きましたから、大丈夫でしょう。」

 そう言ったのは、彼女らの話を遠巻きに聞いていた平野女史だった。

「それはお姉さんタイプの女子と、背の高い男子かな?」

 ストッパー役の二人がいれば、大丈夫だろうと思ったのだ。

 そこへ千佳と直哉が、これから病院へ向かうと報告に来た。

「真由美さんたちは、どこかに出かけたんですか?」

 不安を覚えて、青ざめる父親がそこに居た。

「大丈夫ですか、教授。」

 神崎教授の心配も絶えないが、平野女史の気苦労も絶えない。


続く

劇中に登場するレーダーのシステムは、かなりいい加減な設定で書いてあります。

本格的でないのですみません。

ちなみにこの場合のポーリングとは、特定の場所に電波を発信することを言っています。

あと電波塔などの公共の施設に、勝手に機器を取り付けるのは違法なので、マネしないようお願いします。

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