第六話
昔々の特撮ドラマ「ウルトラQ」あたりをモチーフに話を考えています。あと、古い特撮映画とか「ゾンビ」などホラー映画も参考にしています。
設定のおかしいところがあるかも知れませんが、ご容赦下さい。
“大学編”の後半になります。
今回もアクションシーンが多いです。
(2021年3月29日一部修正しました。)
第六話
大学の本館に逃げ込んだ不法入国者:リュウ・ユウチェンは、蜂の動きを警戒しつつ建物の裏手に回り、奥の図書館がある方へ進んだ。
研究棟の横を通りがかった時に、窓から中を覗きこんだが、パソコンは起動しているものの、研究員たちの姿は見えない。
代わりに、不気味な姿に変異した二人の人間が居て、奥にある頑丈そうな扉を爪で削っていた。
蜂に襲われた人間のなれの果てだろうと、彼らの昆虫のような目を見て思った。
調査に行った島で、蜂に刺された者たちと、同じようになっていたからだ。
彼らも皮膚がはがれて、黒い外殻のようなものが見えていたのを、覚えていたからだった。
窓に近い場所にいたので、ことのほか注意して通り抜けた。
図書館の前まで来た時、物音に気付いて身を隠した。
裏手から変異した者たちが現れ、学舎のほうへ向かって移動して行った。
直後に黒い蜂の集団が、彼らを追って飛んで行った。
彼らが来た方向に、女王蜂がいるはずだ。
銃声が聞こえ始めた。
どうやら先に来ていた警察の連中と、一戦始めたようだ。
図書館の裏手には庭園があり、その一画に熱帯の植物が植えてある温室があった。
扉は開けっぱなしだった。
中に入ると、ひと際背の高い熱帯植物の根元に、男が寝かされていた。
ここの警備員だろうか、かなり体格がいい。
腕を噛まれたらしく、止血のためにタオルが巻かれているが、既に真っ赤になっていた。
苦しそうに息をしているが、意識はない。
周りには蜂の死骸と、蜂たちを入れていたらしい瓶が散乱していた。
一匹の蜂が、男の体の上に陣取っている。
周りに散らばっている蜂より少し大きい、見覚えがある、女王蜂だ。
しきりに羽を動かしているが、うまく飛べないようで、少し飛んでは着地する、という動作を繰り返している。
ここへ運ばれてくる段階で、何か問題があったのかも知れない。
どういう事情でそうなったのかわからないが、飛べないのなら都合がいい。
他の黒い蜂や、真っ黒になった者たちは出払っているらしく、周りにはいない。
これからこの男に、卵を産みつけようとしていたのかも知れない。
漂流していた船の中で、ケガをして動けなくなった船員に、女王蜂が卵を産み付けているのを見た。
台風に遭遇し、揺れている船内での出来事だった。
その後、雨風が激しくなって、船から落ちてしまったので、幻ではなかったかと思っていた。
島で見たあの骨も、実は人間のモノだったのかもしれない。
転がっていたガラス瓶を手に取ると、ゆっくりと女王蜂に近づいて行く。
小さめの瓶だが、割れては居なかったし、蓋もちゃんと停まるようだ。
女王蜂が着地したところにガラス瓶を被せた。
そして飛びあがったのを見計らって、ガラス瓶をずらして蓋を閉めた。
リュウは得意気に、瓶の中の女王蜂を見つめていた。
井上を先頭に、隊長と鈴村が続いて本館へ入っていく。
入口扉のガラスが割られていたので、リュウの存在を警戒しつつ建物内を捜索する。
リュウは銃を持っていて、どこかに潜んでいるかも知れないのだが、学舎内にいた痕跡こそあれ、その姿は確認できない。
今のところ、蜂や甲殻人の姿も見えない。
「あれで打ち止めだと、ありがたいがな。」
「そうですね。」
通路の先頭を歩く井上が、止まるように合図をした。
先ほどドローンで覗いた、研究室の前まで来た。
そのドローンは中庭で、蜂にかじられた無残な姿を晒していた。
開けっぱなしのドアから、姿勢を下げて侵入する。
誰もいないと思われたが、奥の方で物音がしている。
「いました!」
井上の報告に、隊長の顔が強張った。
奥に頑丈そうな木の扉があって、それを開けるべく、爪でガリガリと削っている甲殻人がいた。
「中に誰かいるのか?」「救助対象かも知れません。」
隊長と井上が話していると、不意にガタンっと物音がした。
鈴村がコードに引っ掛かって、机の上にあった電気スタンドを落としてしまったのだ。
「…すんまへん。」
申し訳なさそうに、隊長を見た。
甲殻人たちは気がついたようで、こちらに向きを変えると、機敏な動作で近づいてきた。
「来るぞ!」
隊長は甲殻人の方に向き直って、銃を構えた。
甲殻人の外殻は意外と硬く、脇や手、足などの湾曲部に当たると、銃弾がいなされてしまう。
甲殻人たちもそれがわかっているのか、銃を撃ったタイミングに合わせて、体の向きを斜めに変えて、直撃を避けているようだ。さっき相手にしていた連中よりも、動きがいい。
「なんちゅう、やっちゃ!」
鈴村が今更ながら、彼らの狡猾さに悪態をつく。
おかげでたいしたダメージを与える事ができないまま、接近されてしまった。
甲殻人は硬く尖った手先を、突き刺すように迫ってきた。井上は甲殻人の腕を、銃本体で防いだり、いなしたりしながら、後退していたが壁に突き当たってしまった。井上の顔を狙って突いてきた、甲殻人の右手を、体をずらしてかわした。その手は、壁に深く刺さっていた。次いで左手の突きを、銃を使っていなし、即座に銃を甲殻人の複眼に当てて引き金を引いた。ゼロ距離で頭部に4発の銃弾を喰らった甲殻人は、右手を壁に刺したまま、崩れ落ちた。
井上が激闘を強いられている時、もう一人の甲殻人は隊長に襲いかかっていた。隊長は甲殻人の攻撃を、井上に背中を向けるようにかわした。これは乱戦になった時、流れ弾が味方の方に飛んで行かないように考えたものだ。しかし、鈴村はわかってなかったようで、反対側に避けてしまった。甲殻人に銃を向けたが、隊長と接近していたので撃てずにいた。隊長の向こうに井上隊員がいて、甲殻人と戦っているのが見えた。
隊長も銃を撃つことができず、甲殻人の爪の攻撃を、両手で支える破目になった。力負けしそうになっていた時、甲殻人の頭部に折りたたみ椅子が直撃した。鈴村が近場にあった椅子で、甲殻人を殴りつけたのだ。膝をついた甲殻人の後頭部に隊長が銃を突き付け、止めを刺した。
「同士打ちにならんように、体制を組んどったのに、気がつかんですんませんでした。」
「いや、すぐに気付いて援護できたわけだから、上出来だ。」
「隊長は甘いです。」
甲殻人を撃ち倒した井上が、弾倉を入れ替えながら戻ってきた。
「井上君、御苦労。」
「銃の腕はともかく、実戦でコードに足を引っ掛けるようなポカをする者を、見過ごすことはできません。」
「ならどうするね?」
「終業後に一ヶ月、柔剣道を中心とした修練が必要かと思います。」
「一ヶ月でっかぁ?」
「スパルタだねぇ。」
「とにかく落ち着きが足りません、事後報告で上申しておくべきかと…、」
「そうか、わかった。」
「いや、わからんといて下さい、一ヶ月はちょっと…。」
鈴村があせって隊長に抗議するが、井上が割り込んできて、胸ぐらを掴まれる。
「わかりましたか?」
井上の目が座っていた。例えるなら山の中で、熊のような肉食獣と遭遇してしまった、そんな恐怖感であろうか。実際にそんな経験はないのだが、『アカン、喰われる。』そんな感覚に襲われたという。
「わ、わかりました…。」
他に選択肢が見つからなかった。
「よろしい。」
ニコッと笑って手を離すと、隊長について倉庫へと向かう。
甲殻人の相手をするより、消耗した気がする。
なるべく逆らわんようにしようと、心に誓う鈴村だった。
研究室の倉庫のドアが開けられると、中に居た者たちは一様に安堵の表情を見せた。この部屋は貴重な資料などが収められており、盗難防止のため頑丈な扉を設けてあるが、他に出入り口は無く、明かり取りの小窓があるだけだった。
「ありがとう、助かりました。」
年長と思われる猫背の男が、出て来て礼を言った。
この人が神崎教授なのだろうと、すぐにわかった。
「無事でよかったです。」
隊長はあいさつ代わりに握手をした。
襲撃は明け方にあったようで、甲殻人に気づいた警備員が報告してきたという。
仮眠していた者もたたき起して、鍵のかかる倉庫に逃げ込んだ。
「その後、警備の人の姿が見えないんですが…。」
甲殻人が侵入してきたので、研究員たちだけで倉庫に逃げ込んだという。
しかし、生きている蜂のサンプルも持ち込んでいたので、ずっとマークされていたらしい。
研究員たちはわらわらと出て来て、各人の机に戻り片づけを始めた。
そして甲殻人の死体を見て、どよめいていた。
何人かは室外へ出ようとしていた。
長い時間閉じ込められていたので、トイレに行こうとしたようだ。
「銃を持った不審者がいます!部屋を出るのは少し待ちなさい。」
井上が強い口調で警告すると、ほとんどの者が部屋を出たところで引き返した。
だが、一人だけ堪え切れなかったのか、駆けだして行ってしまった。
井上が研究室を出ると、トイレの方から短い悲鳴が聞こえた。
トイレに行く通路を曲がったところで、女性研究員がリュウに捕まえられていた。左腕を首に回し、こめかみに銃を押しつけている。
研究員は絞められている首がきついのか、真っ赤になって顔を引き攣らせていた。
リュウは井上を見て舌打ちすると、彼女を抱えたまま近づいてきた。
「彼女を話しなさい、撃ちますよ!」
井上隊員は銃を構えたが、リュウは止まらない。
むしろ、撃てるものなら撃ってみろ、と言いたげに前に出てくる。
しかたなしに一歩、二歩と後方へ下がった。
研究室から顔を出して、覗いていた者がいたので、手で合図して中へ入らせた。
扉のすぐ前まで来ると、動きを停めた。
あらためて銃を研究員に押しつけると、「蜂のサンプルを渡せ。」と言った。
「渡したら、彼女を放してくれるのか?」
「勘違いするな、アレは俺のものだ。」
隊長が出て来て交渉を始めたが、リュウは彼女を解放する気はないようだ。
ヘタをするとこのまま、人質として連れて行かれてしまうかも知れない。
井上が隊長に目配せして、隊長が小さく肯いた。
神崎教授が、サンプルの入ったケースを隊長に手渡す。
平べったい透明な樹脂製のケースの中に、5、6匹の蜂が入っており、ごそごそと動いていた。
「床に置け。」
隊長が一歩前に出てケースを床に置くと、リュウが中に顎で指示をする。
「ケースを取れ。」
研究員を抱えたまま体をかがめて、研究員にケースを掴ませると、後ろ向きに廊下を下がって行く。
井上は距離を取ったまま、ゆっくり追いかける。
銃は構えたままだ。
本館入り口前まで来たところで、裏から回り込んでいた鈴村が、建物の影で待ち構えていたが、リュウは気付いていたようで、飛びかかる寸前に銃を向けられた。
機会を逸してしまった鈴村が、悔しそうにしていると、リュウの後方からスプレー缶らしきものが飛んできた。
鈴村の表情に気付いて、振り返ったリュウのこめかみに、殺虫剤のスプレー缶が当たった。
そのはずみで体制を崩したリュウが手を緩めた隙に、抱えられていた女子研究員が、手をほどいて抜け出した。
女性研究員に発砲しようとしたリュウに、鈴村が飛びかかる。
バンっという音がして弾が発射されたが、地面を撃ったようだ。
銃を払い落し、そのまま腕を取ってリュウを地面に押さえつける。
「観念しいや!」
リュウが悔しそうに歯噛みする。
「やりましたね、鈴村さん。」
いつの間にか真由美たちが、北館の方から駆け寄って来ていた。
いちばん前を走って来た直哉は、片手に殺虫剤のスプレー缶を持っていた。
リュウの後頭部に、スプレー缶を投げつけたのも直哉だった。
「来たらあかん!離れときぃ!」
鈴村の警告に足を止めた直哉を、警備室の陰から出てきた男が殴り飛ばした。
中庭をゴロゴロと転がって、仰向けに倒れた。
直哉を助けようして飛び出してきた千佳の腕を、その男が掴んで締め上げる。
「きゃっ!」
千佳が苦しそうに悲鳴を上げる。
「そいつを放してもらおうか?」
千佳の首にナイフを突き付けて、鈴村を睨む。
白髪交じりの長髪を後ろで縛った、痩せぎすの男だ。
どうやらリュウの仲間らしい。
千佳は顔面蒼白という感じで、卒倒するんじゃないかと思われたが、気丈に堪えていた。
「そっちも動くなよ、この嬢ちゃんが死んでも知らんぞ。」
視界の端に真由美たちを確認して、釘を刺した。
真由美もスプレー缶を持ったまま、奥歯をかみしめている。
おそらくぶつけてやろうとか、考えていたのだろう。
その後ろに関巡査がいたが、どうすることもできずズボンの後ろに銃を隠すと、真由美をかばうように、彼女の肩を引いて自分の影に隠した。
綾子と山崎は通路の影から、顔を半分だけ出して、様子を見ていた。
鈴村が歯嚙みしてリュウの手を放すと、リュウは立ち上がり服に付いた砂を払う。
顔を上げると素早い動作で、鈴村を殴りつけた。
鈴村は2、3歩下がったが、倒れなかった。
唇を切ったようで、口を拭うとペッと血のつばを吐いてリュウを睨む。
再び人質を取られてしまった。
井上も遅れて来た隊長も、動けなかった。
直哉は気を失ったらしく、倒れたまま動かなかった。
千佳は声こそ出ないが、心配そうに直哉を見ていた。
「遅いぞ。」
「すまんなぁ、この辺は不案内なもんでなぁ。」
この協力者の男も、地元の人間ではないようだ。
「車は?」
「ああ、大丈夫だ。」
リュウは銃を拾うと、次にサンプルのケースを拾おうとして、ケースの蓋が開いていることに気付いた。
あわてて拾って、蓋を閉めた。
中に蜂が何匹か入っているから、逃げてはいないだろうと思った。
上着のポケットの中にある、何かを確認していたのを、真由美は見逃さなかった。
リュウと仲間の男が、千佳を抱えたままでロータリーの方へ移動して行く。
「蜂だ!」
真由美が、二人の男の周りを飛ぶ蜂を見つけた。
リュウが警戒して周りをキョロキョロしながら、階段を降り始めた。
長髪の男は蜂の事を知らないのか、挙動不審な動きをするリュウに「どうした?」と声をかけるが、返事がない。
千佳を抱えたまま後ずさりしていたので、足元がお留守になっていた。
「うあっ!」
転がっていたスプレー缶に乗ってしまい、後ろ向きにひっくり返り頭を打った。
直哉がリュウに投げつけたものだった。
千佳も一緒にひっくり返ったが、男の体がクッションになりダメージはなかった。
ナイフが喉元にあったので怖かったのだが、腕が緩んだことに気付くと、ナイフを持つ腕を押し退けて抜け出した。
起き上がった男が、千佳を捕まえようと手を伸ばしたが、近くまで来ていた井上が飛びかかり、弾みで二人とも、ロータリーの階段を転げ落ちた。
真由美と鈴村が階段の上から見下ろすと、二人の男が走って逃げていくところだった。
ロータリーの外に、大型の四輪駆動車があって、階段下には井上が倒れていた。
ナイフが階段の途中に落ちていたが、井上に怪我はないようだ。
鈴村が駆け寄って、息があるのを確認する。
後から階段を降りてきた真由美に、「後、頼むでぇ。」と言い放って、彼らを追うべく自前の車の方へ走って行く。
「一人にしとけないからね。」と言って関巡査もそれに続く。
「待って下さい、俺も行きますから!」
「なんや来んのかいな、早よ乗らんか、逃げられてまうやないか!」
新喜劇みたいな掛け合いをしながら、大型の四駆を追いかけて行った。
「うぅ~ん。」
「大丈夫ですか?」
井上が気が付いたようなので、真由美はしゃがみ込んで声をかけた。
「井上君、大丈夫か?!」
階段の上から隊長が声をかけた時には、井上に押さえこまれた真由美が、空いている手で地面を叩いて「ギブ、ギブです、ギブ!」と、呻いていた。
井上は状況がつかめていない様子で、真由美の腕を固めたまま、周りをキョロキョロしており、なかなか放してくれなかった。
真由美が、井上の押さえこみから解放されて階段を上がると、意識を取り戻した直哉が、千佳にしがみつかれているところだった。
「なお君、良かった、なお君、わぁ~。」
「えっ、千佳ねぇ、なに?どうなったの?」
自らも不審者に捕まり、恐い目にあったせいもあるのか、千佳は子供のように泣きじゃくっていた。
一方の直哉は、殴られて気を失っていたため、その後の展開を知らないから、この反応は無理もない。
まあ、せっかくだから、しばらく放っておいてあげようと、綾子に目配せして父のいる研究室の方に向かった。
「肩、大丈夫?」
井上に関節技をきめられて、半泣きになっていた真由美を綾子が気遣う。
「自分の丈夫さが、恨めしくなるくらいには…。」
真由美は肩を回して、丈夫さをアピールしようとしたが、ピッキーンっと音がしそうなくらい痛かったので、腕を押さえてうずくまった。さすがにその道のプロの技は、侮りがたいものがあった。
「バカな奴だなぁ。」とぼやきながら、山崎がついてきた。
研究棟から出てきた父を見つけた真由美は、駆け寄って抱きついた。
研究員の人たちが一緒だったが、周りの目とかは気にしていないようだ。
「お父さん、また着替えてないでしょ!汗臭いよ。」
「いやぁ、昨日も忙しくてねぇ。」
言い訳をしながら頭の後ろを掻いている父に、もう一度抱きつく。
「真由美…。」
その父も愛しげに、娘の頭を撫でていた。
「教授ー、小山さんが確認して欲しい事があるそうですぅ。」
図書館の方から、研究員の人が大きな声で呼んでいる。
小山さんとは、調査隊の隊長のことである。
「わかったーっ!」
父は娘の肩を押してヒョイと引き離すと、すたすたと図書館へと足を向ける。
「お父さん、クールだねえ。」と、綾子が声をかけてきた。
父は仕事を優先したようだが、「お父さん、ツンデレだから。」と、言い訳する。
「少しは自重しろよ。」
山崎がぼやいていた。なぜか顔が赤い。
真由美はここへきて、泣きべそを掻いていたようで、手で目元を擦ってから振り返った。
「ごめんね、私ばっかり、綾ちゃんも早く帰りたいよね。」
「私のところは、家に誰もいないからね。事態が収まらないとダメね。」
綾子は真由美の様子を見ていて、ほっこりしていたようで、にこやかに答えた。
残念ながら、この騒ぎはまだ収まっていないのだ。
かなりの数の蜂と甲殻人を退治したので、携帯電話の状況を確認してみたが、まだ復旧していなかった。
スマホのアンテナ表示はしっかり立っているのだが、通信は混雑状態だとガイダンスが流れた。
復帰したところに、使用者が一度に通話を始めたので、基地局が対処できなくなっただけかも知れない。
しかし、まだどこかに蜂がいるかも知れないので、再び電源を切った。
「全然、変わってない…。」
「実はこの町以外、全部…蜂に浸食されているとか…。」
山崎が不吉な事を言いだした。
「そんな、バッドエンドは嫌だわ。」
「病院でテレビが見れたから、そんなことはないわよ。」
綾子は今朝、病院でテレビを見ていた時、未知の感染症が発生して、一部の地域が封鎖されている、というニュースを見たそうだ。
「まだどこかに、蜂の巣があるってことかな?」
「さっきの男が蜂を連れて行ったなら、もう終わりじゃないのか?」
声のする方を見ると、手当てが終わった直哉が千佳と二人、近寄って来ていた。
手当てとは言っても、腫れた頬に薬を塗って、ガーゼを貼ってもらっただけだ。
千佳はまぶたを腫らして、直哉の腕を両手でつかんでいたが、大丈夫そうだ。
「痛そうだねぇ、大丈夫?」
「スタントをやっているとは、思えないブッ飛ばされぶりだったぞ。」
山崎がここぞとばかりに、皮肉を言っている。
「まさか助っ人がいるとは思わなくて…。」
油断していたから、すごくいい一発を貰ってしまったとのこと。
殴られた後のことは、記憶にないらしい。
ちなみに、スタントをやっているからと言って、不意打ちをうまく受けられるかと言えば、決してそんなことはないと思う。
直哉の腫れている顔を気にして、綾子が声をかけた。
「あのぅ、一度診てもらっておいた方が、いいですよ。」
「…ケガをしてる人達と一緒に、病院に連れて行ってもらおうと思ってるの。」
大学の人が病院に連絡を取ったそうで、救急車が来ることを千佳が聞いてきていた。あれだけ派手に吹っ飛ばされたので、さすがに心配らしい。
関巡査と鈴村刑事はリュウを追って行ってしまったから、病院に送ってくれる人を探すより、救急車の到着を待つ方が早いようだ。
直哉の腫れた顔を見て千佳が「…ちゃんと捕まるといいわねぇ。」とため息交じりにぼやいた。自分たちをひどい目に合わせた者たちだから、是非とも罰が下って欲しいものだと思ったようだ。
一方、殴られっぱなしで、千佳にひどい事をした連中に、一発も返せなかった直哉としては、気の晴れないところであったが、「ああいう危険人物と関わって、殴られただけで済んだのは、幸運だったかもしれない。」と、隊長さんから聞いていたそうで、「鈴村さんと関さんが追いかけて行ったんなら、大丈夫でしょ。僕らも無事だし。」
そう言って、ニコッと笑うが頬が腫れているので、ちょっと痛そうな顔をしていた。
「…捕まるといいけどなぁ。」
山崎がまた、空気を読まない発言をして、真由美に睨まれていた。
もともと鈴村は、リュウを捕まえるために来たのだから、本来の仕事に戻ったわけである。
「なんで関さんも付いて行ったの?」
千佳はこの時、直哉のことでいっぱいいっぱいだったので、ほかのことは見ていなかったようだ。
「一人にしておけない、って言っていたような…。」
知らない間に親近感が湧いたのかも知れないし、普通に心配だっただけかも知れない。
「放っとくと何するかわからないから、心配だったんじゃないかな?」
真由美がそう言って笑うと、みんなが胡乱な目で真由美を見て口籠った。
「あれ?」
「…神崎がそれを言うか?」
最初に口を開いたのは山崎だった。
「そうね、もっと慎重に行動した方がいいわ、女の子なんだから。」
千佳が先輩らしく、危なっかしい真由美の行動を批判する。
横で直哉と綾子がうんうんと、うなずいている。
「えぇ、私ってそんなですかぁ?!」
今まで自覚がなかったわけではないが、好奇心を優先してきた結果なのかも知れない。
「で、でも…、」“今までうまくいっていたからいいじゃない”と反論しようとしたところに呼出しがかかった。
「神崎さぁん、神崎真由美さぁん、いませんかぁ?」
図書館の方から、真由美の名前を呼ぶ声が聞こえた。
真由美の名前を呼びながら、こちらに駆けてくる女性がいた。
「はぁい、私です。」
手を上げて答える。
またなんかやっちゃったんじゃないかと、ほかのみんなは考えていた。
「教授が、お父さんが来て欲しいって!」
図書館裏の庭園に、ガラスで囲われた温室があった。
中には熱帯の植物が植えられており、ムワッとする暑い空気が淀んでいた。
大学へは何度も来ているが、この温室に入るのは初めてだった。
背の高い熱帯植物の前で、父と隊長さんが待っていた。
今は運び出されてここにいないが、警備員の人が意識不明で寝かされていたらしい。
「ここに散らばっているのは、真由美たちが病院で捕まえたもので間違いないか、確認したいんだが、どうだろう?」
気持ちが悪くて潰したりしなかったので、原形をとどめた蜂の死骸がそこかしこに散らばっていた。
遺体から引きずり出したモノもあるので、血が付いていて、なかなか生々しい。
『あの時、潰しておけばなぁ…。』とか思いつつ、真由美は周りを見回した。
「数を確認した方がいいか?」
直哉が手伝いを申し出てくれたが、もともとの数を覚えていないからと断って、代わりに別の頼みをした。
100体近くあった個体を全部は覚えていないが、明らかにここに無いものがある。5個あった容器の一つは、サンプルとして病院に置いてきたので、ここには4個の容器を持ってきてもらったはずだった。それが3個しかないのと、女王蜂ではないかと目星をつけた、2体の内の1体だ。
それは他の働きバチよりひと回りくらい大きく、一見してそれとわかるものであった。
宿主の体(女王蜂の場合は眼球)から出て来た時の光景は、当分の間忘れられそうにない。その時の光景を思い出して、気分が悪くなったので、頭を振って気持ちを落ち着ける。
その女王蜂の死骸がここには1体しか無く、もう1体が見当たらない。
潰されていたり、他の場所に落ちていたりしないかと、直哉たちにも手伝ってもらって探して見たが、やはり無い。
「あの男が捕まえて、持って行ったのかも…。」
そういえば協力者が来た時、リュウがポケットを確認していたのを思い出した。
「やはり警備員の人は、女王蜂に卵を産みつけさせるために、ここに運び込まれたわけだね。」
「生きていたのは女王蜂で、リュウが捕獲して持ち去ったということですか。」
真由美と父がうなづくと、小山隊長は報告の為に出て行った。
「あの蜂は、全部死んでたんじゃなかったの?」
綾子が小声で聞いてきた。
「女王蜂の片方が、仮死状態だったみたい…。」
「それで小山さん達が、襲われたの?」
「なんだ、神崎のミスじゃないか。」
そう言われて、思わず頭に血が上る。
「未知の生き物相手だから、わからなかったのよぉ!」
山崎のひと言に、真由美が憤懣の矛先を向ける。
足をジタバタさせて、頭から蒸気を吹き出しそうな勢いである。
「そんなよく知らない生き物相手に、よく頑張ったね。」
父のやさしい言葉に、思わず体内の圧力が下がる。
シューっという感じで、ガスが抜けていくようだった。
ヨタヨタする足並みで、父親の方へ歩み寄って行く。
「教授、ちょっと見ていただきたいものがあるんですが!」
研究員の女性がタブレットを持って来たので、父はプイッと後ろを向いて、そっちの方へ行ってしまった。
「あ…。」置いてきぼりを喰らったようだ。
「…お父さん、クールだねぇ。」
さっきも聞いたようなセリフを、今度は千佳が言っていた。
「…お父さん、ツンデレなんです…。」一応弁明しておいた。
「この画面を見て欲しいんですが…。」
神崎教授は、研究員の皆口恭子が差し出した、タブレットのモニター画面を見た。
そこにはこの付近一帯の地図らしい図形が表示されており、その上に等圧線のようなグラデーションが乗っている。
「これは…、どういうものかね?」
「えーっと、簡単に言うと女王蜂の電波の影響範囲を現わしたものです。」
「え?」
「昨日、仰ってましたよねぇ、女王蜂の発信する電波が分かれば、巣の位置が特定できるんじゃないかって。」
「ああ、言ったけど…。」
「さっき女王蜂の電波の特定ができたので、シュミレーターに組み込んで見たんです。」
「わかったの?」
「わかったんです!」
そういえば蜂たちが電波を発信している事を、発見したのも皆口であった。
彼女は某ラジオ番組のヘビーリスナーで、研究室にいつもラジオを持ち込んでいるのだが、蜂が研究室に持ち込まれた際、ノイズが激しくなったので不審に思ったという。
「じつは数日前から、ラジオに妙なノイズが入るようになったので、気にしていたんです。」
市内の幾つかのポイントに中継器を設置して、調べていたらしい。
「中継器?」
「事後報告ですみません、備品を勝手に使いました。後で戻して置くつもりだったんです。」
ここで言う中継器というのは、無線などの届きにくいところと通信するための、いわば増幅器である。
連携してポーリング機能を使うと、電波の帰って来る時間で距離を測ることもできる。その機能を利用して、範囲限定のレーダーシステムを組み上げたらしい。
FM放送で使っている低い周波数であれば、比較的影響が少なかったので、それを基準にシュミレーションしてみたという。
「市内にある電波塔なども借用して、ポーリングを実施、繋がらない範囲を表示しました。」
「それ、勝手に借用して良かったの?」
ブースターの設置は、二週間ほど前からこっそり行っていたものらしい。
「それ、プライベートな目的で、設置したんだよねぇ?」
それがたまたま今回、蜂の活動状況を確認するためのツールになったようだ。
返事をする代わりに、ニコッと笑って、初期の設定で地図をモニターに表示した。
どうやらその辺は、否定するつもりがないらしい。
受信状況の悪い区域には、赤いグラデーションがかかるようだ。
その区域内に、女王蜂がいる確率が高いということだ。
「1時間ごとにポーリングを行って、受信状況を記録、地図上に表示できるようにしました。」
1時間前の画面が表示される。
影響範囲が広く、画面の8割がたが赤いグラデーションで染まっている。
蜂同士の交信が激しい時には、うまく測定できないらしい。
当然こんな画面では、女王蜂の居場所はつかめない。
「女王蜂が、ヒステリーを起こしているような感じなんです。」
「…すまない、言ってる意味がよくわからない。」
時々、電波の強弱が頻繁になり、範囲を絞りこめなくなるらしい。
「で、これが今の状況です。」
近場の蜂がいなくなったことで、測定環境が良くなり、想定通りの動作ができるようになったという。
「表示が2か所になったねぇ。」
ここより北方向と、西方向に赤くグラデーションされた部分がある。
でもまだ広過ぎる。
「さらに、先ほどまでこの付近一帯を覆っていた、電波の周波数を入力します。」
ソレは、女王蜂の発していた電波らしい。
画面上に二つの赤い丸が出現し、点滅している。
地図の端で小さく点滅している方を指して、彼女は言った。
「こっちのは、クソ野郎……、失礼しました、逃亡中の不審者男の位置だと思われます。」
教授は少し引いた。
普段から言葉づかいは悪いが、あからさまに人の悪口を、言うような娘さんでは無かったからだ。
どうやら彼女は、不審者の男に只ならぬ執着があるらしい。
そう言えば少し前、彼女が不審者に捕まって、銃を突きつけられていたのを思い出した。
「怖い思いをしたんだから、無理ないよ。…うん、お疲れ様。」
気を取り直して、苦労をねぎらった。
「いや、まぁ…、それだけでは、ないんですが…。」
顔を赤くして、口ごもった。
態度がおかしいので気にはなったが、彼女の功績は評価しなければならない。
機材を勝手に使ったことも、“なにか得体の知れない事象が起きている”ことを予見して、早めに調査を始めたのだ、とすれば言い訳も立つ。
軽く咳払いしてから返答した。
「うっ、うん、するとこの赤い点の場所に、もう一匹女王蜂がいるかも知れない、ってことでいいんだね。」
「はっ、はい、そうです!」
彼女は元気よく答えたが、教授は少し困った顔をした。
その赤い点が示す場所は、真由美たちの高校であったからだ。
「わかりました、では。」
対策本部と電話連絡を取っていた小山隊長は、報告を終えて受話器を置いた。
真由美たちの高校へ、向かうことになったようだ。
既に別班が現地に向かっているが、未だ現着の連絡が無いとのことだった。
現状の確認が目的なので、目標の高校には女王蜂と、それを守る甲殻人が多数いるという事も知らないようだ。既に戦闘状態に入っているかも知れない。
「任務は情報の通達と助言、場合によっては支援ということですね。」
井上さんは任務の内容を確認すると、車に乗り込んだ。
小山隊長は足を怪我していたのだが、「血は止まったので大丈夫だ。」と言っていた。
「では、教授、中村達をよろしくお願いします。」
「小山さんも、お気をつけて。」
「真由美さん、あまりお父さんを困らせてはダメよ。」
「あ、はい、気をつけます。」
慌ただしく隊長さんたちは出て行った。
見送りで教授と真由美、綾子の3人がロータリーまで来ていた。
学校内の説明と、昨日の騒動について補足を頼まれたのだった。
真由美父は「手伝いはいいけど、作業の邪魔をしてはだめだよ。」と告げて、研究室に戻って行った。
「井上さんに、気に入られたみたいだね。」
「釘を刺されたんだよぉ。」
綾子はにこやかに笑っていたが、真由美は苦笑いだ。
もうすぐ救急車が来るので、他のみんなは研究員の人達と一緒に、けが人の移動や、散らかった施設の後片付けを手伝っていた。真由美たちも参加するつもりだ。
「そういえば、あの時の蜂はどうなったのかなぁ?」
階段を昇ったところで、立ち止まる。
「蜂?…いつのこと?」
千佳が捕まっていた時、リュウと協力者の男の周りを飛んでいた、黒い蜂を見たのだ。
あの後、井上と協力者の男が階段落ちしたので、わからなくなっていた。
「群れから逸れたら、死んじゃうんじゃないの?」
「そうだといいんだけど…。」
群れから、逸れてしまった働きバチは、基本的には死んでしまうらしい。単体では生きていくことができないらしく、よしんば別の巣を見つけても、仲間に入れてもらえないという。
もとよりあの蜂が、どの女王蜂に仕えていたのかは確認しようがない。
自分の女王が死んでしまった場合、ほかの巣の女王蜂を助けたりするのだろうか?でも独特の進化をして、電波で連絡を取り合うような生き物なら、考えられなくもない。そうだとしたら、女王蜂を追いかけるはずだが、自動車を追いかけていけるほど速くは飛べないはずだ。遠からず死んでしまうのだろう。
病院から逃げ出した人達は、北の方へ向かったと、病院で見た警察の報告書には書かれていた。その人たちは、どこかで死んでいるかも知れないが、集団で移動している以上、目的地があるのかも知れない。
報告書には山間部へ向かったのではないか、との推測が書かれていた。
確かに病院から北の方向に山はあるが、手前に真由美たちの高校もあった。
「まさか、学校の方に行ってないよねぇ…。」
不安感を拭えないまま、蜂が飛んで行ったであろう方向を見つめる。
気が付けば、陽が高く昇っていた。
朝が早かったからなのか、落ち着いたからなのか、急に空腹感が押し寄せてきて、腹の虫がキューと鳴いた。
「おや、まあ。」綾子が小さく笑う。
「お腹すいたなぁ。」
「もうすぐお昼だからねぇ。」
「非常食の乾パン、持ってくればよかった。」
せっかく学校から持ち出したのに、病院に置いて来てしまったのだった。
「なにか、持ってない?」
「無いわよ、ほら。」
綾子がスカートの、ポケットの内側を引っ張って見せる。と、彼女の家の鍵がポロっと落ちた。鈴が付いていたので、コロコロと音が鳴って、階段の下まで転がった
慌てて拾いに降りる綾子の、鍵を拾おうとして伸ばした手が止まる。ちょっと気味悪そうな顔をしている。
「どうしたの?」
「蜂の死骸って、集めていたかなぁ?」
そこには黒い蜂の死骸が落ちていた。
原形を保ったまま死んでいる個体は、真由美たちが病院で捕らえたモノだけだった。北棟の教室で、殺虫剤で退治した個体は、全部踏みつぶしていたからだ。
直哉も鈴村さんを助けた時に、蜂を踏みつぶしたと言っていた。
「殺虫剤をかけられた蜂が、ここまで来て力尽きたんじゃないの?」
「綾ちゃん、殺虫剤の臭いがしないの、ほら。」
シャーレに入れられた蜂の死骸を、綾子の顔に近づけるが、綾子は眉をしかめて顔を反らした。
「ごめん、真由美、やめて。」
なんだか虐めているような気がして、慌ててシャーレを引っ込める。
「あ、ごめん。」
「相変わらず、人の迷惑を考えないヤツだ。」
なぜか山崎も一緒だ。
ここは父の研究室、ロータリーの階段で見つけた蜂の死骸を、見てもらおうと思ったのだが、ちょうど救急車が来たので、父はそっちに行ってしまった。
千佳と直哉は、病院に同行させてもらうために交渉中だった。
救急車は4台来ているが、次いで何台か来ることになっている。
けが人を優先にして、銃撃で死んでしまった甲殻人化した人たちも、順番に移送するとのことだった。大学の研究員の皆さんが手伝っているが、真由美たちには今、手伝えることが無い。
「じゃあ、山崎、見てみて。」
山崎の前にシャーレを差し出す。
山崎はビビったのか、少し後ずさりしたが、思い直して顔を近づけ、臭いを嗅いでいる。
猫が、初対面の人の手の匂いを嗅ぐ仕草に似ていた。
「ごめん、わからん。」
さっきの殺虫剤の臭いが鼻についていて、判断できないらしい。
「良かったら、ぼくが見てあげよう。」
ニコッと笑って手を差し伸べてくれたのは、“イケメン”杉田研究員だった。
「救急車の方、手伝わなくていいんですか?」
「いやぁ、その、血とか死体とか苦手でね。」
手伝えないので、蜂の死骸の回収とかやっていたらしい。
「リア充台無しだな。」
山崎が皮肉を言っていた。
「いやぁ、面目ない。」
臆面もなくサラッと返されたので、山崎がタジタジとなっていた。
「この蜂が針を刺した後かどうか、わかればいいのかな?」
「誰かを刺した後なら、刺された人が居るかも知れないですから。」
ピンセットで、蜂の腹部を確認している杉田。その手元を、じっくりと見ている真由美と山崎。
綾子だけは少し距離を置いていた。
「血とかダメなのに、虫の解剖は平気なの?」
杉田はしばらくの間、拡大鏡で蜂の腹部を観察していたが、拡大鏡を覗き込んだまま、結果を報告した。
「これはどうやら、人を刺した後みたいだな、線虫みたいな部位がない。」
「誰か、刺されてるってことか?」
「刺されていても早めに処置すれば、怪物化しないで済むんですよね。」
「小さく脆い生き物だし、本体を傷つけないように取り出すのは難しいよ。ちゃんとした設備が整った病院で処置しないと、たぶんダメだね。」
綾子と山崎が露出している腕や、首周りを確認している。
綾子がシャツの襟をずらして、内側を確認していたのを、山崎や杉田が見ていたので、あわてて戻した。
「大丈夫だよ、綾ちゃん。刺されてなんかないよ、山崎も。」
刺されれば痛みを感じるはずだし、刺されたところには特長のある、二つの赤い痕が残っているはずなのだが、二人にはそれが無い。
むしろ、何かをしていたために、刺されたことに気付いていないのではないか、と思えるのだ。
「井上さんかも知れない…。」
リュウの協力者の男と、もみ合って階段落ちした後、彼女は蜂の死骸のあったあたりで昏倒していた。
意識の無い間なら、蜂に刺されたことに気付かないと思われる。
「手に負えないくらい強力な、甲殻人になっちゃうかも!」
「おおっ!」感嘆の声を上げたのは山崎だ。
「いや、綾ちゃんそれは無いから!」
「えっ、そうなの?」
なぜか山崎も、がっかりしていた。
もともと別の生物である以上、寄生している蜂には、人の体を動かすだけでも大変な負担がかかるはずのだ。もちろん、それ自体は相当すごいことなのだ。しかも、時間の経過により慣れてくるはずなので、完全に甲殻人化すれば、人並みに動けたと考えられる。最初に病院で見た二人の甲殻人は、人並み以上に動いていたから、寄生してからかなり時間が経っていると思われる。
しかし、個人の能力を活かせるかというと、組み合った時の筋力ぐらいではないか、反射神経を活かせるほどにはならないだろう、という話を父から聞いていた。
「もしも、綾ちゃんが突然、蜂になったとしたら、六本ある手足、それから羽を自由に動かせると思う?」
「蜂…?いやよ、蜂なんて!」綾子は凄く嫌な顔をした。
「いや、だから、もしもの話だって、イモムシよりは増しでしょ」
綾子は少しの間、ちょっと気持ち悪そうな顔になって考えていた。
「…あぁ、たぶん無理。」
「うん、蜂にとっても、同じなんだよ。」
脳にかかる情報量が違い過ぎるから、まともには動かせないのだ。
なぜ、人の体を乗っ取るような習性なのかはわからないが、目が黒くなっただけの人たちが、ゾンビみたいな動作だったのは、そういう理由だと推測される。
それはともかくとして、脳にたどり着いた時点で、人格を失うわけだから、寄生されてしまった人にとっては、命にかかわることには違いない。
「なんとか、助けてあげたいのだけど…。」
「救急車でも奪って行くか?」
山崎が、傍若無人な事を言いだした。
「私たちは犯罪集団か?」
何かやってくれるのか、とも思ったがそうじゃなかった。
「いや、…神崎なら、やるんじゃないかと……、」
言った後で、山崎の表情が引きつる。
嫌な視線を感じて、ゆっくりと真由美のほうを見た。
案の定、腕を組んだ真由美が、黒いオーラを纏って、山崎を睨んでいた。
山崎はゆっくりとした動作で、杉田の座っている椅子の影に隠れた。
「隠れなくても何もしないわよ。」ため息をついて、肩を落とした。
「さっきもいろいろ言われちゃったし、私だって空気ぐらい読めるからね。」
千佳からも危なっかしいと言われていたので、気にしていたようだ。
「…後で、何かするつもりだろ?」
杉田の背中から顔だけ出して、ジト目で見ている。
椅子の背もたれを掴んでいるので、杉田氏は盾代わりに使われているようで、困った顔をしていた。
「そんなこと、…しないわよ。」
実は内心、考えていなかったわけでもないので、ちょっと目が泳いでいた。
「………」
山崎はまだ、疑っているようで、体制を崩さない。
しばし硬直状態が続いて、そろそろイラっとしてきた真由美に、声をかけてきた殊勝な人がいた。
「面白そうねぇ、どこかに行くのなら送ってあげましょうか?」
声をかけて来たのは、研究員の皆口さんだった。
近くで真由美たちのやり取りを見て、笑って見ていた人だった。
「あっ、ノーパソの人。」
さきほど、真由美の前から父を連れて行った人でもある。
女王蜂の位置が特定できたのも、彼女の技術力があってのことである。
「学校?あなたたちの?あの蜂がいるのよねぇ…、危なくないの?」
もちろん蜂や、甲殻人がいると思うが、基本近づかない予定だ。
井上さんを見つけて、蜂に刺されているようなら、急ぎ病院に行くように促すのが目的である。
早い人で、2、3時間で発症するとのことだから、今からならまだ間に合う。
「もちろん、刺されてなければそれで終わりです。」
「その井上さん?だっけ、以外の人が刺されていても問題ないの?」
「井上さん以外だと、刺されたのは2人組のどちらかになりますが、それなら自業自得ですよね。」
気の毒とも思わない口調で返答する。
皆口女史の意向もさして変わりないようで、ニヤッと笑う。
「そうよねぇ、拳銃を突きつけられた時は、生きた心地がしなかったわ。」
「私もここに連れて来られる時に、拳銃で脅されたんですよ!」
「あなたも?わぁー、仲間ぁ。」
両手を取って上下に振る。
心なしか真由美が押されているようだ。
辛さを共有できる存在に会えて、うれしかったのだろう。
綾子は微笑ましく見ていたが、山崎は「子供か。」とだけつぶやいてブスッとしていた。
「もちろん、二人を追っている人達に、連絡はしますけどね。」
「ぜひ捕まえて欲しいものだわ!」
「もっともです!」
そう言ってがっしりと握手する。
結束が深まったようだ。
「じゃあ、さっさと行ってみようか!」
皆口女史が自席から、タブレットと車の鍵、ショルダーバッグを持ち出してきた。
白衣は標準装備なのか、身に着けたままだ。
「そういうわけで、ちょっと出かけてくるので、お願いしますねぇ!」
「ちょっと待って、教授から留守番、頼まれてたよねぇ。」
杉田は止めようとしたのだが、そんなことは聞いちゃいなかった。
「ここは杉田さんがいれば大丈夫でしょ、こっちは人命が懸かってるんですよ!それじゃあ。」
にこやかに手を振って、研究室を出て行く。
他の研究員たちも呆れている。
真由美はなんだか申し訳なくなってしまったので、ペコっと頭を下げて、それに続く。
綾子と山崎も、真由美を追いかけて出て行った。
もっともな理由をつけて、外出の必要性をアピールしているが、どう見ても興味本位にしか見えない。
もしくは、ここでじっとしていることに、飽きただけかも知れない。
彼女の車が置いてある駐車場へ向かう。
真由美は出発する前に、父に報告に行った。
「危ないからやめなさい!真由美が無理にやらなくてもいい事だ。」
普通の父親がするように、真由美の父もまた娘の安全を一番に考えた。
「でも、通信手段が無いから直接伝え無くちゃならないし、井上さんは恐い人だけど、いい人だし、命の恩人なんだよ。」
「それなら私が行こう、だから真由美はここにいなさい。」
「ダメだよ、お父さんはここの責任者なんだから、警察や病院とも連絡取らなくちゃならないでしょう。あと確認だけしたらすぐに帰って来るから、ね!」
父は少し考えた後、深ぁいため息をついた。
隊員さんの事も心配だが、娘の事はもっと心配だ。
しかし娘はこういう時、人の事を優先して譲らない。
「わかった。じゃあ井上さんの事を確認できたら、すぐに帰って来るんだよ、いいね。」
「うん、ありがとう、お父さん。」
皆口女史の運転する軽四のSUVが来たので、真由美は手を振って駆けて行った。
助手席に乗り込み手を振る娘を、やはり手を振って見送った。
「誰に似たかなぁ…。」
父親は、娘が皆口女史の車で出て行くのを見送った後、少し後悔した。
真由美もそうだが、皆口女史も結構、好き勝手にやっちゃうタイプだった。
「中継器、勝手に使ってたしなぁ…。」
「友達が二人付いて行きましたから、大丈夫でしょう。」
そう言ったのは、彼女らの話を遠巻きに聞いていた平野女史だった。
「それはお姉さんタイプの女子と、背の高い男子かな?」
ストッパー役の二人がいれば、大丈夫だろうと思ったのだ。
そこへ千佳と直哉が、これから病院へ向かうと報告に来た。
「真由美さんたちは、どこかに出かけたんですか?」
不安を覚えて、青ざめる父親がそこに居た。
「大丈夫ですか、教授。」
神崎教授の心配も絶えないが、平野女史の気苦労も絶えない。
続く
劇中に登場するレーダーのシステムは、かなりいい加減な設定で書いてあります。
本格的でないのですみません。
ちなみにこの場合のポーリングとは、特定の場所に電波を発信することを言っています。
あと電波塔などの公共の施設に、勝手に機器を取り付けるのは違法なので、マネしないようお願いします。