第四話
昔々の特撮ドラマ「ウルトラQ」あたりをモチーフに話を考えています。あと、古い特撮映画とか「ゾンビ」などホラー映画も参考にしています。
設定のおかしいところがあるかも知れませんが、ご容赦下さい。
前回に続き、病院が舞台になります。
事件の概要が少しずつ、判明していきますが、
真由美(主人公)の腹黒いところも、見えてきます。
(2021年3月22日一部修正しました。)
第四話
「味が薄い。」
どう見ても塩分少なめ、味薄めの味噌汁をすすりつつ、思わず愚痴ってしまった。
「病院の食堂だから、仕方ないわよ。」
向かい側に座った千佳が、不満を訴える真由美を窘める。
おかずは煮魚、根菜の煮物、漬物、そして白ごはんと味噌汁。
病人食がメインなので、薄い味付けになっているのだろう。
ここは病院の3階にある食堂である。警察からの指示で、避難所となった病院に泊まることになったのだ。お昼が乾パンと水だけだったので、夕食を早めにいただくことにしたのだ。
「僕は嫌いじゃない。」
山崎は中学の時まで、ここで食事を取ることが多かったという。
父の帰宅時間が大変遅いので、母が遅番の時に利用していたらしい。
ふと綾子を見ると、箸が進んでいない。
「大原さん、ごはん食べないと持たないわよ。」
「嫌いなものがあるなら、取り替えたげようか?」
「…ありがとう、…でも大丈夫だから。」
口元だけ笑うような感じで、返事が返って来た。
そしてゆっくりと、ご飯を口に運び始めた。
病院を襲撃した甲殻人たちが去り、警察の増援が来た後、各々で家族と連絡を取った。
真由美は関巡査の伝手で、パソコンのスカイプ通信で、大学にいる父と連絡を取ることができた。
母の所在も確認できた。勤め先の人達と一緒にいるとのことだった。
安心してもらうためにも、その後、電話連絡をした。
あの蜂たちは、真由美が想像した通り、電波を感知することができるようだ。
それどころか自らも電波を発しており、ミツバチがフェロモンで意思疎通を図るのと同様に、電波でコミュニケーションを取っているらしい。
それが通信用の電波帯と重なっているため、携帯電話などが、使えない状態のなっていると言う。
携帯電話は常に電波を発信しているため、彼らの策敵範囲にあれば、攻撃対象になり得るかも知れないとのことだった。
この件はすぐに対策本部に伝えられ、病院および警察関係者に、携帯電話の電源を切るように指示があった。
蜂が電波を発信しているとすると、働き蜂に指示を出している女王蜂、および巣の存在が考えられるが、今のところ所在の確認は出来ていない。蜂が個々に電波を発信しているので、女王蜂の発信する電波を特定できなければ、難しいとのことだった。これについては、研究員が別途、調査していると言う。
蜂たちが体内に持っている酵素は、血小板の活動を阻害する効果がある。つまり、しばらくのあいだ血が止まりにくくなるのだと言う。
蜂に刺された人の体内でも、同じ酵素が生成されているのではないか、確認中とのことだ。
例の白い繊維状のものは、蜂の神経束のようなもので、これを除去するとハチは死んでしまうとのことだが、何のために針と思われる部位にあるのかは、まだわからないと言う。
「人に寄生するわけじゃないの?」
「朝もそんな事を言っていたねぇ、でもまだそこまでは解明できていないよ。目が黒くなった人達とか、病院を襲撃してきた甲殻人、だったかな?異物が侵入している可能性も含めて、調べるように伝えておくよ。」
学校で起きたこと、病院で遭遇した甲殻人、蜂の出現など、もっと話がしたかったのだが、病気への対策が優先されたため、泣く泣く打ち切った。
時間があれば、またパソコンを貸してもらえるとのことだった。
その後、父が(女性の体から出て来た)蜂のサンプルを欲しがっていたので、写真を取り、病院のパソコンを借りて、メールで大学の研究室のパソコンに送ってもらった。
実物は警察に渡してあるので、別便で届けてもらう予定だ。
直哉の母と、千佳の両親はどちらも家におり、無事とのことだった。千佳が自宅に電話した時点で、判明した。さすがに両親公認は、話が早い。千佳の父親が迎えに行くことを提案したが、夜間は危ないからやめた方がいいと千佳が説得していた。
そんな中、綾子だけは家族と連絡が付かなかった。
家の電話は留守電になっており、父母の勤め先も調べて電話してみたが、やはり繋がらなかった。
手術室で蜂の脅威の生態を知ったの後、直哉や関巡査のおかげ(?)で少し調子を戻したものの、家族の安否不明という事実が、彼女の心に再び影を落としたようだ。
「関さんに相談して綾ちゃんの家に、様子を見に行かせてもらえないかなぁ?」
そうは言ったものの、たぶん無理だろうとは思った。
もちろん、家に行ったところで誰もいなければ、なお辛いことになりかねない。
千佳も直哉も黙ったままだ。おそらく考えていることは同じなのだろう。
警察としても、保護対象は一か所にまとまっていて欲しいはずだ。
特に“思いつきで動いてしまう”ような少年少女たちは、目の届くところにいてもらいたい、と言うのが警察側の本心だろう。関巡査も組織の人間なので、個人の興味よりも全体の足並みを揃えなければならないことは、重々承知しているはずある。こんな時は、子供である自分たちの無力さを思い知らされてしまう。
「誰か味方になってくれないかなぁ。」
車が使える人で、できれば警察関係者の味方が必要だ。
「条件さえ合えば、協力してもらえるかも知れない。」
「条件って、なんだ?」
妙な事を言いだした真由美に、山崎が聞いてきた。
「ギブ&テイクってあるじゃない。ソレよ!」
「テイクは協力してもらうことよねぇ。ギブの方はどうするの?」
千佳は怪訝な表情をしている。
「うーん、かくなるうえは、この若い身体で口説き落として…。」
「やめなさい!」「無理だ。」「やめて!」「頭、湧いてんじゃないかぁ。」
真由美の妄言に対する、皆の意見だった。
「みんなしてひどい!特に山崎のはひどい!」
「そんな、お子様体形で口説かれるヤツがどこにいるよぉ!」
「なにおぉ!女子高生って言うだけで、需要はあるんだからね!」
力説する真由美の頭に、ゲンコツが落ちた。
「やめて!」ことのほか大きいその声は、客の少ない食堂内に響いた。
綾子だった。
真由美の横で立ち上がっていた。
メガネに蛍光灯が反射していて、表情が読めない。
「やめてって、言ってるでしょ…、もういいから、私大丈夫だし、父さんや母さんが無事じゃないっていう確証があるわけでもないから、ね。」
顔を上げて、言い含めるように真由美をじっと見ている。
「…うん、わかった。」
綾子が腰を下ろし、ご飯をもそもそと食べ始めた。
強がってはいるが、不安は打ち消されていないようだ。
真由美は頭を押さえていた手を下ろして、「ごめん…。」と小さくつぶやいて、残りのご飯に手を付けた。
ほかにできる事もないので、5階の病室のベッドを借りて、早い時間に寝ることにした。
もちろんシャワーを借りることができたし、洗濯もできた。
虫除けのために設置された電気蚊取りの、プラスチックが焦げたような匂いが蔓延していたが、疲れていたせいかあっという間に眠りに落ちた。
でも、早めに眠ったためか、真由美は夜中に目を覚ましてしまった。
下着で寝ていたので、シャツだけ着てトイレに向かった。
綾子は隣のベッドで、真由美に背を向けて寝ていた。
深夜の病院はなんだか怖かったので、綾子に付いて来てもらおうと思ったが、あんなことがあった後なので、遠慮してしまった。
幸いなことに廊下の蛍光灯は、半分が点いていて、充分な明るさがあって安心した。
同時に、下着が見られてしまうのではとあわてたが、トイレはすぐ近くだし、こんな時間に出歩く人はいないだろうと、小走りでトイレに向かった。
手を洗って部屋に戻ろうとすると、誰かの言い争う声が聞こえた。
下の階のナースステーションから聞こえる。
階段の手すりに寄りかかって、下の階を覗いてみる。
男の人の足が見えて、二人いるのが分かった。
「行き先はわかったから、人手を貸して欲しいんや!」
「こんな状況なので、許可を出すことはできません。人手も足りませんし、朝になってからでないと、どうするかも決められないので待って下さい。」
関西弁?らしい男の声と、それを宥めているらしい男の声が聞こえる。
「相方は入院してまうし、手続きばっかで時間取られてもうて、こんな遅うなってしもたんや。なんとかしたってえな。」
「気持ちはわかりますが、今はどうすることもできませんので控えて下さい。」
次第に声が大きく、発声も荒くなってくる。
「お二人とも、ここは病院ですよ!しかもこんな遅くに、わかっているんですか?!」
堪り兼ねた看護師らしい人が、静かに二人を窘める。
ぶつぶつ言いながら退散していく足を、身を乗り出して覗いている。
「お嬢さん、危ないですよぉ。」
真由美の背中から、誰かが囁いた。
「うっ!」思わず振り返って身構える。
「しかも下着見えてるわよ。見つけたのが私で良かったけど。」
千佳だった。彼女はしっかりシャツとスカートを身に付けている。
「なんだ、先輩か。」
「なんだじゃないわ、誰かに見られたら嫌でしょう。早く戻りましょう。」
立ち上がり、とりあえずシャツがヒラヒラしないよう押さえて部屋に戻る。
「で、何かあったの?」
「良くわかりませんが、関西の人が文句言ってたみたいです。」
「なにそれ?」
「さぁ…。」
県立北見川大学、通称“北大”は前日の午後から臨時休校となり、登校してきた学生たちは自宅へ帰されていた。
午後からの講義に出る予定だった学生には、登校してきた時にわかるように立て看板が置かれた。
午前中に電話連絡、あるいはメールで連絡したが、携帯電話に通信障害が出ていたので、読まれたかどうかは不明だった。
学長を含む講師たちは、午後から各々の判断で引き揚げたので、問い合わせには留守電メッセージと、警備員による応答で対応していた。
ほかに残っているのは、蜂の生態調査にかかわる、十数名の研究者だけであった。
真由美父こと、神崎裕教授は、少し前に来たメールを確認中だった。
時計は既に、午前3時を回っていた。
前日もほぼ徹夜だったので、目がシバシバして辛い。
あくびを押さえつつ、病院からのメールを読んでいた。
夕方近くに蜂に刺された者たちによる、病院への襲撃があったのを聞いていたが、その事後報告が主な内容だった。
「神崎教授、やはりこの神経束は、生物の体内で生きていけるようです。」
白衣を着た女性研究員が、数個のシャーレを持って報告に来た。
シャーレの中には蜂から取り出した、白い繊維状のモノが、それぞれ成分の違う溶液に浸かっていた。
「ありがとう、平野さん。」
神崎教授は眠い目を擦りながら、机の上に置かれたシャーレの中を見た。
「哺乳類の体液に近い溶液で実験したところ、長時間の生存が確認されました。中でも、人の体液に近いものが、一番動きが活発です。」
彼女が指さしたシャーレの中で、10㎜くらいの白く細いモノがゆらゆらと蠢いていた。
夕方近くに採取したので、既に10時間近く生き続けている。
もちろん、ここから出したらすぐに死んでしまう。
「これ自体が、一つの生物、と考えてもいいと思います。むしろ、こっちの方が本体かも知れません。」
「それで蜂の体から取り除いてしまうと、死んでしまうわけだね。」
ますます、現実離れしてきた状況に困惑したようで、メガネを外して目元を指で押さえる。
「大丈夫ですか?教授。」
「あぁ、大丈夫。で、これも電波を出しているのかな?」
「出してはいませんが、感じる事は出来るみたいです。」
携帯電話の電源を入れて、実演して見せる。
緩慢な動きだったものが活発になった。
もはや“神経束”ではなく、“線虫”と言っても差支えないだろう。
ちなみにサンプルが少ないので、シャーレは4つしかない。
「こんな小さなものが人の体内に入って、人を操るなんてできるものでしょうか?」
「信じられない話だよね、私も動画を見たり、話を聞いたりしただけだからね。」
「しかも短期間で肉体を変化させてしまうと言うのも、にわかに信じられません。」
「でも写真や動画を見たよねぇ?それにさっき届いた報告書だけど、これを見てくれないかな?」
「病院からですか?これは、解剖所見…うゎっ。」
このての映像は苦手なのか、彼女は小さい悲鳴をもらした。
病院からのメールには、変異してしまった人の写真や、その司法解剖時の画像などが添付されていた。蜂に刺されて意識不明になった人の、目や手が変化するまでの記録画像もあった。
「目が黒くなっただけの人も、体中が黒く変異してしまった人も、脳幹にこの神経束というか、線虫のようなモノが取り着いていたようだ。」
平野女史が、それらしい画像を見つけて、表情を曇らせた。
『産み付けられたモノが、すぐに体内を移動したとか…?』
「まぁ、うちの娘がおかしなことを言わなければ、見落とすところだったけどねぇ。」
「しかし、どれだけの遺伝子情報を持っていると言うのでしょうか…、まるで特撮映画を見ているみたいです。」
体の変異の具合を確認すると、黒い外皮の内側は、人のそれと変わりない。
「皮膚が甲虫の外骨格みたいに変化しているんだ。娘が“甲殻人”と呼んでいたけど、うまい表現だよねぇ。」
そう言って、嬉しそうに笑う。
「それ、特撮番組の怪人の名前ですよ。」
「あれ?そうなの…。」
知ってはいたけど、親バカなところを見せつけられた感じで、彼女はすこし呆れてしまった。平野女史はこの研究室では古株なので、教授との付き合いは長い。
病院から届いた報告書には他にも、線虫を除去しても回復が見込めないとの記載があった。
以下の文は、その報告書からの抜粋である。
・脳幹に取り着いた寄生生物は、神経細胞と融合しているため、脳細胞を傷つけずに除去することはできない。
・仮に除去できたとしても、意識の回復は見込めず、変異した身体を元に戻す術は、見当もつかない。
・推測ではあるが、脳幹に取り付かれた時点で、本人の人格は失われていると考えられる。人としては脳死に等しい。
・除去するのであれば、脳幹にたどり着く前に、患部(刺された部位)ごと体から切り離すか、寄生生物本体を駆除する必要がある。
・なお、変異が始まるのは早い者で、2時間から3時間。人によってはさらに時間のかかる場合がある。
・初期は眼球、四肢の末端から変化が見られる。
「これはもう、刺されたら終わりということでしょうか?」
「刺されないことも大事だけど、刺された場合の対処法を考えなければならないねぇ。」
「虫除け薬が有効かどうか、確認してみます。」
「あれは主に蚊やハエ対応だから、あまり期待できないよ?」
「念のためです。もし有効なら、最悪の事態は避けられますし…、この資料は皆と共有してもよろしいですか?」
「その方が調査もはかどるよね、頼むよ。」
教授の許可が出たので、他の研究員のパソコンにメールを転送する。
「そう言えば、攻撃を受けると仲間の蜂や、寄生された人たちが助けに来ると言う話ですが、この研究棟は大丈夫なんでしょうか?」
いまさらであるが、蜂や甲殻人化した人たちの襲撃があるのでは、と心配しているようだ。
「私たち、研究だから仕方ないですけど、彼らにしてみれば、結構ひどい事してますよね?」
机の上にあるシャーレの中にあるものは、生きている蜂から取り出したものだ。
教授もそれはわかっているので、シャーレを見て少し困った顔をした。
「蜂のサンプルは電波遮蔽シートで覆っているから、大丈夫なんじゃないかな?念のためにみんなの携帯電話の電源も切ってもらったし、警備の人に残ってもらっているし、ね…。」
蜂が電波を発していることが分かった時点で、電波遮蔽材でサンプルケースは囲んである。
位置情報として彼らがここを覚えていれば別だが、常時電波を追跡しているものであれば、目的地を見失っていると考えられる。
朝になれば応援の研究員と、警備スタッフを呼んでもらえることになっているので、それまで何事もなければ安全だと思われる。これでも、急いでもらった結果なのだ。
「人手が増えれば、データを早くまとめられると思うんだ。」
「それよりも、もっと設備の整った場所で、研究する方がいいと思うんですが…。」
彼女の心配は絶えない。
こちらも成体のサンプルが数えるほどしかないので、調査範囲を絞って確認する方法しかないのだ。
本当はもっと時間をかけて、生態の調査や、周囲にどんな影響があるか、確認をしたいところだが、状況は逼迫しており、動ける人間で調査を続けるしかなかった。
蜂の正体については、日本国内だけでなく、他国の研究者のレポートや、データベース、過去の文献など調べているが、該当するものがほとんどなかった。唯一、赤道付近の島の漁師の噂話として、UMAなどを扱っているサイトに、電波を発する虫(蜂とは特定されていない)としての、記載があったくらいだった。
「ところで教授、少しはお休みになった方が、よろしいのではないですか?」
「1時間くらい寝たよ。君たちこそ大丈夫かい?」
数人いる研究員たちは、交代で仮眠を取っているとのことだった。
現在、起きている者たちは、各々調査や実験を行っていた。
「そうだねぇ、少し任せておいてもいいかな?」
平野女史が首肯したので、仮眠するべく研究室を出た。
「蚊取り線香でも焚いておくか…。」
翌朝、真由美は早い時間に、目を覚ましてしまった。もちろん、早い時間に眠りについたこともあるが、一度目覚めてしまったところに、睡魔はもう訪れなかった。かくなる上は、この時間を持て余している間に、父親と連絡を取り、昨日話せなかったことを話したいと考えたのだった。
いろいろなことがあり過ぎて、頭の中が整理できていなかった。父の考えとすり合わせして、情報をまとめたかったのだ。
事務所に行ってみると、警察の人と病院職員の皆さんが打ち合わせ中だった。
時計を見ると、午前6時を回ったところだった。この人たちも徹夜だったりするのだろうか、などと考える。
さすがに邪魔をするわけにはいかないので、食事を済ませてから再度伺いを立てることにした。
食事に行くなら綾子も誘おうと思って戻ったのだが、彼女はまだ眠っていた。
千佳も反対側のベッドで、まだ眠っていた。
ぐっすり眠っているようだし、なんだか声を掛けづらいことも相まって、先に朝食を食べに行くことにした。
『おはよう、先に食事に行ってるよ♡』と書いた、メモを残しておいた。
食事を済ませて再び事務所に行ってみたが、打ち合わせはまだ終わっていなかった。
まだ7時前である。
『パソコン通信じゃなくても…、』と思いなおして、公衆電話から大学に連絡してみることにした。呼び出し音は鳴っているのだが、誰も出てくれない。
なんだか嫌な予感がした。
こういう時は悪い方に考えがちになるのだ、と自分に言い聞かせて、時間をおいてからかけなおすことにした。待合室の長椅子に座ったり、うろうろしたりして時間をつぶした。その間、何人かの人が受診に訪れて、疲弊気味の看護師さんが対応していた。病院の入口には、警察官が立っていた。昨日のような襲撃に備えての、警察の配慮だと思われた。
しばらく待ってから、もういちど電話連絡を試みるが、やはり誰も出ない。
“なにかあったんじゃないかな?”という、不安な妄想が沸き上がってきた。
蜂の生態を調べている以上、仲間の蜂や、甲殻人に襲われるリスクは避けられない。
誰かに相談すべきと思って食堂に行ってみたが、両親に連絡がつかない綾子に、自分の親のことで相談はできなかった。今も、もそもそと朝ごはんを食べているところで、声もかけ辛い。
千佳は直哉は手術室で一緒だった小林先生と、何事か話しこんでいたので遠慮した。
山崎は対象外だった。
なんだか涙も出そうになった。
どうしようかと思ったところに、見知った顔が現れたので、思わず泣きついた。
「関さぁん!」
「わぁ、なにするんだ!」
関巡査は痛めた肩の方の腕を、三角巾で吊っていた。
真由美が急に声をかけてきたので、驚いて持っていたコーヒーを、危うく落とすところだった。
「…ごめんなさい。」
上目遣いで謝罪したうえで、大学と連絡が取れているのか聞いてみた。
関巡査は困った顔で真由美を見ると、「なにか飲みなさい、落ち着くから。」と、コーヒーを奢ってくれた。昨日の痛ましい事件で、精神的に参っているようで、その表情は精彩を欠いていた。
綾子達から少し離れた席に座り、あまり大きな声で騒がない様にと、念を押された。
「実は今、調査班が向かっている。」
真由美は、ガタっと音をたてて立ち上がった。その顔は明らかに動揺している。
「順に説明するから、落ち着いて!」関巡査がそれを諌める。
真由美が椅子に座ると、巡査はコーヒーを一口飲んでから口を開いた。
パソコンを用いて、警察と病院と大学で、情報交換をしていたのだが、今朝の連絡予定時間になっても大学からの連絡が無いという。
「なにか、あったんでしょうか?」
「それを調べに向かっているんだ。」
担当者が居眠りをしているだけかも知れないので、警備室の直通電話にかけて見たが、繋がらなかったという。
唯一の連絡手段である有線連絡が途絶えてしまっては、有効な対抗策を打つことができないので、警察も重要視しているのだ。
「なんで教えてくれなかったんですか?」
「教えたら着いて行こうとしたでしょ?」
「そんなこと……、ないですよ。」そう言って目を反らす。
えらく間があった。“当たり前ですよ!”と言いかけてやめたような気がする。
「もしくは友達をそそのかして、大学へ向かうとか…?」
「そそのかしてなんて…、人聞きの悪い…。」
パッと見たところ、にこやかにしてはいるが、目が泳いでいるし、冷や汗を掻いているから図星なのだろう。
「…これは警察で対処する事案だからね。」
「………」不服そうにムッとして、視線を合わそうとしない。
「昨日はいろいろ助けてもらったりもしたけど、君たちに危険なことをさせる訳には行かないんだ。」
真剣な表情で、真由美を見ている。昨日、妄想話をしていた時の余裕は微塵もない。本気で心配してくれているのがわかったので、表情を崩して思わず下を向いてしまった。
うつむく真由美を見て、子供たちに迂闊なことは言えないと、自身の行動を反省しつつ、巡査はコーヒーを口に運ぶ。
真由美はと言えば、心配してもらっているのはわかるのだが、なにがあったのかはどうしても知りたいところだった。もちろんなにもなければ、それはそれで構わないのだが、何より父親の事がすごく心配だったのだ。
そこで、ふと気が付いた。
「関さんはなんで、一緒に行かなかったんですか?やっぱりケガのせいですか?なんで朝早くから病院にいるんです?」
ケガさえしてなければ同行していたのだろう、と思って聞いてみた。
「…ホントに君は遠慮が無いなぁ、…できれば空気を読んでほしいところなんだけど…。」
関巡査は、呆れ気味に答えた。
少し間が空いたのは、自身の甘さを痛感したからなのかも知れない。
並みの大人なら“いい加減にしなさい!”と、声を大にして諫めるところである。
むしろそうすべきと思ったのだが、その場合、彼女はそれこそ何をするかわからなかったので、ひと通り伝えて、落ち着いてもらおうとしたのだ。
「まあ、いろいろあるんだ…。」
現場では、なにが起こるかわからないので、調査は機動隊員で行うことになった。県警から応援に来ている人たちだ。
「昨日、見ていると思うけど…。」
1階に降りてきた時に、拳銃を構えていた人たちだった。
実際、甲殻人相手では、銃の使用は已む無しということで、暫定的に許可が出ていた。
夜のうちに、病院と大学から報告書が来ていて、それを読んだ対策本部が決定したとのことだ。
それならば、荒事に長けた人員を派遣する方が好ましい、ということになったという。
関巡査は、昨日の甲殻人襲撃事件の当事者なので、事情聴取の際には連絡の取れる場所にいるように、指示されているとのことだった。
「つまり、目の届く範囲にいろってことだよ。」
「事情聴取って、昨日の内に終わってたんじゃないんですか?」
「ひと通りはね、時系列にまとめて報告書は出してあるけど、判断に間違いはなかったかとか、こまごまとした事を聴取されるんだ。」
事情聴取は、当面の間、数回にわたって行われるらしい。
この事件では、死傷者も出ているので、扱いの難しい事案なのだ。
関巡査は、ケガをしているうえに、亡くなった坂口巡査とは親しかったらしく、メンタルケアの意味もあって、直接の任務から外されたようだ。
しかし、今は人手が足りないので、別の仕事を任されたのだと言う。
「ちょっとばかり、お客さんの相手を、しなければならなくなってね。」
「お客さんですか?」
「…招かれざる客、ってやつかな。」
関巡査の表情が曇った。
昨日の事件に真由美たちが関わったことで、余計な負担が掛かっているのかも知れない。
それは実際その通りだったが、巡査の近々の問題は別のところにあった。
「ここにおったんかいな、防犯カメラの確認したいんやけど、つきおうてくれへんか?」
コーヒーを飲む巡査の顔が、さらに厳しくなった。
見るとボサボサ頭の男の人が、足早に近寄って来る。
片手にジャケットを抱え、もう一方の手に何枚か書類を持っていた。
関巡査と同じくらいの年齢の人だが、色黒の野暮ったい感じで、よく見ると無精ひげも生えている。
「なんや自分、女子高生とお茶しとんのかいな?」
真由美は制服を着ているので、女子高生とわかったのだろう。
どうやらこの人が“相手をしなければならない人“らしい。
でも、なんだかイケないことをしているような、言い回しをするのは何故だろう?
「休憩しに来たら、相談を受けていたところです。こちらは神崎教授の娘さんです。」
「ああ、昨日逃げて来たっていう子か、災難やったなぁ。」
関巡査の隣の椅子に、ドカッと座って真由美を見た。
「どうも。」紹介されたので、ペコっと頭を下げる。
夜中にナースステーションで、文句を言っていた人だと思い当たった。
大阪府警から来たと言うその人は、鈴村と言う刑事さんだ。
「なんでこんな間の悪い時に来たんですか?」
真由美の歯に衣着せない物言いに、鈴村刑事の眉がピクッと動いた。
関巡査はコーヒーを吹きそうになったが、何とか堪えた。
「それは“例の蜂”の騒ぎでたいへんな時に、と言うことかいな…、まぁ確かに間が悪いわなぁ。」
ぶしつけな質問だったのに、気軽に流してくれたようだ。意外と懐が広い。
「人探しだそうだよ。」
「入国管理局の手伝いで、仕方なくやっとるんや。」
「ってことは、相手は外国の人なんですか?」
「おっ、嬢ちゃん、察しが早いなぁ。」
「入国管理局という単語が出たので、ピンときました。」
「この病院にも来とったらしいんやけど、どっかで見とらへんか?」
四角い顔立ちで浅黒い肌の男の写真を見せられたが、心当たりがない。
日本人とそう変りない顔つきをしているから、中国か韓国の人だろうか?
「この子たちが来たのは午後からだから、たぶん見てないと思いますよ。」
真由美たちが来るより前の時間らしい。
職員の人達には、ひと通り確認してもらったようで、北大への道を聞かれた職員がいたと言う。
「なんで、父の大学に?」
「わからへんけど、例の蜂を調べてんのやったか?こいつがそこに行ったんなら、なんか関係があるかも知れん。せやから、わしもそこへ行きたい言うてんねんけど…。」
鈴村刑事は不満そうに、関巡査を見る。
未知の脅威に対処することと、住民の安全を守るために、人手を割けないと言うのだ。
「事態が収束するまで、待ってもらうようにお願いしています。」
対する関巡査は伏せ目がちに、定型文を読むような感じで返答している。
「いつ、収束すんねん?」
「わかりませんが、皆頑張ってもらっています。」
「ちゃっちゃとしいや、鈍臭いなぁ。」
関巡査はこの人が苦手なようで、さっきから低姿勢ではあるが、居心地が悪そうに見える。
階級が上の人が、下の人に無理なことを言うのは、パワハラじゃないのだろうか?
もちろん、関巡査に文句を言ってもどうしようもない。
でも地方都市に人探しを任されている鈴村刑事も、職場での立場はあまり良くないのかも知れない。
「相方の人は、放っておいていいんですか?」
「入管のおっちゃんかいな、せっかく来たのに盲腸やて、信じられへんわ。」
こっちの警察署に来る途中、腹痛で倒れてこの病院に運び込まれたらしい。
「警察も病院もバタバタしとるし、スマホ使われへんし、本署へ連絡したら、相方の回復待ってからでいい言うし、2、3日入院やちゅうし、どないせえちゅうねん。」
応援のために連れてこられたのに、何もできないことに、苛立っているようだ。
ちょっと気の毒な気がした。
そのちょっと前、直哉と千佳は医師の小林さんと向かい合って朝食を取っていた。
昨夜はあまり寝られなかったと言う小林さんは、思いのほか元気そうでテンションが高かった。
警察に呼ばれて、遅い時間まで二つの遺体を調べていたと言う。
関巡査に撃たれて死んだ甲殻人と、彼らの目の前で死んでしまった気の毒な女性だ。
彼女は蜂の持つ酵素で、行動不能にされていたらしい。
「徹夜に近い仕事はよくあるけど、昨日ほど興奮したことは無かったよ。」
ちょっとあぶない医者、のような事を言っている。
直哉も千佳も引き気味である。
食事中だけに、解剖の話には触れなかったが、蜂の正体について妙なことを言いだした。
「戦争の時に作られた、生物兵器じゃないだろうか。」
直哉も千佳も箸が止まった。
困った顔をして、お互いの顔を見合わせた。今度は“生物兵器説”だった。
山崎と関巡査が、蜂の正体について持論を展開していたが、ここにもう一人いたのだった。
「戦時中に、軍が秘かに作っていた生物兵器が何処かにあって、何かのはずみで封印が解かれてしまった…、とかじゃないかと思うんだ。」
「え~っと、この場合は日本軍のものですか?」
「そうとは限らないよ、あの蜂がどこから来たものか、わからないからさぁ。」
千佳が話を合わせて、蜂たちの出処に付いて意見してみたら、目をキラキラさせて乗っかって来た。
「戦時中はどこの国でも、極秘の研究施設があったらしいんだ。」
小林さんは、戦時中の軍部の秘密工作に付いて熱く語っていた。
個人的な妄想が中心だったが…。
「じゃあ、俺はこれで。」
ひと通り話し終わって気が済んだのか、お茶を飲み干すと、スッキリした顔で仕事に戻って行った。
「お医者さんって、たいへんなんだねぇ。」
「昨日はいろいろあったからなぁ…。」
これが一戸建ての縁側であったなら、年輩の夫婦に見えたかも知れない。
2人がお茶を飲んで一息ついた頃、少し離れた席で真由美と関巡査が、ボサボサ頭の男の人と何か話しこんでいるのに気が付いた。
「誰の写真?」
テーブルの中央に置かれている、写真の主を聞いてきたのは千佳だった。
真由美が振り返ると、千佳と直哉が後ろに立っていた。
二人に、鈴村刑事の紹介と、写真の男を探していることを伝える。
「見たことないか、そうかぁ…。」
直哉も千佳も心当たりがなかった。
「じゃあ、やっぱり防犯カメラから探して行くしかあらへんなぁ。」
「わかりました、行きましょう…。」
関巡査は大きくため息をついてコーヒーを飲み干すと、ゆっくり立ち上がる。
よっぽど鈴村刑事の手伝いに、気が乗らないらしい。
「どこいらへんから、確認しますか?」
「せやなぁ…。」
これから防犯カメラの映像を探すようだ。
確かに、こういう強引な人が相手ではやりづらい。
真由美は少し同情したが、聞かなければならないことを思い出した。
「関さん、病院から逃げ出した人達は、どこへ行ったか、わかったんですか?」
甲殻人に連れられて、出て行った人たちの事である。
巡査は真由美の方を見て少し考えたが、「捜査情報を漏らすわけにはいかない。」と言って席を立った。さすがに子供たちには、教えられないと判断したのだろう。特に真由美の耳に入った場合、やらなくてもいい仕事が増えそうだ、と思ったに違いない。
「そう言えば、きのう助けた婦警さんが、乱暴な運転の車に跳ねられたって言ってなかったか?」
いつの間にか山崎が、テーブルの端に座っていた。
みんなして山崎の顔を見る。
山崎は何がみんなの気を引いたのか、わからなかったようで「?」マークを浮かべたまま、パックの牛乳をチューっとやっていた。
「ここへ来る途中の話よね。」
「えらくあわてていた、みたいなことを言ってたかな?」
そう言えば、っという感じで千佳と直哉が話している。
小耳に挟んだらしい関巡査が、バタバタと言う感じで戻って来た。
「田中の話かな?」
「そうです。」
「それはどのあたりか詳しく!」
事情聴取を受けることになった。
綾子が「ごちそうさま。」を言って、立ち上がった時には、4人がまとめて連行されていくところだった。
「何ごと?」
朝ごはんのお盆を返却口に置くと、トボトボと後を追った。
田中巡査は重症ではあったが、現在は意識を回復していた。
そして、暴走車に乗っていた男の顔を覚えていた。
車を運転していたのは、鈴村刑事が探していた人物らしい。
車種はわからないが、古い型式の車だったらしい。
「と言うことは、ここを通って大学へ向かったんやろうか?」
「車は盗んだんでしょうね。」
当日は病院の駐車場や周囲の道に、無造作に駐車していた車もあったから、鍵を付けたままの車もあったかも知れない。
「盗難届けとか出とらんのかいな、車のナンバーとかわかると助かるんやけど…。」
「持ち主が死んでしまったか、病気になってしまったのなら出てないでしょうね。」
関巡査の意見は現実的だけど、悲観的だった。
事故の現場付近には、警察管理の防犯カメラはなかったらしい。
現地へ赴いての調査ができない以上、使える監視カメラ映像に頼るしかないのだが、この時間はまだ、通行車両も多く、乱暴な運転をする古い車というだけでは、特定が難しい。移動ルートを特定するほうが、近道だと判断したようだ。
関巡査と鈴村刑事は病院の会議室を借りて地図を見ながら、逃亡者の行方について話しあっている。
成り行きから真由美たちも一緒だ。
彼女の表情は暗いままだったが、何か考え込んでいるようだった。
「いちばん近いのはバス通りへ出て、大学へ向かうルートですかね?」
「アホか、乗り馴れへん車で、よく知らん町をホイホイとは行かれへんやろ!」
「…それじゃあ、どこかで道に迷っているかも知れませんねぇ。」
千佳が突拍子もない事を言いだした。真由美が落ち込んでいるので、場を和ませようとしたらしい。が、鈴村刑事は普通に返してきた。
「せやなぁ、迷うとるかも知れんなぁ。」
移動ルートを探るのに集中しているようで、生返事が返ってきた。そう言えば相手は外国人だった。
「…まだこの辺りに、いるかも知れませんね。」
直哉が、輪をかけて取り留めのない話を振る。
「せやなぁ、まだその辺に…って、そんなわきゃあるかい!」
ちゃぶ台があったらひっくり返す勢いで、鈴村刑事が立ち上がる。
「ノリツッコミだ。」と山崎がつぶやいていた。
この不法入国者が大学に着いて、何かしたから連絡が取れなくなったのか、それとも別の原因があるのかは、現地へ行って確認して見ないとわからない。
でも犯人がそこへたどり着けていないのなら、間違いなく後者だろう。
移動した甲殻人や連れて行かれた人たちが、大学に侵入して暴れているとか、採取した蜂に刺されて、たいへんなことになっているとか、もしくは別の蜂や、別の黒い目の集団に襲われたとか…。
真由美の推測(妄想)は、悪い方へ悪い方へと転がっていく。
ついには頭を抱えた状態で、ペタンと机に顔を伏せてしまった。
頭から、湯気を吹き出しそうな感じである。
「真由美、大丈夫…?」
綾子があわてて両肩を揺すった。「…うん。」と小さい声が返ってきた。
それを見かねた…か、どうかはわからないが、千佳が関巡査に尋ねた。
「調査班の人達から、連絡はないんですか?」
「そろそろ現着しているだろうから、連絡があると思うけど…。」
関巡査が、時間を確認して立ち上がった。
ちなみに大学の建物に入れなくても、電柱にある通信ケーブルに、受話器を繋ぐ技術があるそうだ。
「ちょっと聞いてくるよ。」
気まずさから、席を外したような気がする。
警察署は目と鼻の先なので、すぐに戻って来るだろう。
とはいえ、鈴村刑事は地図を見て考え込んでいるし、気まずい雰囲気は解消しようもなく、重い空気が流れていた。
「えーっと、この写真の人は、何したんですか?」
間が持たなかったのか、千佳が鈴村刑事の探している人物について聞いた。
「和歌山沖で漂流しとったところを、漁船が助けたんやけど、収容されとった病院を勝手に抜け出しよってん。」
「不法入国?ですか。」
「まぁ、そんなようなもんや。」
「体調が戻ったら、本国に帰す予定だったんですよね?」
「強制送還な、もとより不法入国目的で、船に乗って来る人間も多いからのぉ。」
「船…、船で来たんですか?」
船という単語に、何か感じるものがあったのか、真由美が顔を上げた。
「まあ、海で漂流しとったんやから、船やろうなぁ。」
「飛行機が墜落したとかだったら?」
「そんなことがあれば、ニュースになっとる!」
山崎が船以外の遭難説を思いついたが、鈴村刑事に一蹴された。
「船…。」今朝、父と研究員との間で、交わされていた話を思い出した。
「ちょっと前に不審船が沖の方に流れ着いて、船は燃えちゃったらしいけど、その時にたくさんの虫が、飛び立ったって言う話があるんですけど…。」
「その虫が今、世間を騒がしとる蜂やってか?それが何の関係があるんや?」
「その船が、この人の船じゃないかってことかしら?」
千佳が不法入国者の顔写真を指した。
「そう、それ!」
鈴村刑事の眼の色が変わった。
「それはいつの話や?」
「ごめんなさい、聞きかじった程度なんで詳しく知りません。」
「テレビのニュースで流れていたなら、ネットで調べたらわかるんじゃないか?」
「記事によると、ひと月ほど前ですね。」
「あいつが助けられたのが、そのちょい前やな。距離的にもだいたい合うとるし。」
「不審船の関係者の公算が、強くなりましたね。」
鈴村刑事はパソコンが得意ではないので、真由美がパソコンの操作をしている。
病院に許可をもらって、借りて来たものだ。
ネット検索で、船舶事故の概要を調べている。
「船の持ち主とか、調べてみんとわからんけどな。」
「そこは警察でないと、調べられませんね。」
「今度は何をやらされるのかな?」
警察署から戻った関巡査に気づいて、千佳が声をかけた。
「お疲れ様でした。どうでした?」
「……調査班からの連絡は、まだないようだ。でも、到着が遅れているか、機械的なトラブルの可能性もあるので、第2班の出動はもう少し待ってからになるらしい。」
関巡査は少し間を開けてから現状を伝えた。その声に普段の明るさは無い。
それはどう伝えるか、悩んだためらしい。
真由美はパソコンに向き直ってうつむいた。
それを見ていた千佳たちも、声をかける事も出来ず見つめることしかできなかった。
綾子が近寄って来て、手を握ってくれた。
真由美は涙を溜めていたが、綾子の顔を見つめ返すと、指で目元をぬぐった。
「関さん、ひと月前の不審船の事故が、今回の虫の事件と関わりがあるかも知れません。船の船籍とか、調べられませんか?」
調べていた船舶の事故を、中腰になって、パソコンのモニターを巡査のほうに向けて説明する。
「あ…、あぁ、わかった。知らべられる範囲でやってみるよ。」
悪い知らせに落ち込んだかと思いきや、なおも前向きな態度に気おくれしたようだ。
「あと、鈴村さんの追っている人も関係があるかも知れません。」
「えっ、そうなのか?」
とにかく、その勢いに押されてか、巡査は再び警察署の方へ向かった。
関係あるとしたら、何かできるかもしれないと思ったのか、鈴村刑事がそれを追いかける。
関巡査は警察署から持ってきた、数枚の書面を置いて行った。
それは警察と大学とでメールでやり取りした内容を、コピーしたものだった。
最後のメールは午前3時42分となっていた。
蜂の生態についての大学からの、調査資料が添付されていた。
「真由美、あんた強いわねぇ…。」
綾子が後ろから抱きついてきた。泣いているようだ。
「神崎さん、無理しなくてもいいのよ。」
「先輩の方が泣きそうな顔してますよ、大丈夫ですか?」
真由美は椅子に座ったままなので、肩越しに声をかけて来た千佳を見上げる。
落ち込んではいるようだが、しっかりと千佳を見ている。
むしろ、千佳の方が辛そうな顔をしていたようだ。
「でも、お父さんが心配なんじゃないの?」
「父は虫には詳しいんです。相手が虫の類なら、そう簡単には負けたりしません!」
何が勝ち負けを決めるのかはわからないが、まだ諦めてはいないようだ。
「だから、綾ちゃんもまだ諦めないで。」
「わかった…。」
抱きついてきた綾子の髪を、真由美が撫でていた。
山崎は椅子に座って、その様子をじっと見ていたが、直哉に椅子ごと後ろ向きにされた。
直哉も同様に後ろを向いて、椅子に座り直した。
「なんだよ…。」
山崎にじっと見られているのに気が付いて、直哉が声をかけた。
「何でもない…。」
例の不審船の持ち主が中国にある大手の製薬会社で、船を借りていたのがリュウ・ユウチェンと言う、中国籍の生物学者だとわかったので、警察はこの男の周りを調べ始めた。
鈴村刑事が探している、不法入国者である。
だからと言って、不法入国者確保のために、鈴村刑事の自由行動が許されるとか、人手を回してもらえるというものではなかった。
相変わらず待機状態であった。
実際、この男がどう関係しているのか、この蜂について何か知っているかという事も、不明なのである。
調査班の第二陣も、やっと準備を始めたところで、いつ出発するかも決まっていない。
「関さん、ちょっとお願いがあるんですが…。」
「大学まで連れていけ、と言うならダメだよ。」
関巡査はさっきの会議室で、パソコンを使って報告書を作成している。
署に戻った時に、新しい資料を要求されたようだ。
パソコンの画面から目を離さずに、真由美に答えていた。
「懲りないなぁ。」と、山崎がぼやく。
少し離れた椅子に座って、その様子を見ていた。
千佳がクスッと笑っていた。
「違います。綾子だけ家の人に、連絡が付いていないんです。」
「家まで様子を見に行きたい、ということかなぁ。」
「さすがに話が早い。」
「気持ちはわからなくもないが、ダメだよ…。警察の方もあの蜂と、病人の人たちをなんとかするので、手いっぱいだからね。」
「人手が足りないんですか?」
「そう、足りないんだ。僕なんかこんな状態だし、早まって二次被害を出すわけにもいかないからね。」
「でも一人、遊んでますよね?」
「なんや、遊んどるちゅうのは、わしのことか?」
鈴村刑事は読んでいた書類から目を離して、ギロリと効果音が着く感じで真由美を睨む。
先ほど関巡査の持ってきた、蜂についての調査資料を読んでいたようだ。
この警察署の管理職から、「不法入国者の正体がわかったからと言って、単独で勝手なことをしないように!」と、念を押されてしまったので、まさに“虫の居所”が悪い。
想定していた事ではあったが、もともときつい口調が、5割増しになっていて、少しビビった。気を取り直して、再挑戦する。
「ごめんなさい、手持ち無沙汰ですよねぇ?」
「すまんのぅ、地元警察の皆さんに勝手なことせんよう、言われてんねん。」
椅子の背もたれに、覆いかぶさるように座って書類を見ていたので、子供が拗ねているみたいだ。
「お手隙なら、手を貸していただけないでしょうか?」
「わしも暇や、ないんやでぇ。」
「忙しそうには、見えないな。」と、ぼやいたのは山崎だ。
それを聞いた鈴村は、すごくめんどくさそ~な顔をして答える。
「手を貸せとは、嬢ちゃんの友達の家の様子を見に行くのんを、付き添えちゅうんかいな?」
「はい、私達だけでは、出かけられませんので。」
それはもう、にこやかな表情で、提案したと言う。
「鈴村さん、取り合っちゃだめですよ!」関巡査が注意する。
「わしがぁ?…嬢ちゃんの、友達の、家の様子を確認に?付き合えと?」
険しかった鈴村の顔が、アハ体験の写真のように、悪い笑顔に変わっていく。
「せやなぁ、手も空いとることやしなぁ。」
ニヤッと笑って振り返り、関巡査の顔を見る。
「やっぱ、警察やからなぁ、こんな時にこそ人の役にたたなあかんなぁ。そうやろう?」
バンっと関巡査の肩をたたく、もちろん痛めていない方である。
「いやいやいや、ダメでしょう普通、大のおとなが子供に焚きつけられて、恥ずかしくないんですか?」
関巡査は、真由美の悪だくみに気付いたようで、キーボードから手を離して、止めに入る。
どう考えても目的地へ行く途中か、その後で、目標を変更しそうだ。
「まあ、警察やさかいなぁ、人助けは基本やなぁ。」
立ち上がってジャケットを手に取り、歩き出す。
「さすが関西の刑事さんは懐が広い!」
真由美がその後に続く。おべんちゃらも忘れない。
綾子に目配せして、着いてくるよう促す。
「見守り役も必要よねぇ。」
「えっ?」
千佳が直哉の腕をつかんで続く。
「ぼ、ぼくは……。」
山崎も立ち上がって関巡査を見たが、役どころが思い付かなかったらしく、そのまま通り過ぎた。
困り顔の関巡査を横目に、部屋を出て行く。
関巡査は会議室から出ていく鈴村たちを見て、深いため息をついた。
「なんや、まだ止める気ぃかいな?」
病院の駐車場に停めてあったワンボックスカーに、乗り込もうとしたところに、関巡査が追いかけて来た。鈴村が大阪から乗って来たものだ。
「俺も行きます!」
「へっ?」
「なに言っても、行く気なんでしょう?」
「仕事やからなぁ。」
「残っていても、上から文句言われるだけです。なら、監視する名目で、一緒に行きます。」
それを聞いた鈴村が、ニヤッと笑う。
「断っとくけど、たいした武器は無いでぇ。」
「人探しには必要無いです。」
「言うやないかぁ。」
助手席に関巡査が乗り込み、真ん中の席に真由美と綾子、後部席に千佳と直哉、そして山崎が乗り込む。
「無理に着いて来なくても、良かったのに。」
「無理してなんか無い。」
山崎は母親がここに居るのだから、来ないと思っていたが意外だった。
「道がよくわからんからなぁ、ナビ頼むでぇ。」
関巡査が目的地を指して、車は走り出した。
「坂本さんに断ってから来たほうが、良かったんじゃないですか?」
「入院しとる間に、かたづいとったほうがええやろ?」
坂本さんというのは、鈴村さんと一緒に来た入国管理局の人で、盲腸で入院中だ。
「後で怒られても知りませんよ?」
「大丈夫や、…慣れとるし。」
鈴村さんは、命令違反みたいなことを、ちょくちょくやっているみたいだった。
「ところでその、木刀はわかるんやけど、嬢ちゃんのデッキブラシはなんなんや?」
間もなくして、鈴村さんが尋ねてきた。
直哉は木刀を、真由美はデッキブラシを持ち込んでいた。
「お守りだそうです。」
「さよか…、もちっと、ええもんは無かったんかいなぁ。」
真由美は答えようとしていたが、関巡査が代わりに答えてしまったので、「なかったんですわぁ。」と変な関西弁で返した。後部席で千佳が笑っていた。
大きな通りなのに、ほとんど車は走っていない。
警察からの待機要請が、効いているようだ。
「夜中に出歩いて、巡回の者に注意されていた若者がいたらしいです。」
「アホやのう、こんな時くらいおとなしゅうでけへんのかいな。」
蜂に刺された人が、人を襲ったりするというのは、テレビのニュースでも流れていた。
警戒する人がいる反面、無謀なことを考えるものは、少なくないようだ。
鈴村刑事の発言を、『あんたが言うな!』と思ったが、自分たちの行動がまさにそれだったので、真由美は黙っていた。
「真由美、ごめんね。」
神妙な顔をした綾子に、そう言われた真由美だったが、本当の目的は父の安否確認だったし、そのために大学に行きたかったわけだし、目的が同じ鈴村刑事を焚きつけたのは事実なので、少しばかりバツが悪かった。
「そんなこと、当たり前じゃない!友達でしょ。」
ちょっとばかり目が泳いでいた。なんだか冷や汗も出ている。
「実はなんとかして大学に行きたいから、あたしのことダシにつかったわけじゃないよね?」
「いやぁ、…そのぅ、そんなことないよ、うん。」
綾子の表情が厳しいものになった。目尻がキッと上を向く。
「…真由美ぃ~!」
綾子が、真由美の両のほっぺをつまんで引っ張る。
「どうしてそう勝手なことするの!みんなを振り回して、楽しいの?」
「い、いひゃい、いひゃい、やへへ。」
綾子の手を振り払って、赤くなった頬をさする。
「だって、ずっと落ち込んでたじゃないよ。」
「だからって、無茶なことしなくても…。」
「でも、元気出たでしょ、家の様子を見に行くって言ったら。」
「あっ…、」
「お前ら、ほんまに仲ええのんなぁ。」
前を向いたまま、鈴村刑事が声をかけて来た。
笑っているようだ。関巡査もほほえましく見ていた。
二人して顔を赤くして下を向く。
「お節介…。」っと、綾子が小さくつぶやいていた。
「まあ、焚きつけられた身としては、期待に答えるしかないけどな。」
「それを言っちゃあ、付き合っている俺の立場が無いじゃないですか。」
関巡査の意見はもっともである。
「橋の手前の道を曲がれば、もうすぐです。」
町の中心部から離れ、山の手に向かう川沿いの道を走って行く。
この先の住宅街の一画に、綾子の家はある。
「危ないなぁ。」
鈴村は車のスピードを落とし、やがて停まった。
見ると路肩に停車した車があり、その前に人が倒れている。
うつ伏せになっているので、顔は見えないが体格のいい男性のようだ。
真由美が真っ先に降りて駆け寄る。
「大丈夫ですか?」と声をかけ、伸ばしたその手を、倒れていた男の手が掴んだ。
「あれ?」
何処かで見た顔だった。
四角い顔で、浅黒い肌の男だった。
わずかの間に、男に抱きかかえられてしまった。
そして、喉元に銃を突き付けられた。
『本物?』
真由美にはその銃が本物か、モデルガンかの区別はつかない。
でもひんやりとした喉元の感触に、嫌な汗が流れて来るのを感じて息を飲んだ。
「運転手以外、降りろ。」
続く
最近は入院したことがないので、病院の食堂がどんなものか、よくわかりません。
過去の記憶から想像して書いてます。
病院の食堂に関わっている方が、おられたらごめんなさい。
鈴村刑事は、昔の刑事ドラマに出てきそうなキャラを想定しています。
なのでセリフとか、大雑把になっています。
今どきの刑事さんではないですね。(笑)