004:会長(後)
「すみません! ごめんなさい! 許してください!」
先程の俺の発言が彼女の怒りの引き金を引いたことは間違いない。ならば謝ろう。とにかく謝ろう。土下座をして謝ろう。
「貴方、耳が悪いの? それとも悪いのは頭の方?」
「えっとぉ、ついでに性格と意地も悪いですね」
果物ナイフと五寸釘が俺に目掛けて飛び込んで来る。
「い゛っ!」
今度は無言で手に持つ果物ナイフと五寸釘を投げ付けて来た。
間一髪、俺は横に飛び退いてそれを紙一重でかわした。
どうやら彼女の望んだ返事ではなかったようだ。
投げ飛ばされたそれらは床に突き刺さっている。
ちょっと待て! この床に貼られてるシートの下ってコンクリートじゃないのか? 何にしても果物ナイフや五寸釘なんかが簡単に刺さるようなものではないはずだろ!?
危なかった。もしあのままそこに膝を付いたままだったら床ではなく俺の身体に突き刺さっていた。軌道を考えると丁度胸の、心臓の辺りだろうか……うん、死ぬね。
だが俺も男だ! ただで殺られるつもりはない! それに会長の手元にももう武器はない! 体格的にも勝っている男の俺の方が有利なはず!
勢い勇んで立ち上がり立ち向かう決意を固める。が、彼女のその左手にはスタンガン、右手には警棒が握られていた。そして何よりも会長の身体から発せられる溢れんばかりのオーラが告げている。
絶対勝てないわ。絶対に無理。
「イツキ君、悪ふざけはここまでにして、そろそろ終わりにしましょう」
終わらせるって俺の命のことっ!
「答えは? 『はい』か『YES』で答えなさい」
選択肢になってない!
「答えないつもり? なら、しょうがないわよね?」
今までの人生で一度たりとも感じたことはないがこれが殺気というものなのだろう。
ヤバい、このままだと殺される!
そもそもさっきの『答え』というのはなんだ!?
彼女が俺に答えを求めること。
『私と付き合いなさい』
きっとそれだ。
しかしそれを口にするのは少し躊躇ってしまう。
あまりにリスキーだ。
もしかすると俺は今、将来を左右する決断を迫られているのかもしれない。
ただし、片方の道には既に死神が待機している。
これ実質選択肢がないんですけど!
どうにか裏道を探りたいのだが目の前の女性は待ってはくれないようだ。
彼女の右手の警棒が高々と掲げられ今にも放たれようとしている。
それが振り下ろされるのと同時に彼女の問いに答えを出した。
「『YES』! 『はい』! 付き合います! お付き合いさせていただきます!」
警棒が目の前で止まる。同時に彼女の動きも止まった。
そして先程まで放たれていたあのオーラも消えていた。
「最初から素直にそう言いなさい。もう……」
この瞬間だけを切り取れば、彼女の乙女らしいその表情は確かに男をときめかせること間違いなしだと言えただろう。
しかしたった今、命の危機を脱したばかりの俺にその余裕はない。
そして俺の中に渦巻いている疑問がひとつ。
それは彼女にどうしても確認しておきたいこと。
「なんで俺を? 俺と貴女には何の接点もないし、お互いに知ってることだってほとんどないのに」
さっきまでのことは別にふざけていた訳ではない。本当に信じられなかったのだ。
確かに多少冗談が過ぎたようだが。ホント、ちょっとだけ。
彼女は何と言っても社長令嬢だ。彼女の交遊関係は学校内のみではなく、親の仕事を通じた社交的な付き合い等もあると考えられる。
その中には当然、俺なんかより外面的にも内面的にも強い魅力を持った優秀な人間が揃っているはずだ。
彼女自身、人を見る目は肥えていることだろう。
そうであるにも関わらず彼女が学校学年が同じというだけでまるで接点もない俺を選んだ理由が解らない。理解が出来ない。
「あら、私はイツキ君のことをそれなりには知っているわよ?」
「え?」
彼女は自分の携帯端末を取り出し、それを操作して表示されているであろう画面の文字を読み上げ始めた。
「壱岐幸葛、身長180センチ、誕生日は十二月十二日、血液型はB型」
「は?」
それは間違いなく俺のことだ。
名前は勿論、身長、誕生日、血液型、すべて合っている。
だがそれだけではない。彼女の読み上げはまだ終わってはいない。
「家族は母一人、兄弟はおらず父親は幼少期に事故で他界。中学時代は部活動はせず、高校に入った後はテニス部に体験入部はしたものの、結局は入部せずに今現在も部活や同好会には所属していない。容姿は良いものの自己評価は低く、自ら目立つ行動は避けている節がある。運動神経も良い方ではあるが、スタミナが不足気味。校内学力順位は中の下ほど。恋愛事情に関しては高校に入った去年の4月から5月に掛けて他校の女子生徒と付き合うが1ヶ月ほどで破局」
「えーと……」
「あぁ、この情報は少し古いわね。先週付き合い始めた一年生の女の子がいたものね。その子とももう別れたみたいだけど」
何故知っている。その事まで知っている人間はほとんどいないはずなのに。
困惑している俺の表情を察した彼女は視線をこちらに戻して一度ニコリと笑った。
「自分のカレシになる人のことを調べるのは当然のことでしょ? あぁ、安心して違法な手段で集めた情報ではないから」
それを聞いて何を安心しろと!?
余計に怖くなったんですけど!!
「でもこんな情報には大した意味はないわ。私自身がイツキ君を見て決めたの。これはその後に集めた情報よ。私は貴方という人間に『興味』を引かれたの」
「興味?」
「そう、私が最も興味を引かれたのが貴方だった。付き合う理由ならそれで充分よね?」
「興味……ですか。それなら好きって訳ではないんですね」
少しホッとした。
彼女が俺の何を見て興味を示したのかは判らないが、それが恋愛感情でないのであればすぐに気付くことだろう。
俺という男が自分には釣り合わない、相応しくないことに。
そうなれば自然とフラれることが出来る。
彼女は女として人として魅力的ではあるが、俺が付き合いたい女性像とはかけ離れてハイスペック過ぎる。それにリスクも大きい。
俺はあくまでも今という平穏を保っていたいのだ。
しかし彼女は俺の平穏を壊しかねない。先程のように。
だから早々にーー
「……一応、好意を抱いていると思って貰っても構わないわよ」
彼女はほのかに顔を赤らめ視線を外した。
その行動は恥じらいの反応の様に感じられる。
……あれ、おかしいぞ。なんだ今の反応は?
彼女は俺に興味があるだけで『好き』になったという訳ではなかったのではないのか?
つまりあれか、興味を引かれて観察している内に好きになるとかいうあれか?
恋愛アニメとか少女漫画とかギャルゲとかそういうのであるあれか?
確かに好きになるきっかけくらいにはなるかもしれないが、その観察対象は『俺』だ。
彼女がどのくらいの期間を観察していたかは知らないが、もしそうなら好意を抱くに至る程の期間は観察されていたことになる。だがその期間が長ければ長いほど評価は下がるはずだ。何と言っても観察対象は『俺』なのだから。
もしそれでも好きになるとするなら、それは『恋』に恋した結果だ。
つまりそれはただの勘違い。
しかし聡明であるはずの彼女が自分の感情を履き違える様なことをするだろうか?
いや、彼女とて年頃の少女。そうなってもおかしくはないのかもしれない。
そうなるとーー
「それと、言っておくけど私は他の人と付き合ったことはないし、この先も貴方以外と付き合うつもりはないから」
「はい?」
なに言い出しているんだ、この人?
「私が選んだ人だもの。間違いなんてあるはずがないわ」
期待が重い。俺がそんな人間ではないことは自分が良く解っている。
「いやー、それは早計ではありませんかねぇ。将来のことですし、じっくりと熟考する方が……」
「イツキ君は私の目が信用出来ないの?」
表情の変化の激しい人だ。
恥じらいの表情を見せたかと思えば直ぐに厳しく冷たい表情にもなる。
彼女の鋭い眼光が俺を突き刺す。
いけない、これを否定すると何をされるか判らない。
てか信用も何も俺、貴女のことほとんど知らないんですけど!
「あ、いえ、そ、そうですよね。ご期待に応えられるように精一杯頑張らさせて頂きます」
「別に頑張らなくてもいいのよ。結果だけ出してくれれば」
あ、これって社会に出てから会社の上司とかに言われる奴だわ。
「結果って何のことですか?」
「学生が出す結果は学力に決まっているでしょ? イツキ君は部活もやっていないのだし」
「学力ですか……」
「大丈夫よ。私がいるのだから」
「はい? それはどういう……?」
「私が一緒に勉強を見て上げるの。嬉しいでしょ?」
マズい。早速俺の平穏を打ち崩しに来ているぞ、この人。
「そ、そこまで手を煩わせるのは申し訳ありませんので、まずは自分一人で頑張ってみようかと……」
「ダメよ。貴方の今の学力を飛躍的に伸ばすなら私と一緒に勉強する方が確実よ。それとも、嫌なの? 私が勉強を見て上げると言っているのに?」
「いいえ! 美人な家庭教師はウェルカムです!」
あぁ、終わったわ。俺の平穏……。