003:会長(前)
そんな話をした翌日の放課後。
どうやら俺は机に伏せて眠っていたようだ。
昨日の夜は買ったばかりのゲームを進めててあまり寝れていなかった。
あれ? いつから寝てたっけ?
教室にはもう誰もいない。
教室の窓から覗く運動場では、運動部の連中が片付けを始めていた。
日も傾いて夕日が赤くなっている。
てか誰も起こしてくれなかったのか? これは日頃の行いが見て取れるな。
まあいいか、さて今日も帰ってゲームでもしますかぁ。
座ったまま、両手を上げて伸びをしてしばしボーッとする。
ああ、帰るのすら面倒だ。
「おはよう、イツキ君。よく眠れたかしら?」
聞き覚えのない綺麗な声。
声のする方に振り返るとそこにあの『会長』が立っていた。
その姿を見た瞬間、昨日のツカサとの会話を思い出した。
『彼女はヤバい』
最も最初に思い出したあの女ったらしの一言。
そして俺の身体に緊張が走る。
なぜ会長が? 俺が何かしたか?
いや、落ち着け俺。
ただ話し掛けられただけだろ?
「俺に何か用ですか?」
平静を装いながら俺に話しかけた彼女へ向けて問い掛ける。
俺と彼女に面識はない。……なかったはず。
その彼女が俺に話し掛けるということは何かしらの理由があるはずだ。
心当たりはない。ない? いや、きっとない。ないと思いたい!
もし居眠りの件ならごめんなさい。もうしません。時々だけにします。出来るだけ頑張ります。でもやっぱり無理だと思います。
彼女は俺の顔を見て少しにこりと笑った。
その表情は笑顔ではあるが何を考えているのか読めないところがあるように感じられた。
「貴方に話があるのだけれど、少しいいかしら?」
「かまいませんが……」
本当は嫌だ。全力で嫌だ。
『一言でも命取りになりかねない』
まただ。あいつの物騒な言葉が再び頭を過る。
出来る限り会話はしたくない。
下手なことを言って目をつけられたらどうなるかわかったものではない。
けれどそれを拒否することは更にマズいことの様に感じた。
「ここでは何だから場所を変えましょうか」
先に要件を教えて欲しいのだが。てか俺は何処に連れてかれるの?
会長はこちらの答えを待たずスタスタと教室を出て行き、廊下に出たところで足を止めこちらの様子を窺っている。
逃げようかとも思ったが、このまま逃げればそれこそどうなるかわからない。呼ばれるままに席を立ち彼女の後を着いていった。
俺の動きを見て着いてくる意思を感じ取り、会長も再び足を進めた。
夕焼けの差し込む廊下にはもう生徒達の姿は見当たらない。俺と彼女以外には。
ちらりと斜め前を歩く彼女の横顔を覗く。
綺麗なサラサラの髪が歩く度に揺れる。
長いまつ毛、整った顔立ち。
近くで見るとより確かに大した美人であることがわかる。
歩く姿にしても『美』というものを感じてしまうほどに。
それと個人的にはその黒タイツはポイントが高いぞ!
彼女の目的地は同じ階にある空き教室だった。
会長が空き教室の鍵を開け扉を開き、中に入るよう促す。
彼女に促されるまま大人しく中に入った。
ここは美化委員が掃除をする時、それとイベント時など稀に解放されると聞くが、実際に俺が中に入るのは初めてだった。
中の様子は普通の教室とは変わりない。
少し違うのは、後ろの方にいくつか積まれた段ボールの箱があることと椅子のない机がチラホラと見えるくらいか。いや、机の方も少し少ない気がする。
破損したりした机や椅子をこの教室から補充しているのだろう。
俺に続いて彼女も教室に入り、扉を閉め、ガチャリと音を立てて鍵を掛けた。
「ここなら邪魔は入らないわね」
あれ? なんで鍵を?
それに邪魔が入らない?
「貴方と二人きりになりたかったの」
なんでだろう。これほどの美人に言われているその言葉は本来なら胸躍るドキドキワードのはず。なのに俺の心臓は別の意味でドキドキしている。ドキドキと言うよりも動悸と言う方が合っている気がする。
「回りくどいのは好きではないから単刀直入に言わせて貰うわ」
こちらの緊張を他所に彼女は話を進めていく。
目を見開き鋭い眼光を向け、ビシッとした立ち姿で俺に指を突き付けてこう言った。
「イツキ君、私と付き合いなさい」
「は……い?」
どういうことだ? 彼女は今、何と言った? 付き合いなさい? 誰と誰が?
「……今の『はい』は『OK』という意味と捉えていいのかしら?」
「いやいやいやいや、ちょっと! ちょっと待ってください!」
ゆっくりと深呼吸。吸ってぇ、吐いてぇ。はい、落ち着いたぁ。
付き合う? 全く接点のない俺と彼女が? どうして?
いや、きっと俺の聞き間違えに決まっている。
「す、すみません、もう一度言って貰えますか?」
目の前に立つ彼女の顔が見る見ると赤く茹で上がる。
「なっ、わ、私にアレを二度も言わせる気なのっ!」
クールな装いが一瞬で崩れ去るほどの狼狽えっぷりだ。
その姿には一種の愛嬌の様なものを感じられる。
「あー、いや、聞き違いかと思いまして、もう一度確認の為に聞いておきたくて」
「ま、まあいいわ、許して上げる。もう一度だけ、もう一度だけよ。心して聞きなさい」
会長も小さく深呼吸をして息を整え、先ほどと同じようにその言葉を口にした。
「イツキ君、わ、私と付き合いなひゃい!」
噛んだ。最後に噛んだ。
それに先ほどとは違い言葉を口にしている表情に恥じらいを感じる。
二度も言わされると思っていなかったからだろうか。
既に赤みの差していた顔は更に赤くなった。
この状況であの言葉にこの反応、これは『告白』と取って問題はないように感じる。
しかし相手は彼女だ。あの会長だ。
昨日、ツカサに聞いた通りの人物であるとするなら、どう考えても俺なんかと釣り合いが取れていない。
今までのカノジョ達も釣り合っていたのかと言われたら疑問ではあるが、少なくとも彼女達は一般人と言える家庭環境だった。
けれど目の前の彼女は違う。明らかに上流階級の人間。ツカサの言っていた通り住む世界の違う人間。
その彼女が俺に告白?
いいや、あり得ないな。やはり聞き間違え、もしくは思い違いだろう。
では彼女は何と言ったのだろうか。
なるほど、そうか、うん、これしかないな。
「『突き合う』ってフェンシングのことですか?」
会長の無言の平手打ちが俺の頬にクリティカルヒット。
パーンッと弾ける様な乾いた音だけが二人きりの教室に響き渡る。
効果はバツグンだ。
「いったぁぁぁっ!」
あまりの痛みにガクリと膝を付いてしまった。
平手打ちってこんなに痛かったのか。
親父にもぶたれたことなかったから知らなかったよ。
「無駄に私の時間を消費させないでくれる?」
その場で膝を着いている俺の頭上には冷ややかな視線と冷たい言葉を口にする会長の姿があった。
先ほどまでの恥じらう乙女の表情ではなく、全てを凍てつかせる様な雪女の様な表情。
どうやら彼女を本気で怒らせてしまったようだ。
美人って怒るとマジで怖いよね。うん。
「貴方がそんなに『突かれたい』と言うのなら道具が二つあるけれど」
そう言って教壇前に移動し、教壇下から果物ナイフと五寸釘を取り出した。
なんでそんな凶器がここに!?
「貴方はどちらがお好みかしら?」