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025:関係(前)

 そうしてまた気まずい沈黙が続く。

 気が付けば日も随分と落ちてしまった。道に並ぶ街灯がなければ真っ暗だったであろう薄暗い道を進むと、良く見知ったで場所でサキさんが立ち止まった。


「ここよ」


「えっと、『ここ』ですか?」


 そこは俺が暮らしている部屋のあるアパートの前。

 サキさんも実はここに住んでいた?

 いやいや、サキさんだぞ。IZUMIグループの社長令嬢だぞ。もし仮にサキさんが俺と同じく独り暮らしをしていたとしてもそれはないだろう。こんなボロアパートに住んでいるとは考えられない。

 サキさんの言葉の意味を考え始めた頃、先程とは逆に俺の方がサキさんに手を引かれる形でアパートの俺の部屋へと引っ張られる。


「ここで合っているわ。イツキ君の部屋で」


「は?」


 当然の様に部屋にたどり着き、訳も判らないままにサキさんを部屋の中へ通してしまった。

 何故俺の部屋なのだろうか?

 もしかして今日も勉強をするつもりなのだろうか?

 いや、流石に今日はそんなことをする空気ではないだろう?

 しかしそれ以外にサキさんが俺の部屋に上がり込む理由に心当たりがない。

 もしそんな理由があったにせよあんなことのあった後だ。二人とも勉強に身が入るとは思えない。

 だとすればただ無駄に勉強することになる。それだけは絶対に嫌だ。ただでさえ勉強なんてしたくもないのに、無駄になることが判っている勉強なんて死んでも嫌だ! そんな無駄に付き合えるほど俺は出来た人間ではない!

 べ、別にただ勉強がしたくないって訳じゃないんだからね!

 とにかく今日の所はサキさんをなだめて早々にお帰りいただこう。

 サキさんは俺の横に黙ってベッドに腰掛けている。

 こういう沈黙を破るには少しばかり勇気がいる。更にその相手がサキさんだということが俺の精神に大きな圧力を掛けている。

 だがここは意を決してでも言わなくては!


「き、今日は勉強は止めておきませんか? お互い疲れてると思いますし。家まで送りますので」


 そう言って自ら腰を上げ、その行動によって「行きましょう」と伝えるものの当のサキさんがそこから動く気配が一切ない。

 そんなにも勉強がしたいのか! それなら家に帰ってご自分だけでやって貰いたいものだ。

 どうしたものかと別の説得方法を考えようすると、制服の裾を小さく引っ張られた。

 引っ張られた裾の先には当然ながらサキさんがいる。

 そしてそのサキさんから思いもよらない言葉が口から零れ出た。


「いいわよ。抱いても」


「……はい?」


 「イーワヨダイテモ」?

 一体、どこの国の言葉だろうか? イタリア語? フランス語? それとも古代メソポタミア語?

 語学に疎い俺にはその言葉を聞き取るのが精一杯。もしかしたら発音を聞き違えているかもしれない。くっ、語学の習得は現代においてはやはり重要だったということか! 明日から海外の映画やドラマは字幕で見ることにしよう!


「私のことを『抱いてもいい』と言っているのよ!」


 サキさんは顔を真っ赤にして俺を睨みつけ、俺にその正しく伝わらなかった言葉を再び投げつけて来た。

 しかしその目にはいつもの様な小動物なら殺してしまいかねない、大型獣だって怯ませるかもしれないあの迫力は感じられない。むしろ恥じらいのある態度には可愛さすら感じられる。

 どうやら先程の言葉は俺の知る日本語で合っていたらしい。

 まさかサキさんの口からその言葉を聞くことが出来るとは思っていなかったので聞き違い思い違いだと思っていた。

 だがそれはもう少し先に……。いや、もう聞くことはないと思っていた。

 今日の姉さんとの一件のことで高い確率でフラれると思っていた。

 だからこそ、サキさんが何故そんなことを言うのかに疑問を感じずにはいられない。


「えっと……」


 一歩、服の袖を摘まんでいるサキさんとは逆の方に足が動く。

 それに気づいたサキさんは摘まんでいた服から俺の腕に掴み直し、気が付くと俺の両足は床から離れて宙を舞い、身体はベッドの上へと落ちて行った。

 合気道か柔道、いや柔術とかいうやつだろうか? 

 人の身体ってあんなに簡単に浮くものなのかぁ。などと感心していると、急にサキさんの顔が目の前に現れた。

 不味い! 完全にマウントを取られてしまった! や、殺られる!

 ああいや、そっちの『やる』ではないか。

 どうやら冗談で言っている訳ではないようだ。サキさんの真剣な表情がそれを物語っている。

 だがこれは据え膳というやつだ。この状況なら俺が手を出してもいいのでは? これでコトに及んだとしても俺は悪くなくない?

 あとから文句を言われたって俺に非がなかった……と、までは言えなくともサキさんの方がその責任の天秤が大きく傾くことは明白な事実として存在することになる。

 そう、俺は悪くない。

 よしっ! 目の前にあるご馳走に手を伸ばすことに自分を納得させるだけの理由も用意できた! いざ行かん! 大人の世界へ!

 ……とは思ったものの、俺の腕はサキさんへ向かうのに躊躇している。俺の防衛本能がそれを邪魔している。

 俺が今、手を出そうとしているのはあのサキさんだ。あのIZUMIグループの社長令嬢である和泉冴姫だ。もしそんなことをして俺は後には退けるのか?

 少なくとも軽い気持ちでこの関係を深めてしまっては後々後悔することになるのではないか?

 だがしかしこの状況、しかも相手は極上の異性。簡単に諦めるには惜しい。あまりにも惜しすぎる!

 俺の動物としての本能と防衛本能の闘争は熾烈を極めた。

 しかしそこに生まれた一時の間をサキさんに感じ取られてしまった。


「何? あの女は抱けて私は抱けないって言うの? 私があの女の代わりだから!?」


「サ、サキさん。少し落ち着いてください」


 不味いな。さっきまで赤くした顔は別の感情で赤くしている。取り乱すところは何度か見たがここまで感情を爆発させているサキさんを見るのは初めてだな。


「あの女に言われなくたって解っていたわ! イツキ君が私との交際を良く思ってないことくらい! 私を誰かと重ねていることくらい! それがあの女だということだって、あの女を一目見た時にすぐに気づいたわっ!」


「サキさん……」


 サキさんの瞳が揺らいでいることに気が付く。顔ももう先ほどまでの赤みはない。

 しかしサキさんに気付かれていたのか。そのことに気付かれていたとは思っていなかった。

 気付かれていたのならそんなこと絶対にサキさんが許すはずはないと思っていた。気付かれた瞬間に咎められると思っていた。

 それがただの『強がり』という可能性も考えたが溜めた涙の奥の瞳にその言葉に偽りはないと感じさせられた。


「けど、あの女の口からそれを聞いたら。悔しくて、苦しくて、我慢出来なくて……」


 その言葉の続きは聞こえない。言葉は涙となって流れ落ちて行く。

 瞳から頬をつたい顎の先から落ちて俺の首筋に落ちていく。一粒、二粒、いくつもの涙がポツポツと。

 俺は何を彼女に伝えるべきか。俺が今しなくてはいけないことはなんなのかを考えた。そして出た結論は彼女の涙を止めること以外にないという答えにたどり着いた。

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