024:勝負(後)
「シズクさん、それはどういう意味ですか?」
姉さんは自分の考えている通りに相手の思考を誘導することに異常なまでに長けている。
それは専門的知識や技術から得たものではなく、姉さんが独自に得たものだ。
これはマズい、非常にマズい。姉さんの言葉からサキさんが連想しているのはおそらくはこの二択。
一つは言葉通り、俺が姉さんに寝る時に甘えるキモくてイタい中学生だったと言うこと。
それともう一つ……。それはキモいやイタいなんて言葉だけでは足りるレベルのものではない不快感極まるもの。
「貴女の言う通り、私とユキくんは血の繋がった姉弟ではないわ。そんな年頃の二人が一緒に『寝る』ってことの意味。それくらいのことが判らないほどサキさんも子供ではないわよね?」
ほぼ確定的と言える言葉。
しかし自分が弟と呼んでいる相手とそんな関係があっただなんて普通言っちゃう?
あぁそうだ、姉さんは普通じゃなかった。そもそもそんな関係になること自体が普通ではないのだろう。
しかしこれには流石にサキさんにも気付かれてしまっただろう。
俺と姉さんが当時、どういう『関係』を持っていたかを。
「……イツキ君、今の話は本当?」
聞き取るにはギリギリの声量ではあったものの確かにこの耳に届いた。
それに声のトーンが先程までとは全く違っていて、ふざけて答えてもいい類いのものではないのも理解した。
もし今、仮に嘘を吐いたところで意味はない。サキさんにそれを伝えたということは目の前の姉さんがそれを許すはずもない。
ここは正直に答える他に選択肢はない。
「……はい」
答えた後にチラリと横にいるサキさんの顔色を伺うがサキさんは小さく俯いていて長い髪が邪魔で横顔を確認することは出来なかった。
気まずい沈黙の中、姉さんは畳み掛ける様に口を開く。
「なんでユキくんが同級生である貴女に敬語を使っているかちゃんと解ってる? 『優秀』で『綺麗』なサキさん。ユキくんが貴女と距離を取ろうしていることは判っているの? それなのにそれが出来ていない理由には? ユキくん自身は色々と理由を付けているみたいだけど。結局それは全部、貴女が私にーー」
「姉さっーー!!」
言葉を続けようとする姉さんを止めようと思った。
しかしそれを止めたのは俺の声などではなく『バンッ!』という弾ける様な大きな音だった。
それは店内に響き渡る程に激しい音。
その音の発生元はサキさんがテーブルを両手で叩いた音だった。
サキさんは立ち上がりテーブルに両手を着いたまま動かない。
再び静まり返る店内。
そんな状況の中で姉さんは席を立った。
「ユキくん、私はそろそろ帰るわね。年長者として今日のところはサキさんに勝ちを譲って上げるわ。あぁ、だけどユキくんを譲る気はないから。この勝ちを譲るのだからそれくらいは譲歩はあってもいいわよね。また連絡するわね、ユキくん」
こんな状況を作り出してくれた姉さんは先に店を出てあっという間に行ってしまった。
姉さんが店を出て行った扉から視線を離すと、いつの間にかサキさんは腰を椅子に落としていることに気が付いた。
俺も姉さんが帰ってくれた安堵感とサキさんが横でピクリとも動かない気まずさの中、しばしボーッとしてしまった。
数分か数十分かして、ふと気が付くと俺達の様子を横目に見ていた客達の姿はもうなかった。
外は仄かに薄暗くなっている。
「そろそろ俺達も帰りましょう、サキさん」
「ええ……」
座り込んで動かないサキさんに声を掛けると力ない声で返事が返って来た。
だが俺が席を立ってもサキさんは動く気配がない。
このままにしておくことも出来ないので仕方なくサキさんの手を取ると、思ってもいないかったほど素直に立ち上がり、歩みは緩やかではあったものの俺の手に引かれながらレジのあるカウンターへと向かった。
レジの置いてあるカウンターへ行くとその場にいた店員が対応してくれたが、どこかばつの悪そうな顔をしている。まあ、それもそうなのだろうが。
しかしあの店員じゃなかっただけましだと言えるだろう。今、あいつの空気の読まない対応をされたらキレない自信はない。
精算をしようとすると店員は「お連れ様からお代は頂いております」と言った。どうやら姉さんが一緒に精算を終わらせて出て行ったようだ。
ちらりとサキさんの様子を伺うが相変わらず変化は見られない。
力無く俯いていつもの自信も覇気も感じられない。
俺は店員に「ご馳走様でした」と軽く挨拶だけして再びサキさんの手を引いて店を出た。
店を出る時に店員が「ま、またお越しください」と声を控えめにして言っていたが、『本当にいいの? そんなこと言われたら俺、また来ちゃいますよ?』と迷惑を掛けたことを自覚しつつ、心の中で問い掛けた。勿論返事は返ってこないのだが、内心は来て欲しくないなどと思われているに違いない。
まあ、形式的なものであったとしても、「またお越しください」と言われたのだ。機会があれば来るとしよう。結局あのケーキセットは食べられていないのだから。
店を出たサキさんの手を取ったまま自分の部屋のある方角へと足を進めた。
サキさんの家がどこにあるのかは詳しくは知らないが、前に話した感じだとこちらの方角で間違ってはいないはすだ。
「家はこっちの方で合ってます? 家まで送りますね」
「……ええ、大丈夫よ。このまま進んで」
時々サキさんに確認を取りながら道を進んで行く。
途中でそろそろ大丈夫だろうかと手を離そうともしたがサキさんの方からがっちりと握られていて離すことは出来なかった。
良く考えれば女の子と手を繋いで歩くというのは初めてだったかもしれない。
二人の元カノとはそうした記憶はない。そもそもそこに至る前に別れてしまったからな。
いや、そう言えば昔は姉さんとは良く手を繋いでいたっけ? だがあれは手を繋いでいたというよりも引っ張り回されていたと言う方が正しい気がする。引きずり回されていたと言ってもいいかもしれない。
しかし今回のこれも、通常の恋人同士が行う『手を繋ぐ』という行為とはまた違うものなのだろう。
結局、これもノーカンだな。
握られた手を目にしたついでにサキさんの様子を伺う。
あの喫茶店にいた頃よりも少しは落ち着いて来た様にも見える。
足取りも最初は本当に手を引いて歩いていたと言えるものだったが、今はちゃんと自分の意思で歩いてくれている。
「イツキ君……」
「どうかしましたか、サキさん?」
「あれは本当なの? 貴方とシズクさんが、その……」
その後に言葉は続かなかった。
しかし何を言いたいのかは流石の俺にも解る。
「本当ですよ」
「……そう」
そう言うとサキさんはまた黙ってしまった。
サキさんがこんな風になった理由は恐らくは『あのこと』を黙っていた俺に対しての『怒り』の感情、それとカノジョとして姉さんへ向けた『嫉妬心』だろうか。
嫉妬心とは言っても他人に自分のものを取られていた様な感覚に近いのかもしれない。サキさんはプライドが高そうだからな。
他に要因を上げるとするなら『嫌悪感』だろうか。
俺と姉さんの関係は世の中において御法度であり、周囲からは冷ややかな視線に晒されることだろう。
俺達の場合、戸籍上でも家族となった訳ではなかったが、周囲の認識では既に家族であり義父さんと母さん、それに俺も姉さんも家族として接していた。
そこに血の繋がりがなければセーフ……なんてことはなかった。
現実の近しい人間がそういう関係だと知って、それに嫌悪感を持ったり、奇異の視線を向ける者は少ないはずだ。身内のことなら尚更。
少なくとも義父さんと母さんには受け入れられるものではなかったらしい。
サキさんにだってそう感じられても不思議なことなんてない。
「シズクさんのこと、好きだったの?」
「好きでしたよ、あれでも優しい所があるんです。始めて会った時から、姉さんも急に弟が出来て戸惑っていたはずなのに、ずっと俺のことを気に掛けてくれて、勉強も運動も出来て、自慢の姉でした」
「恋愛対象としては……、どうだったの?」
「良くわかりません。今にして思うと俺達が最初にそういうことになったのは単なる好奇心だったのかもしれません。姉さんの方も遊びの一つでしかなかったのかもしれませんね。結局は親バレして家族関係も滅茶苦茶になっちゃいました」
せめてもの救いはそれを知っているのが義父さんと母さん、そして当事者の俺と姉さんだけだったこと。
他に知られていればもっと大事になっていたはずだ。
特に義父さんは社会的に高い立場にいる人間だ。
もしかすればその立場すらを失ってしまう可能性だって十分にあった。
「そう、だったの……」




