014:勉強
帰宅し自分のアパートの前まで行くとサキさんがアパート前に立っている。
しかしボロアパートと美女の場違い過ぎる組み合わせはなんとも背徳的なものを感じる。エロい意味ではないよ。
「遅かったわね。でもいいわ、許してあげる。早速、貴方の部屋に案内して貰えるかしら?」
あぁ、やっぱり俺の部屋なんですね。もういいです、諦めました。はい。
「二階です。付いて来てください」
サキさんを連れて外付けの階段を上がり、角にある自分の部屋に向かう。
鍵を開けて部屋に入ると、瞬時に周囲を見渡す。
基本的に物は少ないので散らかっていてもたかが知れる程度。人を部屋に入れる時でも気にせず入らせるのだが今日の相手はあのサキさんだ。何にツッコミを入れられるか判らない。
少しでも不安材料は取り除くべきだ。
とりあえず目に付いたのはソファの上に置いていた昨日の脱ぎ残しくらいか。
サキさんが靴を脱いでいるうちに即座に回収、それを洗面所に設置されている洗濯機の中へ投げ込む。一秒以内に実行。そして完了。
ふぅ、これで完璧だ。
「それじゃあ、お邪魔するわね」
出来ればお邪魔して欲しくはなかったのですがね。本当に。
「意外に散らかっていないのね。もっと散らかっているかと思っていたわ」
「ええ、ちゃんと掃除はしているので」
「言っておくけど、意外に散らかっていないってだけで綺麗だとは一言も言ってはいないわよ」
審査が厳しい。
まぁ、俺にしては頑張った方だよ。
勉強を俺の部屋でするという話が出た日からこういう時に備えて部屋の掃除はこまめにするようにしていたからな。もしそうしていなかったら……。どこまでなじられることになっていたことだろうか。
「……机が小さい」
何かボソリとサキさんが呟く。
俺はそれを聞き逃してしまったので聞き直した。
「え? なんですか?」
「い、いえ、なんでもないわ、時間も多くないのだし早く始めましょう」
そう言ってサキさんはテーブルの前に正座して座り、持ってきた鞄から筆記具やノートを取り出した。
「……何をしているの、貴方も早く座りなさい」
「えっと……いいんですか?」
俺の部屋にあるテーブルは学校の机よりも縦幅横幅共に小さい。
完全に一人用のテーブルだ。
そして勉強専用の机や他にテーブルになりそうなものはこの部屋にはない。
つまりこの小さなテーブルを二人で半分ずつ使って勉強をするということになる。
と、いうことはほぼ密着状態で勉強をしなくてはならないのだ。
「し、仕方がないでしょ。机がこんなに小さいとは思っていなかったのだから……」
サキさんはすました様な表情をしてはいるが少し顔が赤い。
仕方ないとはいいつつもやはり少し恥ずかしくはあるのだろう。しかし自分で勉強を持ちかけた以上、それをしないで帰るという選択肢はない。ってところだろうか。
「そうですか……ですが『いい』と言うのであれば失礼して」
しかし女の子と密着出来る機会を与えられて無駄にする俺ではない。
サキさんが恥ずかしいとか知ったことか。
俺の方は密着することに何の躊躇いも持たない。むしろ喜んで!
「ひっ!」
当然、肩と肩がふれ合う。
いや、肩と言うか片腕の全体と腰に至るまでぴったりと密着した状態だ。
チラリとサキさんの顔を窺うと更に顔を真っ赤にしている。
この人、こういうことに本当に免疫ないよな。
しかしこの状況ならひと押しすれば勉強を中止に出来るのではないだろうか。
やはり勉強は出来るだけしたくはないでござる。
「……サキさん、これ狭すぎません?」
「そ、そうね。次からは机のことも考えないとね」
まだ『やめる』という一言は貰えない。
諦めるな俺。まだだ、まだ押せば行ける可能性は残っている!
「でもやっぱりこのテーブルで二人で勉強は難しいですよ。ノートを取るのも一苦労ですよ?」
「……それもそうね。判ったわ」
よしっ! これで勉強を回避ーー
「なら今日は貴方の勉強を見てあげる。それならテーブルの大きさの件は解決するわ。どうせ私は帰ってから自宅で勉強をするから」
やっぱり俺が勉強をすることは回避不可能なようだ。
そしてサキさんの家庭教師で俺は勉強をすることになった。
勉強を開始して30分程が経ったのだが……全く勉強に集中出来ない。
何故なら俺の隣には相変わらず密着状態のサキさんがいるからだ。
「あのぉ……サキさん? 勉強を教えるだけなら別に密着して隣にいる必要はないのではないですか?」
「……な、なに? い、嫌なの?」
睨まれるものの、顔を赤らめながらなのでいつものような凄みは感じられない。しかしそれでも俺の隣からはまるで動こうとはしない。
満更でもない御様子? え? 何この人、ちょっと可愛いんですけど。
なんか初めて恋人っぽいことしてる気がする。
そんなことを考えていたら俺もついテンションが上がり、言わなくていいことが口から滑り出てしまった。
「いえ全然! ただ時々、腕が胸に当たって全く集中出来ないだけです!」
しまった。腕のくだりは要らなかった。
「なっ、どこに意識を集中させているの!」
「ふぐっ!!」
サキさんの肘が思いっきり腹にっ!
こ、これは効いたぁ……。
いや、サキさんの攻撃が効かなかったことはないのだけど、その中でも格別に効いた。
「や、やっぱり狭すぎるわ! 今日の勉強はここまでよ!」
そう言って床に伏している俺を放ってサキさんはテキパキと帰り支度をする。
霞む視界、ドタドタと足音を立ててサキさんが遠ざかるのを感じる。
「それじゃあ、また明日」と言う言葉が耳に届くとバタンと大きめの音を立て扉が閉まったのは何とか把握出来た。
身を犠牲にし、何とか勉強を途中で打ち切ることが出来た。謀らずにこの状況を作り出すとは流石オレ。
などと言っている場合ではない。
これはキツい……。い、意識が……。
ゆっくりと暗い沼にでも沈んでいく感覚を感じながら俺の意識はそこで途絶えた。
「うぅ……」
どうやら少しの間、いや少しなのだろうか? とにかく意識を失っていたようだ。外はすっかり暗くなっている。今は何時だろう?
時間を確認するために自分の携帯端末をどこに置いたか周囲を見渡す。
しかしそれが見つかるよりも先に「ピンポーン」と部屋の呼び鈴が鳴る。
誰だろうか? この部屋を訪れる者は少ない。
ひとつ心当たりがあるとするならサキさんの筆入れが忘れ物としてテーブルの上にあるくらいだ。
サキさんは帰ってからも勉強すると言っていたので家に帰ってそれに気が付き取りに戻って来た。というところだろうか。
俺はのっそりと身体を起こしその筆入れを持って玄関へ向かう。気を失うほどの衝撃を受けた腹には既に痛みはない。
気を失ったのは空腹状態だったことも効いたのだろう。実際はどうかわからないが。
ドアの前にまで到達した所でまた一度呼び鈴が鳴る。
「はいはい、今出ますから待ってくださいよ、サキさん……」
言いながら扉を開くとそこに立っていたのは予想通りの人物、ではなかった。
しかし俺の良く知る、知っていた人物。
だが会うのはもう二年振りになる人物。
忘れたくても忘れられない人物。
「……姉さんっ」
「久しぶりね、ユキくん」