冒険の終わり
玄関を出ると、自由の里に初めて来た時に、僕らを出迎えてくれたお婆さんが立っていた。
「おはようございます。準備は良いですか?」
「ええ、もちろん」
店長は躊躇なく答える。マーガレットとの会話でフラストレーションが溜まっていたのだろう。どこか声に刺々しさがあった。
案内人は、予想の範疇だった。このお婆さんは自由の会のリーダーだから、当然魔女の会についても知っているはずだ。
老婆はマーガレットの家の裏手の方へ歩いていく。こちらを振り返りもしない。僕と店長は遅れて後を追う。
老婆の歩く速度はそんなに速くなかったのですぐに追いつけた。
家の裏にはほとんど整備されていない緩やかな上り坂があった。道には黄土が敷かれており、その部分にだけ雑草が無かった。道幅は人がギリギリすれ違える程度しかない。
老婆はゆっくりと、だがしっかりとした足取りで坂を登っていく。その後に店長、最後尾に僕の順番で歩く。
歩き始めて3分ほどたっただろうか。まっすぐに生えた木々に遮られながら、木造の一軒家が姿を表した。
「誰か住んでいるんですかね?」
店長に話しかけたつもりだったが、聞こえていなかったのだろうか。反応はない。
「ここです」
老婆が突然振り返って言った。
森の中にボツンとある一軒家は異様な雰囲気をまとっていた。
「意外と近いですね。もっと森の奥にあるんじゃないかと想像してました」
自由の里からのアクセスも考えて、この立地なのだろう。
老婆は再び僕らに背を向けて、玄関へ向かって歩き出した。
不気味だ。この家も不気味なのだが、それ以上に店長と老婆が黙りこくって、話しかけるなというオーラを出していることがなにより不気味だった。
ドアは一面真っ青に塗られていた。単なるおしゃれなのか、何か意味があるのかは分からない。
「ごゆっくり」
そう言うと老婆は元の道を引き返して行った。
「どうします」
人里離れた森の中に取り残されてしまった。思わず苦笑いが出た。
「もう、ここまで来たら腹をくくるしかないよ。まあ、私の想像が当たってれいれば、悪いようには扱われないよ」
店長はそう言うけれど、僕には、単に気休めを言っているようにしか聞こえなかった。
ドアを開けて建物の中に入る。内部は壁が殆ど無い。全く間仕切りのないスペースが広がっていて、この建物には1部屋しかないことが窺い知れる。
数人の男女が円を描いて座っている。全員の服装が白い貫頭衣のようなもので統一されていることから、儀式めいた雰囲気を感じる。
物音一つしない。聞こえるのは、僕らの息遣いだけだ。
「ようこそ。お待ちしていました」
柔らかい声だった。その声の主が歩いて近づいてくる。容姿がはっきりと見えた。
髪は薄い金色で肩にかからないくらいの長さ。背はスラリと高く、僕と同じくらいだ。かわいいというより、美しいと形容したほうが正しい。
「はじめまして」
店長は女性を見上げながら言う。その声に敵意はない。
「はじめまして。あなたのことをなんとお呼びすればいいですか?」
女性は少し間をあけて言った。
「イトリと呼んでくさい」
イトリとの会談は、驚くほど平和的に行われた。
「僕みたいなのが、宗教団体のリーダーなんて、可笑しいですよね」
イトリは自嘲気味に笑う。
「いいえ、そんなことありませんよ」
僕は食い気味に否定した。
部屋の中央には、相変わらず数人の男女が黙って座っている。僕達は部屋の端で話し始めた。椅子は無いので、床にそのまま腰を下ろした。
「いえ、否定してほしいとかじゃなくて、本当に可笑しいなって、自分でも思うんです」
イトリは楽しそうに話した。
「あの、私達のことは、どこまでご存知でしょうか?」
店長が冷静に質問を投げかける。
「お二人がこの場所に魔女の会の調査をするために来たこと。それから、お二人が魔法について知っていることも。あとそちらの方が魔法使いであることも」
そういってイトリは僕を差し示した
「どこでそれを?」
「それは言えません。いろんなところから情報をかき集めて、やっとこさわかったことなので」
イトリはその見た目とは裏腹に、どこか抜けたような喋り口調で、そのギャップがまた良かった。僕っ子なのもポイントが高い。
もちろん、僕は仕事中なのでナンパのようなことはしない。
「あの、ここでは何が行われているのですか?」
この問いは、店長に仕事してますよアピールをするためでもあるし、純粋に疑問に思ったことでもあった。
「ここでは、困ってる人を異世界に送っているんです」
これを聞いた瞬間、背中に悪寒が走った。この人は、何を言っているんだ?一瞬でイトリの笑顔が無気味なものに見えてくる。
「いえ、あの、意味がわかりません」
店長も混乱しているようだ。
「言葉通りの意味ですよ?この世界では生きていけないような人を別の世界に移住させているんです」
イトリは普通のことのように言う。
「えっと、この世界で生きていけない人、というのはどういう人のことですか?」
「治せない病気の人、精神的に大きなダメージを負っている人、この世界に絶望している人。別の世界に行くか、死ぬか、その2つしか選択肢がない人はたくさんいます。そういう人たちを送っているんです」
イトリはしっかりと言い切った。まったく後ろめたさを感じていないようだった。
「そんなことが…。どうやって異世界に送っているんですか?まさか殺害したりなんて…」
「殺す?僕が?ありえないよ、そんなこと。魔法で送っているんだ。かなり難しい魔法だけど、練習すれば君もできるようになるよ」
その言葉を聞いて、少しだけ安心した。良かった。殺人をしているわけではなさそうだ。僕は人を異世界に送る方法と聞けば真っ先に殺人が思い浮かんでしまう。なぜなら僕がその方法でこの世界に来たからだ。
「死にたい人を別の世界で生かしている、ということですね」
店長が尋ねる。
「そうです。本当はこの世界で生きているいけるようにしてあげれたら、それが一番なんです。でも、僕にはそんな力はない」
イトリは悲しそうに話す。自分の無力さを噛みしめているようだった。
「あのちょっと話がそれるかも知れないんですが、別の世界ってそんなに安全なんですか?この世界よりも劣悪な環境かもしれない、と考えてしまうんですが、そういったことはありませんか?」
「比較的安全な世界に送ってはいる。でも、別の世界が天国ではないことは百も承知だよ」
「それって…どうなんですか?別の世界に送っても今と同じようなつらい境遇になってしまうかもしれないですよね。それだったらこの世界で治療を続けるなり、カウンセリングを受けるなり、堅実な方法を選んだほうがいいんじゃないでしょうか」
「それは君が恵まれているからだよ。君は魔法が使えるから、君を必要とする人がたくさんいる。でも世の中にはそうじゃない人もいる。家族や友人や信頼していた人に裏切られた人もいる。そういう人たちが自ら命を立つ前に、藁にもすがる思いで望みを託すことって、そんなに良くないことかな?」
イトリの声はわずかに震えていた。それが怒りなのか悲しみなのかはわからない。
イトリは大きく深呼吸をする。
「君の考えはきっと正しい。でも正しいだけじゃだめなんだ。正しいっていうのは、間違ってないって意味なんだ。でも、間違っている人にだって夢をもって生きてるんだ。そんな人の最後の望みくらい、聞いてあげてもいいんじゃないかな?」
ちょっとずるいな、と思った。イトリは僕のことを恵まれている、なんて言ったけれど、恵まれた人にも恵まれた人なりの悩みがあるのだ。その悩みは恵まれていない人が見れば、そんなことで悩むなんて贅沢だ、と思うだろうけれど、当事者にとっては、この世のどんな問題よりも優先すべきことだったりする。
「ところで、君はどこの出身なのかな?私達の兄弟ではないよね?」
ある程度予想はしていたことだが、イトリが真剣な顔で聞いてきたので、面食らってしまった。少し怖い。
「魔法が使えるのに、私達の家系の人間じゃないっていうのは、どういうこと?それとも僕が知らない隠し子だったり?」
「いえ、隠し子というわけではなくてですね。えっと…」
マーガレットの言葉が頭をよぎる。魔女の会の人たちに、僕がなぜ魔法を使えるのか正直に話せ、と言っていた。マーガレットは魔女の会がなにをしているのか知っていたから、あんなことを言っていたのだ。今ならマーガレットが、運命だと言った気持ちがわかる。目の前のイトリはこの世界から異世界へ送る側の人間。僕は異世界からこの世界に連れてこられた人間。極めて対照的だ。
店長に目を向けると、彼女は黙って頷いた。喋れ、ということか。
「僕は異世界から来ました」
イトリの目を見て言い切る。イトリの目が見開かれるのが見えた。
「なぜ魔法が使えるかと言」
「ストップ」
続きを話そうとしたところで、店長に止められた。店長はこちらの手のひらを見せて、待てのポーズをしている。顔はイトリの方を向いている。
「この続きを聞きたかったら、あなたの情報をください。それが条件です」
店長は慈悲がない。ここから先は有料です、と言わんばかりの無慈悲さだ。
「わかった。それくらいだったら良いよ。で、具体的には何の話をすればいいの?」
イトリはしぶしぶといった様子で承諾した。
「そうね。まず、この組織が設立された経緯を教えてちょうだい。それから、組織の運営費用はどこから得ているのか。それからもう一つ、別の世界に転移させる魔法の使い方を教えて」
「ずいぶん欲張るなあ。まあ、でも仕方ないか」
そういうとイトリはポケットからペンを一本、ゆっくりと取り出した。多分、どう説明しようか考えているのだろう。
「まずはテレポーテーションの説明からしよう。そのほうがわかりやすいから」
イトリはペンを自分の右足の前に置いた。
「テレポーテーションは知ってる?」
「手品でしか見たことがありませんけど」
店長も頷く。
「それなら十分だよ。じゃあ、見てて」
イトリは正座をして、右手をペンの上空へ近づける。
多分ペンが消えるんだろうな、と思ったので、僕はペンをじっと見つめていた。
予想通り、ペンが消えた。
しかし、驚くことに、0.5秒ほどのタイムラグの後、ペンが僕の右足の前に現れた。
「あれ、移動するのに時間がかかるんですね?」
もしかして、ペンを透明にして、何らかの力で移動させているだけじゃないのだろうかと想像した。
「そうだね。今はゆっくりと移動させたけど、もっと速度を上げることもできる。でもどんなに頑張っても、僅かな遅れはでるよ」
「移動させる距離が長ければ長いほど、時間もかかるんですか?」
「うん」
ペンはは1メートルくらい移動していたと思う。ゆっくり移動させてもあの短時間で移動できるのだから、それなりに速い。
「このテレポーテーションが、異世界への移動と関係あるの?」
「そりゃ、もちろん」
イトリが大きく頷く。
「考えても見てよ。どうしてペンは消えたの?どうして目的地に着くまでに時間がかかったの?」
僕と店長は顔を見合わせる。僕は首をひねった。店長は首を横に振った。
「答えは簡単さ。ペンは別の次元を通って、移動して、またこの次元に戻ってきたんだ」
別の次元なんて言葉を聞くと、どうも胡散臭いなあ、と思ってしまう。
「どう思います?」
「いや、ちょっと信じられない」
店長も同じような考えだ。
「ちょっと、二人とも!。もう少し真面目にしてよ」
「そう言われても、別の次元なんて急に言われても困ります」
「そうか。じゃあまずは次元の話からしよう」
長くてつまらない話の予感がする。ただ、得意げに話しているイトリを見れることは嬉しかった。
「四次元立方体の展開図ってどんなのか分かる?」
「へ?四次元立方体?四次元なのに立方体?全くイメージができません」
そうだろう、そうだろう、というような声が聞こえてきそうな、満足げな顔のイトリを見れて幸せだ。
「四次元立方体の展開図は三次元立方体で構成される。これは三次元立方体の展開図が二次元の正方形で構成されるのと同じだ。つまり四次元空間の中には、三次元空間がいくつも存在していることになる。同じように、五次元空間の中にはたくさんの四次元空間がある。その四次元空間の中にはたくさんの三次元空間がある。つまり次元が高いほど、たくさんの三次元空間を内包できることになる。ここまでは良い?」
僕と店長は頷く。なるほど、だから青だぬきのポケットはたくさんの物を収納できるのか。
「じゃあ問題。この世界の空間は何次元でしょうか?」
普通に考えれば三次元だが、それではクイズにならないだろう。四か、それ以上か。
「僕はお手上げです。店長はどうですか?」
「同じくお手上げ」
イトリはそれを聞いて嬉しそうに笑う。わからなくてよかったと心のそこから思う。
「答えはねえ…僕もわからない!」
「ああ、そうなんですね」
こういう問題は、自分が今まで考えた時間が全て無駄だ、と突きつけられるようで、興ざめしてしまう。ただ、イトリが楽しそうなのでよしとしよう。
「ここで重要なのは、三次元であるという保証がどこにもないことなんだ。僕達の認識能力が足りないだけで、三次以上の次元が存在しているかもしれない。いや、テレポーテーションの魔法の結果を見れば、存在している可能性が高い」
ようやくイトリの話の意図が見えてきた。
「つまり、テレポーテーションの魔法は、物体を瞬間移動させる魔法じゃない。物体を別の三次元空間に飛ばして、そこで移動させて、再び元の三次元空間に戻す魔法なんだ」
「つまり、異世界へ移動させるということは、人間を別の三次元空間に飛ばすということですね」
「そのとおり。その別の三次元空間こそが異世界なんだよ」
「じゃあ、普通にテレポーテーションの魔法を人間に適用すれば、異世界に行けてしまうわけですか?」
「いや、人間をテレポーテーションさせた場合とは、ちょっとだけ違う。テレポーテーションで異世界を移動するときは、その人の意識はない。それに、テレポーテーションで使う異世界は、おそらくテレポーテーション専用の世界だ。もちろん、神様がテレポーテーションのために作った世界って意味じゃなくて、偶然テレポーテーションに適した世界があったから利用したんだと思うけど」
「それらの問題をクリアすれば、異世界に行けるわけですね」
「そのとおり。もう問題の一部は解決されている。だから、異世界に行こうと思えば、割と簡単に行ける。そのかわり、戻ってこられる保証はないけど」
「戻ってこられる保証がない、というと?」
「言葉通りの意味だよ。向こうの世界に魔法使いがいなければ、この世界に移動できない。異世界転送の魔法じゃなきゃ戻ってこれないからね」
「テレポーテーションの魔法を応用すれば、異世界にいる人をこの世界に連れてくることができませんか?テレポーテーションでは、一度異世界に送ったものを、もう一度この世界に戻すことができてるじゃないですか」
「それは現状では不可能だ。異世界に送っても、その人の意識の制御権がこちらにあれば、そういったこともできるかもしれない。でも、その制御権を手放したら、もう呼び戻すことはできない」
「制御権がこちらにあるうちは、この世界の人間だと認識されているのでしょうか?」
「さあね。その辺は全くわかってないから、なんとも言えない」
僕自身は魔法が使えるが、魔法についての知識は皆無なので、なぜそうなるのか全く理解できない。でも、直観的には何となくわかった。テレポートは術者が主体となって、物体を操作する魔法だ。だからこそ、その物体が意思をもつには術者が制御権を手放す必要があるのだろう。
「もしかして、魔女の会の存在意義は、テレポーテーションの研究をすること?」
店長の発言に、そうか、と僕は納得したのだがイトリの反応はいまいちだ。
「そうだとも言えるし、そうじゃないとも言える。もともとは異世界にこの世界の人を移動させるために設立されたんだけど、別の世界への転送魔法に改善の余地があるから、魔法の研究も並行して進めてる。ただ、やっぱりメインは異世界に人を送ることだよ」
「会の発起人はあなた?」
「発案者という意味では、そうかもね」
「その資金はどこから?」
「お金持ちから。別の世界に行ってみたい人って世の中に結構いるんだよ。そういう人たちに上手にプレゼンしてあげれば、喜んでお金を出してくれる」
「つまり、変身願望があるお金持ちが出資してくれていると?」
「そうだよ。あと、もちろん国からも支援してもらってる」
「どこの国?」
店長が鋭い目つきをしている。
「中央だよ」
「中央!?」
「そんなに驚く?」
イトリが苦笑いをしながら言う。
「いや、こちらのリサーチ不足といいますか。僕たちは魔女の会がどこにも属さない組織だと思ってその実態を調査しに来たんです」
「ああ、そういうこと。残念だけど、しょせん僕も雇われ研究者だからスポンサーには頭が上がらないよ」
「ということは、今魔女の会の主導権を握っているのは、国ですか?」
「残念ながらね」
はじめは純粋な気持ちから始めたことでも、利益を望む方向へ変質することは、よくあることだ。国の資金力の方が、個人の資金力よりも優れていることは明らかだし、資金力の大きなところが、強い発言権をもつことも明らかだ。
「国の支援を受けているというのは、中央からの支援を受けているということですね?」
「もちろん。僕も一応は中央政府の所属だからね」
「一応、というのは?」
「あんまり僕はあてにされてないんだよ。自由な立場っていえば聞こえはいいけど、主戦力とみなされてないんだ」
「どうしてですか?」
イトリは魔法についての知識も豊富だし、人柄に問題があるとは思えない。
「僕が女だからだよ」
僕はどういう顔をしたらいいのかわからなかった。そこまでド直球な性差別を、差別されている本人から打ち明けられるということは初めてだったし、僕が何を言っても、「お前に何がわかる」と返される気がする。
「どうして女性だと閑職に追いやられるの?」
店長がイトリに尋ねる。そんなことをイトリに聞いて答えが返ってくるのだろうか?」
「出産のリスクが高いからだよ」
その答えを聞いて店長は納得の表情を作っている。僕だけが置いて行かれている。
「どういうことですか?出産に危険を伴うのは普通じゃないですか?」
「政府が魔法使いを増やそうとしていることを思い出してよ」
「ええ、ハーレムを作っているんですよね」
「女性がなぜハーレムを作りにくいかはわかるよね」
なるほど。ハーレムをもてて羨ましいなぁ、なんて考えていたから気がつかなかったが、女性は子供を産むために長い時間を必要とする。子供を増やすためにハーレムを作るのであれば、女性がハーレムの主になるのは非効率的だ。
「でも、ハーレムの主にはなれなくても、他の仕事で活躍できますよね。政府はどうしてそうしないんですか?」
「政府も魔法使いを増やすには男の魔法使いに頼むしかないからね。その辺の力関係のせいじゃないかな?」
イトリは自分のことを主戦力だとみなされていないといったけれど、異世界に人々を転送させるという役目を担っている。僕が店長やアレモンドからかけられている期待に比べれば、イトリにかけられた期待ははるかに大きいと思う。
「ここでは、どのような研究をしているのですか?」
会話が途切れないように意識して話題を探した。もうそろそろお開きかもしれない。
「あんまり成果は上がってないけど、実証実験が基本かな。色々な物をテレポートさせたり、実際に人を異世界に送ったりして、その結果を検証する。事前に予想した結果が得られれば、その理論の正しさが確かめられる。予想と異なる結果が得られれば、その理論の正しくなさが確かめられる。地味な作業だよ」
「いつになれば、異世界とこの世界を自由に行き来できるようになるでしょうか?いつと明確には言い切れないでしょうから、おおよそでもいいのですが」
「そうだねえ。早くて数十年。遅ければ百年以上かなあ」
「そんなにかかるんですか」
それを聞いた時、僕は少しほっとした。元の世界に帰らされる恐怖から解放されたからだ。元の世界に戻ったら、この魔法の力がどうなるかわからない。一度手に入れたものを手放したくない。
「まだ目処がたってないからね。僕が生きている間に成功すればラッキー、くらいの感覚だよ」
「宗教団体として活動している理由はなんですか?普通に研究機関として活動すればいいんじゃないですか?」
「研究内容が特殊だからね、他国にこんなことを研究していることすら悟られたくないのさ。でも、もういくつかの国は気づいているだろうけどね」
「根本的な疑問なんですが、こんな研究をして、国益につながるんですか?異世界への人口流出が増えるだけだと思いますけど」
「異世界へ自由に行き来できるようになれば、強力な助っ人を呼べるかもしれないだろう。それに、敵を異世界に飛ばすことだってできるはずだ。使い道はいくらでもある。君だって異世界に行けるかもしれないよ?」
僕には冗談にしか聞こえなかった。もしかしたらイトリは僕の正体の見当がついているのかもしれない。
「イトリさんは、この団体を立ち上げるまえから、テレポーテーションに詳しかったんですよね?」
「そうだよ。もしかして、どうしてテレポーテーションに詳しいのか知りたいの?」
「ええ。僕も勉強したいので」
「そうか。…その話は君の正体を明かしてもらった後にしよう。それでいいかい?」
僕は特に異論はない。店長も首を立てに振った。
「よしわかった。次は君が話す番だな」
「どこから話すか迷うのですが…まず僕が元の世界で死んだ時の話をしましょう」
鼻から長い息を吐く。店長もイトリも怪訝な表情を見せる。
「死因は事故です。まあ、詳しく言っても分からないと思いますが、元を正せば僕の不注意でした。死ぬ時の気持ちは、愉快ではありませんでしたね」
自嘲気味の笑いが溢れる。イトリと店長はクスリともしない。
「でも、死ぬのはそんなに不愉快でもありませんでした。でも、できることならもう死にたくないですね。イトリさんはそういった蘇生魔法に興味はありませんか?」
「いや、まったくないね。人が死ぬのはこの世の理だ。それを捻じ曲げることはできない」
「捻じ曲げることができないというのは、倫理的に?それとも方法がないという意味?」
店長がイトリに尋ねる。店長の目は鋭い。
「現状では方法が無いって意味。まあ、どっかの誰かが見つけるかもしれないけどね。僕が倫理がどうのなんて、言える立場にないよ。そういうのは、君のセリフだと思ったんだけどね」
「僕ですか?僕だってそんなにできた人間ではないですよ。僕らの職業は、もうご存知じゃないんですか?」
「ああ、そう言えばそうだったね。まあ、仕事なんて生きるための道具だし、それだけじゃどんな人間かはわからないよ。それより話の続きをしてくれないかな?」
「話がそれ過ぎましたね。死んだ後、どこかで目が覚めて、自称神様に魔法と優れた身体能力を与えられて、この世界で目覚めました」
信じてもらえないのではないか、と心配していたが、イトリはすんなりと納得した。
「そうだったんだね」とあっさりとした反応しか見せない。もう少し驚いたり疑ったりしてもらわないと、なんだか物足りない。
「まあ、そんなことだろうとは思ってたよ。君ってちょっと変わってるし、ハーレムの出身じゃないとすれば、隠し子か別の世界から来たかしかないし」
「え?イトリさんは別の世界から来た人間が魔法を使えることを知っていたんですか?先代の魔法使いのことを知っているんですね」
「先代の魔法つかいねぇ」
イトリは笑いながら言った。その名前で僕が言いたいことは伝わったようだが、その表現が面白かったのだろう。
「そうだね。君より先にこの世界に来ていた人がいる。僕の父親だよ」
「ああ、そうでしたね。すみません、すっかり忘れていました」
他意はない。本当にすっかり忘れていた。
「あの人は、よくわからない人だったよ」
あの人とは、イトリの父親、先代の魔法使いのことだろう。やや突き放した表現だ。あまり思い出がないのだろう。
「あなたの父親とは、どの程度会話がありましたか?」
「あんまり会話したがらない人だったし、僕が育った環境も環境だったからね。直接はよく知らないんだ」
「直接?ということは、間接的になら知っているの?」
店長がすかさずツッコミを入れる。それは深読みしすぎじゃないか。
「そのとおりだよ。父親のことがよくわからなったから、調べたんだ。それがきっかけで、テレポーテーションに詳しくなったんだよ。何がきっかけになるか、わからないよね」
イトリは誘い笑いを誘うように笑った。ただ、店長も僕も笑えなかった。
「全然重い話じゃないんだよ。金銭的には恵まれていたし、何不自由無く暮らしてたんだ」
そう言われても、ハーレムで生まれた子供が幸せなのかどうか。一般的に考えると、イトリの言葉をそのまま受け取るわけにはいかなかった。
「生きることができるかどうかと、幸せかどうかは別問題ですよ。生きているだけで幸せなんて、思いたくありません」
「へぇ、そう」
「もう中央には戻らないんですか?」
「さあね。長期の出張みたいなものだから、上の考えが変われば呼び戻されるんじゃないかな?でも、こういう田舎に来ると息抜きにもなるし、いい気分転換になるよ」
「西の国とはどういう関係なの?」
なかなかいい質問だ。イトリは中央に属しているが、この研究施設は西の国にある。2つの国は協力関係にあるのだろうか。
「さあ?実は僕も詳しくは知らないんだ。表面的には仲良しを装っているけど、裏ではどうだか。まあでも、どこの国も対して変わらないよ。自国の利益のことで頭がいっぱいなのはどの国も同じさ」
「なんかさっきから反応悪くない?」
イトリが僕に顔を近づけて小声でいう。なんのことかと思っていたけど、どうやら店長がどこか上の空であることを気にしているようだ。
「いや、僕達の調査の意義というか、色々前提となる情報に不備があったみたいで…」
「もともと、中央が会の存在に気づいていないと思って調査に乗り出したの。だから、何と言うか、無駄足だったってこと」
店長もがっかりしているようだ。もしかしたら、アレモンドの考えとして、中央政府を出し抜こうという計画もあったのかもしれない。それらが全て水の泡となったのだから、珍しく店長がへこんでいるのも納得できる。
「もしかして、この里は中央にとって都合の悪い人間を収容するようなことも行っていますか?」
「君は随分突っ込んだことを聞いてくるね。いや、いいんだけどさ」
イトリは笑いながら言う。
「そうだね。そういうこともあるよ。殺すわけにはいかないけれど、表に出られたら困る人間っていうのは、たまーにいるんだよ」
なんと言うか、仕事が急にキャンセルになったわけで、…どうするんだろうか?
「どうします?」
店長も悩んでいるようだ。眉間に皺が寄っているし、右手を顎に当てていた。なかなか絵になる構図だった。
「悩み中。あなたはどうしたい?」
「そうですね…。もう少し観光がてら滞在したいとも思いますが、危険ですかね?」
「いや、危険はないと思うよ。政府に忠実な人は、こんな辺境な場所に飛ばされないし、君が魔法を使えることとか、君らが非合法な商売をしていることとかも、そんなに問題視されないと思うよ」
「それ、国として大丈夫なんですか?魔法はともかく、薬物の売買は問題視しなきゃだめだと思いますけど」
「色々とあるんだよ。彼女が薬物を売っているおかげで、他国の売人は中央国内に手をだせないし、アウトローな人間を受け入れる業界も必要なんだ」
そう言われると、そういものなのかなあ、と思う。たしかステンも必要悪だと言っていたっけ。
「この会のことを任されているということは、イトリさんは先代の魔法使いの子供の中でも優遇されているんですか?」
「いや、優遇されているというより、迷惑がられているって感じかな。政府にはちょっと反抗的だし、扱いに困ってるんじゃないかな」
イトリは自分の考えをしっかりと持っているし、喋り方もしっかりしている。イトリが左遷されているというのは、ちょっと意外だった。
「僕だけじゃないんだよね。他の子供達も政府にとって重荷になってきている。数十年前は、もっと希望に満ちたプロジェクトだったはずなんだけど、今となっては魔法使いの扱いづらさに困ってるみたい」
「魔法使いって、変な人が多いんですか?」
「うーん、生まれつき変というわけじゃないと思う。多分、育て方を間違えたんじゃないかな。甘やかしすぎだと思う。それに、子供の時の同年代の友達といえば、異母兄弟姉妹しかいなかったし、環境が良くなかったんだと思う」
「もう帰ろう。これ以上ここにいる意味がない。中央に戻ろう」
店長がそう言った。もう聞くべきことは聞いたということか。
「じゃあ、帰る前に1つ話をさせてくれない?さっき言ったように、僕がテレポーテーションに興味をもったのは、自分の父親のことを知りたかったからなんだ。僕の父親がテレポーテーションのプロフェッショナルだったからね」
「テレポーテーションがとても得意だったということですか?魔法に得意不得意とか、あるんですね」
「そりゃ、もちろん。あ、でも君の場合は例外かもね。僕の父親もそうだったんだけど、異世界から来た人は、オールランドにどんな魔法でも上手く使えこなせるんじゃないかな?」
「そうなんですかね。まだ魔法をあまり使ったことがないので、自分の得意不得意がよくわかってないんですよね。でも、どんな魔法も使いこなせたなら、どうしてテレポーテーションのプロフェッショナルなんですか?」
「テレポーテーションをよく使ってたらしいんだ。特に、戦闘で」
「戦闘?移動ではなくて?」
戦闘でテレポーテーションを使う場面といえば、奇襲をかけるために、味方の軍を敵地に送り込んだり、敵の背後を取るためにテレポートする時などだろうか?
「そうだよ。テレポーテーションは殺人と相性がいい。ちょっと例を見せよう」
急に物騒な言葉が出てきてびっくりしたのだが、イトリは気にする様子もなく、先程テレポートさせたペンを拾い、ペンを地面と垂直になるように持ってみせた。
「テレポーテーションがどうして研究対象になり得るかっていうと、その作用が複雑だからだ。なんの複雑さも無ければ、研究なんてする必要はない」
イトリがそう言う言い終わると、突然、ペンの上半分が消えた。
「こうやって、物体を部分的に移動させることも可能だ。これが意味するところは、わかるよね?」
「人体切断ですか。今移動させたペンの一部は、どこに移動させたんですか?」
「別の3次元空間に飛ばしたっきりだよ。もうペンを呼び戻すことはできない。ペンを呼び戻すより、飛ばしっぱなしの方が、魔法使いの消耗が少ないから、戦闘時にはこうすることが多いんだ」
「でも、人間の上半身を飛ばすとしたら、ちょっと効率が悪いですよね。例えば、心臓部分だけ飛ばせばもっと効率がいいと思います」
「そのとおりなんだけど、対大人数の戦闘で、極力エネルギーロスを抑えようと考えると、もっとテレポートさせるのに適した場所がある。どこだと思う?」
「えーと、頭ですか?」
「目だと思う」
黙っていた店長が口を開いた。
「頭は重いし、鎧で覆われていることが多いから、なおさら重い。でも、目を鎧で保護することは難しいから狙うとしたらそこじゃない?」
「君は勘がいいね。今の所、箱の中身だけをテレポートさせる術はない。例えば、皮膚を傷つけることなく、脳だけを取り出すようなことはできない。脳をテレポートさせようと思ったら、頭部ごとテレポートさせるしかない。その点でも、目は都合がいい。表面に露出しているからね」
イトリは、一拍置いて、真面目な顔つきで言った。
「どうしてこんな話を君達にしたのか、もうわかっているんだろう?」
僕には全く心当たりが無かったのだが、それを言い出せる雰囲気では無かったので、黙ってわかっている振りをした。
「あなたのお父上が、テレポーテーションで、殺人を行ったこと?」
「そのとおり」
店長とイトリのやり取りを、信じられないものを見るような気持ちで眺めていた。
いきなり人の父親を殺人犯呼ばわりした店長も、それを認めたイトリも、別世界の人間のようだった。
「情報源は明かせないけど、あなたの父親が西の国の独立運動の時に、派手に暴れたっていう話を聞いたの」
「なんだ。知ってたんだね。だから、目を狙った方がいいことも知ってたのか」
「いや、そこまで詳しい話は知らなかったけど、魔法で効率よく人を殺すとしたら、その方法くらいしか思いつかなかった」
ドルマーが言っていた、魔法使いによる大量虐殺のことを話していることは、僕にもわかった。
どうやって魔法使い1人で、大勢の兵士を相手にしたのか不思議だったけれど、そういう方法を用いたらしい。
「それがきっかけで、僕はテレポーテーションのことを知ったんだ。必ず平和利用する方法があるはずだと思ったし、あの人の娘として、そうしなければいけないと思ったんだ」
なんだが、不自由だなと思った。親のことなんて気にせず好きに生きればいいのに。でも、そんなことを思えるのは、僕の育った環境がそうだったからであって、彼女にもそれを押し付けられるとは思えない。なんと言うか、ありとあらゆるものが違いすぎて、僕がいけしゃあしゃあと口を出せる問題ではない。
「一つ聞かせてほしい。君は神に魔法をもらったんだよね。魔法をくれるときに、神は何か言ってなかった?例えば、魔法が何のために存在するのか、とか」
「いいえ、何も。イトリさんは魔法の存在意義を知りたいんですか?僕も知りたいです」
「どうしてこんなものが存在するんだろうね。こんなものがなかったら、もっと良い世の中になったのかなぁ。それとももっと嫌な世の中になってたのかなぁ」
その発言はあまりにも重かった。魔法が使えるんだ、やったー、などと喜んでいた過去の自分が恥ずかしくなった。魔法が使えることが苦しい人もこの世にはいるのだ。
実際には神は何も言っていなかったのだが、もし僕が、神は魔法を殺人のために使えと言っていた、と言ったらイトリはどうするつもりなんだろうか。その事実を受け入れて、神に逆らってでも平和利用をしようとするのだろうか?それとも魔法が嫌になって、二度と魔法を使わなくなるのだろうか?
「魔法が何のために存在するかというのは、神が決めること何でしょうか?誰かが決められることではないと、僕は思います」
魔法の存在意義を知ろうとすることは、人間が生きている意味を問うようなものではないのだろうか?僕には、答えがある問題だと思えない。
「そうかな?神は明らかに、後天的に魔法を人間に与えている。これは、明らかに何らかの意図があるんじゃないかな?」
「神に何か意図があったとして、その意図を人間が知ることができるんでしょうか?もし、神がその意図を隠そうとしたら、それを人間が知る術はないと思います。僕達がその意図を知れたということは、神がその意図を人間に知らせようと思ったということでしょうね」
「つまり、神は人間より優れていると言いたいんだね。だから、僕達が情報を得られるかどうかは、全て神のさじ加減だと言うことだね。でも、本当にそうかな。現に何らかの不具合があったから、君をこの世界に送ったんだろう?神だって完璧なわけじゃないと僕は思うけどね」
なるほど、イトリの言うことも一理ある。イトリの言う通り、僕は何らかの手違いが原因で死んだらしい。神も完璧超人ではない、ということか。
「でも、その手違いっていうのが、本当にあったのか、怪しいものだけどね。何か目的があって、あなたを選んで、魔法を持たせて、この世界に送り込んだのかもしれない」
店長がツッコミを入れる。なるほど、たしかにそれも一理ある。もう何が正しいのかもわからない。誰の言うことも正しい気がするし、正しくない気もする。
「でも、僕が選ばれたというのは、ちょっと考えられないですね。僕は特別でもなんでもないですし、僕より優秀な人もいくらでもいますし、僕を選ぶ理由がないんですよ」
「じゃあ、君が偶然タイミングよく死んだから、利用しただけってこと?魔法を使えるようにさえすれば、誰でもよかったということなのかなぁ?」
「まず、神に何らかの意図があったと仮定しましょう。そう考えると、送り込む人間は誰でもよかったとは考えにくい。何らかの人選があったことはまず間違いない。あなたをこちらに連れてくるために、あなたを死なせたのかもしれないし、死んだ人間の中からあなたが選ばれたのかもしれない。その人選がどのようなものだったのかはわからないけれど、間違いなくそれがあったはず。でも、あなたはそれを教えてもらっていない。どうして?」
「考えられるのは、僕が神の意図を意識して行動したら作戦が失敗するとかでしょうか?僕が作戦を誰かに漏らしたり、何かヘマをやらかすと思われているんじゃないでしょうか」
「もう一つ考えられることがある。君に話したら、反対されるような作戦だということだ」
イトリの言葉がタイムラグを伴ってじわじわと染み込んでくる。それは、できれば考えたくないことだった。
「つまり、人間に危害を加えるような目的だということでしょうか?でも、そんなことってありますか?神だったらこんな回りくどい手を使わずに、もっと直接的に人間に危害を加えることができると思いますが」
「いや、そうじゃなくて、君にとって嫌なことをしようとしているんじゃないかな。例えば、もし君が甘いもの好きとして、神が甘いものをこの世からなくそうとしていると聞いたら、それに協力するのかい?」
「そういうことだったら、ありえるかもしれませんね。でも、それならどういう理由で甘いものをなくさないといけないか、その理由を説明してくれれば、僕だって協力するかもしれないのに。その説明もないんですよね」
「まあ、神話によっては、神はわがままな存在として書かれているし、仕方ないのかもね」
そこで話が途切れた。イトリも僕も、ちょと話し疲れたようだ。特に僕は、気軽に会話できる友人のような存在が、この世界に来てからいなかったので、久しぶりに人と会話できて嬉しかった。
「そう言えば、部屋の中央にいる方々は、何をされているんですか?」
この部屋に僕と店長が入ってきてから、ずっと瞑想のようなものをしている人達のことだ。ああいう人を見ると、ついつい脅かして、邪魔をしたくなってしまう。
「あの人達は、修行しているんだよ。精神的に鍛えているんだ」
修行と聞いて、ちょっと引いてしまった。ここは魔法の研究をしている国立機関じゃなかったのか。だったらもう少し科学的なことをしたほうがいいんじゃないだろうか?
「何のために修行をしているんですか?宗教的な意味があるんでしょうか」
「意味はないよ。宗教のためでもないし、研究のためでもない」
「え?じゃあ、無駄ってことですか?」
「そうだね。無駄かもしれない。でも無駄なことなんていくらでもあるよ。僕らが今話していることも無駄だし、生きているために必要最低限のことしかできなかったら、人生がつまらないでしょ」
イトリの言いたいことはわかるのだが、どうせ無駄なことをするなら、楽しいことの方がいいのではないか。この世界にゲームも漫画もないけれど、娯楽は修行以外にもあるはずだ。
「修行が娯楽の一種のようなものだという意味ですか?そんなことってありますか?僕だったらもっと楽で楽しいことをしたくなりますけど」
「楽なことと、楽しいことって両立するのかな。僕は適度な負荷がないと、楽しいとは思えない。簡単には達成できないけれど、どうしても成し遂げたいことが君にもあるんじゃないかな」
それを聞いて真っ先に思い浮かんだのは、ハーレムのことだ。そうだ、僕にもあった。無駄だけれどどうしても達成したいこと。修行をしている人は、こういう気持ちで取り組んでいるのか。たしかに、誰かに押し付けられたわけではないのに、自分でしなければならないと決めたことが、なぜかある。修行と聞くと、僕とは遠い世界の話だと思ってしまったが、生まれて初めて修行を行う気持ちがわかった。
「そうですね。そういったことはあります。修行をしている人は魔女の会のメンバーなんですか?」
「いや、自由の里に所属している人達だよ。彼らの中から有志を募って行っているんだ。自由の里に来る人達の多くは、何らかの問題を抱えていることが多い。家でじっと悩むより、外に出て他のことに集中するほうがいいと思ってね。僕が企画したんだ」
宗教的な修行というよりも、精神的なトレーニングというほうが近いのかもしれない。そういうものを娯楽というか、生きる目標のようにしている人もいるんだな、と感心した。
「なんか疲れてきちゃったね。ちょっと場所を変えようか?」
「ええ、いいですよ」
イトリは立ち上がり、出入り口へ向かう。その後ろに僕、店長の順に続く。イトリがドアを開け、最後尾の店長がドアを閉めた。
「かなり歩くけど、いい?」
「ええ、僕はいいですよ」
僕は魔法があるからほとんど疲れずに歩くことができるが、店長はそうではない。店長の小さな体では大丈夫だろうか。
「歩くってどのくらい?」
「山の上まで」
「本気?私はパス。後で何があったか教えて」
「これから登る山ってこの山ですか?」
「そうだよ。そんなに距離はないし、昼前には戻ってこれるから、一緒にどうかな?」
イトリが店長に言うが、店長は首を横に振る。
「テレポートさせればいいんじゃないですか?そしたら一瞬でつきますよ」
「さっきの話をきいて、テレポートしたい人なんていないわよ」
そうだった。あの魔法は人体を切断したり、人体を異世界に飛ばしたりできる。それを聞いた後で、その魔法を使ってもいいという人は、よっぽど術者のことを信頼しているか、居眠りをして話を聞いていなかったかのどちらかだろう。たぶん店長は居眠りしていなかったのだろう。
「じゃあ、魔法を使って歩行補助をしますよ。それならもっと楽に歩けるはずです」
「いや、そこまでしてもらわなくてもいいわ。私はここで待ってるから、二人で行ってきて」
それを聞くまでは、せっかくだし店長も来ればいいのにと思っていていたのだが、それを聞いて気が変わった。
そうだ。イトリと二人きりなんだ。いかも山登り。これはもはやデートなのではないか。山登りデートのチャンスを逃すわけにはいかない。
「そうですね。無理することはありませんよ。低い山でもやっぱり危険が付き纏いますし、気が乗らない時は登らないほうがいいですよ」
急に手のひらをくるっと返したので、イトリから少し奇妙な目で見られることになったのだが、特に何も言われなかった。
「そう。じゃあ、さくっと登ろうか」
「そうですね」
さくっと登るとは言ったが、本当にさくっとしすぎだ。
イトリはほとんど走るように傾斜を登る。僕も必死で付いて行くが、体力的にきつい。登り始めたばかりの頃は十分付いていける速度だったのだが、イトリはその速度を維持しているのに対し、僕は明らかに速度が落ちている。
「ちょっと休憩しようか」
イトリが後ろを振り向いてそう言った。僕の体力的に有り難いのはもちろんのこと、イトリと話をできるチャンスでもある。
「はい」
呼吸を整え、なんとか返事を返す。ここまでイトリとまともに会話できていない。これをデートと言い張るのは無理があるだろう。
イトリは二人で楽しみながら山を登るという発想がないのだろう。山登りの過程なんてどうでも良くて、単なる移動としか考えていないのだろう。
「いい運動になるね」
「そうですね」
休憩といってもベンチのようなものは何もない。ただの斜面しかないので、近くの木にもたれかかって体を休める。
「イトリさんは、体を鍛えているんですか?僕も体力に自信があるんですけど、おいて行かれてしまいました」
この世界に来る時に身体能力を上げられたようで、体力も向上しているのだが、それでもイトリの体力の方が上だった。
「鍛えているけど、純粋な体力だけだと君の方があると思うよ。魔法の補助も含めてなら、僕のほうが長く動けるみたいだけどね」
僕は魔法にも自信があったのだが、イトリの方が魔法が上手なのか。ちょっとショックだ。
「どうやったら魔法が上手に使えるようになるんですか?練習すれば上達するものなんでしょうか?」
「君は魔法が使えるようになってから日が浅いんでしょ?まだ慣れてないだけじゃないかな。そのうち上手になるよ」
「それは、最大値が生まれつき決まっていて、修練によってそこまで上達することができるということでしょうか?それとも練習さえすればどこまでも上達するものなんでしょうか?」
「そんなの知らないよ」
イトリは困ったように笑った。
「魔法使いが出てきたのは、ほんの数十年前のことだし、まだ魔法使いの数が少なすぎて、魔法の上達に関してはなんとも言えないと思う。でも、魔法は遺伝で伝わるはずだから、限界値が生まれつき決まっていると考えて方が自然かもね」
ということは、僕はその限界値が高く設定されているということなのだろうか。この世界に来る時に言われた通りなら、僕は魔法使いとしてかなりの強さらしい。
「魔法は、まだ分からないことばかりなんだよ。国が魔法使いを囲い込んでいるせいもあるし、もうちょっとどうにかしてほしいんだけどね」
「イトリさんは国に雇われているわけですよね。辞めることってできないんですか?」
「さぁ、どうなんだろう?待遇がいいし、わざわざ辞めようとは思わないかな。それに、国は今まで僕の教育用にお金をたんまり使っているからね。魔法を秘密にする必要もあるし、国の管理からは逃れられないだろうなぁ」
「イトリさんは、その生活に不満はないんですか?」
「不満はある。でも、こればっかりはしかたない。人生にはどうしようもないこともある。それにどんなに恵まれている人だって、不満の一つや二つくらいあるものだよ」
「諦めているということですか?でしたら、その…僕ならイトリさんの力になれると思いますよ」
イトリは笑った。苦笑いなのだろう。現実をわかっていない無知な人間だと思われたのかもしれない。それでも、イトリの力になりたいというのは紛れもない本心だった。下心もほとんどない。
「ありがとう。でも今の生活も気に入っているから、大丈夫。もう休憩はいい?」
「はい」
「今日の昼すぎにはここを発つんでしょ?もう少しペースを上げようか」
イトリは随分とスパルタだ。これ以上ペースを上げられるとついていけるかどうかわからない。でも、無駄な自尊心が邪魔をしていいえとは言えなかった。
「どう?いい景色でしょ?」
「…ええ…、はい…そうですね…」
息も絶え絶えになりならが、なんとか返事を返した。ここに来るまでで体力を使い果たしてしまったのだが、帰りは無事に下山できるだろうか?
息を整えて顔を上げると、確かにいい景色だった。でも特に感想はない。景色を見て感動する人がいるらしいが、僕はまったくそういった経験がない。
「とってもいい景色ですね」
一応僕にも相手に合わせるという常識があるので、とりあえずイトリに同意した。
「ここに来たのは、君に言いたいことがあるからなんだ」
僕の心臓がはねた。嘘でしょ。これはまさかまさかのパターンか?告白とかしちゃう系の感じか?
反射的につばを飲み込む。いかんいかん。こっちまで緊張してきた。堂々としていればいいだけだ。焦ることはない。
手のひらにじとりとした汗が出てきた。イトリが覚悟を決めた表情でこちらを向く。
「君は魔法を自分のためだけに使ってほしい」
「え?何の話ですか?」
まったく意味がわからなかった。まず、告白ではないというのは、ぎりぎり予想の範囲内だ。そんなに現実が甘くないことは、なんとなくわかっていた。
でも、魔法を自分のためだけに使え、というのはどういうことか。普通逆じゃないのか。魔法を自分のためだけに使うなとか、魔法は他人のために使えとか。
「自分のためだけにというのは、どういうことでしょうか?」
こんな場所まで連れてきて、かっこよさげに言った言葉を間違えたのではないかと思い、それとなく話を促した。
「僕はずっと、魔法を他人のために使えと言われて生きてきた。いまでもそうだ。魔法は特別だから、特別な力をもった者としての責任があると言われてきた。でもさ、そんなのおかしいよね。僕は好きで魔法を手に入れたわけじゃない。生まれた時に勝手に付いてきたんだ。勝手に押し付けられたものの責任なんて、知ったこっちゃない」
イトリは悪態をつくように言った。イトリは今まで嫌な思いをたくさんしてきたのだろう。感情の乗った言葉だった。
しかし、僕とイトリは立場が違う。僕は魔法を使えることが嬉しかったし、自称神に魔法を与えられた時に拒否することも不可能ではなかっただろう。
「でも僕は魔法を使えることを望んでいた節があります。魔法を使えるとわかった時、僕はとても嬉しかったんです。ここ10年間で一番喜んだと思います。ですから、僕とイトリさんでは魔法を使えるようになった経緯が違うんですよ」
「だとしても、君の魔法は君のものだ。君が使いたいことに使うといい。人は、自分以外の誰かのためなら、いくらでも残酷になれる。魔法は特に危険なものだから、君が使ってもいいと思ったことにだけ使って」
「イトリさんは僕のことを信用してくださっているようですが、僕はそんなにできた人間じゃないですよ。僕が魔法を使って酷いことをするかもしれませんよ」
「その時は僕が止めるよ」
「本当ですか?」
「何?何か不満でもあるの?」
イトリは笑いながら言う。特に不満があるわけではないが、本当に止めてくれるのか疑問だった。
「いえ、不満はありませんが、今日会ったばかりの僕にそんなことを言ってくださるのは嬉しいのですが、そこまでしていただくのは申し訳ないと思うんですよ」
「そうだね。今日初めて会ったばかりなのに、そんな気がしないだよね。魔法が使えるっていう共通点のせいかな?」
「魔法を使える人はあまりいませんから、親近感が湧くのだと思います。僕もそうです」
この世界に来てから魔法使いの知り合いはステンくらいしかいなかったので、魔法使いとこんなに長く会話したのは初めてのことだ。だからイトリと話していると、昔からの知り合いと会話しているような錯覚に陥る。
「ここまで来てもらったのは、誰にも話を聞かれたくなかったからなんだ。僕らのところに調査をしに来た君達が興味を持ちそうな話題があるんだけど聞きたい?聞かなければ知らないことにできるけど」
「いえ、教えてください。あ…でも危ない話だったら遠慮しますけど」
「別に危なくはないよ。どちらかというと面倒かな。東の方に魔法使いがいるんだけど、ちょっと変わったことに取り組んでいる。彼女の研究テーマは不老不死。本当にそんなことができるのか、僕は疑問だけどね」
不老不死なんて、いかにも権力者が考えそうなことだなあ。でも、僕のイメージだと、不老不死を望んだ人は大体死んでいるのだが。
「不老不死なんて実現できるんですかね?」
「回復魔法というものはあるから、それを利用しようという魂胆だと思う。もちろんまだ上手くいってないらしいけどね。でも力の入れようは、こことは比べものにならないから、行くなら気をつけたほうがいいよ」
「それを聞くと行きたくなくなりますね。でも、そちらで研究されている方も女性なんですね」
それとなく聞いてみたが、僕にとってはこれこそ最も知りたいことだ。女性と知り合えるチャンスがあるなら行く価値がある。
それにイトリとの会話でわかったのだが、魔法をもつ者同士は仲良くなりやすい。魔法使いが国による管理下に置かれている状況が作用して、仲間同士で協力するべきだという感覚が強くなっているのだろう。
「そうだよ。そこの責任者も女性だよ。研究系の仕事のリーダーは、多分全員女性だと思う」
「へぇ、女性の方が優秀なんですかね?」
「いや、そういう理由じゃない。女は出産にリスクが伴うからハーレムに向かない。だから僕達は地方に飛ばされて、中途半端に責任のある役職をさせられるんだ」
「それはまた、大変ですね」
デリケートな問題をつついてしまった。そういう女性差別的な話を聞いた時に、どう対応すればいいのかわからない。
そうだよね、と同意するのも違う気がする。僕もそういう差別的な考えをまったくもっていないわけじゃない。僕がそんなことを言っても偽善だとしか思われないだろう。
一方で、そういう差別を容認するようなことを言うと、それはそれで嫌われるだろう。
ただ、出産のリスクが大きいから女性がハーレムを作ることが難しい、という理屈はわかる。1人産むだけで1年近くの時間がかかってしまうし、1人産むたびに母体にも負担がかかる。出産の際に命を落としてしまう可能性だってある。
「まあ、そのおかげで権力を振るうことができる立場にいるわけだから、別にいいんだけどね」
「とにかく、変な義憤にかられないでね。そういう正義感を根拠に行動すると、碌なことにならないから」
おそらくイトリの頭にあるのは、彼女の父親のことだろう。彼女の父親がどういう気持ちで独立戦争に参加したのかはわからないが、その行動の裏に独立をサポートすることが正しい、というような価値観があったのかもしれない。
「どんなに思想が立派でも、他人が真っ先に目にするのはその人の行動だから、行動が良くないと思想を聞いてもらえない。話をする前に嫌われたらもったいないからね」
僕はイトリの話を黙って聞いていた。なんとなく、イトリのことがわかってきた。イトリは見た目とは裏腹に、かなり慎重派のようだ。色々と苦労したのだろう。僕とは大違いだ。
「そうだ。この世界って、君から見てどうなの?」
「え?随分唐突ですね。具体的に、何を尋ねているんですか?」
「いや、特に何を聞きたいわけじゃないんだ。ほら、君って別の世界からきたでしょ?そんな人って他にいないから、ぜひ異世界人の視点でこの世界を評価してほしいんですよう」
イトリは冗談っぽく言った。ただ、僕はその発言内容よりも、僕が異世界人と呼ばれたのが新鮮で面白かった。
「いや、僕も元々いた世界のことを知り尽くしているわけではありませんし、この世界のこともまだわかっていません。でも、僕が見た限りではどちらも、大して変わりませんよ。一般市民は自分の生活で手一杯で、時々政治のことを考えて、美味しいご飯を楽しみにしたり、恋愛をしたり、噂話をしたりして、生きている人達に大きな差があるとは思えません。ただもちろん文明の進み具合には差がありますが、そんなに大きな違いではないですね。時間が解決してくれますよ」
「魔法はどう?魔法が使えるのはどんな感覚?」
「怖いような、気持ちが悪いような、そんな感じです。ここまで強力な力をもってしまったら、自分が変なことをしでかさないか心配で、自分の行動に注意を払うようにはなりましたかね」
イトリは「ふーん」というだけで、興味があるのか無いのか。でも、イトリの気持ちはよくわかる。外からの目が気になるのは、どこにいても同じらしい。
「今は過渡期なんだと思う。一世代前は、魔法使いが初めて現れて、魔法使いを独占しながら増やそうとしていた時代だった。でも今はその方法に限界が来ている。魔法使いをこれ以上増やせば、その存在を隠すことが難しくなるし、これ以上魔法使いが必要なのかという議論もある。きっと、君がこの世界に来たことも、そういうタイミンだからなんだと思う。君が好きなように生きれば、この世界はいい方向に進むんじゃないかな。何の根拠もないけど、そんな気がする」
「僕を過剰に評価しすぎじゃないですか?僕は割と碌でもない人間ですよ」
「もしそうだったら、君がこの世界に送り込まれることもないと思うよ」
「イトリさんは、随分神を信用しているというか、楽観的ですね」
「神様は人間のことを気に入っていると思うよ。気に入らなかったら、今この世界が存在していないよ」
「神様が気にいっているのは、人間じゃないかもしれませんよ。蚊とか犬のために世界を存続させているのかもしれません」
イトリの言わんとすることはわかるが、反論したほうが話が盛り上がるかな、と思って反論した。
「ああ、それはあるかも。そういう意外な動物のために世界があるのかもね。…なんで僕達は生きてるんだろうね?」
イトリが急にそんなことを言い出したので、ちょっと引いてしまった。生きる意味なんて言葉で言い表せるようなものなのだろうか?
「ああ、ごめん。別に宗教に誘おうとか、そんなつもりはないんだ」
イトリはためらいながら話し始めた。
「魔法使いの中に、そういうことを言う人がいるんだ。魔法が使えるのは、呪いだという人もいる。みんな悩んでるんだよ。魔法使いだから普通の暮らしはできないし、1人の人として見られない。単なる兵器か異常な人間だとしか見てもらえない」
魔法が呪いだというのは、言い得て妙だ。遺伝によって伝わるので、末代まで伝染する呪いと同じメカニズムかもしれない。
「どうして魔法なんて使えるんだろうね。魔法がなくても生活はできてたのに」
残念ながら、僕はその答えを持ち合わせていなかった。
「次に来る時は、日が落ちてからここに来るといいよ。星がたくさん見えて綺麗なんだ」
「そうなんですね。それはぜひ見てみたいですね」
下山してから店長と合流して、なんとなく雑談が始まった。夜になる前に中央にたどり着きたいので、あまりゆっくりする時間はないはずだ。万が一、移動中に日が落ちてしまったら犯罪者にとって良い標的となってしまう。
「ごめんなさい。もうここを発たないと夜になる前に中央にたどり着けないの」
店長はイトリに断りを入れ、会話を切り上げた。やはり時間がないようだ。
「そっか、残念だなぁ。またおいでよ。寒い時期は雪が降って、また違った景色が見れるから、こんどは時期をずらして来るといいよ」
「わかりました」
イトリとはその場で別れ、店長とともに来た道を戻る。二人で並ぶと、少しだけ道からはみ出してしまうが、なぜか並んで歩いた。もちろんはみ出すのは僕の左足だ。店長は道の上を歩いている。僕は片足だけ道から外れて歩いている。
「どんな話をしたの?」
「魔法使いならではの悩みみたいなものを聞きました。魔法使い同士だから、ある程度腹を割った話ができたと思います。店長は待っている間、何をしていたんですか?」
「修行をしている人にインタビューしてた」
「え?さっき部屋にいた人達に聞いたんですか?よくインタビューに応じてくれましたね」
「うん」
「どんな感じでした?というか、何を聞いたんですか?」
「特になんてことじゃないんだけど、ここの暮らしがどうかとか、どのようにしてここの存在を知ったのかとか、そんなこと。でも、なんか変だったよ」
「変?どういったところがですか?」
「なんか、自分の意見がないというか、目つきが夢を見ているのような、そんなの。あんまりイトリのことを信用しない方がいいかもね」
「え?そんなことありませんよ。とてもいい人だと思いますよ。ちょっと宗教に対する偏見が過ぎるんじゃないですか?」
「あっそ。あなたがそう思うならそれでいいけど。仕事に私情を挟まないでよね」
イトリが僕に嘘をついているなんて、まったく考えられない。そんな様子はまったくなかったし、店長はバイアスのかかった見方をしているようにしか思えない。
「僕はイトリさんと直接話しをして、イトリさんがいい人だと思いました。店長は周りの情報だけでイトリさんのことを判断されていませんか?」
「あなたは自分の感覚を信じすぎじゃない?直感って意外と外れるものだから、周りも良く見たほうがいいよ」
「そうなんですかね?」
店長の言うこともわからないではないが、イトリのことに関しては例外だと思う。
「あなたって、騙されやすい体質みたいだから、気をつけた方がいいよ。特に女性に」
そんなことないと思うけどなぁ。まぁ、頑なに否定する理由もないし、特に抵抗することもなかった。
「そうなんですかね。気をつけておきます」
「実際のところ、異世界ってどうなの?異世界に期待している人がいうほどいい所とは思えないんだけど」
「まあ、そのとおりですよ。僕も元の世界に戻りたいなんて思わないし、この世界と大差ないですよ。ただ、魔法さえあればいい人生を送れるでしょうけどね」
「どうして死んだ人間から選んだろうね?」
「え?何の話ですか?」
「あなたがこの世界に送り込まれた理由。なんであなただったのかなって思って。わざわざ死んだ人間を生き返らせる必要なんてなかったんじゃない?今生きている人間に魔法を与えたり、新しく人間を作って魔法をもたせたりすればいいのに。何か問題があったのでしょうね」
「人間の感覚からすれば、人間を生き返らせるなんて禁忌中の禁忌だと思いますけど、神様の感覚からすると割と普通のことなんですかね?」
「マーガレットの所によるんですか?」
「ええ、一応顔を出しておかないと、文句を言われそうだしね」
マーガレットの自宅のドアはしまっていた。鍵もかかっている。ドアをノックして待つ。返事はない。
「留守みたいですね」
「勝手なんだから」
店長はぼやいた。
「ちょっとすみません」
突然、背後から声を掛けられた。柔らかい女性の声だったので、反射的に振り返る。
二人組だった。1人は女性。もう1人は男性だ。女性は男性の胸の高さ位までの背丈なのだが、女性が小さいというよりは男性の背が高いため、相対的に低く見える。
「用件を言ってください」
店長が強い口調で言う。横目でみると、体がこわばっているのがわかった。
店長が警戒するのも当然だ。女性はともかく男性は物騒なことが得意そうな体つきだし、この距離で殴りかかられたら魔法が間に合うかどうか怪しい。
二人ともおそろいの服装だ。ペアルックなんて微笑ましいな、というわけではなく、おそらく組織の制服だ。
「お二人は今の暮らしをどう思いますか?」
これは怪しい勧誘に違いない、そう思って店長を見る。しかし、店長は目の前の二人から視線をはずさない。
「それはどういう意味かしら?」
「そのままの意味ですよ。あなた達の待遇は、あなた達の能力に見合ったものですか?私はそうは思いません。あなた達は低く評価されすぎです」
そう言ってもらえるのは素直に嬉しいのだが、一体どこで僕の能力を知ったのだろうか。僕はこの世界に来てからそんなに時間が経っていないし、魔法を使った回数も少ない。本当に僕の能力を知っているのだろうか?
「いいえ、私達のことを見誤っているんじゃないかしら。それとも人違いをされているんじゃないかしら」
「いいえ。あなたは魔法使いで、あなたは麻薬の売買をされていらっしゃいますね」
見事に言い当てられた。店長はともかく、僕の情報が漏れているというのが気になる。リーク元として考えられるのは、アレモンドとステン。それ以外に考えられるのはイトリか。でも、イトリに外部と連絡する時間があったとは思えない。
「私達のことをよくお調べになられていますね。でしたら、私達の答えもご存知じゃないかしら」
「そう仰ると思ってましたよ」
店長は薄く笑う。女性もそれに釣られたように笑う。
「でも、お二人とも知りたいと思いませんか?なぜこの世界に魔法があるのか」
「それはぜひ知りたいですね」
僕は正直に言ったつもりなのだが、店長から厳しい視線を浴びせられた。
「魔法は進化の過程で得られたものではありません。唐突に外部から持ち込まれたのです。これはなぜでしょうか。なぜ外部からの介入が必要だったのでしょうか?この世界が良くない方向へ向かっていたから?それとも一部の人間に特権をもたせたかっただけ?」
それは確かに知りたい。どうして僕がいた世界には魔法がなくて、この世界には魔法があるんだろう?
「あなたはそれを知っているんですか?」
「いいえ、私の力だけでは解明できません。ですから、ぜひあなた達に協力していただきたいのです」
「僕達が協力すれば、それがわかるんですか?」
僕達になにができるんだろう。ちょっとうさんくさい。僕には魔法があるが、魔法についてはまったく詳しくない。そんな人間になにができるのだろう。
「ええ、もちろんです。だって、あなたは始まりの魔法使いと同じように魔法を授かったんですから」
始まりの魔法使いというのは、イトリの父親であり、ハーレムの主であった男性のことを言っているのだろう。聞いているこっちのほうが恥ずかしくなるようなネーミングだったが、この場にいる誰も笑っていない。割りかし受け入れられている呼び名のようだ。
「そのことが、どうして魔法の謎の解明につながるんですか?」
「あなたは特別です。この世界に二人しかいない異世界人の1人なんです。あなたにはこの世界を変える力がある。その力を貸してもらえませんか?」
そんなこと言われてもなぁ。やっぱり嘘くさい。僕が特別なんて言われても、実感がわかない。魔法なら、僕以外にもたくさんいるし、国に管理されている魔法使いのほうが僕よりも聞き分けがいいはずだ。そういった人に依頼した方がいいだろう。
そこまで僕のことをべた褒めするのであれば、始まりの魔法使いに依頼すればいいのではないだろうか?
「始まりの魔法使いとは連絡がとれないんですか?その本人を直接連れてくればいいんじゃないですか?」
「残念ながら、私達の研究には乗り気ではないようなんです」
じゃあ、彼らは始まりの魔法使いと知り合いということか。
「私達を始まりの魔法使いと会わせてくれませんか?」
「あなた達が私達に協力してくれるのなら、その条件を飲みましょう」
ようやくお互いの利害が一致するところが見えてきた。彼らは僕達に協力してほしい。僕は始まりの魔法使いと話がしたい。
僕としては彼らの依頼を受けてもいいな、と思えるのだが、店長がどう思っているかはわからないし、店長が許可しなければ、僕は彼らに協力できない。僕の直属の上司は店長だし、店長が僕の衣食住を保証してくれている。この人には逆らえない。
「あなた達はどこの所属なの?誰の下で働いているの?」
「中央です。私は魔法を解明して、この世界をより良くしたいと考えています」
ということは、イトリからのリークか。もしくはまったくの別口から情報が漏れたか。
彼女の発言の前半部分は有益な情報だが、後半はどうでもいい。あらゆる戦争は世界平和のために行われたはずだ。問題は、世界の範囲だ。自分のいる周りが世界の全ての人にとっては、非人道的な行いも正当化されてしまう。
そう言えばイトリもそんなことを言っていた。自分が正しいと思うとどんな残酷なこともできてしまうと。
「ごめんなさい。あなた達の側にはつけないわ。断ったら、別の手段で説得するのかしら?」
店長が挑発的な笑みを浮かべる。
突然、二人が消えた。地面が僅かにえぐれている。
「え?ちょっと何してんの?」
店長が怒りの表情を浮かべながら僕を問い詰める。
「いや、だって暴力に訴えられたら勝てませんよ。仕方ないじゃないですか」
僕が二人をテレポートさせたのが良くなかったらしい。
店長は大きなため息をつく。
「今ので100%敵だとみなされたわ。対策を考えないと」
店長は二度目のため息をつく。よほど僕の対応がまずいと思っているようだ。でも、そんなに責められるのは納得いかない。
「仕方ないじゃないですか。だって相手が攻撃してくるまで待ってたら、魔法が間に合わないかもしれなかったんですよ。あんな状況で行動を起こすなというほうが無茶ですよ」
僕はあの緊張感に耐えられなかった。もし相手が飛び道具をもっていたら、こちらが反応できずに殺されていたかもしれない。
「相手はそれ以上の恐怖を感じていたでしょうにね。あなたが魔法使いだと知っていて近づいてきたのよ?魔法なら一瞬で人体を真っ二つにできるでしょう?」
なるほど。その通りだ。僕は彼らの体を全てテレポートさせたけれど、彼らの上半身だけをテレポートさせていれば、彼らは死んでいた。そんな状況なのに彼らは攻撃してこなかった。驚くべき精神力といえる。
「確かにそうです。僕が大量殺戮兵器になり得るということを忘れていました」
「もう過ぎたことはどうしようもないからいいけど、どこまで飛ばしたの?」
「さっき登った山の頂上です」
「なら時間稼ぎには十分ね。今のうちにここを出ましょう」
きっと下山には1時間くらいかかるだろう。時間稼ぎとしては上手くいったが、彼らとの関係性は最悪だろう。
「あの人達は、どこから情報を得たんでしょうか?」
「イトリ以外いないでしょう。彼女が魔法で連絡したとしか考えられないわ」
店長の言うこともわかるのだが、僕にはどうしても、イトリが僕達のことを売ったとは思えなかった。
「でも、イトリが連絡したとしたら、どうしてこの場にイトリがいないんでしょうか?イトリが彼らを案内して来るのが普通じゃないですか?」
「それをしたら、私達にイトリが敵だとバレてしまうからでしょうね。味方の振りをして私達の動向を探るつもりだと思う」
「その作戦は意味がありませんよ。だって現に店長はイトリが敵だと思っているんでしょう?」
「でもあなたはイトリのことを信用しているじゃない。彼らの目的はあなたなのよ。私はおまけでしかないから、あなたさえ騙せればいいはずよ」
「どうして僕に拘るんでしょうか?僕に魔法を解明する鍵があるみたいな言い方でしたけど、僕はそんな大層な役割をこなせませんよ」
「あなたに何かしてほしいわけじゃないと思う。解剖でもされるんじゃない」
店長は冗談のつもりで言ったのかもしれないが、まったく笑えない。
「なんにせよ、イトリには情報を与えないようにして。彼女があの二人組を呼んだのかどうかは別にしても、彼女は中央側の人間よ。警戒するに越したことはないよ」
どうしても店長の言い分に納得できなかった。
アレモンドの邸宅に帰り着いたのは夕方のことだった。何度見てもこの敷地面積には圧倒される。
今回は母屋に用があるらしい。ステンの出迎えはなく、店長の判断についていく。玄関の大きなドアを開けると、天井が高く、吹き抜けになっていた。横幅が無駄に広い階段が玄関ホールの両横に設置されている。その階段は家の外を向きながら登るような方向に置かれており、一度踊り場で折り返してから二階へ続いている。
店長は家の奥へと続く廊下を進む。まるで映画の世界に迷い込んだような感覚に陥る。
廊下は薄暗く、少しだけ不気味だ。物音一つしない。聞こえるのは僕達の足音だけだ。
店長が突き当りのドアを開ける。
その部屋は僕たちから見て横方向に長く、例にもれず天井がとても高い。部屋の中には縦長の机が一つ置かれおり、その机の各辺に10脚ほどの椅子が置かれている。その椅子の一つにアレモンドは座っていた。その目の前には食事が置かれている。
メニューは野菜サラダ、シチュー、細長いパンというバランスのとれたものだ。夕食にしては少し早い気がするが、この世界では標準なのだろうか?
「早かったな。少し待っていてくれ。…よし、話を聞こう」
アレモンドは食事を中断し、僕たちをアレモンドの正面の席に座らせた。椅子の背もたれは、僕の背中を支えるのに十分な高さで、軽くクッションが入っていた。シンプルなデザインで、洒落ている。
「まず苦情を一つ。魔女の会は中央政府の息のかかった組織でした」
店長は冷たい声でいう。僕に向けられた言葉ではないが、恐怖を感じた。僕がアレモンドでなくて本当によかった。
考えてみれば敵対組織にわざわざ出向いたようなものなので、店長の怒りも尤もだ。
「それは申し訳ない。私の責任だ。報酬を見直そう」
アレモンドは何でもないことのように言う。彼は僕らに何も言わなかったが、魔女の会が中央政府の関連組織であることも想定していたのかもしれない。
「金銭については後でじっくり話しましょう。結論から言うと、魔法使いが魔女の会のリーダーだったわ」
「彼が魔法使いであることもバレたのか?だったらどうして無事に帰ってこれたんだ?」
「見逃されたのか、泳がされたのか。どちらにせよ何か思惑があるんでしょうね」
「そうか。貴重な情報をありがとう。本格的な報告は文章で頼めるか?」
「ええ、大まかなことはこの書類に書いてあるわ。残りは数日以内に提出する」
僕が長旅の疲れでぼうっとしている間にポンポンと話が進んでいく。
「あの、僕からも質問をしてもいいですか?」
つい癖で右手を挙げてしまった。アレモンドと店長が同時にこちらを向く。
「ああ、もちろん」
「イトリ、あ、魔女の会のリーダーをしている人なんですが、その人から聞いた話だと始まりの魔法使いが西の国の独立にかかわったそうなんですが、それは事実ですか?」
「西の国か…、さぁ、どうだったかな?もう随分昔のことだし、記憶が曖昧なんだ」
「かなり大きな戦いが起きたはずなんです。記憶にありませんか?」
「…すまない。思い出したらこちらから連絡しよう」
「わかりました。お願いします」
「多分、彼はとぼけているだけよ」
食堂を出て、再び廊下を歩いているときに、店長が脈絡もなく言った。
「え?なんの話ですか?」
「さっきあなたがアレモンドに質問したことよ。きっととぼけているだけでしょうね」
何か後ろめたいことでもあるのだろうか?まあ、人間触れられたくない過去の一つや二つはあるものだし、知り合って間もない僕に話すことではないと考えたのだろう。
「おい、ちょっと待ってくれ」
突然声が聞こえて、肩が上がってしまった。横にいる店長は平常状態を保っているので、ちょっと恥ずかしい。
振り向くと、ステンがこちらに向かって歩いてきた。
ステンは僕の目の前に来ると、無言で右手を差し出してきた。グーの形をしている。先出じゃんけんとは斬新だな、とちょっと思ったけれど、もちろんそんなわけはない。彼が握っているものを僕に渡したいのだろう。
僕はステンの右手の下に僕の右手を差し出した。彼が手を広げると、僕の手に一枚の硬貨が落ちてきた。
「これは?」
「酒代だ」
「お酒?」
何のことか心当たりがない。僕がお酒を売った覚えはない。僕が売ったことがあるのは薬だけだ。
「初めて会った時、お前に建て替えてもらっていただろう?」
「あ!あの時のか」
思わず笑いがこぼれる。てっきり踏み倒されたものだと思っていたのだが、意外と律儀なんだな。
「意外と律儀なんですね」
「そうだな、よく言われる」
ステンは真面目な顔で答える。巫山戯ているのか、真面目なだけなのか判断がつかない。
「律儀な人が、どうして食い逃げみたいなことをしたんですか?」
「財布を忘れてしまったんだ」
ちょっとした嫌みをぶつけてみたがステンには伝わらなかったようだ。というか、財布を忘れたからといって黙って食い逃げするのは、人としてどうなんだ。
「初対面だし、散々挑発した後だったから、言い出せなかったんだ」
僕は大笑いしてしまった。その時のステンの心中を想像するだけで笑える。
「すまなかった」
ステンはそう言い残すと、足早に去って行った。
「ステンさんって、面白い人ですね」
「そうね。あまり見かけないタイプであることは間違いないね」
ステンの過去は全く知らないのだが、中央政府に管理されていない魔法使いであることを考えると、子供時代に色々苦労したのかもしれない。そういった境遇があの性格を作り上げたのかもしれない。
「あなたは元の世界に戻るつもりはないの?」
「急にどうしたんですか?」
「イトリの所のにいれば、元の世界に戻れるかもしれないと思って」
「店長は、僕が元の世界に戻ったらどう思いますか?」
「損したなって思う。あなたに費やした時間とお金が無駄になるからね」
寂しいとか言ってくれない所が店長らしくていいな、と思った。店長のこういう素直な所が好きだ。こういう人の言うことは信用できる。
「魔法使いは、楽しい?」
「ええ、当分辞められそうにないですね」
「そう。それは良かった」
店長と並んで歩く。いつまでこの暮らしが続くかわからないが、出来るだけ長く続いて欲しいと思った。
平凡な日常が唐突に終わることは、あの時身をもって体験した。もうあんな思いはしたくない。でも、必ずその時はやってくる。
その時が来るまで、誤魔化しながら、目をそらしながら、生きていくしかない。