魔女の会
幸か不幸か、寝室は2つ用意されていた。正確に言うと、ツインベッドがある部屋が2部屋あった。その1室を1人で占有するという贅沢な使い方をした。
夜は不安で眠れないかな、と心配していたのだが、案の定ベッドに潜り込んでも全く眠気がなかった。明日のために早く寝ないと、と思えば思うほど、目が冴えてしまう。
頭の中では、色々な考えが巡っていた。もし『魔女の会』のリーダーが魔法使いだったら、その人は先人の魔法使いの子供のはずだ。
ステンもきっと、その先人の魔法使いの子供なのだろう。年齢も近いのではないだろうか。
そうだ。いってしまえばステンの姉か妹になるのだから、なんとかして説得できるのではないだろうか。
いや、いくら血縁関係があっても、会ったこともないのであれば、それは難しいか。
朝は窓から光が差し込んできたせいで目が覚めた。
嫌な夢だった。もう二度と思い出したくない記憶だ。でも、将来必ず同じような目に遭う。
「おはようございます」
リビングへ出ると店長は昨日と同じ椅子に座り、同じようにペンを走らせていた。
「おはよう」
ぴりぴりとした空気を感じたので、質問をしなければならない使命感に駆られた。
「晴れていて良かったですね」
天気は、万人が体験する現象だから、共通の話題に困ったときに、ついこの話をしてしまう。
「晴れていたら、いいことでもあるの?」
「晴れていたおかげで、寝坊しませんでした」
「寝坊したほうが良かったって、死んでから後悔しても遅いよ」
「死んだら普通、後悔できませんよ」
僕は明らかに特殊ケースだ。
「おはようございます」
「やあ、話は聞いているよ」
僕らは朝食を食べた後、マーガレットの元へ向かった。マーガレットの自宅は、本部から見て西、山の麓の深い森が広がっている方角にあった。
その場所に住処を構えているなんて人間嫌いなのではないか、というやや失礼な予測をしていたのだが、実際に対面したマーガレットは、社交的で、おしゃべり好きの人物だった。
「朝ご飯は、もう食べた?」
「はい、本部の方で」
「ああ、彼女の料理を食べたのか。さぞかし美味しかっただろう。私も呼んでくれればよかったのに」
マーガレットは店長へ恨めしそうな視線を向ける。
「料理を作ったのは彼よ」
店長はにこりともしない。
「ご機嫌ななめなのか?」
マーガレットは冗談めかして言う。
強いパーマのかかったショートカットの頭と、ひょろ長い体も相まって、飄々とした人物のように見える。
「で、誰が『魔女の会』の拠点を案内してくれるの?」
「そう急ぐことはないだろう?こうして彼とも出会えたわけだし、ゆっくり話しをする機会をくれても良いんじゃないか?」
「そもそも、『魔女の会』が何をやっているのか、あなたが教えてくれれば済む話でしょう?」
「私が何を言っても完全には信じてくれないだろう?私を『魔女の会』の味方だと思ってるんじゃないのか?」
二人とも、言葉はやや過激だが、口調は落ち着きを見せている。ただ、だんだんと空気が張り詰めてきたので、二人の間に割って入った。
「マーガレットさんは、『魔女の会』の味方では無いんですか?」
「うん。良い質問だ」
マーガレットは足を組む。足が長いので、さまになっていた。
「確かに君らがそう思うのも無理はない。実際に『魔女の会』からスカウトを受けたこともある。ただ、それは断った。彼らの邪魔をするつもりはないが、彼らの行いを積極的に賞賛するつもりもない」
「じゃあ、どうして僕らに『魔女の会』のことを教えてくれないんですか?」
「私の口から説明すれば、そこで行われていることが分かるだろう。でも、そこで働いている人の感情は無視されてしまう」
「その感情も説明してくれれば良いんじゃないですか?」
「君、意外とずけずけ言ってくれるね」
マーガレットは楽しそうだ。
「人の感情は、言葉で言い表せるほど単純じゃない。彼らと実際に話せば、彼らが誠実な気持ちで働いていることが分かるはずだ。それと同じように、彼らが葛藤を抱えて仕事に取り組んでいることも」
どうもマーガレットの言い分は納得できない。本当は話をしたくないだけで、屁理屈をこねているだけじゃないのか。
「こんなつまらない話はやめよう。同じエネルギーを使うなら、楽しいことに使いたい。君もそうだろう?」
「ええ、まあそうですけど…」
あまりマーガレットに同調しすぎると、店長の不興を買うことになるのではないか。
店長を横目で見ると、僕らの会話なんてどうでもいいらしく、家にある家具を熱心に見ていた。
「趣味はある?」
マーガレットが質問してきた。ちょっと尋問っぽい。
「趣味…今は仕事ですかね。料理もそうかもしれません」
今はゲームもテレビもない。生活に必要な仕事の中に楽しみを見出すことが増えた。
「リンから聞いたんだが、君は異世界から来たんだろう?どうやってこの世界に来たんだ?」
そんなことまで話していたのか。店長のマーガレットに対する信頼が窺い知れる。
「えっと、気づいたらこの世界にいました」
「本当に?この世界に来るための儀式のようなものはしなかった?」
「ええ、していません」
「ふーん。じゃあ、普通に生活していて、気づいたらこの世界にいたってことかい?」
「ええ、まあ、だいたいそんな感じです」
色々と端折っているが、大雑把な流れはマーガレットのいう通りだ。
「君がここにいるのは、運命かもしれない」
「それは、運命をどう定義するかによるでしょう」
マーガレットは笑いだした。
「君は面白いな。頭が切れるときと、そうでないときの差が、見ていて面白いよ」
マーガレットはまだ笑っている。僕からすれば、マーガレットこそ見ていて面白い人物だ。
「でも、君は魔法を使えるようになったんだろう?元の世界には魔法は無かったはずだ」
「ええ、そうです。…僕、そのことを店長に話しましたっけ?」
僕の記憶が正しければ、店長やアレモンドに元の世界の話をほとんどしていないはずだ。
「君じゃない。君より何十年も先にこの世界に来た人が残した情報から得たものだ」
これはまずい。言い訳ができなくなってしまった。
「どうして魔法が使えるようになったんだ?」
「それに答える前に、1つ質問をさせてください。どうしてそのことを知りたいんですか?」
「どうしてもこうしても、知りたいからだ。単なる好奇心と言っていいだろう」
「マーガレットさんが魔法について調べているのは、趣味ですか?仕事ですか?」
「その質問は2つめじゃないの?まあ、いいけど。趣味だよ」
話すべきかどうか、かなり迷う。マーガレットが味方かどうかもわからない。でも僕が話してみた限り、マーガレットは信用できる人物だと思った。
「わかりました。話します」
深呼吸に見せかけて大きくため息をつく。
「僕は1度死にました。比喩ではありません」
ふと見ると、店長もこちらを向いて話を聞いていた。
「死んだ時のことは、今でもはっきり覚えています。多分、死ぬまで忘れないでしょう」
二人ともこちらを向いている。真剣な顔で話を聞いている。少し恥ずかしかったので、できるだけ2人の目を見ないようにしていた。
「死ぬ時は不思議な気持ちだった。恐怖も怒りも感じなかったけど寂しかった。この世界に何も残せなかった。もう終わりなのか。そんな考えが頭の中を回っていました」
死ぬ時の感覚は今でも残っているが、それを言葉にするのは難しかった。
「死ぬことに抗おうというような気持ちは全くありませんでした。死ぬことはどうしようもない事実として受け入れていて、ただ情けなさのような感情が湧いてくるだけでした」
丁寧に言葉を選んで話したのだが、思っていることの半分も言葉にできなかった。
「死ぬ時は、血が流れていた?」
「ええ、そうですね。どうしてそんなことを?」
「出血が多いと血圧が下がって、ネガティブになりやすい。っていう俗説があるからさ。そういうのがあるのかなあと思って」
「関係あるかもしれませんが、僕はいつもネガティブなので、どうなんでしょうね」
「死んで、その後は?意識はあった?」
「ある人物に叩き起こされるまでは、ありませんでしたよ」
「ある人物?もしかして、神とか?」
マーガレットは鼻で笑いながら言った。冗談で言ったのだろう。
「自称ですけど、そう名乗ってましたよ」
「そんな馬鹿な!」
マーガレットはかなり驚いていた。店長も大きな目をさらに大きく開けていた。ここまで驚かれるとは思っていなかったので僕も驚いた。
「姿は?口調は?声は?」
「えっと、僕は目が開いてなかったんだと思います。何も見えなかったけど、なんとなく明暗くらいはわかりましたけど、姿はわかりませんでした。声は、多分男性ぽかったですね。でもそんなに低くもなく、若そうな声でした」
「君、宗教家になれば?」
マーガレットは真面目な口調で言った。
「それは…思ってもいませんでした。それ、冗談じゃないですよね?」
「本気で言っているよ。だって、神と話したことがあるって言えばいくらでも信者を集められるよ。お金儲けのチャンスをみすみす逃さなくていいんじゃない?」
「でも、神と会ったなんて言っても信じる人はほとんどいないんじゃないですか?」
「魔法があるんだから、それを見せればいい。神様から授かりましたって言えば、みんな信じるさ」
この人がどういうつもりでこんなことを言っているのか、全く理解できない。
「神様に会った時に、何かいい感じの言葉とか、名言っぽいこととか、言われなかった?」
「いいえ、特には」
「そうか、それは残念だ。そういうのがあるとベストなんだが、そう上手くはいかないか」
初対面で、こんなことを言うなんて、ちょっと失礼なのではないか、と思ったので、ちょっと遠回しに指摘した。
「先程から、どういう意図で話をされているのですか?魔女の会となにか関係があるんですか?」
「直接関係があるわけじゃないが、無関係とも言いきれないな。こんな話をするのは、君に人を救える力があることを自覚してほしいからかな」
「人を救う力って、魔法のことですか?」
「いや、違う。力っていうのは、そういう物理的なものだけじゃない。財力も知力も全て力だ。君の場合はその経験が力になる。人生に悩んでいる人は意外と多いんだ。君の経験が誰かを救えるかもしれない」
なるほど、そんなことは考えもしていなかった。素直に感心してしまった。
「生きている人間は死んだことがない。それが常識だ。でも、君はその常識から外れている。その経験が誰かの役にたつはずだ。宗教が嫌なら、カウンセラーのようなものでもいい。興味はない?」
「そういうことでしたら、興味がないこともないですが…」
僕は店長をチラリと見た。薬物を売っているような人間に、人生相談なんてできるんだろうか?
「ま、気が向いたら連絡してよ。私も一枚かんでおきたいし」
「お金のためですか?」
「そんな顔しないでくれよ。お金を稼げるってことは、誰かが必要としているってことなんだよ。悪いことじゃない」
「でも、悪いことをすれば、誰からも必要とされてなくてもお金は稼げます」
「そうか」
マーガレットは苦笑いをしている。
マーガレットの考えも理解できないわけではないが、マーガレットの現金至上主義を手放しで肯定することには抵抗があった。
「そうだ。私からお願いをしていいかな?」
「ええ、どうぞ」
お願いするだけなら、何も問題はない。
「魔女の会の人達にあったら、君自信の話をしてほしい。君が別の世界から来たこと、君が神から魔法を与えられたことを隠さずに話してほしい」
「それは…約束できません」
相手がどんな人間かもわからないのに、自分の秘密を打ち明けることを約束することはできないし、マーガレットに対して無責任な約束をしたくなかった。それはマーガレットに対して失礼だと思ったからだ。
「そうか、じゃあいい。忘れてくれ」
かなりあっさりと引き下がった。
マーガレットは掴みどころがない。何を考えているのかまったくわからない。
甲高い音が3度聞こえた。ドアをノックする音だ。
「来たみたいだな。いってらっしゃい」
マーガレットはいたずらっぽい笑みを浮かべて言った。