第1話 裸の美少女と旅険者
陽はまだ高い。
しかし、この森にうっそうと茂る大樹たちは、その大きく広げられた枝葉によって 暖かい陽の光を地表まで届かせる事を拒んでいた。
そのため、辺りは常に薄暗く重苦しい空気に満たされている。
木々は荒々しくうねり、根は太く大地に喰い込んでいる。岩は大きく。草は深い。
ここは、イストラ王国の南西に広がる太古の森。
恐ろしい魔獣達が多く生息しており、言伝えによれば、この深き森の奥の更なる奥の常闇で魔獣王が眠りについていると言われている。そして、それを確かめに森の奥深くへと分け入った愚か者たちは、二度と森から帰ってくる事はなかった。そのため、人々はこの太古の森を「死の森」と呼んで恐れていた。
しかし、こんな死の森の中にも少ないが道は存在している。
商人たちがキャラバンを組んで、護衛を雇い 比較的安全とされる森の魔層の薄い所を通り抜けるルートである。
当然、交通量は著しく少なく、道は悪い。
竜車と呼ばれるこの世界の一般的な乗り物が、なんとか通常より遅めのスピードで往来できるという程度である。
その悪路を一台の竜車が、けたたましい轟音を深い森の奥にまで響かせて 爆走してくる。
ガラガラごろごろガラガラ
そのスピードは、しっかりと整備されている主要街道ですら危険と思える程の速度だ。
暴走竜車には、控えめだが裕福そうなドレスを着た金髪の少女が一人、長い髪をなびかせながら乗っていた。
「ごめんなさい。ごめんなさい。」とただその言葉だけを繰り返し、少女は 涙を流しながら必死に手綱を握りしめ震える体を必死に押さえ込もうとしてる。
主要街道なら、竜車が通りやすいように道の状態を整備維持されているのだが、この道は、草むらの中にかろうじて道が存在しているという程度であり、当然、道の凹凸もそこら中にある。
竜車を引いている地竜は一頭で、四足歩行型。力と持久力が自慢の草食恐竜である。
竜車は、普通の運搬屋が使うタイプで、運転台と荷台があり、幌は掛けてない。
やがて、竜車は限界速度を超え、悪路の衝撃に耐えきれず片輪を破損させてしまう。
「きゃぁぁぁぁ!!!」
衝撃が少女を襲う。詳しい事態は解ってないが、車体の異常な傾きと振動は、竜車が危険な状態になっている事を示していた。少女は、慌てて竜車のスピードを落とそうと手綱を引いて地竜に指示を与えるが、暴走し荒れ狂っている地竜に止まろうとする様子は全く無い。もう既に 少女が地竜を御せる範囲は とうに越えており、完全にコントロール不能となっていたのだ。
激しく振動する竜車にしがみつく少女。もう手綱も放され、地面に引きずられていた。「ごめんなさいペトロ 、ごめんなさいペトロ 私のせいで…。私がこんな事を望んだせいで…。私が…私のせいでーー!!」少女もパニックになっているようで もうどうする事も出来なかった。この後、自分はどうなるのか。このまま竜車から振り落とされて死んでしまっても仕方ないと思った。
片輪だけになった竜車は、バランスを失い急斜面になっている側に道を外れ、そのまま横転して引いていた地竜もろとも斜面に転げ落ちてしまう。その衝撃で少女は、竜車から斜面下に吹っ飛ばされた。ああ…ペトロは どうなったのだろう…。 私のせいですべてを失ってしまった…。 ごめんなさい…。 ごめんなさい…。少女はそうつぶやきながら意識を失った…。
竜車は途中で太い木々に阻まれ破壊されながらも引っかかって止まるが、少女は宙を舞いながら地竜と共に深い谷底に落ちていった。
まだ陽は出ている筈なのに辺りは暗く、谷の底は さらなる闇に飲み込まれていた。
------------------------------------------------------------
死の森の中。陽はすでに陰ろうとしていた。
辺りには、陽が隠れていく程に邪悪なる気で満たされていくようである。
二足歩行で体毛が美しい立派な地竜にまたがった 背中に長剣を携えている剣士。名をヴァランという。剣士は旅をしているようで、地竜にはそれなりの荷物がぎっしり積まれていた。
水が流れる音を耳にして、「川も近そうだし、降りられそうな獣道もある…。よし。今日はこの辺りで休むか。」ヴァランはそう言うと、地竜から降り、手綱を引いて川原に降りて行った。
石場から少し盛り上がった柔らかそうな土の場所を見つけると、ヴァランはここに決めたようで、地竜から荷物を降ろした。そして、地竜を労うとしばらく自由にさせるのだった。
「今日も一日、ご苦労さん。こんな森だがゆっくり休め。」
地竜は、いつもの事のようで。今日の分の仕事を終えたと判断し、ヴァランの元から離れ川辺に向かい水を飲んでから森の中に分け入って行った。
死の森と呼ばれてはいても それは、ここに住み着いている魔獣達とそれらを活性化させている魔層と呼ばれる邪悪な気の固まりせいである。魔層の濃い部分で時折開く魔洞窟という洞に取込まれれば別だが、そうならない限りは、水や植物、動物は基本的に食べたり飲んだりできる。
むしろ、人が恐れて入ってこないために動植物は豊富だ。しかし、普通の森よりも獣が凶暴化しているのは確かで、それに関しては、魔層の影響を受けていると言わざるを得ないのだが…。
「この辺りは獲物も多そうだから、すぐに戻ってきそうだな。さっさとねぐら作って火をおこさないとな。」
ヴァランは、荷物の中から折りたたみ式の木の柱を組み立てるとそれと大きな布とロープと適当な近くの木の幹を使い簡単にタープを立てた。そして、薪を集めようとした時。地竜の声を聞くのだった。
クォッ、クォッ、クォッ。ククルルルル。クォッ、クォッ、クォッ。ククルルルル。
普段の警戒の声じゃない。ヴァランを呼んでいるのだ。こんな事はめずらしく 地竜になにかあったのかとヴァランは薪集めをやめロングソードだけをつかむと地竜の鳴き声の方へ駆け出した。
近くに人の気配はない。動物や魔獣の気配もなさそうだ。ヴァランは、辺りを警戒しつつ川辺で何かを捕まえたものの どうしていいのか解らない というような仕草を見せている地竜に近づいた。
そこには、まだ幼さの残る美しい金髪の少女が一人、倒れていた。
町娘にしては珍しい 裕福そうなドレスを着ている。 しかし、貴族達ほど高価な作りではない。つまり、町の有力者の娘ってところだろう…。
どうやら川の上流から流れて来たようだ。体がずっぽりと濡れている。まだ息はあるようで、気を失っているだけようだった。少女の濡れた金髪が青ざめた頬にしっとり張り付いている。
ヴァランは、少し困ったような顔をして、地竜に向かって言った。
「えらい獲物を捕まえてくれたな…お前。」
地竜は申し訳なさそうに顔を下に向けて少女を軽くつつくのだった。
------------------------------------------------------------
ヴァランは、取り急ぎ近くにある小枝を鉈で切り落とすと小さく折り、焚き火の準備を済ませた。
そして、「強大な火の化身にして 暖かなる精霊 サラマンダーよ。 我が元に集いて望みを叶えたまえ。」そうつぶやいて腰に付けていた小さな石を胸の前にかざした。魔晶石と呼ばれている石だ。
すると、魔晶石は淡く光りを放つ。それと同時に焚き火に火がついた。「ありがとう。火の精霊よ。」そう言うと、石の光に照らされて小さな火を全身にまとったトカゲが宙に姿を現し、石から光を奪うと消えてしまうのだった。
グロケロ。グロケロ。そう優しく鳴きながら草の中をごそごそと音を立てて何かが近づいてくる。地竜だ。
口には今穫って来たばかりのイノシシが喰わえられていた。しかもデカイ。
今日も見事な狩りを成功させたようだ。
「これなら、お前も腹一杯になれそうだな。」
クゥオッ、クゥオッ。と地竜は誇らしげに口先を上に向けて首を振りながら吠えた。
「でも、少しまってくれ。まずはこのお嬢さんをなんとかしないと…。こういう場合は不可抗力で罪にはならないよな…。」
とりあえず、地竜に言い訳をしてみた。
ヴァランは、手間取りながらも少女の濡れたドレスを脱がせていく。
その途中で、少女が奇麗な装飾が施された短剣を所持している事に気づく。
気にはなるが、まずは少女を暖めてやらないと。ヴァランは再び少女の服を脱がせていった。
辺りはもうすっかり闇の中。ただ、焚き火の火だけが辺りを照らし出している。
その淡い光に照らされて無抵抗に露になっていく幼い体は、少女とは思えない妖艶な美しさを見せていた。
ヴァランは、少しばかり、その光景に見惚れていたが、やがて我に返った。
「子供でも…やっぱり女なんだな…。」
そうつぶやくと、罪悪感が少しあるのを感じて、持っていた敷き用の毛皮で よりしっかりと少女の冷えた体を包んでやった。
少女は、奇麗な金色の長いストレートヘアをしていた。
身長は140センチくらい。美女ばかりで有名なエルフの子供かと思わせる程の美しい顔立ちをしている。
小さいがしっかりとした胸はあるが、それよりも魅力的な ふっくらとしたお尻とすらっと美しく伸びた足。しかし、体つきからして15歳程度だろうとヴァランは思った。
とりあえずの処置は終わり。ようやく 先ほど短剣の事を考える時間が出来た。
あの作りの精巧さから、かなり値の張る代物である事は一目瞭然なのだが、さらに興味を引いたのは、その鍔と握り手の端に埋め込まれた宝石だった。これはタダの宝石じゃない。かなり巧妙に隠そうとされているが、その石には本来の能力を他の者に気づかせないようとする術が施されていた。
「これは、つまり…。」
このお嬢さんがただ者じゃないって事を示していた。
火に照らされた少女の顔は、苦しみに耐えているかのようだった。
クォック。クォック。地竜は小さく鳴きながらヴァランの背中を自分の額で軽く押してきた。
「解ってるよ。飯だろ。すぐ用意するって。」
地竜に思考を遮られたような感じだが、実のところヴァランはこれ以上少女の素性を詮索するつもりはなかった。なぜなら、少女と関わるかはまだ決めてないのだから。
詮索するのは それを決めてからでいい。
ヴァランは、手早くイノシシの内臓を取り出すと皮を剥いで食事の用意をするのだった。それを待ち遠しそうに見つめる地竜。しかし、少女の方も気になるようで、しきりに少女の方を見てるのだった。
「珍しいな。お前が他の人間に興味を示すなんて。」
そうヴァランに言われて、首を横に振る地竜。
「食うなよ。それは餌じゃないぞ。」
冗談まじりにヴァランに言われて 地竜は口先を上に突き上げて 甲高くカォオゥ、カォオゥと二度鳴いてみせた。まるで、「そうじゃないよ〜」と言っているかのようだ。
------------------------------------------------------------
少女が道から落ちた場所に数人の男達が辺りを探索していた。
男達は、全部で6人。皆、胸にプレートアーマーを付け。おのおのがなかなかの防具を装備している。一人を除いて、腰には剣士の通常武器とされるメタルソードをぶら下げている。ロングソードがこのメタルソードより刃が長いためにそう呼ばれるくらい、剣の世界の標準なのである。そのため、使いやすく、威力も悪くない。
そして、一人だけが、メタルソードより長く、ロングソードよりも短い剣を所持していた。その剣の特徴は 剣の長さではなくその刃の幅である。
幅がやや厚めに作られており、刃の鋭さとは別に重さでも敵に致命傷を与えられるだろうと思える剣。ブロードソードだ。
プレートアーマーも他の者達とは違い、明らかに立派なこの男が どうやらリーダーのようである。
「ドルド隊長、車輪が落ちていた所からここまでに 娘が山側に落ちた形跡はなかったですよ。」
ドルドと呼ばれたリーダーの男に、部下の一人が声をかけた。
「そうか。どうやら、ここで道から外れて、そのまま谷に突っ込んだか…。」
ドルドはそう言って、谷底に目をやる。
「竜車と共に谷底ですかい。 この深さじゃ、女が助かる訳がねぇぜ。」
「辺りの警戒を怠るなよ。ここはいつ魔獣に襲われてもおかしくない森だからな!」
そう言って、部下達に更に辺りを探索させる。
すると、斜面の下から軽装の身軽そうな男の登って来て、
「間違いないと思います。竜車だけが下で木に引っかかってました。その下は川です。落ちたのなら、生きている可能性もあります。」
この男だけが明らかに装備が違う。
背に手頃な大きさの弓を背負っていて、防具も革鎧だ。
装備している剣は 一応、メタルソードの一種だが、それすら安物っぽい。
つまり、冒険者だ。
「よし。冒険者は、降りて川沿いに娘を捜せ。部隊を二つに分ける。俺たちは、川下を探索する。娘が徒歩で逃げた可能性もあるから、お前達はこの辺りをもう少し探せ。足跡が発見出来たら、伝令をよこして お前達はすぐに追跡しろ。 捕まえるまで屋敷に戻れると思うなよ!!」
テキパキと指示を出すドルド。
冒険者と呼ばれた男は、指示通り川の方へ素早く降りて行った。その動きから、戦う技能より隠密や追跡。探索などの技能を磨いてきたのが伺える。戦闘するだけが冒険者ではないのだ。
ドルドたちは、谷の上から川沿いを引き返す。分かれたグループもやれやれという感じで辺りの足跡を探し始めた。
------------------------------------------------------------
食事の準備は終わり、ヴァランは火を絶やさぬようにと鉈を使って木を切って薪を作っていた。
コォォーーーン。コォォーーーン。コォォーーーン。コォォーーーン。
その音で少女は目を覚ます。
「きゃぁぁぁぁぁ!!!」
少女を覗き込んでいた地竜に驚いて悲鳴をあげる。
目を開けたら、恐竜の恐ろしい大きな口が鼻先数センチという距離にあったのである。か弱い少女が悲鳴を上げるのは当然の結果だった。気絶しないだけ凄い。
「気がついたか。」
ヴァランは、悲鳴を無視して、薪作りの手を止める事も無く、言葉を続けた。
「どうだ?痛い所とかないか?」
少女は、ヴァランの問いに答えなかった。いや、その言葉すら耳に入っていない様子だった。鼻先にある恐竜の牙を前に顔すら動かす事が出来ずに硬直している。しかし、眼球だけは、辺りの様子を確かめようと必死に動き回っていた。
目の前に肉食型の恐竜。近くに鉈を持った大きな男。そして、横になっている自分。
辺りは暗い。夜だ。なんとかここから逃げ出せれば、追っては来れないかもしれない。
少女は、現状から脱出する方法を必死にひねり出した。逃げなきゃ!!
「お腹、空いてないか。丁度これから飯にしようと思ってたんだ。」
そういうと、ヴァランは、鉈の先を太めの木に振り降ろして食い込ませて固定させ、手を離して少女の方へ近づいて来た。
大きな男がこっちに近づいてくる!
今逃げなきゃ、絶対もう逃げられなくなる!!
少女は凄まじい俊敏さで地竜の口元から横に転げると素晴らしい運動センスで走り出す体制を整えた。そして、ダッシュ!
力一杯。地面を蹴りだして目の前の暗闇に向かって飛び込もうとした。
しかしヴァランは、少女の見事な動きをさらに上回る素早さで少女の手首をつかみ彼女の動きを制した。
「あ、今動くとダメだ!! まずい事になる!!」
ヴァランは咄嗟にそう叫んだが 時すでに遅く…。 濡れたドレスを善かれと思って脱がされて裸になっていた少女は、自分自身の状況を即座に理解し、「いやぁぁぁぁ!!!」と大声を出して、手足を縮めて丸くなってしまった。
再び、体が硬直してしまったのだ。
もう動く事は出来ない。もう逃げられないのだ。少女に絶望が広がる。
「安心してくれ。襲うつもりは無い。服が濡れていたんで体温を保つために脱がしただけだ。変な事はいっさいしてないから信じてくれ!!」
男は、両肘を曲げて左右に広げ、手の平を少女に見せるようにしながら弁明する。
少女は、大きくて強そうな男にそう言われて 必死に事態の把握につとめた。
裸である事には間違いないが、乱暴された感じはない。そして、さっきまでの自分は 確かに暖かそうな毛皮に包まれていたようで、濡れたドレスや下着は 火のそばの枝に干されて乾かされている最中のようだった。
そして、暖かそうな食事。 もし自分が襲われていたなら、こんな状況では無いように思えた。
「…あの…。あなたは…、誰ですか…? 私を…どうする…おつもりですか?」
弱々しくも しかし、はっきりと言葉を絞り出した少女。 ヴァランは、その少女の芯の強さを感じ取った。
「俺はヴァラン。見ての通り、旅険者だ。」