世界史概説#8:近世の萌芽
「世界史概説」は短く要点を絞って纏められた世界史の通史です。ここではその中から一部分をかいつまんで紹介します。
十一世紀初頭に始まる大きな変化を論じる前に、中世とは何か、その定義を明らかにせねばならないだろう。
極めて雑な括りで言えば、中国においては唐の滅亡から宋の成立までの極めて短い時期となり、欧州では西ローマ帝国の滅亡から東ローマ帝国の滅亡までの千年にも及ぶ長期を指すこととなる。
この極めて大きく食い違うように見える二つの意味は、実のところ同じである。高い文明水準を誇った帝国が商工業の発達により崩壊し、商工業が法で保護され識字率の高い、市民が強い力を持つようになる新しい時代への遷移、この間を双方とも指しているのだ。
これは世界史をざっくり三分割するほどの意味のある定義なのだろうか?
特に中国や日本のように、極めて短く取るに足りない程の期間しか中世の存在しなかった文明史では意味を見出すのは難しい。
しかし、これは世界の文明の諸相を眺めれば極めて意味のある定義であると断言できる。農耕により富を蓄積し様々なものを生み出すに至った諸文明が、自然環境の変化や異民族の侵入により衰退していくか、それともそれらに負けない体質へと変貌を成功させるか、中世はその重要な段階なのである。
中世は混乱を極めた移行期間であり、それは貨幣経済にはじまり活版印刷による出版の盛隆によって終了する。物資と情報の流通がある閾値を超えるとき、自然環境の変化に対応できるだけの富と知識、異民族の侵入に対応できるだけの軍事技術を文明は持つようになるのだ。
これらパターンは世界の各地で繰り返された。
例えばインドならヴァルダナ朝の衰退、つまり異民族の侵入と商工業の発達に伴う階層化がカーストとして固定化されたことを契機として中世が始まり、インドキタイ朝による銅輸入によって広範な貨幣経済がもたらされると中世終了のプロセスが始まることになる。つまり再び商工業階層は流動化し、出版印刷物の普及は文化圏の情報流通を円滑化し、およそ200年後の鄭和艦隊による領土割譲要求に対するヒンデ国民会議の設立というかたちで諸勢力の意識統一を可能としたのである。
北雨州大陸では農耕文明は十世紀に入るとメキシコからの蛮族の侵入に脅かされ衰退へと向かうことになるが、十一世紀に日本人によって文字と鉄および銅精錬技術がもたらされるとズニ諸族国家は通貨経済の時代に突入し、チチメカ及びナバホの略奪から自衛できるようになった。しかし十二世紀に成立したズニ朝は十三世紀に日本人によって滅ぼされ、やがて雨州南朝の開府をもって近代の幕が上がることとなる。
中世とは文明の存続にかかわるプロセスであり、これを比較的短期に潜り抜けた中国および日本のそれも、詳しくこれを検証する重要性は変わらないのである。