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人物紹介#2 (1019年2月~)

注:人物名が漢字でなくカナの場合、これは本人が自分の名前を書けず、発音でしか把握していない事を意味しています。


1:主人公


 藤永 明(ふじなが あきら)。 主人公。

 九州出身。1017(寛仁元)年10月頃、足利荘屋敷門前にて行き倒れているのを拾われる。身長183センチ(ほぼきっかり6尺)。源頼季の郎党。七位内匠大允。

 1020(寛仁四)年秋の除目で正六位内匠助。上野、下野、武蔵、相模の四カ国の国司目代。特に上野と下野は遙授。坂東別当は当時の異名。1027(万寿四)年正月の除目で従五位修理権亮。

 寧子、藤永明季の父。1027(万寿四)年10月頃に失踪。のち12世紀以降、下野明神として東日本及び関東一円で信仰の対象とされる。


2:足利荘の人物


 粟田部(あわたべ)のクワメ

 主人公の亡き妻。寧子を産む。1020(寛仁四)年4月死去。


 源頼季(みなもとのよりすえ)

 主人公の主筋。1028(万寿五)年まで足利荘の荘代。同年津軽に領地を得る。源頼信の子、三人兄弟の三男。1020(寛仁四)年9月の時点で19歳。散位正六位下。

 1022(治安二)年秋の除目で陸奥押領使及び上野押領使、信田小太郎(平将国)の妻であったキヌメを妻に迎え、子である将子を養子に取る。1025(万寿二)年正月の除目で従五位下。津軽頼国の父。


 尼女御(あまにょご)

 足利荘の実質トップ。源頼季、源頼義、源頼清の乳母。教養人。1038(長暦二)年冬津軽にて病没。


 信田小太郎(しのだこたろう)(平将国)

 平将門の孫。信太党を率いる。1020(寛仁四)年5月天然痘により死去。


 池原二郎頼忠いけはらじろうよりただ

 田堵。上野の富農池原貞忠の子。天然痘で目と耳に障害を負う。津軽農法の祖とされる。


 藤井貞松(ふじいのさだまつ)

 都から連れてきた大工。1020(寛仁四)年5月天然痘により死去


  ヨシツグ

 足利在住の大工。


 君子部三郎貞光きみこべさぶろうさだみつ

 俘囚頭から北郷党の頭目、足利町内大尉。足利郡月谷に領地を持つ。

 1025(万寿二)年東北遠征を指揮。1026(万寿三)年十三湊北にて現地住民に殺される。


 小金部岩丸(こがねべのいわまる)

 北郷党。足利郡上名草に領地を持つ。主人公の所領の面倒を見る。

 津軽移住後は十三湊に所領を持つ。


 田部郷(たべごう)の郷長の妻と娘

 クワメの乳母として雇われる。1020(寛仁四)年の天然痘流行時に郷長と共にその妻も簗田郡で死んだと伝わる。

 郷長の娘はその後郷長を継ぐ。史書に田部五郎岩明女とあるのが彼女とする説があり、足利の初期土倉の一人とされる。簿記法のいわゆる足利右法の祖。


  寺岡の鍛冶屋

 寺岡には当初三軒の鍛冶屋があったが、1018(寛仁二)年夏に2軒が安蘇郡佐野へと誘われて移住、その二軒のうち一軒は1019(寛仁三)年春に上野国邑楽郡多々良沼へと更に移住した。鋳造を得意としたがその縁でその後足尾で銅貨を作ることになる。

 残った一軒は1020(寛仁四)年末頃に花輪村に移住する。


 弁徴(べんちょう)

 下野薬師寺の法師。1021(治安元)年に足利郡に建立された法相宗法願寺(尻無山廃寺)の初代門主となる。


  フタロウ (富田太郎明信(ふたたろうあきのぶ))

 足利余戸村の出身。測量講師から武蔵国司の家司を経て元服後は武蔵国史生。のちに武蔵国小目。


  アサマル (朝日四郎敦明(あさひしろうあつあき))

 測量講師から測量博士及び田堵博士。津軽米を産んだ祖とされる。


  タヅコ

 1020(寛仁四)年春より平光衡の娘梓の侍女として仕える。

 

 古部三郎(ふるべさぶろう)

 佐渡の鉱掘り。足利鉱山及び秩父鉱山を開く。炭蒸し法の祖。


 大物部季通(おおものべのすえみち)

 元俘囚。花輪村の労役囚。後にアキラの郎党。1022(治安二)年12月常陸国府にて死亡。


 桐生五郎(きりゅうごろう)

 木工の大学生から1020(寛仁四)年6月木工講師。木工細工及び金工細工で著名。紡績機、織機改良の祖とされる。桐生橋、相模大橋を掛ける。


 犬丸(いぬまる)

 アキラの使い走りを務める。


3:関東の国司と在庁


 平光衡(たいらのみつひら)

 1020(寛仁四)年から1024(万寿元)年まで武蔵守。前下野守。藤原道長の家司。平貞盛の養子のひとり。余五将軍の兄弟。平直方の義理の叔父。

 1025(万寿二)年正月の除目で従四位上。没年不明。


 (あずさ)

 平光衡の娘。後にアキラの妻。偽浮舟。百合若(藤永季明)の母。1028(万寿五)年6月直江津沖にて死去。


 平貞長(たいらのさだなが)

 平光衡の子。次男。踊りや管弦を好み、演劇を発明する。


 藤原兼光(ふじわらのかねみつ)

 下野介。前鎮守府将軍。藤原秀郷の子孫。下野の実質支配者。1023(治安三)年3月出家。


 藤原正頼(ふじわらのまさより)

 簗田郡の郡司。藤原兼光の長男。1023(治安三)年2月に従五位下鎮守府将軍。同年6月に岩船山にて死亡。


 藤原文行(ふじわらのふみゆき)

 藤原兼光の兄。前下野国司。従五位下左衛門尉。平正輔と争うが処分に不満を訴え、1022(治安二)年春に下野に一族と共に隠棲とするが、直後藤原正頼により幽閉される。1023(治安三)年4月一族ごと謀殺される。


 平良衡(たいらのよりひら)

 藤原兼光の部下。余五将軍平維茂の末孫。アキラと調銭による下野国の調税の山分けを画策する。

 1021(寛仁五)年正月の除目により六位常陸小掾。1022(治安二)年秋の除目により従五位能登守。1028(万寿五)年正月の除目により従五位佐渡守。

 1030(長元三)年国外交易の罪により佐渡国司を罷免、官位をはく奪される。直後渤海へと渡航。契丹の廷臣となる。1033(重熙二)年東丹観察使。1037(重熙六)年東丹節度使。


 平忠常(たいらのただつね)

 下総権介。自称武蔵押領使。上総、下総の支配者。

 平良文の子孫。平将門の累系を名乗り、平貞盛の累系を敵と憎む。1023年(治安三)の反乱の首謀者と目され、同年4月投降、同5月近江三井寺にて死去。


  葛飾三郎

 下総葛飾郡の郡司。1023(治安三)年3月狂死。


 藤原千清(ふじわらのちさや)

 下野藤原氏の累系。陸奥国庁官人、陰陽師の家系に生まれ陰陽師を継ぐ。

 のちに平忠常に仕える。1020(寛仁四)年夏に下野に戻り1023(治安三)年6月岩船山にて死亡。


 藤原頼遠(ふじわらのよりとお)(五郎太(ごろうた))

 藤原正頼の子。幼少の頃に親族藤原千清に預けられる。

 藤原千清と共に平忠常に仕える。1020(寛仁四)年夏に下野に戻り以降消息不明。


 平維衡(たいらのこれひら)

 1020(寛仁四)年正月の除目により常陸介に任ぜられる。同年4月近江にて藤原定輔にて合戦する。1021(治安元)年、平良衡が常陸小掾として訴文作ることを諦めさせる代わりに能登国司とする運動をおこなう。1023(治安三)年平維幹を国司に背いたとして訴える。没年不明。


 平維幹(たいらのこれみき)

 常陸大掾。五位左衛門大夫。平貞盛の子孫。常陸の支配者。

 1019(寛仁三)年8月の財部郷の合戦に大敗し、息子平為幹(たいらのためみき)と主戦力を失うと勢力は大幅に衰えることとなる。1022(治安二)年10月の菊多関の合戦で衰勢明らかとなり、以後筑波郡の在地勢力に留まることとなる。没年不明。


 大江公資(おおえのきんより)

1020(寛仁四)年正月の除目で相模国司。妻は著名な歌人相模。


 橘則光(たちばなののりみつ)

 1019(寛仁三)年正月の除目で陸奥国司。前妻は清少納言。


 平貞道(たいらのさだみち)

 碓氷貞道。元源頼光四天王。源頼信に主君替えし、平忠頼の養子という系図を偽造の上で相模村岡郷の領主となる。一族は上野国碓氷峠付近の出身。

 平直方に代わって鎌倉の武者を統括する。群馬の四万温泉の発見に係る逸話を持つ。1031(長元四)年没。


  上野国山田郡の郡司

 勢多郡と花輪村の帰属を争うが、1020(寛仁四)年末に和解する。


 多聞(たもん) 

 信太党の舟棟梁。三角帆、船の箱作り、綱と滑車による帆の取り回しを特徴とする信太船を生み出す。のちに三浦野比に所領を与えられ、野比太郎多聞を名乗る。初期の北宋交易船を指揮する。


 村岡将恒(むらおかまさつね)

 平将恒。平忠常の弟とされるが、平忠常の子。武蔵村岡に所領を持つ。


 藤原真枝(ふじわらまえだ)

 武蔵国の在庁官人。武蔵介。秩父に所領を持つ。


  タキジロウ

 武蔵村岡の行商人。足利にて天然痘により病没。


 横山良兼(よこやまのよしかね)光兼(みつかね)

 武蔵小野牧の横山党の武者。


 八津の丸子(やつのまるこ)

 能登出身。前世の記憶を持つ。能登の国司屋敷の下人として働いていたところ、他の転生者に発見される。前世の名は八重加永年。


 公侯常材(きみこのつねもと)

 公侯有常の弟。菊多郡窪田郷に入植するが攻められ捕虜となる。


 公侯有常(きみこのありつね)

 国衙健児の長。常陸の相撲人。1022(治安二)年12月常陸国府にて死亡。


 藤原頼行(ふじわらのよりゆき)

 藤原兼光の長男。六位右近衛将監。近江在住。1014(長和三)年藤原能信の従者と争う。

 1024(治安四)年正月の除目にて下野国司に任ぜられる。没年不明。


 紅葉(もみじ)

 信濃鬼無里の奥に住むと伝えられる貴人。姫とも鬼とも呼ばれる。

 八津の丸子と同じ歴史の未来からの転移者。


4:都の人物


 源頼信(みなもとのよりのぶ)

 源頼季の父。前常陸介、前上野介。常陸守時代に平忠常を従えている。

 1023(治安三)年8月鎮守府将軍に任ぜられる。1029(長元二)年甲斐守。1048(永承三)年没。


 源頼義(みなもとのよりよし)

 源頼季の兄。源頼信の子、三人兄弟の長男。六位院侍所年預。小一条院の判官代。

 1036(長元九)年正月の除目にて相模国司に、1051(永承六)年正月の除目で陸奥国司に任ぜられる。


 源頼清(みなもとのよりきよ)

 源頼季の兄。源頼信の子、三人兄弟の次男。従五位中務少輔。藤原頼通の侍所別当。

 1030(長元三)年正月の除目で安芸国司に、1035(長元八)年正月の除目にて陸奥国司に任ぜられる。


 源頼光(みなもとのよりみつ)

 源頼信の兄。正四位下左馬権頭。1021(治安元)年死去。


 藤原能信(ふじわらのよしのぶ)

 藤原道長の四男。1018(寛仁二)年に正二位権中納言。1021(寛仁五)年に権大納言。1045(寛徳二)年に尊仁親王の春宮太夫。1065(康平八)年死去。


 藤原定輔(ふじわらのただすけ)

 1020(寛仁四)年正月の除目で下野守、但し遙任。弾正小弼。権中納言藤原能信の家司。


 藤原兼貞(ふじわらのかねさだ)

 1020(寛仁四)年正月の除目で上野介、但し遙任。釣りが趣味。


 平直方(たいらのなおかた)

 鎌倉郡司の婿。前常陸守平維時の子。平氏の長者。

 六位検非違使、右衛門小尉。源頼義に娘を嫁がせて所領を譲る。


 平正度(たいらのまさのり)

 平維衡の子。伊勢安濃津を所領とする。


 源円(げんえん)

 興福寺の僧都。後に南都実証派の主導者となり追放される。


  石川法師

 蘆屋次郎。蘆屋道満の弟。暦法を専攻とする陰陽師。1020(寛仁四)年秋足利へ移住、1021(治安元四)年法相宗法願寺(尻無山廃寺)別院の院主となる。


 以下は人の話中にしか出てこない人物です。


 敦明親王(あつあきらしんのう)

 小一条院。皇太子であったが1017(長和六)年皇太子廃位を申し出る。准太上天皇としての処遇を受けるが藤原道長の近臣に冷遇される。1051(永承六)年没。


 平維茂(たいらのこれしげ)

 余五将軍。大掾。平良衡の祖父。


 渡辺綱(わたなべのつな)

 源頼光の郎党。摂津九品津を所領とする。


5:過去の人物


 平将門(たいらのまさかど)

 10世紀半ばの関東を舞台にした大乱の主役。下総国相馬及び猿島を本拠として、地方支配者たちと争うが朝敵とみなされる。一時期は関東一円を支配し新皇を名乗るものの、藤原秀郷らに破れ、940(天慶三)年に戦死する。


 藤原秀郷(ふじわらのひでさと)

 10世紀半ばの平将門追討の立役者。元は下野の在庁で、悪事を働き追討の官符も出たことがあった。戦功により国司を歴任し、朝廷中央へと進出する。その度子孫は中央から追われるが下野に勢力を張る。藤原兼光は曾孫。


 平貞盛(たいらのさだもり)

 平将門の従兄弟。父を将門に討たれ、負け続けるものの最終的に藤原秀郷と組んで討伐を果たす。平直方は孫。平維幹は甥。


 平良文(たいらのよしふみ)

 平将門の叔父。関東各地に拠点を築く。陸奥守鎮守府将軍。平将門の乱には積極的関与を確認されていないものの、乱後相馬の地が与えられている。平忠常は孫。


 源満仲(みなもとのみちなか)

 源頼信、源頼光らの父。987(永延元)年出家。多田の新発意を名乗る。997(長徳三)年没。



6:エピローグの登場人物


 百合若(ゆりわか) 藤永小次郎季明ふじわらのこじろうすえあき

 エピローグの主人公。藤永明の子。

1022(治安二)年生まれ。1037(長暦元)年末に小一条院の院仕、翌年尊仁親王の家司、1042(長久三)年従五位下蔵人、1049(永承四)年右小弁。

 1068(治暦四)年後三条天皇の即位に伴い近臣として正五位左中弁、1070(延久二)年蔵人頭、1072(延久四)年参議と昇進を重ねるが、後三条天皇の没後は蔵人頭を辞し四位近衛中将で昇進が止まることになる。この時期は宰相中将と呼ばれる。1075年検河損使。

 1087(寛治元)年従三位権中納言、1089(寛治三)年正三位、1095(嘉保二)年従二位右大臣。1102(康和四)年出家。1108(嘉承三)年没。判例集「新古法要」著者と目される。


 寧子(ねいこ)

 百合若の姉。藤永明の子。1020(寛仁四)年1月生まれ。生まれてからすぐ二年ほど猫の島で過ごしているが当時の記憶は無い。牛頭の者および化生の者が見える。


 桔梗尼(ききょうに)

 越後直江の津の外れの廃寺に住む尼僧。


  ミドリマル

 牛頭講の男。雑貨売りで生業を立てている。

 のちに百合若の郎党。


 安東(うとう)次郎安方(やすたか)

 津軽三郎頼季の郎党。百合若らの捜索の任に当たっていた。

 のちに百合若の郎党。その後佐渡国目代。


 村岡将恒(むらおかまさつね)

 平将恒。平忠常の弟とされるが、平忠常の子。武蔵村岡に所領を持つ。

 1029(長元二)年秩父自由党の乱の責を問われ佐渡に流される。1038(長暦二)年に許されて旧領に帰る。没年不詳。


 藤原真枝(ふじわらまえだ)

 武蔵国の在庁官人。武蔵介。秩父に所領を持つ。

 1029(長元二)年秩父自由党の乱を率いたかどで死罪となる。


 高階敏章(たかしなとしあき)

 越後国司。散所太夫の別名を持つ。

 1037(長暦元)年末に盗賊に越後の国司屋敷を襲われ、越後国百姓一同より苛政を訴える解文を朝廷に提出され、受領功過定を満たすことが出来なくなる。そのまま昇位できぬまま三条の屋敷を雑衆に襲われ石投げられ壊されることが相次いだことから二年後、近江に居を移して隠棲した。

 この頃に詠った歌が新二葉集に二首収録されている。


  タウメ

 寧子の侍女。化生の者。狐に化ける。


 佐伯太郎景通(さえきたろうかげみち)

 源頼義の郎党。河内からの旧臣で三浦荘及び三崎荘の荘代、及び相模武蔵の目代に任ぜられる。しかし坂東別当の如く坂東全土を手に入れんと欲し、越後国司と通じて坂東別当の妻子を殺害せしめ、越後国司の臣となる。

 越後国司と組んで佐渡の金を入手せんとし、三浦三崎の荘を献じて別府とする。これにより別府太夫の異名が付く。

 1037(長暦元)年7月鎌倉騒動にて討死。


 佐伯次郎景成(さえきじろうかげなり)

 源頼義の郎党。佐伯太郎景通の弟。河内からの旧臣で足利荘の荘代、及び上野下野の目代に任ぜられる。兄と組み坂東全土を手に入れんと欲し、越後国司の臣となる。

 1037(長暦元)年7月鎌倉騒動にて討死。


  若竹丸 (秩父小三郎武基ちちぶこさぶろうたけもと)

 村岡将恒の子。百合若と同世代。秩父氏の祖。


 橘俊孝(たちばなのとしたか)

 前出雲国司。藤原実資の家人。1032年に出雲大社の転倒したと虚偽の報告をおこない、露見したため佐渡に流される。高階敏章の働きにより当時遙任であった佐渡国司の目代となる。1036(長元九)年1月死去。


  千代若 津軽小太郎頼国つがるこたろうよりくに

 源頼季の子。百合若と同世代。鎌倉佐伯兄弟騒動の責を一人被り渡島(北海道)に流罪となる。

 1038(長暦二)年渡島国府を開府。


 沙阿(しゃあ)

 出羽慈恩(じおん)寺の猿楽法師。法名は沙阿。俗名は粕原太郎。

 清原氏に抗争で敗北した出羽の俘囚長吉美侯部の一族、平群将軍の庶子。

 アキラが会津より連れて戻った俘囚の一族はこの吉美侯部氏に従っていた者たちであった。


  羽黒九郎

 化生の者。八津の丸子の推薦による。


 良照(りょうしょう)

 奥州奥六郡の長、俘囚長安倍頼時の弟。安倍良照。1053(天喜元)年兄と共に契丹へ出国する。


 将子(まさこ)

津軽小太郎の姉。寧子と同世代。信太小太郎の子を津軽次郎頼季が養子に取った子である。のちに百合若の妻。


 多聞(たもん) 

 信太党の舟棟梁。三角帆、船の箱作り、綱と滑車による帆の取り回しを特徴とする信太船を生み出す。のちに三浦野比に所領を与えられ、野比太郎多聞を名乗る。

 初期の北宋交易船を指揮する。1030(長元三)年3月、当時最大の大型船に従うものを乗せ、太平洋横断を試みる。5月に北雨州大陸(あめのおおしま)(バンクーバー島)に到着。南下ののち加州と名付けた地域に移住を決める。1065年、北メキシコにおいて戦死。


 大庭行光(おおばのゆきみつ)

 祖父は藤原文行、父は佐渡国司藤原公行。平貞道の養子。

 相模大庭荘を所領とする。


 百若(ももわか)

 小一条院敦明親王の出家後の庶子。清水寺薬師院にて出家。

 のちに越前へ配流されたとも、百太郎(ももたろう)と名乗り能登舳倉島(猫の島)へ向かったとも伝わる。

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