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#エピローグ2: 1822年 エンケラドス・ラグランジュ点 (完)

「今は昔、能登国の八津というところに陰陽をおこなう男がいた。娘を得て八つになった頃、娘は狐憑きの気を発したが算のできたため、狐憑きを隠して国衙に働きに出した。

 そのころ藤原実房という人が国司に任ぜられたが、鬼火の出て怪しかった為下人たちを問い詰めたところ、鬼が屋敷に出入りしていると語った。

 娘は、これは方々に盛り塩し酒と珠を供え、三日三晩物忌みして閉じ籠れば鬼は去ろうと言い、国司はその通りに盛り塩と酒と珠を供え、潔斎して物忌みしたところ、三日後娘はどこにも姿のなかったという。

 人々はこれは娘こそ鬼であったのだろうと噂しあったという」


             --今昔物語集 本朝部巻第二十一 本朝付雑事 より


   ・


「出家するとなると、髪は剃ってしまうものなのですか」


 土星と土星の第二衛星エンケラドスのラグランジュ点の一つに恒星船の艤装設備はあった。この設備は丸ごと真浄土宗のもので、丸子はここに足を踏み入れるために名目上とはいえ出家し、尼僧となる必要があった。


「いえ、真浄土宗では剃髪を必ずせねばならないとは考えておりません。ただ長い髪はそれそのものが執着を表す場合が多く、そういう方はいずれ髪をさっぱり切ってしまうことが多いですね。

 あなたはそもそも髪も短いので、髪に思い煩うことなどこれまで無かったのではありませんか。つまり、まったく不要のことでしょう」


 そう言われ、袈裟の代わりだという無線ゼッケンを受け取り、軌道上の工業施設でよくある一般的な安全規則の説明を受けている間に、丸子はなぜか、フラグが立ったのではないかと、そんなことを思いついた。

 どこからそんな考えが浮かんだのか。しかし、なぜかそれは確信に近い。

 このフラグは、死亡フラグという奴だ。


 案内されたのは、仮想現実コンソールだ。

 精神を電子計算機に移し仮想現実で暮らす人々と話すための施設で、肉体を持った生者は特別の装置無しに、すぐそこに仮想現実の住人と対面できる、そういう部屋だ。

 普通は公園の体裁になっていてベンチがあって互いに座って会話できたりするのだが、工業施設のここでは狭い部屋で、無重量のままコンソールに掴まって、そうこうしているうちに現れたのはオノセン・メイだ。


「お久しぶりです」


 メイは、初めて会った頃の少女の姿をしていた。

 精神複写され涅槃境に幸せにまどろむ人類という彼女の見た未来を打ち壊すために、彼女は丸子とエンザを離れて長い事何かをやっていた。その内容について知ったのはごく最近のことだった。


「出発はいつなの?」


「えー、まだ二百時間ほど先ですね」


 もうすぐじゃないか。この訪問はぎりぎりのタイミングだったのだ。よくこのタイミングで丸子に訪問を許してくれたものだ。

 

「それにしても遅かったですね。もう来ないんじゃないかと思っていました」


 ここまで隠蔽しておいてそんな事を言いますか。

 明らかに宗教団体のやることの規模を逸脱した大事業であったが、真浄土宗はこれをうまく隠し通していた。丸子が気が付いたのは、新寺が設立され、門主を選ぶのに何か特殊な手続きが取られたらしきことを見つけた時だった。

 新しい宗派を興すのに等しい儀式は、おそらく精神複写された僧侶に対して行われていた。明らかに異常な事態だ。


 様々に嗅ぎまわって、ようやく掴んだ新寺の名称は、タウ・セティ本願寺。

 冗談みたいな話だった。真浄土宗の新しい寺とは、乗組員が全員精神複写された人間で構成された、生身の人間のいない、本体直径30メートルほどのステンレス球体だった。

 恒星間植民船、タウ・セティ本願寺。

 あまねく全宇宙の知的生命体に仏法をひろめる、それが公式の、しかしいまだ隠された目的だった。


 さらに隠された目的は、違う。


「時間改変から逃げるにはもう、距離をとるしか無いと思うんですよ」


 それで11.9光年も距離をとるかね。呆れた話だったが、メイの話は更に深刻だった。


「私たちは時間操作技術の端っこを掴んだと思っています」


 この恒星船にはその技術が使われているという。その技術が光速度の1パーセントを超える速度まで事実上の加速をおこなうと聞いた。

 秒三千五百キロメートルというその等価到達速度はこれまで人類が到達したトップスピードの優にひと桁上、宇宙船の速度としてはふた桁上の速度になる。

 しかし、それでも、11.9光年先に到達するのは千年後になる。


「食料を巡ってまず人は争いました、やがて資源を、知性を巡って争いました。

 もし時間が操作可能であるなら、間違いなく、人は時間を巡って争います」


 第三次世界大戦は時間戦争になる、そうメイは言う。


「多分、悲惨なことは何一つ起きないと思いますね。

 幸せたっぷりの人たちが、涅槃境のままに互いに潰しあうでしょう。潰されるほうも最後まで幸せでいることでしょう」


 そういえば、と聞く。


「反物質は使わないの?あなたたちはプロキシマから反物質で、確か光速度の3パーセント近く出して来たのでしょう?」


「あれは猛烈にエネルギーを食うんですよ。相当未来の技術のエネルギー産生効率が必要で、それに目立ちます」


 今、このタイミングで出発することが大事なのだとメイは言う。


「未来の人たちに追い越されるわよ」


「そうなれば大成功ですよ。私たちの目的からすると」


 つまり彼女たちはそうならないと思っているのだ。人類の他恒星系への植民は限られたものだったとメイは言う。陰鬱な未来はそれほど避けられないものなのか。

 人類全体が幸せな涅槃境に至る、その歴史は本筋としてもはや変えられないとメイは悲観していた。転生者の干渉できる歴史の幅は恐ろしく限られているのだ。

 だが、バックストーリィーは違うと丸子やメイたちは考えていた。例えば、この恒星船の記録を隠してしまえば、歴史の表舞台から見えないようにしてしまえば。


 とりあえず千年隠す。千年は、微小な歴史変更が取り返しのつかない大きさになるには充分な時間だろう。

 銀河系に広がる人類という、あまりにも違いすぎる未来を既成事実にしてしまうのだ。


「大丈夫、隠せますよ。千年くらいなんて事はない筈です。

 エンザだって、あなたの正体を八百年隠し通せたのでしょう?

 正体を知っていることを、あなた本人にまで隠し通せたくらいですから」


 そうでしょう、八百比丘尼(やおびくに)、とメイは言う。


 いや、私は違う。そう言おうとして、さっきの奇妙な、フラグが立ったという感覚のことを思い出していた。その意味を悟る。

 丸子はようやく、死ぬことができるようになったのだ。

 恐らくは、丸子が形式的にでも尼になった事で条件が揃ったのだろう。


 そんなばかな。

 いや、そもそも丸子の不老不死のほうがよっぽど馬鹿げている。


 日本の伝説伝承のひとつ、八百比丘尼。人魚の肉を食べてしまい、不老不死となった尼僧。

 いや、丸子は人魚の肉なんて食べた覚えはない。


「前世に食べたのでは」


 いやいや、それこそありえない。

 しかし、いや、まさか。


    ・


 宝来第2ニルミミイトは海洋資源の開発が盛んなところだった。

 丸子、いや、前世の八重加永年は死の直前、院に残り続けるか、それとも皆と同じ無職になるかを選ぶ潮時の頃だった。既に就職は諦めていたし、起業なんて更にとんでもない事だった。院に残っていたのはただ単に、就職可能性を周囲に見せびらかすための見栄でしかなかった。

 生活保護のほかに既に剰余収入として、蔵人(クラウド)投資、有望な起業家個人への投資をやっていたので、投資対象が元気なうちは生活には余裕があった。

 投資案件は例にもれず海洋開発、新しい食用生物の開発で、たまに蔵人投資のメンバーにはお礼の品として食材を送ってくれることがあった。

 哺乳類由来の肉が、確かその中に。おいしく頂いてしまった記憶がある。

 まさか、ね。


    ・


「そうそう、この子、かわいいでしょ」


 どこから現れたのか、子猫が一匹。この子も精神複写したの?


「ほら、ネコ、マルコさんよ」


 ご挨拶なさい、メイは子猫を撫ぜると、しばらくして子猫はみゃあ、と小さく鳴いた。


「ネコって……名前は?」


「だからネコ」


 その名前の人間のことを一瞬、思い出す。


「船には猫を乗せるのが規則だって聞いたから」


 へぇ、誰から聞いたのそんな古い話。


「ヤマダさんから」


 その名前は。


「でかくて、透明で、ふわふわした人」


 いや、人って言うのかな。真浄土宗の別院で化生体って呼ばれていたタイプの存在だよね。丸子さんと同じ。メイはそんな言葉を続けるが、その言葉は丸子の頭の中を素通りしてゆく。


「ヤマダ・ケンイチ?」


「そうそう、そういう名前の人。やっぱり丸子さんの知り合いだったんだ」


 待って。あの人は、あの人は今どこにいるの。


「これ、多分ヤマダさんからの丸子さんへの伝言。

 "星の海の果ての島で待っている"」


   ・



 丸子は設備に最後に残った生身の一人だった。立ち去ると設備はすぐに恒星船の発射準備に入った。

 発射時には恒星船の周りは高磁場と高エネルギー放射線の地獄になる。この強度は設備を完全に破壊してしまうだろう。

 発射のタイミングは、このエンケラドス軌道後方ラグランジュ点の位置が、火星から見て土星に隠されて見えなくなるタイミングに設定されていた。この恒星船の加速は一瞬で終わる。長い長い加速噴射期間を必要とせず、つまり存在を誰かに見つかる可能性は低かった。


 そして火星も、何かに気が付いたとしても何かができるほど余裕がある訳ではない。周回軌道上から地球を支配するのも大変なのだ。

 戦乱の続いた地球も、火星の介入と支配によって平和が訪れることになった。日本の分割占領もようやく終わり、だが同時に日本は主権を失った。火星が頭上から統治支配する時代の始まりだ。この体制は地球上に機械知性の補助が行きわたるまで、段階的に解除されながらおよそ20年ほど続く筈だった。

 この大事業のために火星はただでさえ少ない人口の20パーセントを地球に送り込んでいた。要するに混乱の時代なのだ。



 エンケラドスの向こうで恒星船は、発生させた重力波の一部を時間を進行する成分に変換して、そして突然すっ飛んでいった。加速時間ゼロで、恒星船の速度は光速度の1パーセントまで達していた。

 発射時の閃光は直径500キロほどのエンケラドスの外周をまばゆく輝くリングに変えた。閃光が衛星のごく薄い大気を照らしたのだ。

 この閃光は土星に遮られて火星からは見えることは無い。誰にも気づかれずに彼女たちは出発したのだ。


 さて、

 これからはいつでも、好きな時に死ぬことができる。生きたいだけ生きることができる。

 時間の果てまで生きるつもりはない。そんな未来は未来人に任せてしまうつもりだ。それまで好きに過去を、つまり丸子の今を変えていくだけだ。

 星の海の果ての島、か。先はまだまだ長い。


 まずはエンザの皆に向かい合わなければならないだろう。前方トロヤ群小惑星、ヘクトルのエンザ本拠地に出向く機会だろう。


 正体を明かすとして、何から話したらいいだろうか。

 昔話がたっぷりとあるのだ。


 今は昔、あるところに。

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