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#エピローグ2: 1127年 華北

 燕京析津府は亡びの気配に満ちていた。

 燕京は遼の華北支配の中心であり、人口三十万を擁するこの時代有数の大都会であった。十里四方ほどの狭い都城には軽工場と住宅が密集し、毎朝黒い煙を幾重にもたなびかせて繁栄を誇っていた。その石炭の黒煙が今は見えない。山西の炭鉱との連絡線は遮断されて久しい。石炭備蓄が枯渇しているのだ。しかしもう、それで煮るべき黍も蒸すべき小麦も市中にはほぼ見当たらなくなっていた。


 遼の最後の皇帝-間違いなく最後の皇帝になるだろう、天祚帝は山西の山中に逃げ込む考えをようやく捨てたようだった。燕京の西南の一角、皇城の門は全て武者たちによって封鎖されたと聞いた。彼らはもはや皇帝をこの都市から逃がすつもりは無い。


 天祚帝は文句無しの愚帝だった。12年前に建国したばかりの金、まだ生まれたての赤子のようだった北方遊牧民の反乱軍に雑に大敗したのも、すっかり漢化した契丹人の戦闘能力に疑問を抱かなかったこの天祚帝のせいだった。

 かつては遊牧民族として原野で質素な暮らしをしていた契丹人も、支配民族として豊かな生活を続けたお陰で、更に質素で精強な金の軍勢にはまったく歯が立たなくなっていた。

 早い段階で倭人武将と南軍に全てを任せていれば、こうはならなかった筈だ。しかし天祚帝は倭人の忠誠を疑うようになっており、南の宋と対峙する国境から動かそうとはしなかった。その七年後に首都を落とされてもそれは変わらなかった。


 遼は五つの中核都市のうち四つまでを既に失っていた。この南京、燕京析津府は最後の中核都市であり、この五年間の遼の首都であった。

 幸いか、燕京は漢人と渤海人、熟女真と、そして倭人の都市だった。倭将の支配するこの土地はこの五年に渡って、北の金、南の宋に抗い続けた。

 だが、それももうおしまいだ。


 八津の丸子は通詞として藤原資道の一行に付いて燕京に入場したが、通訳の必要は全く無かった。燕京を仕切っていたのは倭将、日本人だったからだ。

 藤原資道の一行は萬安寺という大きな寺院に宿舎を提供された。八角八重の巨大な塔が聳える大きな寺院だった。寺の僧たちは既に西に脱出したと聞いた。遼は仏教国だ。


 藤原資道、そして彼を送り出した源義親は、ただ単に最後通牒に当たるものを交わすだけの事に何故歓待を受けるのか、疑問に思ったことだろう。

 丸子には判る。燕京の日本人たちは、彼らの成し遂げた事を、この街を見て欲しかったのだ。そして勿論、彼らの最期も。


 僧坊のひとつが宴席となった。美しい白磁の皿に、飢餓に苦しむ都市に似つかわしくない御馳走が並んでいた。寺に似つかわしくない生臭だ。羊肉がまだあるとは。


「皇城の庭で飼われておったものよ。この一年、民が腹を減らしておるのに天祚帝は羊に穀を食わせておった。全て潰して持って来たゆえ食い尽くされよ」


 燕京析津府の守将、平秀衡はそう言って、瑠璃の杯を掲げた。西方との交易で得られたという美酒もやはり皇城から押収したものだという。


 丸子も宴席の端、末席を与えられていた。燕京側は使節全員残らず歓待するつもりらしかった。恐らくは全員が日本人という構成ゆえのことだろう。

 丸子も瑠璃の杯を傾け、渇赤色の液体を舐めた。ワインだ。


「燕雲節度使よ、吾子もやまとの民ならば、是非とも吾が軍に降られよ。ここで死なせるに惜しき」


 藤原資道の言葉は、このひと月ばかり繰り返されてきた言葉だった。

 彼の主人、源義親は宋と日本の和約に従って半年前に揚州に上陸後、軍勢の準備を整うのを待って三千騎でもって北上進撃を開始、遼軍をことごとく退けると華北に入り、そして倭将の軍勢、精強と戦うことになった。それがひと月前の事だ。


 遼の軍制は歩兵と騎兵からなっている。その中核はあくまで弓騎兵で、歩兵は漢人から構成される補助戦力に過ぎない。騎兵は軽装で、だから金の重装弓騎兵に太刀打ちできなかった。同様に、源義親の率いる三千騎の武者、大鎧で固めた重装弓騎兵にも。

 だが、倭将の軍勢は違った。彼らもまた武者、重装弓騎兵だったのだ。


「我らは皆ここで討ち死にすると決めた。これはもはや覆らぬ」


 平秀衡の返す言葉もこのひと月と同じ、しかしその後が違った。


「我らの戦うは遼帝に仕えしゆえにあらず。

 これから吾の言う事、決して宋人に漏らしてはならぬ。いや、船がこの地を離れるその時まで、今日この場の吾の言う事、誰にも話してはならぬ。」


 尋常でない前置きに、場から酒が抜けて緊張にとって代わる。一同、会食の手を止めて、息を呑む。


「我らの戦うは宋である。我らはいくさでは無きいくさをずっと戦ってきた」


 怪訝な顔を見渡し、平秀衡は続ける。


「皆、宋の街は見たであろう。煙吹く車に煙吹く船、それに宋の軍勢の持つ一万の鉄砲、これらは百年もすれば日本まで害意をもって押し渡ることもできよう。その時、日本はそれを退けることができようか。日本では硝石は取れぬのだぞ」


 八重の丸子は知っている。微生物を使えば硝化物を得ることは出来る。しかし、鉱物として採取できるのと比べると、その生産能力はどうしても限られる。

 この技術水準の敵を相手にして火薬が無ければ、戦争は一方的なものとなるだろう。


「我らはこの地に石炭を掘り、鉄をつくり、鉄砲を用いて宋に抗ってきた。

 石炭で沸かした湯で動く細工物、蒸気機関を我々も作った。これで木綿(このわた)を布にし、宋に売って金を得て、その金で更に蒸気機関を作る、それを繰り返した。

 そうやって宋から金を奪う、そういう戦いもある」


 平秀衡は手に持った瑠璃の杯を一気に傾け喉を潤した。


「しかし、しかしだ、

 吾らより宋人のほうがわずかに良い機械をつくる。彼らのほうが我らより人の多く、常に多くの金がある。新しい物事に金を出す。対して遼の皇帝は何もせずただ華北より金をせびる。何を試すにも宋人のほうが恵まれておる」


 ここで一同を見渡す。


「さて、日本は宋に勝てるか。日本は蒸気機関すらまともに作っておらぬ、作らせぬ。それではやがて、宋の作る木綿の布を買うことになる。百年後にはそうなる。

 安い布だ。買わぬ奴が愚かだ。そう言って誰もが買い、宋に金を渡すことになる。

 だから、だ。

 我らはここで戦う」


 美しい娘が瑠璃の壷を傾け、平秀衡の手の杯を再び酒で満たした。


「吾子らは国へ帰りしならば、必ず皆に言わねばならぬ。国を富ませ智恵を増やし宋に勝てる国にせねばならぬと。

 そして、勝てるまでは、他の国で以って戦わねばならぬ。

 よいか、遼が滅べば金で戦い、金が滅べばまた別の国を立てて戦い、時を稼がれよ。まだしばらくは騎馬の民のほうが宋より強き。

 日本が宋に勝てる時が果たして来るのか、判らぬ。しかし、行なわねばならぬ。

 

 この都から何もかも奪い、日本に持ち帰られよ。我らが皆死なば、遼の皇族は皆殺しにされよ。持ち帰らぬものは残らず、この都と共に火にかけられよ。

 この都は宋には、灰にして渡すと決めたゆえ」


   ・


 燕京の街路に片付けられていない死体が横たわる。太巫、つまり契丹の巫女だという。契丹人のほとんどは既に逃げ失せ、逃げ遅れたものは都市住民である漢人に殺された。

 その漢人たちも倭将の勧告を受け、燕京から逃げる準備に追われている。


 丸子はこの都市、燕京の将来の名前を知っている。

 北京、世界の中心の一つとなる都市。


 倭将の騎馬武者たちがやってくる。赤糸の威しもあでやかな大鎧を身に纏った武者たちが、埃舞う華北の街路を進んで行く。

 彼らは数少ない生き残りだった。彼らの戦いは既に半月前に、この都の西、盧溝橋という石橋を戦場にして決着がついていた。

 遥か西へと脱出した倭将もいたと聞く。彼らが旅立ったのはずっと前、遼が首都を失う前のことだった。さっさと見切りをつけた連中もちゃんといたのだ。しかし、脱出した倭将たちの行く手も厳しいだろう。彼らは遥か遥か、砂漠の続く西域へと落ち延びることになるのだ。

 そして、見切りをつけられなかった者たちの最後の地が、ここ燕京だった。


「誰か彼の者らを歌に詠うべきにあろう」


 倭将から渡された、必ず略奪し持ち帰るべき資財のリストを記した手紙を握り、その光景を眺める藤原資道は呟いた。

 それは貴方の仕事であろう、と丸子は思った。

最後の、八津の丸子の物語を、すこしばかり。全7話です。

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