世界史概説#10:近世の世界
近世は、世界に先駆けて中世を抜け出した宋朝によって強制的に開幕することとなる。宋朝の工業生産力の増大はモンゴルの到来と共産大明国の建国を挟んで継続し、中華文明は世界に覇を唱えることとなる。
共産大明国の資源を求めての世界進出は、先に国外進出を果たしていた日本との闘争に繋がっていくが、国力に劣る日本は常に劣勢に立つことになった。
貧富の差はその国内情勢を著しく不安定化する。中国の共産主義化はそのあまりにも高度に発達した工業力と貧富の差によって、不可避であったろうと思われる。
他の工業化諸国のその後の命運は様々であったが、おおむね貧富の差を小さく留めていた国家が議会民主制を維持し、中国ほど貧富の差は大きくなかったものの政局の安定を欠いた国は、専制的な主体が国家を運営する国家統制主義国となった。
共産大明国はその巨大な国内市場のために国外の資源を貪欲に求め続けたが、その経済成長は15世紀末には鈍化した。
対して1480年の南北戦争を契機として統一された北雨州連合国は、16世紀初頭には重工業化を成し遂げ、その生産能力による北雨州から大明への輸出は強大な貿易差益を生み出してゆく。
この状態を看過できない大明と北雨州の摩擦を主な原因として世界で経済ブロック化が進行した。戦争は避けられないものと多くの人々がみなしていた。
やがて諸国の工業生産力が消費需要を上回り、製品を作りすぎてしまう時代が到来する。資源植民地ではなく製品を買ってくれる市場の確保を優先する国家が現れ、国家間の均衡は崩壊した。
北雨州、ヒンデ連邦とオーストリア・ハンガリー帝国、そして日本。対して大明とフランス帝国とペルシャ民主主義人民共和国、そしてブラジル帝国。これら諸国は対立の結果として1550年、世界を二分する大戦争、世界大戦に突入した。
世界大戦は三年後、共産大明国の崩壊、中華共和国の成立によって終結する。
この世界大戦で世界に安定が訪れた訳ではなく、戦後伸長するヒンデ連邦に圧迫される形で、とくにアラブ・ペルシャに不安定な状態が続くことになる。
1593年イスラム革命によりスラブ-イスラム(クリミア)が建国する。これは当時の石油に依存したエネルギー情勢を揺るがし、1661年にヒンデ連邦と第五協和ペルシャの間で熱核戦争が行われる遠因となった。
1619年には月に人を送ったヒンデ連邦であったが、戦後復興した中華共和国とやがて世界の覇権を争うようになる。その原動力は電子計算機の発明と世界情報網の誕生だった。
世界情報網はやがて近代への、そして第二次世界大戦への道筋をつくることになる。生産力のとめどない拡大は求人需要を縮小させると同時に求人内容を高度にした。
富では無く教育、学習能力を求める時代が訪れる。万人の勤労は不要となり、工業化社会の倫理規範は崩壊した。
混乱は二度目の世界大戦で頂点に達した。そしてその戦後、世界は新しい時代、近代に突入した。
もしかすると、混乱は新たな中世とでも呼ぶべき時代を迎えていたかも知れない。そうならなかったのはひとえに人工知性の実現のおかげであった。
従来の知的能力の蓄積は、書籍や教育機関など人間外部に構築されるもので行なわれ、その蓄積能力は限られたものだった。
本は考えてくれない。知的能力の主体は人間に限られ、蓄積物は人間をいかに素早く高度なところまで向上できるか、その助けになるだけであった。
知性の主体である人間は、その生体の限界、年齢や老化といった要素によって能力の上限を強く制限され、その個人の死によって知的能力の蓄積が打ち切られる問題を抱えていた。
人工知性はこの問題を解決した。人間の生体限界を超えて知的能力を蓄積できるようになったのだ。これにより人類の知的能力の拡大は桁違いの規模に達した。
農業による食糧の蓄積、工業による資本の蓄積に続く、第三の蓄積能力の発展は急速に世界を変えることになる。
これが近世と近代を分ける分水嶺である。この境界の前後で、人類史の様相は全く違ったものとなった。
(以下省略)




