人物紹介#1 (~1019年2月)
人物紹介#1 (~1019年2月)
注:人物名が漢字でなくカナの場合、これは本人が自分の名前を書けず、発音でしか把握していない事を意味しています。
1:主人公
藤永 明。 主人公。
九州出身。埼玉の企業に勤務。のちに、(もしくは前に)、1017年10月頃、足利荘屋敷門前にて行き倒れているのを拾われる。身長183センチ(ほぼきっかり6尺)。
源頼季の郎党。下野国司平光衡の目代。1018年秋の除目で正七位内匠大允
2:足利荘の人物
粟田部のクワメ
主人公の妻。
源頼季
主人公の主筋。足利荘の暫定荘代。源頼信の子、三人兄弟の三男。
1018年3月の時点で17歳。無位、無官。主人公のほかに郎党無し。
尼女御
足利荘の実質トップ。源頼季、源頼義、源頼清の乳母。教養人。
源頼義
源頼季の兄。源頼信の子、三人兄弟の長男。
無位、無官。信濃など各地で目代などをしている。
信田小太郎
足利荘の10名あまりの郎党のボス。屋敷の戦力を仕切る。
東関東各地に支援者あり。
池原二郎頼忠
田堵。上野の富農池原貞忠の子。
藤井貞松
都から連れてきた大工。
ヨシツグ
足利在住の大工。
君子部三郎貞光
俘囚、のちに北郷党のリーダー
小金部岩丸
俘囚、のちに北郷党。主人公の所領の面倒を見る。
大物部季通
俘囚、足利より逃亡。
助戸郷の郷長
足利荘内の集落、助戸郷をまとめている。
寺岡の鍛冶屋
寺岡には当初三軒の鍛冶屋があったが、1018年夏に2軒が安蘇郡佐野へと誘われて移住、その二軒のうち一軒は1019年春には上野国邑楽郡多々良沼へと移住した。
3:関東の国司と在庁
藤原定輔
上野介。弾正小弼。権中納言藤原能信の家司。
平光衡
下野守。藤原道長の家司。
平貞盛の養子のひとり。余五将軍の兄弟。平直方の義理の叔父。
梓
平光衡の娘。偽浮舟。
平忠衡(次郎)
平光衡の子。次男。
藤原兼光
下野介。前鎮守府将軍。藤原秀郷の子孫。下野の実質支配者。
平良衡
藤原兼光の部下。
藤原正頼
簗田郡の郡司。藤原兼光の長男
平忠常
下総権介。自称武蔵押領使。上総、下総の支配者。
平良文の子孫。平将門の累系を名乗り、平貞盛の累系を敵と憎む。
葛飾三郎
葛飾郡の郡司。
平直方
鎌倉郡司の婿。前常陸守平維時の子。
1018年10月より都へ。六位検非違使、右衛門小尉
平維幹
常陸大掾。五位左衛門大夫。平貞盛の子孫。常陸の支配者。
源頼貞
武蔵守。源満仲の子。源頼光の養子。
4:都の人物
源頼信
源頼季の父。前常陸介、前上野介。藤原道長の家司。
常陸守時代に平忠常を従えている。
源頼清
源頼季の兄。源頼信の子、三人兄弟の次男。六位左近衛将監。
藤原惟憲
藤原道長の家司。土御門殿の工事差配。正四位。作中に名前は出てこない。
以下は人の話中にしか出てこない人物です。
藤原能信
藤原道長の四男。正二位権中納言。
藤原頼行
藤原兼光の長男。六位右近衛将監。近江在住。1014年藤原能信の従者と争う。
5:過去の人物
平将門
10世紀半ばの関東を舞台にした大乱の主役。下総国相馬及び猿島を本拠として、地方支配者たちと争うが朝敵とみなされる。一時期は関東一円を支配し新皇を名乗るものの、藤原秀郷らに破れ、940年に戦死する。
藤原秀郷
10世紀半ばの平将門追討の立役者。元は下野の在庁で、悪事を働き追討の官符も出たことがあった。戦功により国司を歴任し、朝廷中央へと進出する。その度子孫は中央から追われるが下野に勢力を張る。藤原兼光は曾孫。
平貞盛
平将門の従兄弟。父を将門に討たれ、負け続けるものの最終的に藤原秀郷と組んで討伐を果たす。平直方は孫。平維幹は甥。
平良文
平将門の叔父。関東各地に拠点を築く。陸奥守鎮守府将軍。平将門の乱には積極的関与を確認されていないものの、乱後相馬の地が与えられている。平忠常は孫。