【王宮編】現状整理と侍女たちの期待
アキが与えられた部屋は、グリンビルド王宮の後宮にあった。
後宮とは、政治が行われる王宮とは違い、王家の者が暮らすための場所だ。つまり、宮内庁のような場所である。
あちらの世界で過ごしていた頃、アキの部屋はせいぜい4畳半。ベッドと勉強机を置けば足の踏み場もない狭さだった。
それに比べて、この部屋は広く、白を基調とした家具で統一されている。大人4人が腰掛けられる革製ソファに、天幕のついたキングサイズのベッド。広さはゆうに20畳あるだろう。
老医師マシュウが部屋を出た後、アキはベッドで寝返りを打ちながら、一人物思いに耽った。
大体の事情は把握した。
1.現代社会には戻れない
2.みーちゃんことミリィはこの世界で元の体に戻り、元気に過ごしている
3.自分は元々この世界の人間で、王女である
4.そして今、外見は10歳の少女
整理すればこうなるが、それでも心は落ち着かない。
この世界で生きるかどうかの選択も、迷う必要はないかもしれない。現代社会では血の繋がった家族もおらず、友達との別れもまだ言えていない。しかし、この世界は自分の帰るべき場所かもしれない。
それでも、頭の中はモヤモヤしていた。王位継承者としての責任、10歳の少女としての未熟な体、そして元の体との精神的な定着。考えるだけで、胸の奥がざわつく。
「はあ……考えれば考えるほどモヤモヤする……!」
アキは叫び、再びシーツを頭から被った。
体は小さくても、心はまだ大きな責任を背負っている。焦燥感と不安が入り混じる中、アキは静かに、しかし確かに、この新しい世界での生活を始める覚悟を固めていった。
朝、アキは後宮で用意された衣装の前に立っていた。白と金の刺繍が施されたドレスは美しいが、男として過ごしていた12年間に着慣れた服とは全く違う。
「……うわ、なんか違和感すごい……」
袖を通すたび、肩の感覚や胸元の違いに戸惑う。
「殿下、袖はこうやって通してくださいませ」
侍女のリリスが優雅に手を添えて手伝うが、アキは体の硬さと違和感でぎこちなく動く。
「胸のあたりが……変な感じだ……」
「あら、殿下。初めてですものね。すぐ慣れますわ」
もう一人の侍女マーニャも微笑みながら、髪のリボンを結ぶ。
鏡に映った自分の姿に、アキは思わず後ずさる。男として過ごしてきた12年間の感覚が、今の体には合わない。柔らかい体、腰のくびれ、そして胸。手を当てて赤面する。
さらに戸惑ったのは、初めてのトイレだった。男として過ごしていた習慣が身についており、どう対処すればいいか分からない。
「……え、どうやるんだっけ……?」
「あら、殿下、こちらです」
リリスがやさしく案内する。
「慣れない体で大変ですわね……でも少しずつ覚えていただければ」
マーニャも励ますように微笑む。
恥ずかしさと困惑で顔を赤くしながら、アキは深呼吸した。
「よし……やるしかないか……」
そうして、リリスとマーニャの助けを借りながら、後宮での新しい生活がゆっくりと始まった。
「姫様の御様子はどうだ?」
美しきエルフの娘は、部屋の扉の前で様子を伺う侍女達にそっと尋ねる。
「アクワルド子爵様!」
背後から声を掛けられ、侍女達は声の主に気付いて驚きの声を上げた。
彼女らは、急遽アキの身の周りの世話を仰せつかったいわば侍女の中でも特に優秀な人材である。
グリンビルドの眠り姫。
このグリンビルド王国では知らない者がいない程有名な話である。
その名前の所以は、呪いが解ける12年間の間、王宮の地下で目覚めの時を待ちながら、静かに眠り続けるグリンビルドの美しき姫君から来ている。
この国の最後の希望とされるアキ姫の存在、この国の象徴というべき代々受け継がれる魔力の血統。
各国で受け継ぐ魔力の血統はその王国の国力に比例する。
そしてそれを継ぐ唯一の血統者。
それがグリンビルドの眠り姫、つまりアキだ。
この世界の王国では、強い魔力を持つ王族の血統者が王になることを認められる。
血統者であった当事の王は魔力の象徴であった。
特に魔力の血統が濃い血縁者は既におらず、指導者たる血縁者がいないとなれば他の国々からも格下に見られ、国としての面子が保つ事が出来ないし外交に打って出ることが出来なくなる。
つまりは国は衰退の一歩を辿るだけである。
そのような事情もあり、最後の希望とされたアキの存在は、グリンビルドの人々の希望とされた。
憧れのグリンビルドの眠り姫の身の回りを世話をする優秀な専属侍女達でさえも、どのように接していいか未だに分からず、ただアキ姫の部屋の扉の前でオロオロと様子を見守ることしか出来なかったのだ。
「はい。アキ殿下は今情緒不安定なご様子で、時折大きな声で叫ばれたりしていらっしゃいます……」
心配そうに俯き、侍女の一人が答える。
「そっか。無理もないよ。あっちの世界で普通に過ごしていて、急にこちら側の世界で色々なものを背負わされるんだから……」
「アクワルド様はあちらの世界で姫様と一緒にお過ごしになられたのですよね? 出来ればアキ殿下の喜ばれる何かというものをご存じないでしょうか?」
「知っていることは知っているけど、多分今の状態じゃ何しても駄目じゃないかな。よし! 私が行って元気付けてくるから貴方達はここで待機しててください」
「はい。承知致しました」
優秀な侍女達二人の返事にうんうんと満足そうに頷いて、美しきエルフの娘はアキの部屋に赴くのだった。




