【魔術学校編】新たなる火種
最初の異変に気が付いたのは、深夜の見張りの引継ぎを終えた一人の兵士だった。
地上20ラートにある見張り塔から眼下に広がるキャメルの街を見下ろし、
「……なんだ……ありゃあ……」
眠気の抜けていない呆けた声で兵士は呟いた。
レバニール砦、監視塔。
ヴァルサス大陸に位置するここキャメルの街は、ギンガンナム大陸を唯一陸続きで繋ぐ街である。
国境沿いにあるガーランド魔術学校とは大陸を挟んでそう遠くない位置にあたる。
この砦は12年前、ヴァルサス帝国のギンガンナム大陸侵攻の重要拠点と機能していたが、国王の暗殺によって敗戦し、滅亡の一途を辿った為、今はギンガンナム大陸を統治するグリンビルドを主体とする連合国へとその主を変えていた。
帝国滅亡により、ヴァルサス大陸からギンガンナム大陸への侵攻の脅威は無くなったものの、いつまた大陸を侵攻する勢力が現れるとは限らない。
その為、現在は、24時間体制で大陸侵攻する勢力に睨みを利かせる監視拠点として重要な役目を担っている。
兵士は今目にした光景を確かめるべく、未だ眠気の残る目をこすりもう一度目を凝らした。
眼下にオレンジ色の光点が複数キャメルの街に点在している。
時刻は深夜。
月の数と位置から察するに恐らく、丑三つ時と言うところだろう。
「おかしいな……魔具にしては明るすぎる」
冒険者が集う景気の良い酒場や宿屋は魔具が普及したおかげで常に明かりを灯しているし、
この時間帯に明かりが点いていることはそう珍しいことではない。
ただ、何か、いつもと違うのだ。
明るさと、その数が。
その明かりは徐々にその数を増していた。
突如、兵士の中に湧き上がる違和感。
そして、一つの結論に辿り着く。
「……街が……キャメルの街が燃えている…………」
◆
深夜まで酒場で飲み騒いでいた冒険者の一人は目の前の光景を目にし絶句した。
酔いを醒まそうと店の外に出た際、見てしまったのだ。
空間から炎を生み出し街に火を放つ、体長5ラートはあろうかという黒い獣の姿を。
今見た光景をもう一度目を凝らす。
そして、その存在を理解して恐怖に震えた。
「レッサー……デーモン……!」
ぽつりと、冒険者の男は呟いて、
「うああああああああああああああああっ」
叫びながら店に駆け込んだ。
「おい、真夜中にうるせえぞ! 幽霊でも見たか?」
笑いながら、先ほどまで一緒に飲んでいた同僚がからかう。
「街が……燃えてるんっだっ……外に、レッサーデーモンが……ッ」
息を切らし、青ざめた表情で訴える。
「馬鹿なこというなって、ンなことあるわけねえだろ! 大体こんな夜中に……」
言いかけた、瞬間――。
非常事態を知らせるけたたましい鐘の音が響き渡った。
街は炎に包まれていた。
非常事態を知らせる監視塔の鐘の音が、カアン、カアンと街に鳴り響いた。
少し前まで静寂を保っていた街は一気に怒号と悲鳴渦巻く姿へと変貌を遂げていた。
人々は我先へと逃げ惑い、ある者は炎に巻かれ、ある者は食い殺された
巨大な黒い獣に――――。
その姿は巨大な黒い狼に似ていた。
自らの意思をもたず、本能の赴くままに人間を襲い食らう獣。
魔術士や冒険者からはこう呼ばれていた。
レッサーデーモンと。
レッサーデーモン。
魔族と呼ばれる存在の手足として遣わされるとされる魔生物の総称である。
彼らは知能をもたず、魔族や主人の命に従い人々を襲うとされている。
本来、レッサーデーモンの存在は黒魔術による異世界からの召還でのみこの世界に具現化し、契約した主人の命令に従う魔物と言われている。
しかし、稀に何らかの理由で自然発生する野良レッサーデーモンというものが存在する。
その体は鋼のような硬度をもつ体毛に覆われ、剣や弓矢等の飛び道具を通さない為、熟練した魔術士が魔術を使って撃退するか、魔術の込められた剣等の武器でしか致命傷を与えられないという人間に対してとても厄介な存在である。
故に、魔術士が黒魔術で呼び出し戦争に使われる等、軍事利用されていたのだが、その不安定な存在ゆえに制御が難しく暴走することもしばしばあり、野良デーモン化することもあった。
野良デーモンはヴァルサス大陸に分布しており、諸国を旅する冒険者や、魔術士は少なからずレッサーデーモンとの遭遇や話を経験している為、認知度は高い。
出会ったら、倒そうと考えずとにかく逃げろ。
これが冒険者達のレッサーデーモンに対する認識であった。
炎うずまく街の中に何十匹のレッサーデーモンが跋扈していた。
数にして50。
群れとも呼べるそのレッサーデーモンのすぐ後方に、銀髪の少女が一人立っていた。
年の頃は16くらいだろうか、黒い甲冑を身につけ、漆黒のロングソードを一振り腰に携えている。
人々が逃げ惑う中、少女は逃げる様子は見せず驚くことなく、佇んでいた。
まるで、そこで起きている光景がさも、当たり前のように
デーモン達が次々に街に火を放ち、逃げ惑う人々を容赦なく襲い食らう中、デーモン達は不思議とその少女には襲おうとしなかった。
まるで、少女が主であるように。
「何で、ワたくしがヴェラルの馬鹿の尻拭いをしないといけないンダ! わたくしの下僕のくせに勝手に滅びヤガッテ……!」
口を開き、怒りをあらわにしそう捨て吐いた。
「全て焼キ尽くせ、塔もだ、一人残らズ、喰らい尽クセ」
少女はデーモン達に向き直り力強く言い放つ。
その言葉に応えるように50匹のデーモンはグオオオオオオッ!と咆哮し、街から砦へと標的を変え動き出した。
突如、レッサーデーモンの襲撃によりキャメルの街、レバニール砦とも全滅。
そのしらせがギンガンナム大陸の国々にもたらされたのは、それから11日後のことだった。
◆
「……なあ、マグリよ。そなたはどう思う?」
グリンビルド国王マルビットは玉座の肘掛にもたれ、疲れたように側近に語りかけた。
「恐れながら、陛下。わたくしめはアキ殿下を王宮に戻すべきと考えます。ガーランドはレバニール砦からだいぶ離れてるとはいえ、現状のままでは……アキ殿下を危険に晒す事になりかねません。先手を打っておくのが間違いはないかと……」
「ふむ、背に腹は変えられないな。原因はわかっていないのか?」
「は……、何しろ情報が少なすぎて……唯一の生存者である連絡兵が心身ともに病んでおりまして、情報が錯綜しております。はっきり分かったのが、深夜キャメルの街でレッサーデーモンが大量発生、数時間のうちにレバニール砦もろとも壊滅。ということでございます。あれだけの数のデーモンが突如沸くなどと前例がありません。
現在、連合国の魔術士隊がデーモン討伐に向かってはおりますが、これが自然にわいたものか
故意に沸いたものか、いずれにしろ、アキ殿下を危険に晒すわけには参りませんぞ」
「仕方あるまい……。アキには悪いが一度王宮に戻ってきてもらうことにしよう、マグリ。ガーランドへ書状を手配してくれ」
「は。早急に手配いたします」
「……うむ。また厄介ごとが増えたな。平和な国か……いつになれば人々が安心して暮らせる世界が実現するのだろうか……? 異なる考え、異なる教え、互いがあいまみえる世界
彼女が王になるときまでには実現させたいものだな……」
言ったマルビットの言葉には疲れの色が混じっていた。




