【魔術学校編】秘密の場所
ガーランド研究塔の屋上。
レンガで組まれた城壁に両腕に首を乗っけて寄りかかりながらガッシュはため息をついた。
その視線は遠く、ぼんやりと彼方を見つめていた。
空は今にも雨が降り出しそうな曇天の空を覗かせている。
雨が近いのだろう。時折、湿気を含んだぬるい風がガッシュの頬を撫でた。
「……俺は、あいつのことが好きになってしまったんだろうか……?」
自問自答して、もう一度ため息をつく。
「あいつに命を助けられたからか?それとも――」
ガッシュの言う『あいつ』とはアキのことである。
あの一件以来、アキの事が気になって仕方なかった。
今まで誰かを好きになった事がなかったガッシュにとって、気になる異性の人物がいなかったのだ。
というのも、ガッシュが育ったソルトゲイツ王国では男性優位社会で男が強く、女性は男を立てるものとして、国の要職には殆ど女性がいなかった。
アキの育った現代での女性の社会進出など考えられない国であった。
ガッシュも無論、そのように教育され育ってきたし、女性は身の回りの世話をする乳母か、侍女くらいのものである。
肝心の母親は後宮にはいるものの、ガッシュが10を迎えると母親から引き離され、後宮の出入りが出来なくなった。
王妃が次代の王になるかもしれない自分の息子から権力を握らせないためである。
もし、今の王が何らかの理由で死んだ時に、母親べったりな次世代の跡継ぎ候補が王になれば実質それは王妃が国の全てを握ることになる。
これはソルトゲイツ王国に代々伝わるしきたりだ。と教育され、幼なかったガッシュはそれが普通のことだと自分自身に言い聞かせていた。
実際は女性が権力を握ることを恐れた先代の王達が、女王が権力を握り、王国が滅亡の危機に陥った過去があった為に男尊女卑の王国を築いたとも言われているが真相は定かではない。
女性は男に比べて劣っており、戦争になった時戦うことに適していない体。
生理もあり不安定な体をもつ女性は政治にも、軍事にも席が無く、世の男たちからは女性は肩身の狭い生活を送っていた。
その様に教育されてきたガッシュにとって女性は男を立てる存在であり、男より能力が低い女性は尊敬するものでなく見下した態度で接するものだと思っていたのである。
だが、ガーランドに来てアキにあって接するうちにガッシュの考え方は変わった。
見下した態度をとった自分、気に入らないという理由で一方的に勝負を仕掛け、その矢先に命の危険に晒された自分を危険を省みず救ったのである。そして、自分がやったことに対して怒りもせずに友達になろうと提案してきたのである。
今まで女性とは対等の立場をとっていなかったガッシュにとって、アキという女性は特別に見えた。
そしてそれが興味に変わり、アキの事を考えると胸がもやもやした。
女性を見下してきた自分にとって『人を好きになる』という感情がどういうものか分からなかった為、それが生まれて初めて感じた恋愛感情なのか一人悩んでいたのである。
と。
「――少年よ、何か悩みでもあるのかい?」
急に後ろから声をかけられガッシュは驚いたように振り向いた。
「まさか、先客がいるとは思わなかったなあ。僕もここで一人、この世の不条理を嘆くために、風に当たりながら一人黄昏ようと思っていたのだけれども」
そこには見た目二十歳過ぎの青い髪の男が立っていた。
すらっとした長身に整った顔つき。爽やかハンサム男という言葉が似合いそうな人物だ。彼は魔術士なのだろう。上級魔術士の証である縁が金色の刺繍を使ったマントを羽織っており、胸で留めているバッジには双頭の竜をモチーフとしたグリンビルド王国の紋章が刻まれていた。
「となり、いいかな?」
「あ、はい……ところで、あなたは……?」
突然現れた人物にガッシュはおそるおそる尋ねる。
この場所はガッシュにとって秘密の場所であり、人は殆ど来ることはない。というのも、この場所はここに来るまでの階段も途中で塞がっており、一番近い階の窓から浮遊の魔術で上まで行かないとたどり着けない場所にあるからである。
そんなこともあって、一人物思いにふける時はよくこの場所に来ていた。
「ああ、自己紹介がまだだったね。僕はギィ・ロックスター。この学校の卒業生だよ。今はちょっとした用事でこの学校に滞在しているんだ」
青年はガッシュのとなり、城壁の壁に寄りかかって自己紹介をする。
その視線はガッシュではなく虚ろな空を眺めていた。
「……ロックスターってまさか……あの閃光のロックスター……ですか?」
ギィ・ロックスター。
その名前にガッシュは聞き覚えがあった。
ガーランド史上稀にみる天才。
4年編成であるガーランドをわずか2年で卒業した人物である。
閃光のロックスターと言えば、今の1年生以外は誰もが知っている有名人である。
無論ガッシュもその一人だった。
黒魔術と精霊魔術を扱い、特に黒魔術を得意とし、攻撃魔術に関しては大陸中で右にでる者がいないとまで言われた魔術士である。
閃光の魔術士の異名は彼しか扱えない魔王の力を借りた攻撃魔術を扱えるところからきている。
「あんまりその名前で呼ばれるのは苦手なんだけどなぁ。ところで君は?」
苦笑し、質問を投げかけるギィ。
「ガッシュです。ガッシュ・リィン・ソルトゲイツ」
ガッシュから呟かれた言葉に目を丸くし「ほう」と感嘆の声をあげるギィ。
「いやはや、ソルトゲイツ王国の王子様であったか、これは失礼した」
「いえ……そんなに恐縮されても困ります。自分は王子とはいっても後継者とは程遠い名ばかりの王子です。呼び方は普通で構いません。むしろこの学校においてはそんな身分より才能や名声の方が影響力を持つガーランドです。こちらがギィさんに恐縮してしまうほどですよ」
言ってガッシュは苦笑する。
事実、実力主義のガーランドでは実績のある魔術士や才能のある魔術士が名声と発言力を持つ。
「それなら、ここではお互い堅苦しいこと無しというのはどうだい? 僕のことはギィって呼んでくれると嬉しい。ところで、こんな所で一人ぼーっとしてるなんてで何か考え事でもしていたのかい?」
「どうしてそう思うんです?」
「それは、僕も昔よくここで考え事をしてたからさ」
「自分の気持ちが分からないんです」
ぽつり、と。ガッシュはつぶやく。
「ほう。好きな子でもいるのかい?」
「なっ……そんなこと……あるわけないじゃないですか。この僕が……」
ギィは何気なくそう切り出したのだが、その言葉に心を一瞬見透かされたかのように感じて否定する。
一呼吸のち。
「そう……なのかもしれない。僕は人を好きになるってどういうことなのか分かりません。自分が今抱いている感情が好きという感情なのかどうかが」
とガッシュはこぼす。
「じゃあ、言い方をを変えよう。つまり、ガッシュ君は今気になる人がいる。だけど、それが恋なのか、自分が今その人のことを好きなのかどうかがわからない、ということかな?」
「まあ、大筋そんな感じだと思います」
「ガッシュ君、その人の事が良い意味で気になって仕方ないってことかな? もしそうならば、それはその娘のことを好きって事なんだよ。正確には好きになりかけている、かな。人を好きになる事は別に悪いことじゃあない。最初の言い様だと、ガッシュ君は人を好きになる。という行為がいけないものだと思っているように僕は感じたんだけど」
「……そうですね」
「まあまあ、そんなに難しく考える事はないって! 君は気になっているその娘をどうしたいと思っているんだい?」
「仲良く……なりたいです。彼女の事をもっと知りたい」
「うんうん。ちゃんとどうしたいのか答えが出ているならもっとアプローチをしていった方がいいと思う。自分の気持ちに正直に生きることが大事なのではないかな?」
「だけど……あまり踏み込みすぎて嫌われてしまったら? 俺には解らない。失うことが怖い」
「その時は僕が手助けしてあげるよ。ここで会ったのも何かの縁だと思うし」
力強く言うギィにガッシュは一言、お願いします。と、小さくつぶやいたのだった。
ギィはまだ知らない。彼、ガッシュが気になっている人物が『アキ』だということに。




