【魔術学校編】ルワンダの劣等生
薄暗い部屋の中、魔具の光は隣同士に寄り添って机に向かう少女を映し出していた。
一人の少女は机の上に広げられた分厚い魔術書を読み上げ、もう一人は羊皮紙に魔術文字を書きつらねる
心なしか、背の高い方の少女の表情には疲れの色が見えていた。
一方、読み上げた言葉を必死で書き写す小柄な少女の表情は険しい。
愛くるしい普段の彼女の顔とは思えないほど、少女の表情は苦悩に満ちていた。
時刻は深夜。
同じ寮生は寝静まっている時間帯だ。
「アキ、今日はここまでにしましょう。あんまり根詰めすぎると体壊しちゃいますよ……?」
本を読み上げるのをやめ、背の高い方の少女は小柄な少女を心配そうに見つめながらそう言った。
「心配かけてごめんね。ミリィの睡眠時間も削っちゃってるね……」
「私のことは心配しないでください。私の睡眠時間よりもアキの体の事の方が心配です」
「うん、でも結果が出ない分何もしないでいるほうが怖いんだ。何もしなかったら本当に自分だけ取り 残されるような気がしてさ、それに今自分にできることっていったら、いずれ魔術が使えるようになった時の為の魔術の種類や呪文を覚えておくこととか、色々な魔術を扱う為に、難しい魔術の本が読めるようにこうやって魔術文字を教えてもらうことしかないし……」
甘く見ていた。学校に入れば何とかなるだろうと、心の中で思っていた。
その甘さが今、アキにツケとなって落ちこぼれという現実を突きつけていた。
ミリィに『アキはまだ3ヶ月だから、そんな落ち込まなくても……』とフォローされていたが、そのフォロー以前に、学業の存続が危うくなっている。
アキはガーランドに入学して3ヶ月目に入っていた。
ペーパーテスト、魔術の理論等の成績は悪くはない。テストの成績も上々だ。
だが、それ以前にどうしようもない事があった。
実技である。
実技で満足いく結果が出ないことにアキ自身苛立っていた。
滅多に感情をあらわにしないアキでさえ、最近はミリィやルエルに対して辛く当たってしまうこともあった。
アキはその度に自己嫌悪に陥るのである。
そのストレスの原因は分かっていた。
――魔術が発動しない。
入学時、アキは適性検査で唯一、他者より秀でていたものは精霊の加護という特殊な才能だけで、魔術を扱うのに必要な黒魔術や白魔術の素質が開花しない為に、ルワンダというクラスに振り分けられた。
ルワンダはガーランドの中でも最下位のクラスであり、実力主義のこの学校の中では劣等生クラス等と蔑まれている。
アキの現状をみてアマリは『同じレベルの者同士の中で徐々に才能を開花させていきましょう』というスタンスでルワンダのクラスからスタートになったのだが…。
授業や魔術の鍛錬を積んでいくうちに周りの同級生は次々と魔術の才能を開花させていく。
そして、そこに一人魔術が扱えない者として取り残されるアキは日々やり場のない苛立ちをおぼえるのだった。
学校に入れば何とかなる、という甘い考えを持っていたのかもしれない。
それは現実の世界だって同じことだ。
同じレベルの者の集団の中にいれば環境に適応していくだろうと思っていた。
それは安易な考えだったのだ。
それは間違いだと気がついた時にはすでに3ヶ月も経っていた。
そして今突きつけられた現実。
次の試験で魔術を発動することが出来なければ必修単位を落とすことになる。
ガーランドでは留年というのは過去に例がない。
単位を落とすこと、それはつまり事実上の落第を意味していた。
魔術が使えない人間がガーランドにいる資格はない。
「なんであの子は魔術が扱えないのにガーランドにいるの?」
ある日、同級生がそんな話をしているのを偶然耳にしてしまった。
それは自分のことを指している事を認識するのに、さしては時間がかからなかった。
それからは周りの人間が、自分のことをいらない人間だと噂しているような錯覚をしてしまう程、アキは精神的にも追い詰められていた。
その反動が睡眠時間を削ってミリィに読み書きを教えてもらったり、がむしゃらに魔術書を読み漁ったりすることで心の平常心を保とうとしていた。
ただ、ただ――悔しかった。悔しくて、悔しくて仕方がなかった。
ガーランドの中で最下位のクラスで、その集団の中でも落ちこぼれのレッテルを貼られるのが悔しかった。
異世界に来て、自分の意思と関係なくただ環境に流されて過ごして来た。
王宮では自分が王国の希望だと、時期当主になってくれと言われ、安請け合いをしたものの、事の重大性を何も分かっちゃいなかったのだ。
「……ねえ、ミリィ」
「はい」
「俺って、今まであっちの世界でもただ、流されるままに過ごして来た気がするんだ……今までそんな事思いもしなかったけど、流されるだけでそれでも何とかやっていけてた。でもここに来て、挫折を味わって自分がそんな甘っちょろい考え方で生きてきてたんだっていう事が身に染みて分かった気がする。多分、自分が何をしたいのか目的というのが無かったんだよ……」
「…………」
ミリィは答えず、ただじっとアキの言葉に耳を傾ける。
「俺はミリィや周りの人間にずっと頼ってばかり、頼りっぱなしで大事な場面で何かしら理由をつけて逃げてたのかもしれない。そんな弱い自分と向き合うのが怖くて、才能も何も無い自分自身を認めるのが怖くて……最初はこの世界に来て生活してれば何か変わるんじゃないかって思ってた。だけど、何も変わらなかった。それは自分自身を甘やかしてたから。何とかなるだろうって、心のどこかでタカをくくってたから、誰かが自分のこと引っ張っていってくれるだろうって他人任せだったから……」
アキが言葉を紡ぐたび、心の奥底から次から次へと悔しさや、惨めさ、悲しい気持ち等の色々な感情が入り混じったものが胸にこみ上げてくる。
溢れた感情は、アキの胸を締め付けると同時に、零れ落ちる涙と嗚咽へ変わっていく。
「……アキ。大丈夫です。泣かないの……」
アキを抱き寄せ、子供を諭す親のようにミリィは、アキの頭を優しく撫でる。
「アキの事は小さい時から知っています。弱いところも全部。でもどんなに辛くたって、アキは乗り越えて来たでしょ? それは私に頼ったからとかじゃなくて、アキ自身が乗り越えたことなんですよ……? 私はアドバイスはしますが、結局決めるのは自分自身なんです。今アキは大きな壁にぶち当たっているけれど、今のアキならどうすればいいかちゃんと分かってるはずです。だから、もう答えは出てるんでしょう?アキはどうしたいか――――」
「俺は……もっともっと、強くなりたい。くやしいよ。自分だけ落ちこぼれるのはいやだ。もっともっと魔術を扱えるようになって、見返してやりたい―――」
ミリィの腕の中で涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げて、アキは言う。
「アキはちゃんと自分の意見が言えるじゃない。アキはちゃんと自分がどうしたいか分かってる。なら、大丈夫です。今までやってきたアキの努力は絶対に無駄にはなりません。アキは才能が無いって言ってましたけど、そんなことは無いですよ。アキには素晴らしい魔術の才能があります。ちょっと力の使い方が間違ってるだけです。そんな泣き虫のアキに、私からヒントを教えましょう」
ミリィはそう言ってもう一度アキの頭を撫でたのだった。
◆
薄暗い部屋に、魔具の淡い光が二人を照らしていた。
机の上には分厚い魔術書と、精霊魔術の訓練用の小さな水晶が置かれている。
「アキ、まずは落ち着いて。精霊の流れを感じてみて」
ミリィの声に促され、アキは目を閉じて深呼吸する。
「水の流れ……風……光……」
頭の中でイメージを描こうとするが、体は思うように動かない。
手のひらに置いた水晶を意識して力を込めると、パチンと小さな火花が散った。
「……うわっ!」
アキは驚きで体をのけぞらせる。
ミリィは優しく笑う。
「いいんですよ、初めてにしては上出来です。焦らないで。少しずつ感覚を掴むの」
アキは再び手を伸ばす。
今度は深く集中し、水晶に触れた指先の感覚だけに意識を向ける。
しばらくすると、水晶が淡く青白く光り始めた。
「……見える……?」
アキの小さな声に、ミリィが頷く。
「ええ、その光があなたの精霊魔術です。まだ弱いけれど、確かに存在している」
しかし次の瞬間、アキの手が震え、水晶の光は乱れ、消えてしまう。
「……うう、やっぱりダメか……」
「大丈夫です。魔術は感情に左右されやすいもの。苛立つと力が散ってしまいます」
ミリィはアキの肩に手を置く。
「……俺、なんで他の人みたいに簡単に使えないんだろ……」
悔しさと焦りが胸を締め付ける。
「アキ、それがあなたのやり方です。あなたは黒魔術の事前詠唱なしで精霊魔術を使える特別な力を持っている。だから、他の人と同じ方法じゃできなくて当然なんです」
アキはミリィの言葉に少しずつ落ち着きを取り戻し、再び深呼吸する。
「……わかった。焦らずに、イメージをはっきりさせるんだな」
再び水晶に手をかざすと、今度は水晶の中を淡い青の光が滑らかに流れ、指先に柔らかい振動が伝わる。
「……動いた……!」
思わずアキは声を上げた。
ミリィは微笑みながら頷く。
「そう、それがあなたの力です。まだ小さいけれど、確かに精霊と繋がっています」
アキは涙をこらえ、光る水晶をじっと見つめる。
「……やっと、俺の魔術が形になってきた……」
深夜の静かな部屋で、魔具の光が揺れる。
アキの胸には初めて、自分の力で魔術を操れるという確かな手応えが芽生えていた。
失敗と試行錯誤の果てに、アキは自分だけの精霊魔術の感覚を掴み始めたのだった。