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天国の月  作者: 羊野棲家
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第5章 空からの贈り物

2110年も数日で終わろうという頃、涼音の身辺は、忙しい時期を迎えていた。それは主に大学内の雑務であるのだが、仮にも教授であるため、お酒の席も多くなっていた。研究仲間の会合があった夜、涼音は、アルコールが入ってほんの少しふらついた足取りで駅から自宅へと向かっていた。歩く足音、自分の姿が周りから消え去ってゆくのを感じる。涼音はたまに、こんな感覚に陥る。周りから遮断されて、涼音は自分の世界に深くはいってゆく…。


自宅までは15分かかる。信号の数は合計6個、危ないのは3つ目の信号でそれ以外はふらついても大丈夫。この程度の酔いなら、小唄を口ずさんでも大丈夫だ、と私は思った。私は、バッハのカンタータの一節を小さな声で歌った。透き通るように、きれいな優しい声になるように、そっと歌った。自分のために。

3つ目の信号をちゃんと乗り越え、4つ目の信号までの間に小さな公園がある。ちょうどそこへ差し掛かったあたりで視界に白いものがちらりと入ってきた。私は空を見上げる、間違いない! そしてあたりを見渡す。やった。近くに空を見上げている人はいない、私はきっと一番目だ、と思うとうれしかった。空は夜だが、どんよりした厚くて、低い雲がすぐ近くまで迫っていることがわかる。そしてその雲から結晶たちが降りてきた。

前世紀にあれほど大きく騒いだ温暖化現象が、太陽風の影響と長期的な気候サイクルであることが、解明されたおかげで、科学者たちの面目は丸つぶれで彼らの言い訳がおかしかった。科学とはいえ政治や経済、そぢて民衆の強い思い込みの犠牲となることもある、温暖化劇場は、今ではすっかり社会心理学の教科書になっている。そんなことを考えると、一応教授の座に座っている怪しい自分のことを考えてしまい、笑えてしまう。もっとも胡散臭いのが私かも。

まあいい。それにしても今年は特に良く降っている。まだ12月だというのに、もう3回目。涼音は、自他共に認める雪好きである。南国の生まれだからだとよく言われるのだが、それだけでなくても好きだった。私にとって空というのは、ふるさとを想うに似た憧れがある。

月を見るのも、満天の夜空を見るのも良い

都会の寂しい夜空に瞬く星も捨てがたい

旅先の知らない土地の夜空も格別だ

日中の抜けるような青空や、雲の入った空も素晴らしい

この世に同じ夜空は二つ無い

そんな大好きな空から降ってくる雪は、プレゼントだ。雪雲は厚ぼったく人によっては息苦しい、ということもあるようだが・・・。ああ、それを言ったのは、大村君だ。彼は北陸の出身で、冬の低く立ち込める雪雲は、圧迫感があり嫌だと言っていた。北陸では雪が暴れ、時に雷も一緒に鳴るという。確かに雷はプレゼントとしては手厳しいか。

そんな空を見るのが好きな私なのだが、実は流れ星を見たことがない。これを大村君に話したときの反応を覚えている。


「ええっ!信じられないですね。そんなの夜空を一夜見ていれば気づくでしょう?」

「気づくって、私が見過ごしたみたいじゃない。そうじゃなくて流れないのだから。」

「そうかなあ。まあ流れやすい日と流れにくい日は、ありますよね」

「私はだめだったな。中学生のころ、野外学習で友達と夜空を見たとき、ああ!見えたって友達が言ったのを振り向いてももう見えない。遅い!今度はその子と一緒に見ていると、他の子が見るの。これは確率の問題ね、と思って、まだ見えていない方向を見ていても、やっぱりだめ」

「はは、最後のは、よくないですね。大体見える方角は決まりますから」

「そんなの、今だから分かるけど、その当時はわからないしね」

「ええっと、湯方先生って、切れ者ですけど、天然ボケですよね、意外だなあ」

「はあ?? ほめてるの、それ」

 大村はため息をついて言った。

「ほめてはいないでしょう。大学の先生が天然ボケでどうしますか!」

「ありゃりゃ。ちがうの? それは失礼。でも、流れ星ってきれいなの?」

「綺麗ですよ。ほんの一瞬の輝きですけど。現象としては単純ですけどね。所詮大気中の摩擦による発熱現象ですよ。何百万年も旅して大気の熱ではかなく消えるとか、願い事をかなえてくれるとかメルヘンを感じる人もいるでしょうけど、僕は、純粋な化学の現象として好きですね。あの高音の摩擦で発生する輝きはなかなか見られない。天空の花火ってところでしょう。なんかわくわくしますよ」

「そうかあ」

それは見たい、と涼音は思う。まだ見たことのないそんな素晴らしい現象があるなら、空好きの私が見ていないなんて・、おかしいな。そう、頭の中で考えていると、大村が黙ってこっちを見ているのに気がついた。

「なによ」

涼音は、うきうきしてしまった自分の心を見透かされたような気がして、あわててうきうきした心を消した。いやだな、調子が狂う。

「いえ、別に」

大村は伸びをして言った。

「流れ星は、空を見つめていればきっと見れます。そういう点では僕らは平等ですよ。空を見上げるか、見上げないか。どちらかです」

そうね、と涼音言った。この美しい夜空をもっと見てあげよう。夜空だけでなく日中も。まだ空は私に“やる気”をくれる。


**


雪を見ただけなのに、ずいぶんいろいろ思い出してしまった、と涼音は正気に戻った。これだけ曇っていれば、今日は流れ星を見ることはないだろう。でも空のプレゼントは見ていて飽きない。ずっとこうして見ていたいと思う。私は、小さな公園の中に入り、二つしかないベンチの左側に座った。右側に座ると、桜の木がじゃまで空が見えないのだ。ちょっと寒い、でももう少しだけ空からのプレゼントを楽しみたい。少しだけ。すこしだけ目を閉じて見る。こんな場面、他にもあったかな。少し悲しい気持ちが心を走る。でもこんなのは、なんでもない。

ベンチの隅に置いた、バッグが落ちて水の入ったペットボトルと、一冊の文庫本が滑り落ちた。

あ、私は声にしなかったが、慌てて本を拾った。赤いブックカバーが少し汚れる。これももう数年使っているものだ。中が少し見える。最近ふと思い返して読み直している古い小説。

私は、子供のころから読書が好きだった。


***


子供のころ、私はこういわれるのが嫌だった。

「すずちゃんは、本当に本が好きだよね」

それは、何故好きかを説明しなければならないし、そんなの良く分からないからだ。でも本を読むのは好きだった。当たり前だが、本の中には未知の世界がぎっしり詰まっていると思えた。それは夢よりは現実的だし、少なくともその世界は確実に本の中に、書いた作家の頭の中にあるだろうから。

「うん、だってこんなに私の知らない物語があるなんて、なんて素敵なんだろうって、思うの。」

そういう、嫌な質問に対して、私はそう答えると、みんな納得した。これが私とみんなとの付き合いの妥協点だった。こういうと大抵の友達や親は納得していた。それに実際、そう思っていたからうそをついているわけでもない。

でもそれは意識の芽生えてくる小学生時代までだった。私はたくさん読んでいたが、何かを求めているのだと気づいた。そしてそれに気がつくと、どの本を読んでも十分満足ができなかった。私の求めている話じゃない。その当時私は困惑した。ついこの前、小学生のときは面白くて、楽しかったのだが、あの感覚はどこへ行ってしまったのだろう。私が思春期になったから?でも私はこの思春期というのが大嫌いだった。言葉もそうだけど、煽られるような、少し苦しい感じが嫌いだった。

実際、同年代の男の子たちを好きになるようなこともなかった。それはなんともいえない汗臭さだとか、無意味な苛立ちとか、妙なプライドとか、女の子を見下すような感覚とか、性的な視線とかが嫌だったのか、私に明確な意識はなかったがそんな様々な感情を含め、てやはりあまり近づきたくない存在だった。そんな私に対して、友達やクラスのみんなもあまり私に興味を示さなかった。

かといって嫌われていたわけではない。いつも清潔にしていたし、最低限の身だしなみはしていた。取り分けて頭がいいわけでもなく、美人なわけでもなく、先生にひいきされるわけでなく、男の子たちにもてるわけでなく、話が面白いわけでなく、リーダーシップがあるわけでなく、自然に目立たないどこにでも居る地味な、それが私だった。それにはじっくりと本の世界にこもるのは好都合だった。文学少女とか、読書マニアとか、小説オタクとか言われたが、それでよいし、むしろ好都合だった。つまらない出来事に巻き込まれたくなかったから。


ひとつだけ、うれしい思い出があった。それは、痛い思い出ででもあるのだが。

中学3年のとき、大雨の中を自転車で帰宅中にハンドルを切り損ねて、数メートル先の田んぼに落ちたことがあった。私は顔から突っ込むように田んぼの泥の中にのめりこんだのだが、息ができず死ぬのかと思ったことを良く覚えている。そのときはもう必死だった。その道はひどく人通りが少なく、私は混乱していて、どうしていいのかも分からず茫然自失状態だった。そのときおおい大丈夫か?という声がして、私はその方向を見た。その人はこちらを見ておおよその事情を察したようで、私のほうにすぐに降りてきてくれた。


「こんな天気に、あんなに飛ばすからだよ。まあ、自業自得だな。うわ、その腕!」

その人は、私の腕を見て驚いていたが、そんな彼の目線の先にある自分の腕を見て驚いた。腕がありえない方向に曲がっていた。それを見たとたん、痛みが、ざわざわと湧き上がってきた。

その人は、これはまずいなといいながら、私を引き上げてくれた。私は痛みとあまりの驚きに頭がぼおっとしていて、その人のいうとおりにした。そしてその人は、私をおぶって、家まで送ってくれた。そのときは私にとって忘れがたい時間だった。その人は悪い人でないことはすぐ分かった。きっと生徒会長に自然と推薦されてしまうような、好人物で、お人よしなのだろう。でもその背中は雨でぬれていても、私がきっと重くても、あたたかい広い背中だった。私は腕の痛さも忘れて、その感覚に酔った。

そのあと、私のうちのベルを鳴らしたあとに、気をつけろよ、といいながら走って去っていった。私は一言も発することができなかった。それは、動揺のせいなのか、痛みのせいなのか、うれしさなのか・・・。

親が出てきて大騒動になったのは言うまでもない。すぐ救急車が呼ばれた。親は私が襲われたのだと思って、いろいろ私から聞き出そうとした。よっぽど痛々しい様子だったのか、私が事情を話しても、しばらく信じてもらえなかった。しかし誰かにおぶってもらったことは内緒にしておいた。


私は、当然ながら骨折していて、しばらく入院することになった。

数日は、初めての入院生活に何も考えることは無かったが、ふと、あの時おぶってくれた人に何も言っていないこと言うことを思い出した。そして、あの人に合ってもう一度お礼を言ったほうがいい、と思ったからだ。おそらく私は一度もお礼を言っていない。

なぜ私は、ありがとう、と言えなかったのだろう。名前を聞いてお礼を言うのが、礼儀だろう。いや礼儀なんかでなくても、ありがとう、というべきだった。すみません、でなく、お世話になりました、でもなく、ありがとう、と言いたかった。

その後、その人を探そうとしたが見つからなかった。しかし気恥ずかしさもあり、大声で探したわけでなかった。きっとすぐそばに居た人なのだと思う。あの丁寧な話しぶりは私と同じ学年か、後輩なのだろうし私と同じ方角の人間のような来もするが、そうでない可能性も十分にある、あの雨と、異常な状況の中で、何が思い出せるだろう。もしもう一度あの人の声を聞いたとしても、思い出せるかどうか、わからない、と私は思い込んだ。実際そうなのだ。

十分に探したか定かでない。でもあきらめてしまった。そんな少しさめた自分が嫌だと思うこともあった。だれだれなら大声で探しまくるだろう。私はそんなことはしない。もし私にお礼を言ってほしいなら私に近づいてくるに違いない。しかしそんな人は現れなかった。このとき、私を助けてくれた人を見つければ、私のその後は少し変わっていたのではないだろうか、と思う。

数週間後、その場所に行って見ると、私が幸運だったことにぞっとした。私の転んだ場所のすぐ近くには杭が出ていた。これを頭にぶつけていたら、無事で居られただろうか。自転車は奇跡的に無傷に近い状態だったらしい。その出来事があって、私が退院し学校に戻ったときもそれほど話題になったわけでない。みんなにしたら、地味な子が帰ってきただけ。親しい友達はお見舞いに来てくれたが、その数はほんの少しだった。でも私はそれでよかった。私は他の人とは違うのだ。という思いが芽生えたのはこのころだろうか。


涼音は、そっと目を開けた。天からのプレゼントは、ちらつく程度に少なくなってしまった。今日、物思いにふけるのは、この程度にしておこう。あまり普段思い出さないことを思い出してしまった。いいことを覚えていると、悪いことも思い出してしまう。それはつらすぎるから、全て忘れることにしている。忘れてしまえば、悲しくない、つらくない。思い出は固く心のそこにしまって二度と出さない。そうすればまだ私は生きていける。

きっと他の人だって、そうなのだ。

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