第15章 真昼の月
涼音は、目を覚ました。これまで見た夢の中では、もっとも夢からこの目覚めへの境界が、わからなかった。どこまでが現実でどこまでが夢、いいや、ウソなのか。深海の夢と私の現実では何もかもが違うはずなのに、孤独や悲しさの点から二つは相似な関係にあるようだった。
涼音は、天井の白い壁を見つめた。もちろんこれは夢で全てウソだ。間違いない。でも涼音は、自分が今どんな顔をしているのか分からない。ひとつ分かるのは、泣いてはいないことだ。もう涙は出なかった。この夢が本物だろうと嘘だろうと。
私は勇気を出して天井から目をそらしカレンダーを見た。6月15日。あの地震から一ヶ月たっている。あの夢が本当なら、彼はもう、生きてはいないことになる。私は、彼の最後の瞬間に出会ってしまったのか?そんなバカげたことがあるわけない。もちろん、あれはただの夢で、私の心が作り出した、空想の産物なのだ。ただの夢だ。
その日、涼音はK大学に行く予定があったので、大村を知っている大学院生に彼の事を聞いてみた。え?湯方先生知らないんですか?その院生は、さも意外な話のような声を上げた。もう一人、その場にいた学生も、ほら、やっぱり、という顔をした。
「もうずいぶん前ですよ。ニュースで結構やっていましたが見ていませんか。大村さんの乗った深海探査潜水艦が調査中、例の地震にあって、行方不明になっているそうですよ。なんでもメタンハイドレードの噴出をもろにかぶって掘り出すことができないと聞いていますけど。今も機構が救出作業中だそうですよ。なんでも半年は滞在できる調査船だそうですから生命の危険はないといわれていますけど。ただ、通信は途絶えているそうですよ。地震後、日本中が混乱している中で、ほとんど情報が流れてこないので詳しくは分かりませんが。先生が辞めたころに少しだけ情報が流れていましたよ。そのあとほとんど忘れられたようで報道されていませんね。ご存知だと思っていました」
もう一人の院生も申し訳なさそうに言った。
「先生、地震の後、ほとんど現地調査とレポート書きでしたよね、耳に入っていないだろうなあ、とは思ったのですが、そんな声をかけられる感じでもなかったですし、すみません」
その学生は、涼音に謝った。
「ありがとう。心配だな。機構の人に聞いてみる」
涼音は、震える声を抑えてそういうのが精一杯だった。涼音は、普通に歩いて、昔の、まだ誰も入っていないがらんとした自分の研究室だった部屋に入り込んだ。
涼音の頭はぐるんぐるんと回っていた。知らなかったのだが、知っている。事故は夢と一緒なのか?まさか。たまたまだ。これこそ夢ではないのか、夢なら覚めるタイミングは今だ。今なら覚めてもいい。すべて夢なのではないか?今なら悲劇の乙女チックな夢を見たとしてすべて笑って済ませられる。お願いだから、夢から覚めて。涼音はちょっと昔、大村と向かい合って議論していた机を叩いた。
誰もいないがらんとした研究室は、かつて涼音の唯一の隠れ家だった。窓からは深く緑色に成長した、たくさんのいちょうの葉が、その姿を見つめているかのように、さざめいていた。
その年の夏は特に暑く、南九州生まれの涼音さえ、閉口した。一方で鉄道車両内やオフィスの冷房は猛烈であり、その寒暖の激しさのせいだろう、例年になく涼音の体調は、優れなかった。記憶の許すかぎり、風邪を引いたことすらない涼音であったが、体調を崩していた。凉音は、暑い寮の部屋で横になっていた。クーラーが余り好きでなく、扇風機を回しながら、横になっていた。
頭の中を整理したいのだが、混乱は落ち着きそうになかった。理由はこの夏の記録的な猛暑のせいではなく、あの夢のせいだ。どうして、あのような夢を見るのだろうと凉音は、しばしば考えるのだが、明快な答えは、見つかりそうもなかった。凉音には、夢か現実かさえ区別が付きにくくなっているような気がするのだ。夢の中には、色彩や匂いなど生々しい現実感があるのだ。夢の中でのこの様な感覚があるものだろうか。
そんな現実感が有るのに、凉音は傍観者であり、本質的なところで、起きている事象に関わる事ができない、そう言う事らしい。まさかとは思うが、夢の出来事が真実だなんて、たちが悪すぎる冗談だ。お話であり、小説で、SFだ。わたしは何を考えているのだろう。頭がおかしい、と凉音は、思った。
やりきれない悲しみに満たされる中、自宅へ帰ってみると、一本のメールが届いていた。幌富市の地層処分研究所の天野からだった。地域の住民のための講演の誘いが来たのである。大学を辞めてから非常勤の講師やNPOの顧問などで食いつないでいた凉音であったが、懐かしい便りに少し心が躍った。これもダドリー先生のおかげである。涼音は、喜んで引き受けるつもりであった。特にダドリー先生が心を痛めていた幌富市で市民に対する講演であれば、先生の弟子としてやるべきことである。それに講演に合わせて、北方を旅しようと考えた。ダドリー先生も北方には興味を抱いていたはずである。ただ国後島から先の入島については、許可が必要であった。その辺りは、北海道の事情に詳しい天野に相談すると、まかせてください、と快諾を得られた。
涼音は、幌富市での講演を終えた後、知床半島の羅臼から、択捉島へ渡ることができた。択捉島からは、ウルップ島経由でパラムシル島まで定期船が出ていた。
涼音の目の前に広がるパラムシル島で最も大きな町、新柏原市の自然は美しかった。千島で過ごしてきた数日は穏やかな天気で、肌寒いのを除けば快適と言えた。日本離れした、背の低い草が広がっているそしてその向こうには白い残雪をヴェールのようにまとった緑の山々。人家はあるが、まばらである。そして、自然に調和しているようだ。矛盾しているかもしれないが、その建物は、不自然ではなく見えたのだ。人の歩く道も舗装されているわけではない。そのまま人の通る道に草が生えていないだけなのだ。海は青く、空気は透明だ。空も果てしなく宇宙まで見透かせるような気がした。
涼音は何度も大きく呼吸した。本当に空気がおいしいのかどうか。私はちゃんと人に説明することは出来ないが、この空気はきっと北方から流れてくる冷たい空気なのだ。それは肺の中に入り、酸素を私に供給する。北極圏や、冷たい海で冷やされた酸素が私の体に入る。それは新鮮な気持ちにさせてくれる。そんな、味のある冷たい空気。
涼音は、深呼吸を止めて南の方角を向いた。その先には大村が沈んだ千島海溝があった。そう思うと、海が重く見えた。凪いでいて美しい海だったが、その底にはとてつもなく重くて暗い光の閉ざされた深い海があるのだ。
ひと気のない海岸をとぼとぼ歩いていると凉音は、ずっと前に夢で見た、断崖の自殺者のことを思い出した。
涼音は立ち止まり、彼について思い返した。
彼のように記憶を戻したいのでは無く、記憶を失ってしまいたい。そしてあの時見た不思議な光景の様に新たな命として生まれ変わりたい。凉音は、悲しかった。人生なんて思うようにならない事は分かっているつもりだ。
もし!周りの人がとっても穏やかで、怒ったり泣いたりする必要がない世界へ招かれたらどうするだろう。今の私なら、それはとても魅力的だ。今生きているこの世界には、なんと悲しみが多いのだろう。越えなければならない壁、人との協調。壁にぶつからないと進歩がないとか、乗り越える目標に対して敢然とぶつかっていける人は良い世界だろう。しかし私はそんなに強い人だろうか。怠けたいというわけではない。そうではなくて、心を脅かす原因が無いところ、あっても極力少ない状態で生きて生きたいというだけなのだ。
そんな悩みを同僚に匂わせれば、気分転換に旅行でもしなさい、というのが世間一般的な回答だろう。あるいはもっと歳をとって気の聞かない人は恋人でも作りなさいというだろう。そんな簡単に息の合う人と出会えることは滅多にないはずだ。それは、男性だけでなく、女性だってそうだ。そのような出会いは、本当に悩み事を解決してくれるのだろうか。涼音には、そう思えなかった。
ましてや、たちの悪いテレビやIT、マスコミは、独身女性を讃えて商売にするのだ。やれ旅に出なさい、旅行しなさい、バーチャル世界へようこそ!と。
そういう問題なのだろうか。恋人は、確かに心休まるのかもしれない。信頼できる人柄で、包容力があれば、小鳥やモグラが巣に帰るように、私も安心できる場所が得られるだろうか。結婚すれば、家庭があればそこは永住の棲家として安らぎの得られる場所になるのだろうか。私はここまで生きてきて、そんな心からの安心は得られないだろうと思う。試していないのに、そういうことは言ってはいけないのだろうが、そう思う。涼音は、そんな簡単な問題ではない、と思った。
私にはもう両親がいない。おじいちゃんも亡くなっている。おばあちゃんだけが宮之城に住んでいる。実際に両親を見たことが無いのは確かである。それにしても、今自殺なんて後味が悪すぎる。まだ私はあがかなければならない。でも、何のために私はそう思うのだろう。
千島で過ごす日も、あと数日という日、天野から連絡があった。定期船はウルップ島からパラムシル島の間はないと聞いていたが、天野によれば、学術調査団が、来訪しており、よければ他の島へも渡ることができるということであった。涼音は、かねてから気になっていた、宇志知島へ向かった。この島は5kmほどの小さな島が南北に二つ並んでいる。特に宇志知南島には、幕田湾というおおきなカルデラがある。カルデラとは、火山によってできる円状の湖で、真ん中に火山の噴出孔がある。阿蘇山や洞爺湖が代表的である。宇志知南島のカルデラは、一部が海に面しており、空中からの写真ではおなかが抉られたような特徴を持っている。ぜひ、それを目にしてみたかったのだ。
幕田湾のカルデラは、圧倒的だった。それはいろいろな地形を見てきたが、自分が以下に小さい存在かを感じさせるものだった。外海は荒れていたが、湾の中ではすっと静かになった。風も強かったが、高い木々はない。風は吹いているのに、それすら感じさせないこの空間。それは美しさを箱庭のように閉じ込めてしまったようだった。涼音はそんな風景を見ながら、どこか、あの隠者の見せてくれた風景に似ていると思った。あの時も広い丘を眺めたのだが、どこか、別な世界から途切れたような空間だと思ったのだった。あれだけが、異質だと思っていたが。
なんだ、ここにも、あるんだ。
唯一無二の存在なんてないのだ。絶対なんて存在は信じなくてもいい。あの風になびくハイマツやハンノキがあそこにあるのは確かだから。
私は夢で見た存在を疑わなくていい。そして夢で見た存在を恐れなくていい。私たちは知っているのだから。なにより、自然の中で生きていることを私たちの遺伝子は知っているのだ。心は知らなくて恐れても、体の部品は知っているのだ。だから、私たちは恐れなくていいただ、奇跡は稀にしか、稀にしかやってこない
東京に戻る前、半ば気まぐれのように、室蘭に立ち寄った。そこには海洋研究所のドックがあるからだ。大村を知っていたという職員と会うことができたが、その人は自分よりも、大村を良く知っているということで、高島という男を紹介してくれた。高島は、情熱を持っていそうだが、無愛想なひげ面のいかつい男であった。涼音に対して事故に関する件は多くを語りたくなさそうであったが、事故直後からモニタリングの内容、そしておそらく最後の時の事まで詳細に教えてくれた。そして最後に大村が好きだったという場所を教えてくれた。そこは中心街から少し離れた砂浜だった。その小さな砂浜に立ったとしても、大村の姿が見えるわけではなった。砂浜はすぐそこにあったのだが、道路から乗り越えるのが、少し大変だった。相変わらずおかしな場所が好きだなあ、と思いながら、ガードレールをまたいで歩いたが、仕方なく、降りようと試みたが、結局1mくらい、落ちてしまった。
いたた、と思いながら涼音は立ち上がった。いい天気の空に砂浜が白い。道路からも隔離され、人に触れていない土地に見えた。驚きは一歩踏みだすことにあった。
最初は耳鳴りかと思ったが、ちがう。確かにきゅっと足がなる。
それは、鳴き砂であった。
その感触は、足と耳に快かった。いつまでも歩き続けていたかった。でも人目につかないようにこっそり、歩いた。きっと、さっきの高島氏も、大村もこの場所を大事にしただろう。そう思える場所だった。
しばらく歩いて一休みして、落ち着きを取り戻して、涼音は何も考えずに、そこに立ち尽くした。何かに導かれるように、考えるのを止めた。
静かな、砂浜の中で、広がる空間の中に、確かに一人であった。
涼音は、その静けさの中で、きゅっとささやかな音が鳴るのを聞いた。
いつの間にか閉じていた目を開けた
そこには、美しい空と純粋に白い砂浜が広がっていた。
しかし、そのかすかななき砂の音は間違いなく彼は聞いていたはずだ。時間を越えてすれ違うことなんて、あるはずはない。それは奇跡ではなくて、ただの無理な期待だ。
でもすれ違うことはできないが、確かに、そこに、彼はいて、今私はここにいる。それは確かな事実。制約しているのは時間だけだ。私は確かに彼とこの場を共有しているのだから。いない人と、そんな共有ができるとは、奇跡だ。そして代え難い幸せだと、思った。あなたの存在が私に重なる、そしてそれは無二の暖かさを感じることができる。私は今、かれに素直にありがとうといいたい。あなたの存在に。あなたがいたという事実に。
涼音の中で、心の中でしずくが落ちた。そのしずくは荒れた大気を、様々なデブリを、チリを、取り入れて落ちていった。そして残ったのは、周りの青空に映える明るく柔らい残り香のような真昼の月
続く