第11章 崩壊
涼音は、目を覚ました。不思議な夢だったな。いろいろ夢の中で議論したが、あまり鮮明には覚えていない。でも公の心の話は覚えているな。先生を思い出しちゃったな。
窓の外が明るい。春の温かい光がカーテン越しにも分かる。涼音は、やはり昨日帰ったままの姿で寝ていたことに、気がついた。お酒のにおいがする。涼音は、何んとなく、何かを感じてベッドの横に目を動かした。そこには目覚まし時計があるはずなのだが、なかった。あら、どこに置いたかしら、手をベッドの下に入れて探すと、時計があった。5月12日、13時35分。気温20℃。過ごしやすいのは、この低めな気温のせいか。
私は脳を無理やり現実に戻るためにPDA電源を入れた。光は頭をはっきりさせてくれる。至近のスケジュ―ルをぼんやりと見つめた。今日は、2111年5月12日。仕事に行かなければならない。今日は学生相手の講義だけだが、明日は朝から東北地方に移動しなければならない。東北のある地方の新型の地下揚水発電に関する、人工貯水池周辺の地すべりに関する評価委員会の見学会で、朝早くの新幹線に乗らなければならない。
この委員会には、あのT大学の神成教授も来るのだ。また絡まれなければいいが。あの人はあの人なりに信念を持って仕事をしているのだ。それはそれで素晴らしい。ただ私はそんな信念はない。本音を言えば、月の地形の研究がしたいのだ。真っ白なあの月の地形を、読み取りたい。地形はその星の歴史の全てを現している。地球もそうだ。人間により土地の改変や改造がある。しかしそれもその星の歴史以外の何者でもない。良かろうと、悪かろうと、地形はその星の生きてきた証なのだ。もちろん月も然りである。 私は誰にもまだ解明されていない、月の歴史を見ていきたい。
そんな浮ついた私と神成教授では、情熱が違って当然なのだが、まわりもうすうすそれを感じているのだろう。だから神谷先生もあんな心配をしていたのだ。
そろそろ、私は皆に影響を与えすぎないように、この世界から身を引いてもいい。
私は、そこはかとない、不安を感じた。こんなに不安を感じるのはあまりないが、その原因はやはり、明日の神成教授との見学なのだろうか。それだけではないような気もするが。他に目立った原因はないはずだ。
翌日、水蒸気をいっぱい含んだ大気が仙台駅に降りる私を出迎えた。
東京は晴れていたが、こっちは相当雨が降ったらしい。
「こんにちは、湯方先生!」
先にバスに乗ってシートベルトをカチリとはめたときに、声をかけてきたのは、出浦という人物で、人懐っこい笑顔で話しかけて、前の席にこちらを向いて座った。この人は委員会の事務局でかつ東北在中の電力系建設コンサルタント会社の技術者で今回の見学会の世話役である。
「昨日まで、雨が相当降ったと聞きましたけど。大丈夫?」
「ええ。幸いにも今モニタリング中の場所は、大きな動きはありませんよ。あれ、今にっこりされました?」
私は本当にニコリともしていない。
「してませんよ!もう、変なこと言わないでくださいよ。神成教授に聞かれたら、またうるさいんだから。」
しかし、もう遅かった。
「ニコリだって、聞き捨てならんな」
振り向くと、神成教授がいた。ずっと後ろにいたのにわざわざ私を見つけて席を移動してきたのだ。
「そういう了見では、見えるものも見えなくなるぞ。机上の論理やバーチャルモデルでいくら、つじつまが合っても、現場じゃそうはいかん。」
またいやなところを見られてしまった。気は進まないが、今日は少し持ち上げておいた方がいいかもしれない。今日は一緒に視察する人も多い。怒らせるのはやめておこう。スマイルスマイル。
「神成教授。おはようございます。そんなつもりではありません。ただ極めて初生的な動きであり、全体的かつ大規模な活動がすぐに発生する可能性は少ないと思ったのです。実際計測機器導入には賛成していますし。監視はすべきでしょうね」
「動くのはこれからだろう。昨日までは結構雨が降っていたみたいだし、地下水位は上昇しているだろう。今地震でゆすられたらズドンだよ。そうすれば、君のイメージングも面目丸つぶれだな。いままでの論文を撤回しておいた方がいいんじゃないのか?ははは。」
神成は笑って立ち去ろうとした。私は自分の成果が認められないのはいいとしても、客観的根拠なしで否定されるのは気に入らなかった。
「地震の外的要因は別の話ですよ。経験による思い込みでは動かないと思いますね」
しまった。神成がギロリと目をむいた。
そこに、江崎氏という防災研究所の研究者が割って入ってくれた。江崎氏は研究者でも物腰柔らかであり、これから行く地元からも支持されていると言われている温厚な研究者である。
「まあまあ。そのあたりは一度見学をした後にディスカッションしましょう。初生的なのか、活動中なのかは、明日、最新の透過型地形探査レーダー計測の変動ベクトル解析結果も見てもらえますし、そこで議論していただきましょう。結構面白いですよ」
「あ、電力系会社さんで共同開発した噂の計測機ですね。へえ!それはいいですね」
周りの人間の興味もそちらの話題に切り替わった。涼音と神成は少しにらみ合った後、目をそらした。
その後、視察は厳しいスケジュールの中淡々と進んだ。食事もバスの中でとる厳しいスケジュールの中、なんとか全ての見学箇所を見終わり、あとは仙台駅へ戻るだけであった。その最後の地点で皆がバスに乗り込んで、出発準備が整ったのだが、バスが出発しない。
「おおい、どうしたんだ?帰りの電車に間に合わんぞ!オレは指定席を取ってあるんだ。どうしてくれる。」
後ろで神成教授が大きい声を出している。
「あらあら、自由席で帰ればいいじゃないの、ねえ。」
私は前に座っていた江崎にささやいた。
「まあまあ、しかし今回は無事に終わってよかったですよ。湯方VS神成のバトルもなくてよかったです。」
「あれ、そんなに迷惑かけてます?心外だなあ。」
そういいながら、江崎が妙な顔をした。
「あれ、揺れてませんか?」
「え?バスがですか?あれ、そういえば」
妙な揺れだ、橋の上でもないのに、そう思った瞬間、ズドンとバスが揺すられた。いや違う、真上に跳ね上げられた。
「わわわわわ」
「地震!これはでかいぞ。」
その瞬間二度目の衝撃が来た。これは着地だ。一体何秒飛び上がったのか。その衝撃は尋常でなく、そしてすぐにバウンドした。それも今度は横にもゆすられた。バスの中はパニックどころでなかった。涼音は、衝撃に驚く中、窓の外を見た。山側にはのっぺりと広がった地形。おそらく古い火山によってできた火砕流や火山灰の堆積した層だ。これは何度も変動ベクトル解析図で見たが、いわゆる地すべり地形ではない。しかし、バスがぐわんぐわんと揺れる。もう衝撃なんてものでなく、猛烈に揺れている。誰かの叫び声がきこえる。
落ち着こう!と声を出そうと瞬間だった。
涼音の目線が窓の外に引き寄せられた。はるか、かなたに、緑色の森が真横に口が裂けるように開いてむき出しの褐色の地山がぱっくり見えた。乗っているバスがふっとそこの抜けたような、重さのなくなったような気がした。その瞬間で、私の目の前はすぐに真っ暗になった。
朦朧とした中、誰かが、何か、話しかけてくる。
― 湯方先生?こんなところで寝てたら風邪ひきますよ
― もううるさい。話しかけるのは、大村君?あれ?いや彼はもういないのに。
― あ、痛い。ちょっと、誰が腕をひねってるの?そこは古傷なんだから。ばかあ!
はっ!私は目を覚ました。
すぐ締め付けられる痛みに襲われる。ぐうっ、苦しい。私は椅子から転がり落ちそうになりながら、右腕とおなか付近をシ―トベルトに締め付けられて挟まれていた。
「痛たたた・・・」
さすがに声が出る、そおっとやらないと折れるかもしれない。
私は体をねじって、ほとんどさかさまの状態から、かろうじてシートベルトをはずすと、体自体がバスの通路に落ちてしこたま頭を打った
「うぐ・・・、いた・・・。ああ、もう。」
そうだ、なにか地面が揺れて、バスが転がったんだった。
それって、なんだっけ?私は、地すべりにまともに巻き込まれたことを思い出し、身を起こした。あの揺れは地震によるものなのか、それとも地すべりによる振動なのか?そうだ、地すべりじゃない。地震だ。
それより、他のみんなはどうなったのか確認しなくてはならない、と思いなおした。真後ろに座っていた大学の学生がいなかった。私はどこかに飛ばされたのかと思い、回りを見回そうとして、外に目が言った瞬間、釘づけになった。
バスから見える周りの風景は、呆然とするほど変わっていた。木々と草原に囲まれた地形はズタズタに寸断されていた。道路も、数メ―トルごとに亀裂や裂け目がある。
これは、ひどい。助かったのは奇跡だ。
しかし、私はとりあえずバスの中を見回した。けが人救助のが先だ。学生はすぐ見つかったが、シートベルトをしていなかったようで、あちこち打撲した状態でバスの一番前にいた。何度か声をかけているうち、幸い意識を回復したが目がうつろであり、危険な状態だった。見たところ出血は無いようだが、内臓を挫傷しているかもしれない。他にも何人か意識をすぐ取り戻した。世話人であった出浦は、バスの前に立っていたためか、バスの中には見当たらなかった。一体どうなったのだろう、私は青ざめる考えを頭を振って飛ばした。実際バスの前面のガラスも全て割れているが、バスの中のガラス破片はほんの少しだ。ガラスの破片は一体どこに言ったのだ。さらに良く見るとバスは道路には居なかった。何回転、転がったのか、見当もつかない。立っていた人や前の方に座っていて、シートベルトをしていない人は投げ出されたのだろう。探しに行きたいが、今のけが人の確認が優先だった。
バスの中のけが人を外に運び出すのが終わると、涼音は、バスの外に出てみて、周りを見て驚愕した。目の前には天変地異としかいえない光景が広がっていた。さっきまで美しい森の中を運転していたのが、見渡す限り、むき出しの岩石が崖を多数形成しているのが見えた。広い丘の上を走っていたのに、いつの間にか崖に、それも目線の高さより下に崖があるのだ。
涼音は、自分の現在位置が良くわからなかった。一瞬どこにいるのかわからない。涼音は、目を閉じた。
― 落ち着こう。そう2回自分に言い聞かせる。そして目を開く。
やはり大地はズタズタに切り裂かれていた。右もズタズタだった。左もズタズタに切り裂かれてむき出しの白茶けた色の岩石。すごい。でき立てホヤホヤの滑落崖だ。
滑落崖とは地すべりでできた崖の事。様々な地質情報が載せられている。露頭とも言う。落ち着け。そうだ、ダドリー先生は、構造地質学の授業で言っていた。
― どんなに簡単な露頭でも、必ず3回は見直せ。そうすれば、隠されたものが見えてくる。
ダドリー先生…。そこでやっと涼音の脳が働き始めた。あの白茶けた岩石は、溶結凝灰岩だろうか。その下には凝灰岩か。凝灰岩の方が岩石としては柔らかい。もしかすると私たちはその上の溶結凝灰岩のキャップの上に乗っていて、地震によってゆすられた凝灰岩の地すべり、山体崩壊に巻き込まれたに違いない。涼音は、改めて遠くを見ると、森は無く、崖の上に少しずつ残って、それも無残に倒れ掛かっている。
時間の感覚はあまりなかったが、皆が少しずつ落ち着きつつあることで、経過した時間を共有することができた。涼音や江崎ら、何とか動ける人間で、状況把握を行った。まとめると、バスに乗ったのは20人、そのうち無傷の者はなし。ただし危険な状態にあるのが、バスの運転手と私の学生を含めた3名で、意識が朦朧としていた。骨折など動けないが、命に別状がなさそうなものが9名。私を含めて軽症で動けそうなのが5名だった。あと地震の発生直前にバスの最前部で立っていた世話役の出浦氏を含めて、行方が分からないのが3名もいた。この手の委員会にありがちで、若い人が少ないというのも、今後のことを考えると痛かった。
「シートベルトをしていた人は運が良かったですね」
「他の人は、投げ出されたのかな?」
「とりあえず、少し周りを探してみよう」
その結果5人のうち1名の神成教授は崖下で見つかった。骨折していたが命は別状なさそうだ。しかし後の2人は遺体で見つかった。私たちは、元気なもので集まり今後について相談していた。とりあえず火や水を確保したり、資材などを選び出して、一息ついた。
「ねえ、あのT地区の地すべり、どうなったかな」
「あ…。しかしここからでは見えないですね。」
「宮城県の人、だれだっけ、あの人近くにいる?」
「江崎さんですね。僕は見ていませんが、大丈夫かな?探してきましょうか。」
「いや、いいわ。あなたはけが人の手当てを」
私はしゃがんだり座ったりしている人たちに声をかけながら、江崎氏を探した。怪我はしているが元気なようだ。やせ気味の長身をバスにもたれさせて、自らの腕を縛ろうとしているその人を見つけた。出血でもあるのだろうか。私は江崎に近づいて行った。
「やりましょうか、江崎さん」
「おお、湯方さんか。無事でよかった。ありがとうございます。骨は折れてないようなのですが、ぱっくり裂けちまって、結構痛いんですよね。まあ、この手の裂傷は直ぐにしっかりくっつけることらしいから、固く縛っておけば、何とかなると思うのだが。」
涼音もその話は知っていたが、それは直ぐに医者に見せることができる場合だろう。しかしそれを口に出すのはやめておいた。
「とりあえず、縛るのを手伝います。でもこの腕じゃ、ちょっとだめか」
江崎氏は怪訝な顔をした。
「なんの話です、なにがだめなんですか。縛りさえすれば、やれる範囲の手伝いはしますよ。この事態だ」
「いや、そうじゃないんです」
涼音は、手短に、先ほどまでいたT地点の地すべり観測が気になっている話をした。
「そうだな。私も気になるのですが、どうしようもないな思っていたのです。PDAがつながれば、情報は流れてくるのですが。ぱったり情報が無い。送信機が地震で壊れたかもしれないので、ちょっと心配です。」
「送信機も受信機もソーラー電源でしょう?衛星まで壊れたとは思えないから。まさか地すべりが発生して、発信機と基地局が全滅ってことはないよね」
「まさか」
涼音は、自分が口にしたことだが、その結果を考えると青ざめる。江崎氏も同様の恐れを感じたらしい。彼はブルっと身震いした。
「いや。そんな青ざめること言わないでください。送信機は地すべり分布域以外の不動点にも設置していますから、もし地すべりが派生したのなら、不動点だけでもデータは送ってくるはずですよ。きっと故障ですよ。でも見に行くか。ここからなら1時間歩けば戻れますからね。ただ、元気な人が何人か居ればなあ。けが人を置いて行くわけにも行かない。」
「そうですね。そもそも江崎さんもその腕じゃ、無理ですよ」
「いや、私は絶対行かないと。一応担当者ですから。気になりますよ。先生だって腕痛そうですけど」
「腕は折れてないから大丈夫。ほら、もともとこんなに回るのよ。古傷だからね」
結局、江崎と涼音は、他のメンバーとも相談して、涼音と江崎、それに最も無傷に近いT大の神成教授の弟子である学生1名と、つい30分前に出発したT地区の地すべりを見に行くことにした。
三人は、歩き始めてすぐに、地震の破壊の大きさを思い知らされることになった。
数分歩いたところで道路はすぐにズタズタとなっていた。アスファルトは数メ―トルの間に起伏したり落ち込んだり、まるで壊れたアコーディオンのようにうねっていた。そして、いたるところに亀裂が入っている。道路が全く遠慮なく野放図状態となっている。これはとても人や物が歩くものではなく、三人は手をついたりよじ登ったりして一つ一つ超えるしかなかった。
「そっちは危ないですよ」
江崎に言われたが、涼音は亀裂を覗き込んだ。アスファルトが1mほどパックリ開いていて、その深さは5m以上あるだろうか。岩盤がむきだしになっている。
「ここの地盤は溶結凝灰岩ですね。でもズタズタだ。私たちのバスは、この岩石の上にいたから助かったのかも」
神成の弟子である藤岡という学生がうなづいた。
「そうですね。ここが凝灰岩だったらバラバラに粉砕されて僕らは生きていなかったかもしれない。」
「まだ、運が良かったのか。しかしあの村の周辺は凝灰岩ですよ」
「うん。震源の位置とか深さとか、水位の関係とか一概には言えないけど、心配ね」
「しかし、道路がこの状態で、たどり着けますかね・・・」
「藤岡君。あなたが一番若いんだから。頼りにしてるからね。しっかりしないと、神成教授あとで怒られるよ。」
「はあ」
そういったものの、亀裂を乗り越えながら進むには相当の厳しさであった。道路よりも山中を歩く方が良いかと思ったが、地割れがそこら中にあった。藤岡がうめくように言う。
「すごい地割れだ」
なだらかだったはずの山中には、ついさっき開いた割れ目があり、岩盤が生々しくむき出されていた。渡れる場所を探したりしなければならず、思いのほか時間がかかった。
江崎が涼音にささやく。
「困りましたね、これじゃあ、1キロ進むのに2時間かかりますよ」
「ええ。到達するだけでも危ういかもしれない。」
「ビバークするわけにはいきませんから、どこかでめどを立てないと。」
「ええ・・・。」
涼音としては、是が非でも到達したかったが、残してきているものもいる。勝手なことはできない。
そんなことを考えているとき、先行している藤岡が叫んだ。
「あっ、あれ見てください!」
指差した方角を見ると、数メ―トルのクレバスのような割れ目があった。底に車の後ろの一部が見える。まともに割れ目に突っ込んでいた。車はぐしゃぐしゃにつぶれていた。私の記憶ではこの車は覚えていない、どこからか飛んできたのか。考えるに恐ろしい。
「これじゃあ、絶対生きてないな。どうする?」
「一応、見てきましょうか。」
藤岡が、恐る恐るがけ下に下りる。私たちはロープで彼の体を確保した。
彼は恐る恐る車の中をのぞいた
「うわうわああ」
彼は驚いて後ずさりうろたえた。
「どうしたあ」
江崎が大声で聞く。
「だめだ、絶対死んでますよ。引っ張り上げてください」
藤岡は、よっぽど酷いものを見たようで、上がってきたとき、その顔は、真っ青だった。
あと少しであの集落が見えるかな、と思えるところまで近づくのにそれから1時間ほどかかってしまっていた。いつまでも時間がかかれば夜になってしまう。三人の心には焦りが生じつつあった。
「そうですね。もう少し行ったところのカ―ブからは眺めが良かった気がします。地形的にも」
そういって藤岡は、PDAを取り出して場所の確認をしようとした。
「あれ、ネットワークにつながらないな。」
涼音は、ちょっとあきれた。この事態の中で電話がつながると思ってるのだろうか。おかしいとも思わずにPDAを操作している院生に向かって、ため息混じりにいった。
「はあ、そりゃそうよ。この状態でアンテナが立つと思ってるの?」
「あ、そうか。PDAは使えないか」
「地形図は紙で持ってきていないの?」
「ええ。雨になったらぬれますし、使い勝手良くないと思いまして」
「それじゃあ、だめでしょう。地形を見るなら、大きな目で見ることも必要にんるんだから。PDAや端末じゃあ限界もあるんだから。最低限のものは持ってこないと」
「そうでした、すみません」
「ほら、地形図持ってきたから。電子機器に頼ってると痛い目を見るよ?神成教授の弟子の割には、そういうことをやってるのね」
「すみません」
藤岡は肩を落として謝った。江崎がそこに割って入った。
「まあまあ。やはり印刷物は必要ですけど、モニタで簡単に把握できる端末も便利ですよ。僕らだって衛星回線を使って管理するシステムを推奨してますから。しかしこうなるとやはり紙媒体も必要ですよ。反省だな」
江崎は辺りを見回してそういった。涼音も、気勢をそがれて、それ以上言うのはやめた。確かにこれ以上、お小言をいっても仕方がない。
「湯方先生、すみません、神成教授が居ても同じように怒られたと思います。気をつけます」
「もういいよ。先を急ぎましょう」
「そうですね、余震も怖いですし」
三人はそのあと何箇所も亀裂を超えたり、道路の陥没を迂回したりして、少しずつT地点に近づいていった。
「この地形図の精度はわからないけど、もう少し行けば、見えるかもしれない。木々が邪魔しないといいけど」
「無事だといいんだが。」
涼音、は不安感いっぱいで、道を歩いてそのカーブに向かった。三人共に、心中穏やかでなく、自然と小走りのようになりカーブに向かって進み、そこにたどり着いた。
え?皆が一瞬で凍りついた。
集落はなかった。私は思わず地形図をもう一度見直した。
やはり村がない。カーブを間違えたことは、きっとない。
「た、大変だ」
藤岡が声を絞るように行った。
「全滅だ。きっと、2059年の台湾の巨大崩壊に匹敵する規模だ」
村の背面は高さ700mほどまで、比較緩急勾配の斜面が続いており、普通なら緑色で覆われている。しかし中腹から完全に岩石と土でがむき出されていた。その幅は末広がりで、村のあった方向に向かっていた。末広がりなので。末端部が一番広いはずであるが、その幅は、2kmほど有りそうだった。その中には百世帯ほどの集落であったが、跡形のなく消えて、真茶色の川の中に流れ込んでいた。さっきまであそこにいたのに、と学生が、力なくつぶやいた。
涼音も肯いて言った。
「そうだね。動かないなんて大ウソだったな。深層崩壊か。いや山体崩壊だね。でもあれを予想できたかなと思うと、できなかったな。まだ未熟だよね」
「そんなこと言ってる場合じゃないですよ!」
藤岡がいきり立った。
「そんな分類なんてどうでもいいじゃないですか。早く助けに行きましょう。今行けば一人でも助けられるかもしれないじゃないですか。行きましょうよ、湯方先生。先生にも責任があるでしょう。」
学生は私を掴んで引っ張った。私は力が入らず、彼に引っ張られる。そこへ江崎が割り込んで言った。
「まて!僕ら三人がいってもどうにもならんよ。それにもうすぐ日が暮れる。あそこへ行っても何もできない。僕らには、まだバスで待っている人が居るんだ。そこへ戻らないといけない。わかるだろ。それより、よく見ておくんだ。あれがどうして発生したのか。僕らは予想していた範囲との関係はどうだったか。そしてどうすればあれが今後起こる場所を限定できるか、だ。それを目に焼き付けてよく考えよう。今見ているのは僕らだけだ。それは将来無駄にならん。」
「無力だ。僕たちは無力すぎる。」
藤岡はがっくりとその場に座り込んだ。涼音も江崎もその気持ちは十分分かった。江崎は藤岡の肩に手を置いた。涼音たちはできるだけ近づいて写真などを撮り、とりあえず来た道を戻った。バスに残されたメンバーも心配だった。なにせこの3名が、事故にあったうち、もっとも元気だったのであり、残されたメンバーだけでけが人の面倒を見れるかどうか疑問だったからだ。それに救助が来るのかも分からない。重症なものもいるのだ。
すっかり落ち込んだ藤岡を先頭に私たちはとぼとぼと来た道を戻った。帰りは少しは楽かと思ったが、やはり割れ目を越え、がけをよじり、大変であった。涼音は道というものがこれほどありがたいものだったのかと、痛感した。しかし、はあはあ言いながらも、涼音は、あの悲惨な深層崩壊地が頭から離れなかった。あの村ごと、飲まれてしまった人たちはいったいどうしたのだろう。本当に探しに行かなくていいのだろうか。
そんな私に気がついたのか、江崎は、誰にともなく、話しかけてきた。
「帰ったら、けが人の様子を見ましょう。神成先生の様子も気になる、なあ藤岡君。」
「そうですね」
藤岡は、さすがに元気がない。涼音は、今後のことを考えないといけないと思った。まずは、残った皆が無事に町へ戻ることだろう。
「ねえ、江崎さん、こちらから応援を呼ぶとしたらどのル―トがもっとも街へ下りやすいのかな」
「そうですね。どこから行っても遠いですよ。実は一番近い集落はさっきの村だと思いますしね」
「そうか。重症の人だけでもタンカなり、おんぶするなり、おろさないと」
「そうですね。どうしようかな」
「いいわ。どのル―トを降りるかは、江崎さんに任せますから、私と藤岡君でタンカか背中におんぶできる背負子を作りましょう」
涼音はそう言ったものの、大村君ならともかく、私にそんなことが出来るだろうか、と思った。こんなとき彼なら、ワンゲルにいたころの知恵を生かして、何か作ってくれるだろう。彼はどうして私から離れてしまったのだろう。彼をもっと大事にしてあげればよかった。もっとも研究者としての使命が原因であれば引き留めるわけにはいかない。でも、彼は自分を慕ってくれていた。自分の記憶が間違えていないなら、彼は私を好きだといってくれたのだ。それなら、彼を引き止める方法が、あったのかもしれない。
涼音はバスに戻ると、あることを思いだして、自分が持ってきたザックを探した。あの転がり落ちる中で残っている可能性は小さいが。
しばらくすると、いすの下にザックが見つかった。KARRIMOR hotspot35と書いてあるその青いザックは、大村君が私に買ってきてくれたものだ。それまで私は生協で購入したカーキ色の調査バッグを持っていたのだが。いい物を持っていても損はしないということで、買って来てくれたのだった。涼音は、あまり意識はしていなかったが、このザックをもらったとき確かこんな事を言っていた。
― 万一遭難することもあるかもしれません、いや大それたものでなくても、露頭で怪我をして動けないこともあるかもしれない。このザックには一番底に隠しポケットがあります。ここに役に立つものを入れておきます。まあすぐ忘れるでしょうけど、ここに何かあることだけは。覚えておいてください。使わなければそれに越したことはありません。
それは、すぐに見つかった。中には、スイス製のミニ五徳ナイフ、100年クラッカー、水でも飲めるスープとジュースの素3つずつ、それに痛み止めの入った救急セット、圧縮した袋に、着火剤とコップ、高密度圧縮ロープ10m、それに緊急時の対処方法やロープの結び方などが書いてある冊子が入っていた。ちゃんと密封袋に入っていた。涼音は、知らずに彼の庇護の元、いろいろな調査をしていたのだと痛感した。
大村が残してくれた、わずかな食事とサバイバル本は、孤立していつ救助されるか分からない涼音たちを勇気付けた。神成教授にして、その圧縮クラッカーをほおばりながら、彼は命の恩人だと言わしめた。なにせ応急手当もちゃんとした方法を知っているといないのでは、けが人の痛みの雲泥の差があった。明らかに骨折している神成教授の顔にも少し余裕が出たようだった。
江崎は、涼音の近くに座っていたが、そういえば、と言って素朴な疑問を口にした。
「その大村さんはどうしたのです?今日は来てないようですが。」
「ええ。彼は、今年深海研に行ったのですよ。うちは止めてしまいました。」
「え!?それは知らなかったな。彼にしては長続きしているので、ずっと北陸にいるつもりだと思っていましたが・・・。」
それを聞いていた、神成はクラッカーをほお張りながら、それ見ろ、と言わないばかりに口を挟んだ。
「大方、あきれ果てたんだろう。上司を選んだってことだよ。彼は見込みがあったのにな」
他のものは無言だったが、江崎が、ふう、と一息つきながら神成に向かって言った。
「神成さん、そんなこと言っていいのですか。帯広の学会ではずいぶんいじめてたじゃないですか」
「江崎君、それは違うよ。指導教官が悪いのを認識してもらって、やめたらウチで手伝ってもらおうと思っていたんだ。実際、愛想をつかされたようだが」
「神成先生!」
誰かがたしなめた。
涼音の頬に涙が伝っていた。涼音はすぐそれに気づいて、あわてて頬をぬぐった。
「神成さんの言うとおりです。私が、いたりませんでした。村も救えませんでしたし。」
その場の微妙な雰囲気にいたたまれないが、誰も口を利けなかったが、江崎が、まあまあ、と落ち着いた口調で話し始めた。
「確かに大村君が居れば相当助かりましたね。でも、僕は逆にこの場に居なくて良かったような気がしますよ。それでも彼は彼らしいやり方で私たちを救ってくれたじゃないですか。それでも十分感謝しないといけないですよ。で、その指導教官は、湯方さんなのだからね。神成さんは、湯方さんに感謝するというのが筋でしょうね。さあ救助が来るまでがんばりましょうや」
一晩過ごした翌日の午後にヘリコプタが来て、涼音たちは救助された。とはいうものの、20人弱の人間を運ぶのは一度では無理で、ほとんど無傷の涼音と、T大の藤岡、江崎ら3人は、もう一晩ここで過ごすことになった。テントや食料も支給されて一日前に比べれば天国だった。私たちは焚き火を囲んだ。
「まだ余震もあるし、ひやひやですね。今深度5くらいが来たらもうひと揺れしますよ。
「これ、地中でも発見できる最新型の超低周波GNSSですよね。こんなもので、埋もれてからすぐ分かるのでしょうかね。」
救急隊はラジオや携帯型衛星テレビを置いていってくれた。これだけの機器があればもう寂しくはない。なんとなく文明と結びついているような安心感があった。
「江崎さん、湯方さん、ラジオ、ちょっと消してもいいですか」
「うん、いいけど?」
藤岡は、ラジオを切った。静寂が辺りを包む。
「うん、静かなのもいいな。あ、星が出てる。あれ、あっちの明るいのは、あの村の方だな。救助活動してるんだよ。」
「くそっ、僕も行きたいな。」
藤岡は、悔しそうに言った。それに江崎が答えた。
「そうだな。僕も同じ気持ちだよ。僕の現場でもあるからね。でもそれは、一旦帰ってから、万全の準備をしていかなければならない。これからですよ。大変なのは。帰っても、しばらくはゆっくり暖かいお風呂に入ってのんびりすることは出来ない。」
藤岡はそれを聞いて、意を決したようだった。涼音のほうを振り向いていった。
「あの、湯方先生、すみませんでした。村が崩れているのを見たとき、失礼なことを言いました。それに神成教授の発言も、すみません。ひどい人です。あんなこと言わなくていいのに」
涼音は、自分向けられているのを上の空のように聞いていた。
「湯方、さん」
江崎が、湯方の肩をぽんと叩いた。彼の優しい“ぽん”は私の心を少し前向きにしてくれる。
「んん?聞いてますよ。大丈夫。大丈夫ですよ。ホントのことだし。えっと、あの崩壊も、大村君が出てったのも。」
「そんなことないですよ。」
藤岡はそう言ったが、それで慰められるとはお互いに思っていなかった。その時、江崎が急に立ち上がって叫んだ。
「そうだ、そんなことないぞ!」
江崎は向いた方向は、押し潰された村の方へ向かって叫んだ。
しかし涼音は、困った。笑えばいいのか、悲しめばいいのか。でもうれしい気持ちもあった。こんなときでも味方の人が居るのは、幸せなことだ。
「ありがとうございます」
「よし、実はさっき救急隊の人が差し入れてくれたんだ。これ」
「わ、ビールですか。うれしいなあ」
「どういう意図か、分からないんだが。無駄にたくさんあるんだよな。全部呑むと大変だぞ」
藤岡は無邪気に笑った。江崎が私に差し出す。
「湯方さん、お疲れ様でした。まだ何も済んでいませんが、僕らだけならいいでしょう」
「いや、何もやってないし。私はさすがに、お酒は・・・。」
「そんなことない。今朝一番に村のことは正確に伝えられたし、僕らがやれることはやりましたよ。いいんです。誰も見てません。これ飲んで明日頑張りましょう」
江崎はわざわざビールをアルマイトのコップに入れてくれた。
「こうしたほうが、そのまま飲むより、うまいんです」
その夜。涼音は、たった一杯のビールで、眠りに落ちた。
ふと私は目覚めた、話し声が聞こえた。でも私は睡魔に襲われた。
「大村君ってのは、僕の大学の後輩でね、あちこちうろうろしてるタイプだったんだ。絶対3年以上同じ場所にいねえ!って宣言してたんだよ。まあ変な思想じゃなくて、それだけいろいろ見たかったんだと思うんだ。・・・そのあいつが・・・これは奇跡だよ・・・きっと湯方さんに・・・たんだ。間違いない。」
「じゃ~あ、なんで去ったんですか。」
藤岡はもうヘロヘロらしい。
「まだ、湯方さんに勝てないと思ったんじゃないのかな。彼、結構負けず嫌いだし。」
― 僕は神成さんが、もう嫌になった。逆に湯方さんのところにいきたいです。
― よくがんばってますよ、あの神成さんがへこむくらいだから。僕は、関東大地震論争をやった大森房吉・今村明恒を思い出すんだ。二人ともとことん・・・いいんだ。この二人がまともに戦えば、きっとこの・・・・、災害を予想・・・第一歩・・・しれない。片や発想の豊かさ、かたや頑固な理論派・・・」
涼音は今日、この地すべり土塊の上で、野宿で屋根もない、布団もない、中で、でも星空と信頼していい人たちで、これで安心して寝られないはずはなかった。今日はきっと夢を見ない。私は安心して眠りに落ちればいい。
翌朝。ヘリコプタ―とともに3人はふもとへ下った。途中の崩壊のすさまじざは、江崎をして写真を撮るのを忘れるほどだった。涼音は自分が何をすべきか、きちんと考える段階にきたと思った。
続く




