STORY6 白衣のシミ
以前蘭華が部屋を片付けたおかげで、大分スッキリしていた。
机を移動し、椅子を向かい合わせに並べて勉強をする。
光河の教え方はかなり独特で、不思議と頭に入る特徴がある。
なぜだかよく分からないけど……先生の教え方とはまた違う。
「ちなみに正岡子規は、試験でカンニングしたことがあるんだぜ。これ、豆知識な」
「へ……へぇーっ……知らなかった。あの正岡子規が……」
正岡子規は英語が苦手だったらしく、試験中に隣の席に居た人に答えを教えてもらったらしい。
その後、正岡子規は合格したものの、教えた人は不合格になったそうな。
勿論、教科書に出てくることも教えてくれるけど、案外知られていないような、テストにでなさそうな豆知識も教えてくれる。
「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺……松山や 秋より高き 天守閣……うそ、もう2句も覚えちゃった……」
蘭華はなんと、光河の指導のおかげで、約開始3分程で俳句を覚えてしまったのだ。
「なんでだろう、教科書を閉じても、忘れようとしても忘れられない……」
「よかったじゃん、2句も覚えられて」
光河は相変わらずしれっとしているが、その正体は謎。
それに、光河の指導は不思議で、光河から教えてもらったものは忘れようとしても忘れられない。
まるで、脳がその記憶を離してくれないかのように。
「光河って、一体何者なの?いきなり生徒会長に勝っちゃうし、教え方すごく上手いし」
蘭華は、訝しげに光河を見つめる。
こんなのまるで、見た目は子供、頭脳は大人の某アニメの主人公みたいだ。
「何者って言われてもなぁ……俺、普通の中学生だし?」
「普通の中学生が、勉強もせずにあんな天才になれるわけない!何か秘密があるんでしょ?」
蘭華は光河に尋問するが、光河は困った顔をして腕を組んでいるだけ。
「俺、普通にゲームしたりテレビ見たりサッカーしたりしてたんだけどなぁ……」
蘭華はなかなか秘密を吐こうとしない光河にムッとし、部屋をぐるりと見回して物色した。
部屋にはゲーム機のカセットや少年漫画、サッカーボールといった物しかなく、勉強道具が何一つ見つからない。
ただ、蘭華が気になったのは、閉まりきっていないクローゼットから除く、白い布だった。
「光河、あれ何?」
蘭華がクローゼットの向こうを指すと、そこには白衣が落ちていた。
サイズは小さく、今の光河では着られそうなサイズではないため、もう何年も着ていないと思われる。
皺だらけで、薬品の臭いが染み付いている。
「あ……あぁ。あれか――昔、着ていたやつだよ」
光河は椅子から立ち上がり、白衣を拾い上げて畳むと、クローゼットの奥にしまいこんだ。
そしてその後も勉強は続き、日が暮れていった。
「今日はありがとう。明日の国語の小テスト、出来そうな気がする」
「そうか、そりゃー良かったな」
光河はポケットに手を突っ込んだまま、そう言った。
「それじゃ、また」
「おう」
蘭華はドアノブを握って回すと、そのまま出て行く。
「…………」
その姿を、光河は沈鬱な表情で見据えていた――
――翌日。
案の定、クラス中……否、学校中が大騒ぎになっていた。
「おい、聞いたか!?」
「あぁ。Zクラスの転入生が、生徒会長に勝ったんだってよ!」
「生徒会長は後で校内戦で副会長に勝って副会長の座を得たらしい」
いつの間にか、蘭華も知らない新情報も流れている。
どうやらその後、神童寺は副会長を校内戦で倒し、生徒会に返り咲いたようだ。
「おいおい、なんの騒ぎだぁ?」
蘭華より少し遅れて登場したのは、新生徒会長の光河だ。
よくよく見ると、腕に『生徒会長』と印字された青い腕章を身につけている。
生徒会長の権限は得たものの、クラスまではまだ変わらない。
光河が教室に入るなり、ドッと人が集まってくる。
「叶水さん、生徒会長になったの!?」
「あの神童寺会長に勝ったの!?」
光河の席はたちまち人によって埋め尽くされ、光河は身動き出来ない状態に陥る。
色んな人から次々問い詰められ、光河は困り果てている。
「おいおい、何だなんだ?俺座れねーんだけど……」
光河は自分がした事がどれだけすごいか自覚しておらず、ちんぷんかんぷんだ。
その様子を、座れずに立っていた蘭華がため息をついて群衆の遠くから見ていた。
光河が生徒会長に就任してから1週間が経とうとしていた。
「校則の変更をする。全クラス図書室利用可能、Zクラス掃除撤廃!」
「しかし、それは…………っ」
光河の校則改善に文句を言うものはおらず、唯一不満を持つ神童寺も今は副生徒会長なので、生徒会長に逆らうことが出来ない。
色々と校則が改善され、Zクラスの掃除の撤廃や、下クラスでの図書室利用可能など、差別問題を主に改善していっている。
上クラスの優遇は変わらないので不満は無いし、下クラスは差別が緩くなったおかげで現生徒会長、光河に感謝している。
「いやぁ、今の生徒会長、すげぇいいよなぁ」
「あぁ。図書室利用可能になったおかげで、欲しい資料が手に入ったんだ」
下クラス、上クラスからの支持率は、前生徒会長を大幅に上回った。
――帰り間際のホームルーム。
「えー、遂に、3日後に定期テストがあります。このテストで抹殺者とクラス分けが決まる、重要なテストです。皆さん、全力で臨むように」
強面の担任の先生がそう言うと、クラス全員がざわめく。
「遂に3日後、定期テストかぁ……」
「ま、どうせ大幅には上がらないだろうし、せめて抹殺者にならないようにしようぜ」
もう、このクラスの生徒の大半は成績を上げることを諦めていた。
なぜなら、もう自分には見込みがなく、いくら頑張っても成績が上がらないと、自分で自覚してしまっているから。
以前の蘭華もその一人だったが、今は違う。
光河に出会って、教えてもらい、あれから約2週間が経っていた。
蘭華はこの2週間で小テストのできが良くなり、小テストは安定して満点を取ることが出来るほどになっている。
以前は10点中1点でも取れれば良い方という、かなり悲惨な点数だったのに。
今では小テストの満点は勿論のこと、難関問題も出来るようになってきている。
難関問題は教科書の巻末に、S,Aクラス用に作られた問題なのだが、蘭華はS、Aクラス用に作られたとは全く知らないし、他の生徒も説明されていないため、この事は知らない。
全校生徒はただ単に難しい問題としか認識していないのだが、実はS,Aクラスに匹敵する学力だと示す問題でもあった。
「次の定期テスト、きっとEクラスには入れるかも!」
蘭華はそんな事も知らずに、実力よりかなり低い成績を期待している。
難関問題はBクラスの成績優秀者でも解くのがやっとなくらいで、2週間で5教科の難関問題をマスターするのは不可能に限りなく近い。
普通だったらありえないが、光河の指導はとんでもない効果を齎したようだ。
「光河は、多分Sクラスだよね?」
「ん?よく分かんねーけど、俺よりこの学園に詳しいお前がそう言うならそうなんじゃね?」
光河はテストには全く興味がないと言わんばかりにあくびをする。
「はぁ。成績優秀なのに、その頭脳を生かさないなんて勿体ない」
蘭華は羨ましそうに光河を見る。
「俺、別に学問とか興味無いしなー。高校生活って、文化祭やったり、体育祭やったり、青春をエンジョイできるって聞いたから入学したんだけどさぁ」
光河が差し出したのは、40年程前の雑誌だった。
「これ……2010年の雑誌じゃない!」
「俺の家の倉庫にあったんだよなぁ。部活とかあって楽しそうだから入学したけど、皆勉強とかテストばっかでつまんねーじゃん」
どうやら光河は、40年前の学校の雑誌を見て楽しそうだから入学したらしい。
天才なのかアホなのか、蘭華は分からなくなってきた。
「テストまであと3日!全力で勉強して、Eクラスに入ろう!」
放課後、恒例の光河の指導も受けた後、蘭華は自習学習に励んでいる。
成績が向上してきているからといって、勉強を怠ってはいけない。
毎日コツコツ、地道に解いていかなければ――!
「うわぁ、前まで苦手だった数学も、難関問題を全部解けるくらいになった……」
巻末に作られた難関問題を全て解き終わってしまい、蘭華は自分でも驚く。
思い返せば、光河と出会ってからの2週間、人生が180度変わった。
最初の頃、私は抹殺者ギリギリの成績で、落ちこぼれ、底辺だった。
もう、殺されるのを覚悟でテストに挑み、ギリギリ免れた。
けれど、今は難関問題まで解けるし、小テストも満点続き。
自分の能力が、目まぐるしく変わっていく。
「ふぅ、3日しかないんだ。他の教科も頑張らなくちゃ」
蘭華はもう一度強くペンを握り直すと、また問題集を解き始めた。