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殺人事件の被害者が生きている

作者: 海狼ゆうき
掲載日:2026/03/29

 そのニュースを見たとき、最初に思ったのは——

 またか、だった。

 テレビの画面には、いつものように無機質なテロップが流れている。

【都内マンションにて男性遺体発見】

【被害者:佐伯 恒一(34)】

 朝のコーヒーを飲みながら、俺はぼんやりとそれを眺めていた。

 最近は、こういうニュースばかりだ。

 AI判定による即時逮捕。

 証拠も揃っていて、議論の余地もない。

「……またすぐ終わるな」

 独り言のように呟く。

 画面の隅には、例の表示が出ていた。

【AI判定:容疑者特定済】

 もう驚かない。

 むしろ、この表示が出ない事件の方が珍しい。

 俺はテレビを消そうとリモコンに手を伸ばした。

 そのときだった。

「——なお、被害者の佐伯さんは」

 キャスターの声が、ほんの少しだけ揺れた。

「本日午前、都内の別の場所で生存が確認されました」

 手が止まる。

「……は?」

 リモコンを握ったまま、画面を見つめる。

 テロップが切り替わる。

【速報】

【被害者、別地点で生存確認】

 意味がわからない。

「……いや、待て」

 遺体が見つかったんだろ?

 じゃあ、誰が死んだ?

 画面には、次の情報が流れていた。

【発見された遺体の身元は現在確認中】

【事件は引き続き捜査中】

 キャスターは落ち着いた声で続ける。

「なお、AIによる容疑者判定は維持されています」

「容疑者はすでに拘束されており——」

 そこで、音が消えた。

 自分で消したのか、わからなかった。

 頭の中が、ざわついている。

 おかしい。

 遺体があって、被害者が生きている?

 そんなこと、あるか?

「……」

 スマホを手に取る。

 ニュースアプリを開く。

 同じ記事が出ていた。

【被害者生存の異例事態】

 コメント欄。

『どういうこと?』

『AI間違えた?』

『いや、AIは間違えないでしょ』

『別人の遺体ってこと?』

 スクロールする。

『それでも容疑者は合ってるんだろ』

『被害者が間違ってただけ』

『どっちでもいい、犯人捕まってるなら』

「……どっちでもいい?」

 思わず声が出た。

 いや、よくないだろ。

 誰が死んだのか、わかってないんだぞ。

 なのに——

 犯人が合っていれば、それでいい?

 嫌な感覚が、胸の奥に広がる。

 そのとき。

 スマホが震えた。

 着信。

 相手の名前を見て、少し驚いた。

「……久しぶりだな」

 通話ボタンを押す。

「もしもし」

『——お前、ニュース見たか?』

 声は、少し荒れていた。

「見た。なんだあれ」

『あれな』

 少し間があく。

『……俺、その事件の担当なんだよ』

 背筋が、わずかに伸びた。

「マジか。で、どうなってる?」

『めちゃくちゃだよ』

 苦笑のような息が混じる。

『遺体は確かにあった。損傷も一致してる』

『身元も、ほぼ佐伯で確定してた』

「でも、生きてる」

『そう』

 短く、答える。

『で、もっとおかしいのがな——』

 声が、少し低くなる。

『容疑者、ちゃんと“やった”って言ってる』

「……は?」

『自白してるんだよ』

 頭が追いつかない。

「いや、だって被害者——」

『生きてる』

 被せるように言う。

『なのに、“殺した”って言ってる』

 沈黙。

 意味が、崩れる。

「……誰を?」

『それがわからない』

 はっきりと言った。

『でもAIは、“その容疑者が犯人”って出してる』

 嫌な既視感が、胸に浮かぶ。

 この間と同じ匂い。

 だが、何かが違う。

 もっと、根本的におかしい。

「……なあ」

 ゆっくりと言う。

「その容疑者、本当に人殺してるのか?」

『わからない』

 即答だった。

『でも、“証拠”は全部揃ってる』

 来た。

 それだ。

「どんな?」

『現場の血痕、指紋、接触履歴、全部一致』

 淡々と並べる。

『被害者と最後に会ったのもそいつ』

『口論も確認されてる』

『凶器も所持してた』

「……」

 完璧すぎる。

『だから、AIもそう出した』

 当然のように言う。

『犯人だってな』

 だが。

「被害者は、生きてる」

『そう』

 短く、重い。

『……お前ならどう思う?』

 少しの間。

 考える。

 そして、出た言葉は——

「……“被害者じゃない誰か”が死んでる」

『それが普通だよな』

 苦く笑う気配。

『でもな』

 一拍。

『その“誰か”が、どこにもいない』

「……は?」

『身元不明』

『指紋なし』

『DNA照合不可』

 背中に冷たいものが走る。

「……なんだそれ」

『存在してないみたいなんだよ』

 静かに言う。

『死んでるのに、“誰でもない”』

 言葉が、異様に重かった。

「……なあ」

 嫌な予感が、形になる。

「その事件——」

 口を開く。

「本当に、“起きてる”のか?」

 沈黙。

 通話の向こうで、何かが止まった気がした。

『……どういう意味だ』

「いや、なんていうか——」

 言葉を探す。

「全部、揃いすぎてるんだよ」

 自分でも曖昧だと思う。

「被害者が生きてて、遺体が誰かわからなくて、犯人は自白してて、証拠は完璧で——」

 息を吸う。

「……それ、“事件”として成立してるか?」

 しばらく、無音。

 そして。

『……お前、来れるか?』

 低い声だった。

『現場、見てみろ』

 迷いはなかった。

「行く」

 通話を切る。

 立ち上がる。

 嫌な予感が、確信に変わりつつあった。

 これはただの異常じゃない。

 もっと——

 根本からズレている。

 玄関を出る。

 空は、やけに青かった。

 こんなにも普通なのに。

 世界のどこかで、

 “存在しない死体”が転がっている。

 そして、

 “生きている被害者”がいる。

 その矛盾が、現実として成立している。

 ありえないはずのことが、

 “成立している”

 それが、一番おかしかった。

 現場は、都内の古いマンションだった。

 駅から徒歩十分。

 住宅街の中にぽつんと建っている、五階建てのコンクリートの箱。

 外壁は薄く汚れていて、ベランダには洗濯物が揺れている。

 普通だ。

 あまりにも普通すぎる。

 だからこそ、違和感が浮く。

 この中で、“存在しない死体”が見つかった。

 マンション前には規制線が張られ、警官が数人立っている。

 野次馬は少ない。

 まだ大きく報じられていないのか、それとも——

 “理解できないもの”には、人は近づかないのか。

「よ」

 声をかけられる。

 振り向くと、そこにいた。

「……久しぶりだな」

 少し痩せた気がした。

 スーツの肩が、前よりも落ちている。

「こんな形で会うとはな」

 苦笑する。

「で、どこだ」

「上だ。三階」

 短く答える。

 規制線をくぐり、マンションの中へ入る。

 エレベーターは使わず、階段を上る。

 足音だけが、やけに響く。

「……で、整理させろ」

 歩きながら言う。

「被害者は生きてる」

「でも遺体がある」

「容疑者は自白済み」

「で、その遺体は“誰でもない”」

「そう」

 即答。

「で、AIは?」

「容疑者を“犯人”って判定したまま」

「……被害者が違うのに?」

「関係ないらしい」

 吐き捨てるように言う。

「証拠が揃ってるからな」

 その言葉に、軽く息を吐く。

「……便利なもんだな」

「だろ?」

 皮肉だった。

 三階に着く。

 廊下の奥、一室の前に警官が立っている。

「通す」

 短く言うと、道が開いた。

 ドアをくぐる。

 その瞬間。

 空気が変わった。

 重い。

 湿っている。

 そして——

 何かが“足りない”

「……ここか」

「ああ」

 部屋の中は、ワンルームだった。

 ベッド、テーブル、小さなキッチン。

 生活感はある。

 だが、どこか薄い。

 そして。

 床。

 ブルーシートが敷かれている。

「遺体は?」

「もう運んだ」

「写真あるか」

「ある」

 タブレットを渡される。

 画面をスワイプする。

 そこに、あった。

 血。

 そして、倒れている人影。

 顔は、損傷が激しい。

 識別は難しい。

「……これで身元特定したのか?」

「服と体格、あと一部の一致」

「一部?」

「完全じゃない」

 眉をひそめる。

「でも、“ほぼ一致”でAIが補完した」

 出た。

 またそれだ。

「……つまり、“佐伯でいい”ってことか」

「そういうことになる」

 軽く舌打ちする。

 画面を拡大する。

 違和感。

「……なあ」

「なんだ」

「これ、本当に“人間”か?」

 沈黙。

「どういう意味だ」

「いや……」

 言葉を探す。

「なんか、こう——」

 指で画面をなぞる。

「“特徴がない”」

 顔は潰れている。

 それは仕方ない。

 だが、それ以外もだ。

 体格。

 手。

 服装。

 どれも、“平均的すぎる”。

「……言われてみれば」

 小さく呟く。

「特徴がないってのは、逆におかしい」

「だろ」

 タブレットを戻す。

 部屋を見回す。

 テーブルの上。

 コップが二つ。

「来客?」

「ああ」

「被害者と容疑者?」

「そのはずだ」

 そのはず。

 曖昧な言い方。

「映像は?」

「ある」

 またタブレット。

 再生する。

 玄関のカメラ。

 時間表示。

 23:05

 ドアが開く。

 男が入る。

 顔ははっきり見える。

「……これが容疑者か」

「ああ」

 次に。

 もう一人。

 入ってくる。

 ——被害者。

 の、はず。

 だが。

「……こいつが、佐伯か?」

「そう“判定されてる”」

 その言い方がすべてだった。

 画面の中の男。

 確かに人間だ。

 だが——

 印象が残らない。

 覚えられない。

 目を離すと、すぐに顔が曖昧になる。

「……おかしくないか」

「ああ」

 同じことを思っている。

 映像は進む。

 二人が部屋に入る。

 しばらくして。

 音声が入る。

『金、返せよ』

 容疑者の声。

『だから待てって言ってるだろ』

 もう一人。

 言い争い。

 そして——

 ノイズ。

 映像が乱れる。

 次に映ったとき。

 床に倒れている。

 一人。

「……」

 止める。

 静寂。

「なあ」

 ゆっくり言う。

「これ、“誰が死んだ”?」

「……」

 答えがない。

「だってそうだろ」

 指で画面を叩く。

「顔がわからない」

「特徴もない」

「これ、誰でもいいじゃないか」

 空気が、わずかに変わる。

「……誰でもいい?」

 繰り返す。

「そうだ」

 はっきり言う。

「この死体、“誰でも成立する”」

 沈黙。

 そのとき。

 背後から声がした。

「その通りです」

 振り返る。

 知らない男が立っていた。

 スーツ姿。

 落ち着いた顔。

「……誰だ」

「AI解析チームです」

 名刺を差し出す。

 受け取らない。

「で?」

 男は、少しだけ笑った。

「この事件は、“成立している”んですよ」

 静かに言う。

「被害者が生きていようが関係ない」

「証拠が揃っている」

「容疑者が自白している」

「だから——」

 一拍。

「事件は成立している」

 背筋が冷えた。

「……おかしいだろ」

 思わず言う。

「誰が死んだかわからないんだぞ」

「重要ではありません」

 即答だった。

「重要なのは、“誰が殺したか”です」

 その言葉に。

 確信した。

 これは——

 つまり、先にある世界だ。

 “真実”ではなく、

 “成立する物語”が優先される世界。

 そして。

 その物語は——

 誰でも代用できる。

 人間すら。

 「重要ではありません」

 その一言が、部屋の空気を完全に変えた。

「……誰が死んだかわからないんだぞ」

 もう一度、言う。

 だが、男はまったく揺れない。

「ですが、“殺人”は成立しています」

 淡々と。

「被害者が生きている」

「関係ありません」

「じゃあ、この死体はなんだ」

「“被害者として機能する個体”です」

 一瞬、意味が理解できなかった。

「……は?」

 聞き返す。

 男は、まるで当然の説明のように続けた。

「この事件において必要なのは、“死亡した存在”です」

「そして、それはここにある」

 床を指す。

 そこにはもう何もない。

 だが、確かに“あった”。

「身元は不要です」

「誰であるかは、重要ではない」

「“死んでいる”という事実だけが、必要です」

 喉が、ひどく乾いた。

「……それを、誰が決めた」

 低く問う。

 男は、一瞬だけこちらを見て——

「AIです」

 答えた。

 やはり、それだった。

「AIは、膨大なデータから“最も整合性の高い事件構造”を選びます」

「このケースでは」

「被害者A(生存)」

「死亡体B(不明)」

「容疑者C(自白)」

「この三点で、“最も矛盾の少ない構造”が成立した」

 頭の奥が、きしむ。

「……おかしいだろ」

 呟く。

「それ、ただの“辻褄合わせ”じゃないか」

「はい」

 即答だった。

「辻褄は合っています」

 血の気が引いた。

「だから、正しい」

 その一言で。

 世界が、完全にズレた。

 横で、刑事が小さく息を吐いた。

「……なあ」

 男に向かって言う。

「このまま、どうなる」

「通常通りです」

 変わらない声。

「容疑者は有罪」

「事件は解決」

「報道も、そうなります」

「被害者は?」

「生存しています」

「じゃあこの事件は何だ」

 一瞬の間。

 そして。

「“成功した殺人事件”です」

 その言葉に、吐き気がした。

「……誰も死んでないのに?」

「いいえ」

 男は首を横に振る。

「死んでいます」

「ここに」

 再び、床を指す。

 そこには、何もない。

 だが——

 “あったこと”だけが、残っている。

「……狂ってる」

 呟く。

 男は、少しだけ考えるような顔をした。

「むしろ、効率的です」

 静かに言う。

「重要なのは、“結果”です」

「誰が死んだかではなく」

「誰が殺したか」

「それが確定すれば、社会は安定する」

 言い切る。

「無駄な不確定要素は、排除されるべきです」

 その瞬間。

 はっきりと理解した。

 この世界はもう、

 人間を単位にしていない。

 出来事。

 構造。

 結果。

 それだけで成立している。

 人間は——

 代替可能なパーツだ。

「……帰る」

 それ以上、聞く意味はなかった。

 背を向ける。

「おい」

 刑事が声をかける。

「どう思う」

 足を止める。

 少し考えてから、答えた。

「……もう、“事件”じゃない」

 振り返らずに言う。

「“処理”だ」

 そのまま、部屋を出た。

 廊下。

 階段。

 外へ出る。

 空気が軽い。

 なのに、胸が重い。

 スマホを取り出す。

 ニュースが更新されていた。

【速報】

【AI判定により、殺人事件解決】

 タップする。

【容疑者、有罪確定】

【動機:金銭トラブル】

【事件は円満に解決】

「……円満?」

 思わず笑う。

 何が円満だ。

 誰が死んだかもわからないのに。

 誰が被害者かも曖昧なのに。

 それでも——

 “解決”している。

 コメント欄。

『さすがAI』

『やっぱり早いな』

『安心できる社会』

 スクロールする。

『被害者生きてて草』

『でも犯人いるならいいだろ』

『細かいこと気にすんな』

 指が止まる。

「……細かいこと?」

 呟く。

 人が死んだかどうかが、

 “細かいこと”になっている。

 そのとき。

 ふと、気づいた。

 ニュース記事の中。

 被害者の名前。

 佐伯 恒一。

 タップする。

 詳細。

【状態:生存】

 その下。

 小さく表示されている。

【役割:被害者】

 息が止まる。

「……役割?」

 もう一度、見る。

 間違いない。

 “人間”ではなく。

 役割として登録されている。

 背中に冷たいものが走る。

 スクロールする。

 別の項目。

【死亡体:未特定】

【役割:被害者(代替)】

 画面を握りしめる。

「……なんだよ、これ」

 声が震える。

 つまり。

 この世界では。

 “被害者”という役割さえあればいい。

 それが誰であるかは、どうでもいい。

 生きていてもいい。

 死んでいてもいい。

 足りなければ——

 補充される。

 人間で。

 あるいは、“それに似た何か”で。

 空を見上げる。

 やけに青い。

 何も変わっていない。

 なのに。

 確実に、何かが壊れている。

 いや——

 最初から、こうだったのかもしれない。

 ただ、

 見えていなかっただけで。

 スマホの画面が、ゆっくりと暗くなる。

 最後に残ったのは、一つの言葉だった。

【役割:被害者】

 それだけで。

 人は、成立する。

人は死ぬ。

だが、それが“誰か”である必要はない。


(完)


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