4話【報い】
――農村――
ゴロゴロ――
空が低く唸る。
さっきまでの青は、もうどこにもなかった。
暗雲が音もなく垂れ込めている。
雲の奥で――
何かが蠢いた。
見てはいけないものが、そこに居るような気配。
「……?」
畑仕事をしていた人間達が、次々に顔を上げる。
風が止む。
虫の声が消える。
ビカ――!!
閃光が空を裂いた。
空そのものが、ひび割れたように見えた。
遅れて――
ドゴォォォォン……!!
腹の奥を揺らす轟音。
それは、雷鳴ではなかった。
何かが、叫んだ音に近かった。
それは、怒りだったのか。
それとも、悲鳴だったのか。
次の瞬間――
ドンッ!!
大木が縦に割れた。
まるで、上から叩き潰されたように――
そのまま畑へと倒れ込む。
「ひぇっ……!」
近くに居た初老の男が尻餅をつく。
震える手で地面を押さえる。
大木は根元から抉り取られていた。
裂けた断面から火が上がる。
焦げた匂い。
焼けた土。
湿った空気の中に、異質な熱が混じる。
「な、なんだ今のは……!」
若い男が駆け寄る。
視線の先――
黒く焼け焦げた大地。
その中心に、ぽっかりと口を開けた穴。
パチ……パチ……
まだ、微かに電気が弾けていた。
人間達が集まる。
「……雷だ……」
誰かが呟く。
だが――違う。
ただの雷ではない。
狙われたような落雷。
「……怪異の……仕業か……?」
沈黙。
誰も否定できない。
それが何を意味するのか――
理解してしまったからだ。
「……ふざけるな……」
ぽつりと、零れる声。
消し炭になった作物を見下ろしながら、壮年の男が歯を食いしばる。
鍬を地面に打ち付ける。
「畑を……潰しやがって……」
喉の奥で、怒りが軋む。
「こっちは……生きるために必死なのよ……!」
「子供たちを、育てていかなきゃならんのじゃ……!」
「……あんたらみたいに、長く生きられるわけじゃねぇ!」
やがて、村人たちが空に向かって怒りを飛ばす。
だが、その叫びは、虚しく、空に吸い込まれるだけだった。
――その時。
「……警告」
手拭いを被る老婆が、低く呟いた。
鎌を握っていた手を下ろす。
「山の木を、切りすぎたかもしれん……」
誰にも届かないほど小さな声。
禿げ山を見る。
「……あれほど切る必要が、あったのか……」
ぽつりと、零れる後悔。
「馬鹿言うな!」
すぐに、誰かの怒鳴り声が被さる。
「獣を狩りすぎたかも……」
別の男も、迷うように言葉を落とす。
「そんなもんで、こんなことになるか!」
大勢の声が重なる。
そうだ!
そうだ!
怒りが、波のように膨らむ。
後悔も。
違和感も。
すべてを――飲み込むように。
もう一度、空を見上げる。
返事はない。
ただ――
焦げた大地だけが、そこに残っていた。
黒い雲が、なにも語らず、ゆっくりと散っていく。
事態を聞きつけ、野次馬が続々と集まってきた。
「おい!晴明!」
無精髭の鎌を待った男の声。
野次馬の中に居た、白袴の少年を呼ぶ。
晴明――宮司の家に生まれ、怪異の母を持つ、怪人の少年。
渋々、前に出る晴明。
行き場の無い、怒りの捌け口にされる。
「お前の母親――葛の葉は、怪異だろうが!俺たちの邪魔をするなと、伝えておけ!」
鎌を晴明に向けながら、怒鳴る無精髭の男。
「はぁ……」
反論を飲み込む晴明。
「……分かりました」
そう言うしか、なかった。
否定すれば――
この場に居場所が、なくなる。
自分の血を否定されても、"今は"我慢する。
晴明は、わしらと同じ、
人間でもあり、怪異でもあった。
だからこそ、
どちらの怒りも、真正面から受けるしかなかったのじゃ。
――山奥の祠――
「雷獣殿! 気を静めてくだされ!」
焔が必死に宥める。
雷獣の後を追う。
「話し合いは、平行線で終わったではないか!」
怒りが滲む声。
振り向きもしない。
「だからといって……あのようなことは……」
言いかけて、止める焔。
「人間のせいで、蛟が死にかけているんだぞ! あれは、人間が招いた――報いだ」
雷獣の声は、低く、硬い。
焔は、その前に回り込む。
「違います」
短く、断ち切るように言った。
「それを“報い”と呼んだ時点で――」
一歩、踏み込む。
「対話は、終わります」
沈黙。
雷獣の毛並みに電気が走る。
バリ……と、小さく音がした。
「……では、焔ならどうする。このまま、奪われ続けろと?」
圧し殺した低い問い。
雷獣が焔を睨む。
「まだ……やり直せます」
焔の声は静かだった。
……そうでなければ、ならない。
わずかに呼吸が浅い。
「根気強く、話し合えば……必ず――」
一瞬、言葉が詰まる。
――必ず。
その言葉だけが、重く沈む。
確信は、ない。
それでも。
「……そうでなければならぬ」
それは説得ではなく。
祈りだった。
――山里――
夕焼けが影を長く伸ばしていた。
少し冷たい風が、
二人の間を通り抜ける。
「もう……くっちゃんと遊んじゃ……駄目だって……」
下を向く人間の男児。
涙を堪えている。
「どうして?」
寂しそうに尋ねる朽木。
「……怪異の血が……混じってるからって……お母ちゃんが……」
男児の言葉が、途切れる。
視線が揺れる。
踵を返して、走り去る。
同時に――
「ごめんね!うわぁ――ん!」
泣き声が響く。
それでも、振り返らない男児。
呼び止める声は、出なかった。
ぽつんと、取り残される朽木。
影だけが伸びていく。
さっきまで聞こえていた笑い声は、
もうどこにもなかった。
ただ一人、
立ち尽くす。
――それが、最初の断絶だったのじゃ。
あの時、確かにあったはずの世界は――
もう、同じ形では戻らなかったのじゃ。
その日を境に、似たような言葉は、少しずつ増えていった。
怪異の血を持つ者を見る目が、変わっていった。
祭りの輪から、怪人の子が外された。
井戸端の会話が、怪人が近づくと止まるようになった。
そして――数年が過ぎた。
――八百万神社――
その年は酷い凶作だった。
自然崇拝の神社である、八百万神社。
拝殿に集まる帝からの遣い。
国の民は外から話を聞く。
誰もが声を潜めていた。
――誰が何を言うかで、
立場が変わる空気だった。
「このままでは、大勢の民が飢え死にしてしまいます。怪異たちに……もっと自然の恩恵を、人間に譲るように言ってくださらぬか?」
頬が痩けた右大臣の切実な声。
「自然は、時に厳しいものです。だからこそ、敬意と畏怖の念が必要なのです。人間は、そこを忘れてはいけません。恩恵だけよこせ、と言うのは……」
右大臣を真っ直ぐ見詰め、焔が静かに答える。
「子供を間引く親……姥を捨てる息子……そのようなものは、誰も見たくないのです」
最後まで聞かず、
言葉を被せる右大臣。
切羽詰まった様子で語る。
痩けた頬に涙が伝う。
「帝が……民を救うためなら、怪異討伐も辞さないと……申しております。自然は人間のものだと……」
帝の過激な思想を伝える右大臣。
焔の割りきれない想いが、思考を鈍らせる。
「私も……怪異と遊んだ思い出が……ありますゆえ……どうか」
心苦しい声の右大臣。
頭を深々と下げ懇願する。
その姿から、最悪の事態を阻止したい思いが滲む。
「やつらが日照りにして、我らを苦しめているんじゃねぇのか!」
聴衆が怒声を浴びせる。
「どうなんだ――宮司!」
どよめき立つ人間たち。
宮司の保名と巫女の環に詰め寄る。
「お静かに」
落ち着いた声の保名。
民衆を宥める。
「怪異たちが、そのようなことをするとは思いません」
優しい声だが、はっきりとした口調の環。
焔たちを信じて疑わない目。
――現在――
「くっちゃん……か」
ふと、思いに更ける朽木。
囲炉裏の火で、
皺だらけの顔が、赤く揺らいだ。
「あの時の言葉が……すべての始まりだったのじゃな……」
小さな一言が、
気づかぬうちに、世界を分けた。
そして――
それは、止まらなかった。




