⑫
「……今日はいないのか?」
紅茶を用意した執事が退室し、応接室で二人だけになったところで、ファトゥはスヘスティー公将家家長に本日の訪問理由を尋ねるが、公将家家長は少し訝しげな表情で、ファトゥの隣に視線を落とし疑問を口にした。
「……私がいても話が進まないだろうからと、昨日の早朝、早々と領地に向かってしまいました。」
「そうか…。」
直ぐに誰を指しているか理解したファトゥが、相手が不在の理由を説明すると、安堵しているのか悲嘆しているのか察しづらい表情を浮かべた。
「会いたかったのですか?元婚約者に?」
「いや、いなくて心底安心しているよ。」
「そうですか…。」
一応答えは分かりながらも尋ねると、肩をすくめたスヘスティー公将家家長から、前者との想像通りの答えに自嘲した。
「今回の婚姻の件は、息子がご令嬢に‘’無理‘’を言ったのだろう。申し訳ない。」
「いえ、元はと言えば娘の事で頭に血が登り、そちらに連絡したのは私です。今回はこちらに責任がございます…。」
真剣な表情に戻した公将家家長は口にした、今回の婚姻に‘’無理‘’をあえて強調した謝罪に、半ば強制的に結ばれたものだと、あの場にいずとも理解しているのだと悟った。
しかし、あの時娘の嘘に騙されてやれば良かったと、呼び出したあの日から、ファトゥの後悔は続いていた。
「そうか……。君は相変わらずだな。」
「………。それでご要件は?」
自分の発言に、懐かしげな表情を浮かべ向かい合う相手に、少し居心地の悪さを感じ、予想がついている本題を促す。
「ああ、そうだな…。本来であれば、今回の婚姻についての謝罪と、パフィーレン姫様の輿入れが決まった事による、式の延期について話しに来る予定だったが…。」
「はい。」
「私のいない所で光家家長とファーレの間でどういう話し合いが行われたのかは分からないが、輿入れの発表があったその日の内に、ファーレがあの光家の呪い師達に、ボイティ嬢との婚姻を結ぶに相応しい、直近の日取りを占って頂いていたのだ。」
「……光家の呪い師達に?…失礼ながら、それは事実ですか?」
やはり予想通りの話かと思って聞いていたが、続く話しが余りにも突拍子もなく、呆気に取られたファトゥは思わず、疑いの眼差しを向けて確認してしまう。
「君の気持ちは良く分かる。父である私も疑ったからな。だが、光家家長から届いたと言う手紙を今朝ファーレから見せられてな。信じ難いことに事実だった。」
スヘスティー公将家家長は、ファトゥのその視線に強い納得を示すと、中央に向かい何本も線が引かれ、花弁の散る複雑な紋様の封蝋を残したまま開封された封筒を、テーブルへと置いた。
「……そうですか。それで、日程についてはなんと書かれていたのですか?」
「……今から半月後の、幾望の月が昇る日とのことだ。」
「半月後…それは随分と…。」
「ああ、もう準備に日がない状況だ。式場については光家で用意すると書かれていたから心配は要らない。」
「…列席の皆様への案内はどうなさいますか?」
「それは、既にこちらで対処している。」
「…分かりました。」
その封蝋を見て、ファトゥは複雑な表情を浮かべながらも納得せざるを得なかった。
手に取ることなく日程を問うと、家長は言い淀むようにその日を口にした。
あまりの期日の短さに眩暈を覚えたが、既に有無を言わせぬ準備が進められている以上、首を縦に振るしかなかった。
「それと、こうなった以上最も懸念しているのは、……ボイティ嬢に、息子が何をするか分からない、という。」
「?!…それは、どういう事ですかな?」
「幼少期、散々想う相手への申し込みが断られ、自分の意に沿わない婚約を結ばされかけていた所へ、その想い人が舞い込んできたのだ。息子にとって千載一遇の状況だろう?」
「……。」
思い当たる古い記憶に、ファトゥは眉間に深く皺を寄せ、難しい表情で口を閉ざした。
「ああ、言い方が直球すぎたな。貴殿と奥方を責めるつもりはない。ただ、…息子、ファーレのボイティ嬢へのあの執着は異常だ。式を前に、と言う事も考えられる。」
「……分かりました、当日まで注意して見ておきましょう。ご忠告感謝致します。」
本当に悪気は無かったのだろう、公将家家長の眉が下がった表情には、彼自身も御しきれない息子に余裕のなさが透けて見え、ファトゥは少しばかり同情してしまった。
そしてその状況下でも娘の身を案じてくれたことに、素直に礼を告げる。
「嫁いだ後は、既に別荘地から戻られた前公将家家長も、本邸にいる。ファーレに変な真似はさせないと約束しよう。」
「そうですか…。ただ、嫌であればどんな手を使っても抵抗する娘が、ご子息相手にどこまで耐えられるかは甚だ疑問ですがね…。」
嫁いだ後の懸念まで口にする公将家家長に対し、もし、本当にそうなった場合、予想もつかない娘の行動の方が気がかりだった。
「……そうは見えないな。」
「……フロワエイスの娘ですよ?」
「ッフッ!アッハハハハハハ!!それなら十分公将家家長夫人が務まるな。」
先ほど玄関先で会った娘の姿を思い出しているのだろう。
少し首を傾げている家長に、ファトゥが苦笑を交えて伝えると、家長はその顔を食い入るように見つめた後、高らかに笑い声を上げた
ーーーーー
ーーーー
ーーー
ーー
「お嬢様、旦那様から玄関広間にいらっしゃるようにと、お申し付かって参りました。」




