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約束の日。玄関の入り口前には父と家令達と共にスヘスティー公将家の馬車を待っていた。
『今回の話は私が居なくても問題無いでしょう。』
そう言って母は昨日のうちに早々と領地へ向かってしまい、この場には居なかった。
「分かってます。今朝から、何度も、何度も、何度も!いい加減にして下さい!」
「何度言ってもお前には言い足りない気がするからだ!」
「…………。」
「旦那様、お嬢様、馬車が見えてきました、お静かに。」
「…………。」
「…………。」
執事長のヴァルターに窘められ、まだ遠目に小さく見える馬車を、父と共に口を噤んで待つ。
約束の時間より少し前、スヘスティー公将家の家紋が刻まれた馬車は、三台連なって我が家に到着した。
(さすが公将家、立派な馬車ね……、あぁ気が滅入るわ。)
目の前に停まった豪華な造りの馬車に私も含め、新人の家令に至るまで、表には出さずとも各々緊張感は極限まで高まっていた。
御者が降り立ち、恭しく扉を開けると、そこから一人の男性が降り立つ。
「エクソルツィスムス子将家家長殿、本日は急な申し出に対応していただき感謝する。」
薄紫色の短い髪を後ろに固め、紺色の礼服を完璧に着こなしたファーレの父、スヘスティー公将家家長は父に向かい手を差し出した。
「スヘスティー公将家家長殿、とんでもございません。わざわざ足をお運びいただき、恐縮の至りに存じます。」
他に降りる者がいないことを確認した父は、平然と前に出て挨拶を始めた。
その堂々とした振る舞いに尊敬の念を抱きながら眺めていると、挨拶を終えた公将家家長が、不意に私へ視線を向けた
「君が我が義娘になるボイティ・レナ・エクソルツィスムス嬢かな?」
「はい。スヘスティー公将家家長様、お初にお目にかかります。婚約期間も置かず嫁ぐ私に対し、義娘とお呼びくださる慈悲深いお言葉、痛み入ります。」
突然声を掛けられ喉の奥が渇いたが、背筋を伸ばし、引き攣りそうな表情筋を抑えて微笑む。
必死に声を絞り出し、形式通りの礼を返した。
(大丈夫。いつもよりも丁寧に出来ている筈よ。)
家長の口元は微笑を湛えていたが、ファーレによく似た金色の瞳が、私を品定めするかのように細められた瞬間、背筋に冷たいものが走る。
(うぅ…やっぱり、この瞳苦手だわ。)
彼の目にどう映ったのかは分からないが、射抜くような視線はそのままに、表情だけがふっと柔らかいものへ変化した。
そのファーレを彷彿とさせる微笑に、私は得体の知れない恐怖を覚える。
「これから私は君の義父となるのだ。そんなにかしこまらなくても良い。それと、君には我が家と息子からの贈り物を持って来ている。こちらの話が終わるまで品を確認しておいてくれ。」
「……かしこまりました。お義父上様。」
暗に、‘’話し合いの席には来るな‘’と告げる言葉を汲み取り、あえて‘’お義父上様‘’と呼び了承を伝えると、少し意外そうな顔をした。
その直後眉を下げて何とも形容し難い表情を浮かべる。
(え?)
瞳からもう品定めするような鋭さは消えていたが、その不思議な表情の意味を量りかねて眺めていると、家長は父に向き直り、そのまま家令に案内され、父と共に応接室へと向かって行った。
(………あの表情、一体何だったのかしら。)
釈然としない思いを抱えつつも、話し合いが終わるまで自室で待機することにした。
執事たちに贈り物を運ぶよう命じ、私はその場を後にする。
(一体どれだけ荷物を持ってきているのよ……。)




