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(近い近い近い!近あぁぁい!!!!!)
「昨日は助けてくれてありがとう。君の的確な処置のお陰で、後遺症も残る事は無いだろうと、屋敷の常駐医にも言われたよ。」
授業が終わり帰宅するために友人達と廊下を歩いていたボイティの目の前には何故か今、学院で人気を博するスヘスティー公将家子息のファーレ・テン・スヘスティーがいた。
昨日受けた薬学の授業の実習中、突然学院の林の中から現れた毒蛇に噛まれた彼を助けたことで謝意を伝えに来てくれたらしい。
周囲の視線もさることながら、至近距離で声を掛けられ、その余りの顔の近さに仰け反りながら困惑していた。
「……それは、スヘスティー公将家、ご子息様の、お力になれて、光栄で、ございます。」
「君は命の恩人なのだからそんな堅苦しくならず、ファーレと呼んでくれて構わない。僕もボイティと呼んで良いかな?」
(無理です。嫌です。お断りです。)
「……はい、どうぞお好きにお呼び下さい。」
取り巻き達に実家を潰されるのではと警戒したが、他の生徒もその場に居合わせていたことで妬まれずに済んでいる。
ただ、雰囲気の読めない相手から、何故か名前で呼んでも良いか問われ、自分の身を守るため断固拒否したかったが、変わることの無い身分差に諦めて、承諾を口にした。
「ボイティ、おはよう。」
「ボイティ、今度僕の屋敷で小宴があるのだけど、君を招待しても良いかな?」
「ボイティ、この間着ていたドレス素敵だったね。今度君に贈り物をしても良いかな?」
「ボイティ明日の休みは何をするの?予定がなければ一緒に出かけないかい?」
ただそれ以来毎日側に来ては命の恩人だと必要以上に付き纏われた。
声をかけてくる内容も誤解を招きかねないものが多く、このままではいよいよ自分の身と家が取り巻き達により危険に晒されかねないと、少しずつ増えてきた刺す視線に耐えかねて、意を決して話かけないでくれと遠回しに伝える事にした。
「ファーレ様には他意は無いかと存じます。ただ毎日のようにお声がけいただくお話の内容と接して下さる距離が、他者の目から見ましても、婚約者を持つ身には余りにも過分なものかと思われます。お相手にも要らぬ心配をかけかねないこの状況は、私自身大変心苦しくもございます。互いの立場を尊ぶためにも今後は、分相応の距離を保つことが、真の礼節であると、信じております。」
「そうか君には婚約者が居たね。それなら一層僕がこんな話をしても勘違いさせることがなくて安心だ。」
「???……それはど……」
「身の程知らずだな。」
「余りにもお優しいから勘違いなさったみたい。」
「ファーレ様がまるでお前に好意があるような言い方だな。」
「誰に声を掛けようとファーレ様の自由ではないの?」
「……その通りでございますね。」
余りにも遠回しに伝えたのが悪かったか良く分からない理由を笑顔で返され、やはり家の力関係と後ろに控えている人達の嘲る声が煩わしく、そのままの距離でその後も過ごす羽目になった。
「そう言えばボイティ。貴方ファーレ様とお付き合いをする事になったの?オクラドヴァニア様との婚約が解消された話は聞いていないけれど?」
しかし思った通り迷惑な事態は起きるもので、付きまとわれて数ヶ月経ったある日、教室で隣に座ったパメラの話に背筋は凍った。
「!?……パメラ何の冗談かしら?私ファーレ様とお付き合いなんてしていないわよ。」
「そうなの?でもこの間、学院の食堂でそのような話を耳にしたのよ。」
「婚約者もいて身分差もある人間を駆り出して面白い噂話をされる方達もいるのね。」
学院内でありもしない噂が流れる事は多々あった。
それが、まさか自分が話題の人物になるとは思いもしなかったボイティは、担ぎ上げた人物に冷めた感情を湧き上がらせた。
「そうよね、何かあったら私達に話してくれるものね。でも……なぜかその話には、妙な信憑性があったのよね。」
「信憑性ね……。どんな話であれ、どうせ直ぐに飽きて違う噂が立つわよ。」
「そうかも知れないわね。この間噂があったベンタス様とヒルファ様の破局も、当のお二人は知らなくて驚いていたものね。」
「ええ、今回も同じような物よ。でも教えてくれてありがとう。」
「ふふ、どういたしまして。」
以前広がった噂以上にあり得ない話は、きっと直ぐに鎮火するだろうと思い放置を決めて、開始時刻になった授業に集中した。
「ボイティ、いつからファーレ様とお付き合いしていたの?」
「私達の前では断っていたけど、本当は二人で休日を過ごしているって本当なの!?」
「この前の夜会でボイティがオクラドヴァニア様との婚約解消して、ファーレ様の婚約者になるって聞いたのだけど事実なの?」
(学院の外にまでありもしない噂が広がっている!?)
いつものように学院に登校して講堂に向かうと、同級生達に囲まれ、いきなり訳の分からない質問攻めに合い、その内容に驚愕した。
「全てでたらめよ。もし、そんな話を聞いたら、本人が否定していると伝えて頂戴!それと誰が話をしているのか教えて欲しいの。余りにも無責任で迷惑な噂が広まるのは困ってしまうわ。」
「やはりそうよね!」
「任せて協力するわ!」
(聞いて一週間も経っていないのに。……これ以上社交の場で広まりでもしたら……。)
学院外でも噂が流れ始めた、予想外に火が回るのが早い噂に、これではオクラドヴァニアの耳にも入りかねないと、友人達にも協力して貰いながら鎮火に回り、噂の出所を突き止めようとしたが、誰に聞いても人伝に聞いたと答えるばかりで、首謀者らしき人物は見つからなかった。
「ボイティ!久しぶりだね。君に会うことが出来ず寂しかったよ。最近は食堂に居ることが多いのかな?僕も一緒に食事をしても良いかい?」
《ファーレ様!?》
《実は約束していたとか……?》
《やっぱりお二人って……》
ファーレを避け、お昼は彼が来ることのない学食で過ごしていたある日、大勢の取り巻きを引き連れたファーレが食堂にやって来た。
(噂の鎮火を待ちたかったのに……。やはりここは、はっきり伝えないといけないわよね。)
顔を合わせてしまっては無視をすることは出来ず、意を決して、今度は分かり易く失礼にならない言葉を選び説明を始めた。
「……ファーレ様申し訳ございません。何故か私達が付き合っているというありもしない噂が学院内外で広まっております。このままではお互いの身に覚えのない醜聞によって守るべき相手にまで憂慮させかねません。それを防ぐためにも今後一切学院内で関わらないようお願いしたいのですが、如何でしょうか?」
最大限の配慮をしつつ明快な言葉で伝えたはずだったが、何故か徐ろに彼は空いている私の隣の席に座ると、こちらに視線を向けて片手を頬に乗せた。
「噂の事は初めて知ったけれど、……僕達を見て良くそんな勘違いを出来る人達がいるものだね。」
「……………。」
「「「「「「……………。」」」」」」
目の前で良く整った輝く笑顔で言い切られ、大勢の生徒が居る食堂内は静まり返った。
(今……私の事を上から下まで見てから言ったわよね。)
あまりの言い分と不躾な視線に言葉を失ったが、それ以来噂は完全に消えさり、その後も変わらず近い距離で側に寄られたが二度と付き合っているという噂が立つことは無かった。
しかしそれ以来ボイティがファーレを毛嫌いするようになった。




