婚約者に想いが伝わらない
『婚約者が言った、恋愛がしたいと』の続編…ではなく、何故あのようなお茶会になったのか、というお話です。
シャルルはこの国の王太子である。
母である王妃は侯爵家の出であり、かつ婚約者も公爵家の令嬢なので後ろ盾は盤石。能力も高く次期王となるに問題なし。容色も秀でており、彼が微笑めば頬を赤らめる令嬢、夫人は少なくない。剣術の腕前も近衛騎士に並ぶ程。
完璧とまで評されるシャルルには悩みがある。
「……何故なんだ……」
苦悩の表情すら美しいシャルルに、近習のベルナールは心から同情する。
乳母の子として物心ついた時からシャルルの側に侍り、王太子のあらゆる面を知っているベルナール。彼はシャルルがどれだけ婚約者であるアドリエンヌを愛しているかを知っている。アドリエンヌに一目惚れしたシャルルは、彼女を婚約者にしたいと望んだ。出自も問題ない。王家との関係性も良好な家。そうはいっても好き嫌いで決められないのが王族の婚約。
国内外の情勢に合わせて王族は婚姻相手を決めねばならない。幸いなことに国外に脅威となる国もなく、国内の情勢も安定していた。王も王妃も息子の相手としてアドリエンヌを望ましい相手と考えた。
しかし相手は公爵家。いくら王家といえど無理強いはできない。幼いとはいえ、アドリエンヌの気質についても調べる必要がある。噛む馬は終いまで噛むと言われるように、決して直らぬ気質というものがある。七歳ともなればそういったものも表れているだろう。シャルルにもある。気になることは徹底的に調べないと気が済まないというものが。調査の結果、アドリエンヌは誰から貶されることもないのに、自己肯定感が低い傾向にあった。褒めてもお世辞と捉えてしまう。
それはアドリエンヌの外見──髪と瞳の色が原因だった。アドリエンヌは父である公爵と同じブルネットにブラウンの瞳。妹は母に似て、ブルネットとはいっても明るい栗毛色。アドリエンヌの黒に近いブルネットとは違い、太陽の下で見るとより明るく見えて美しい。瞳の色もヘーゼルで、アドリエンヌには羨ましい。
姉妹なので似た顔立ちだが、髪と瞳の色からの印象というのは大きいものである。アドリエンヌは美しい妹と自分を比べて、自信を失っているのだ。
シャルルからすればその髪色も瞳の色も好ましい。なにしろアドリエンヌと彼女の妹の双方と顔を合わせて、アドリエンヌに一目惚れしたのだから。
手紙でも言葉でも、貴女は美しいと伝えているのに、全てお世辞、婚約者の義務と捉えられてしまい、片思い歴十年である。
「どうすれば私の気持ちはアドリエンヌに伝わるんだ」
「アドリエンヌ様はご自身に自信がおありではないので、シャルル様のお相手として相応しくないとお考えのようです」
「何故だ? 公爵令嬢であり、優しく、公平で、何に対しても真摯に向き合う彼女が自信を持てない理由が分からない。髪の色や瞳の色は彼女を構成する一要素に過ぎないというのに。一目惚れした私が言うのもおかしな話かもしれないが」
王太子が悲嘆に暮れて机に突っ伏すなど、本来なら褒められた動作ではないが、ベルナールからすれば無理もないと言いたい。
シャルルはアドリエンヌに正直に一目惚れしたのだと伝えている。……が、信じてもらえていない。アドリエンヌの妹 ジャクリーヌと年齢差があるために自分が選ばれたと思っている。なお、年齢差といってもアドリエンヌとシャルルは同い年で、ジャクリーヌは二歳下だ。まったく問題にならない年齢差だ。それを両親に言われても、姉より先に妹の婚約が決まることが外聞が悪いから、自分が選ばれたと思うほどの徹底した自己肯定感の低さだった。
ここまでくると、自分は嫌われているのではないかとシャルルが疑うのも無理もないことだった。
謙虚などという生易しい言葉では表現できない、アドリエンヌの自己評価の低さ。
むくりと身体を起こしたシャルルは、空な目で呟く。
「……ベルナール……頼みがある」
「なんなりと」
「巷で令嬢達に人気の本を入手してきてくれないか」
予想もしない命令に戸惑いつつも、思い詰めた表情のシャルルに、そんなご無体なとも言えなかった。
誰かに頼めばすぐに噂となって広がるだろう。王太子が恋愛小説に興味があるらしい、と。
王太子の婚約者への想いは皆の知るところであり、それがアドリエンヌに全く伝わっていないところまでセットで知れ渡っているが、一応、王太子の名誉? のためにもこっそりと王都の書店にベルナールは向かうことにした。
「何故だ……!」
ベルナールが購入してきた恋愛小説、五冊を貪るように読んだシャルルの感想だった。
「私が普段アドリエンヌに伝えている言葉と大して差がないではないか……」
苦悩の表情を浮かべるシャルル。
「やはり、私はアドリエンヌに嫌われているのか……?」
「それはないかと」
ベルナールが即否定する。
「しかし、ここまで伝わらないなど、考えられない」
「通常であればそうなのでしょうが、アドリエンヌ様は些か思い込みが激しい気質と伺っております。そう思い込んでしまわれたのでしょうね」
「どうすればいい? どう伝えればアドリエンヌに伝わる?」
主人はため息を吐く姿さえ様になる、とベルナールは思った。それから話題を変える。
「近頃殿下に付き纏うあのご令嬢ですが」
スッとシャルルの表情が消える。
「あの男爵令嬢については男爵を通して抗議しているが、男爵が娘によからぬことを命じている可能性も捨てきれないからな。それに」
手にした羽ペンをギリギリと握り締める。
「アドリエンヌが自分に危害を与えようとしているなどと世迷言を言う始末だ」
「如何なさいますか?」
「身の危険を感じるというのだから、守ってやることにしよう。女性の騎士を三人ほどつけてくれ。三人もいればその目を掻い潜るのも難しいだろうし、私に近付かせないように命じることも可能だからな」
ハニートラップというものがあるが、シャルルには通じない。常に王太子としての自分の立場を理解した上で行動する。危機意識もある。
「……あの男爵令嬢とのことを、アドリエンヌに誤解されていたりはしないだろうか」
ただ、アドリエンヌに関してのみ、言葉を選ばずにいうならポンコツではある。
ベルナールは男爵令嬢が現れたあたりから、それとなく学園の教師などに連絡を取り、王家が抱える諜報に長けた者達に男爵令嬢のことも調べさせ、シャルルに報告している。最初は平民として育った令嬢が淑女としてのマナーを覚えていないのだろうと、不躾な言動にも目をつぶっていた。将来シャルルの側近となるべく、学園で側に侍る高位貴族の令息達がいくら令嬢に注意を促しても伝わらない。
「……誤解と申しますか……」
正直に伝えていいものか迷ったが、このまま二人の関係が意味不明な捩れ状態のままなのはよろしくない、とベルナールは判断した。
「全くお気に止めてないそうです」
止めを刺されたシャルルは机に突っ伏した。ゴツッという鈍い音がして、さすがに言葉を選ばずに言い過ぎたかとベルナールがハラハラしていると、シャルルが顔を上げた。
「当たって砕けようと思う……」
砕けるも何も、双方想い合っているのは間違いないのに。お世辞だと思いつつも、アドリエンヌはシャルルからの手紙や花束、贈り物を心から喜んでいると聞いている。
「臆病者と誹られても仕方ないが、当たって砕けるのは、さすがに私も辛い。少しずつアドリエンヌの気持ちを引き出していきたいのだが、手伝ってもらえるか?」
「無論、如何様なことでもお命じください」
こうして、シャルルはアドリエンヌとのお茶会に臨むのだった。
まともな王太子のはずが、思いの外ポンコツになってしまった気もしなくもないですが…。
お暇潰しになれば幸いです。