いただきます 2
しばらく歩いていると一つの部屋の前に辿り着き、八雲が扉を開ける。それぞれの部屋は洋と和で別れているのか、襖ではなくドアノブが付いている親子タイプだった。
部屋の中に八雲が先に入り、くわぁっと欠伸をしてから私も八雲に続く。
「お嬢ちゃんおはよう」
「お嬢様おはようございます」
ピタリと足を止め、顔を上げる。そこには相馬龍明の挨拶を復唱した男たちが席を立ち、頭を下げていた。浅葱色のだんだら模様をした幻夢組の隊服を着用している。
(そういえば、幻夢組って一つの組織だったな)
八雲に斬り掛かっていた男が言っていた対かぐや殲滅組織という名前を思い出す。
「お、おはようございます」
予想していたよりも倍の人数だったことに内心驚きながらも挨拶を返す。
「ちゃんと挨拶ができて偉いなぁ」
近くの席で頭を下げていた男が、私の頭を撫でる。私が知っている幻夢組五人とは違う優しい手つきに黙って撫でられていると、他の隊員たちも撫でてくる。
「猫みたいで可愛いな」
「ふわふわしてるからうさぎだろ」
「お嬢様、お名前は?」
(お嬢様って何だよ)
様付けで呼ばれるほどの大層な身分じゃない。ボロボロの着物を纏い、好き勝手寝癖を跳ねさせている子どものどこがお嬢様だというのか。
(そもそも私は女でも男でもないし)
名前を聞かれ口を開いた瞬間、浮遊感と共に視線が高くなる。後ろを振り向くと仏頂面の美浦寅之助が私を持ち上げていた。
「美浦大班長…」と隊員たちが顔を青ざめさせている。
「油売ってる暇があんならパトロールに行ってこい」
「お嬢様と親睦を深めていただけで油を売っていたわけでは」
「お前たちがそんなに反省文を書きたかったとは」
「行ってきます!」
美浦の反省文という単語が聞こえた瞬間、隊員たちは部屋から走り去った。私をまだ持ち上げている美浦に降ろしてもらうように頼み、床に足をつける。若干不満そうな顔をされたが、何か嫌だったのだろうか。
(自分が登場しただけで怯えられたら、気分が悪いもんな)
疑問を自己完結させ、四人が座っている席に向かう。丁度空いている席があり、椅子部分に手をつきよじ登り座る。左隣に座る八雲は、水の入ったコップに口付けていた。部屋に入った途端、真っ先に朝食を取りに行ったのだろう。彼女の前には焼き魚に味噌汁、白米といったザ・日本人の定食が並んでいた。他の四人のトレーにも同じメニューが並んでいる。その中に一つだけ、全く別のプレートが置かれていた。丁寧に皮から取り出した枝豆にバジルがふりかけられたフライドポテト、パックに入ったりんごジュース。そして極めつけは旗が刺さったチャーハン。子どもに人気のお子様プレートが私の前に並べられている。
(私以外にも保護下に置いているお子さまがいるのか)
そうだ、そうに違いない。
朝からお子様プレートを食べ切れるほどの食欲はどこにもない。私が旗が刺さったチャーハンにわーいと健気に喜ぶ子どもに見えるのか。見えるのなら眼球取り出してアルコール百パーセントの消毒液で丸洗いしてこい。なんて物騒な言葉を言えるはずもなく口にチャックをする。
私をこの席に座らせたということは、ここで食べろということだろう。しかしお子様プレートは食べ切れない。フライドポテトであの世にフライドさせられてしまう。
「みんな揃ったことだし、手を合わせるか」
(手合わせ?)
「今からですか?」
首を傾げて相馬に問いかける。相馬は「当たり前じゃないか」と豪快に笑った。彼は両の手の平を合わせている。他の四人も同様に手を合わせていた。
(あ、そっちか)
勘違いしてしまったことに少し恥ずかしくなりながら手のひらを合わせる。
「いただきます」
六人の声が合わさり、ぞくりと体を震わす。
『いただきます』
耳の奥から囁く小さな子どもたちの声は、以前何処かで聞いたことがある。それも何度も。
「スプーン使いますか?」
金属製のスプーンを持つ八雲にはっと我に返り、「大丈夫です」と返す。
それにしても、「いただきます」なんていつぶりだろうか。お爺さんが亡くなった時から一人で食事をしていた。
「いただきます」と毎日のように言っていた言葉は気がつけば口から出ることはなく、ただ生きるための食事をとる無機質な時間に変わっていた。
子どもサイズの箸を手に取り、チャーハンを救い口に入れる。
「…美味しい」
ふと視線が刺さっている気がして顔を上げると、四人はホッと表情を緩めていた。八雲は理由は知らないが嬉しそうに微笑んでいる。
「たんとお食べ」
「どこのおばあちゃんですか」
ごくんと噛み砕いたパラパラの米を飲み込んで、表情がだらしなく緩みきっている相馬に返す。
「ちゃんと人間らしい一面があるんすね」
「衝撃の真実を目の当たりにしたような表情やめてください」
枝豆を掴み持ち上げようとするが、するりと箸を抜け皿の上に戻る。何度もそのちまちまとした動作を繰り返し、流石にムカッとしてきた頃、トレーの上に金属製のスプーンが登場する。それは先程八雲が出したスプーンと同様のもの。
「スプーンを使ったほうが」
「いりません」
言いかける八雲の言葉を遮りスプーンを返す。枝豆が何度箸から滑り落ちようと、諦めずに掬い上げる。
「諦めが悪いな」
「負けたくないんで」
松本のキリリとしたキメ顔にドヤ顔を決める。
「何と戦っているんですか」
「バカと天才は紙一重と言うだろ?あれはバカが機能している」
「聞こえてんだよ」
こそこそと話す八雲と相馬に、目くじらを立てる松本。
この箸がだめなのか。滑り止めでもつけてくれたら掴みやすいというのに。いや、そんなことを頼めばスプーンを使えと松本に言い返されてしまう。
「枝豆好きなの?」
「好きではありません」
「ならどうして」と焼き魚を綺麗に食べていた林に問い質され、つるつるの枝豆を追いかけながら理由を話す。
「これは私の胃に消化される運命を持った幸福な枝豆なんです。私が食べてあげなきゃ」
「スプーンで食べても胃に入るのは変わらないぞ?」
「私のプライドが許しません」
長い私闘の末、枝豆を掴み上げパクリと口の中に入れる。咀嚼してから嚥下をして、ぱちんと手を合わせる。
「ご馳走様でした」
食べきれないと思っていた食事の量は、幻夢組とお喋りをしている間に全て食べ終えることが出来た。
(美味しく感じたからかな)