一等書記官アシュリーのグルメレポート ~ダンジョン都市ラテル~
「ここがダンジョン都市ラテルですかあ!!」
王都を出発して五日、アシュリーはようやくたどり着いた目的地を前に馬車から身を乗り出し歓声を上げる。
彼女は宮廷広報省一等書記官のアシュリー。食に関する情報を国内外に発信することを専門にしているいわばグルメ担当の役人である。
三年ほどの下積み期間を経て、ようやく念願の現地調査を任されるようになった彼女。国のお金で美味しいものが食べ放題。しかも趣味である旅行も出来て一石二鳥でご機嫌そのもの。
しかも初めての現地調査先が今人気沸騰中のダンジョン都市ラテルとなれば、テンションが上がってしまうのも無理なきところではある。
「……アシュリー、ここまで来て怪我でもしたらどうするつもりだ? 大人しく座ってろ」
「はいはい、まったくカインは真面目なんだから」
カインと呼ばれた男性は、アシュリーの警護役として同行している近衛騎士団所属の騎士だ。旅行気分全開のアシュリーとは違い、常に油断なく周囲に警戒を怠らない。
警護役に選ばれるにあたっては、アシュリーと同郷で幼馴染という点も大きく影響している――――というか普通にアシュリーが指名したのだが。
「お前仕事で来ていること忘れるなよ? それに平和になったとはいえ、結局一番恐ろしいのは同じ人間だからな。調子に乗って俺から離れるんじゃねえぞ」
――――ただでさえお前は可愛いんだからな
口には出さないが、カインはアシュリーのことが心配でしょうがない。指名されなければ、自ら志願しようと思っていたくらいには。
勇者一行によって魔王が倒されてから十年。人間同士の争いが始まるのではないかと心配されていたが、長らく続いた厭戦ムードから人々は癒しを求めていた。
大陸諸国は魔王に対抗するため同盟を結んでいたこともあって、関係は概ね良好。国境間の移動の制限は撤廃されていたこと、物資や軍の移動の必要性から街道や宿場町も整備されていたこともあり、空前の旅行ブームが到来したのだ。
そうなれば当然人々の関心は食へ向く。各地のレストランや食堂は大盛況。魔王軍との戦いへ駆り出されていた人々が故郷に戻ると、雨後の筍のように全国に新たな飲食店が誕生した。
人々の関心はどの店が美味しいのか、どの町にどんなお店があるのかに集まるが、紙や本が高級品である時代、グルメ情報誌などあるはずもなく、もっぱらの情報源は旅人や冒険者の口コミのみ。
各国が外貨獲得や疲弊した国内経済活性化のために積極的に旅行を支援し、情報の発信に努めるようになっていったのはごく自然の成り行きであった。
アシュリーとカインを乗せた馬車は街の正門を通過する。
ダンジョン都市ラテルは、王国南東部に存在するラテルダンジョンを囲むように広がっている大都市。古くはダンジョンからあふれ出てくる魔物を一時的に食い止めるために建設された防壁に沿って誕生した街だと伝わっている。
要塞を思わせる石造りの堅牢な城壁は高さ十メートル以上あるだろうか。いざというときには、住民の臨時の避難場所にもなるため、高さだけではなく幅も相当ある。
外壁を抜けると密集しながらも整然とした通りと建物が並ぶ新市街が二人の眼前に広がる。
「わあっ!! 王都とは雰囲気が全然違うんだね!」
「ああ、ラテルはダンジョンを監視する兵士や冒険者たちを相手にする露店から始まった街だからな。王都とは成り立ちからして別物だ」
初めてこの街を訪れたアシュリーと違い、カインは研修時代にこの街に滞在したことがあるため随分慣れたものだ。
異国情緒すら感じる原因は、大陸中から集まる観光客や商人、一攫千金を求めてやってくる冒険者たちのもたらす多様性ゆえだろう。
ドワーフや竜人など王都では珍しい種族すら、この街では当たり前のように通りを闊歩していることも、その印象に拍車をかけているのかもしれない。
二人はここ新市街で一旦長旅の疲れを取り、その後今回の主目的であるダンジョンへ向かうことになっている。
「ねえカイン、珍しい食べ物が一杯あるじゃない。ちょっと食べ歩きしましょうよ」
「うーん、まあ今日は宿に行って寝るだけだからな。別に良いんじゃないか。ただし王都と違って治安はお世辞にも良いとは言えないから俺から離れるんじゃねえぞ」
ラテルの名物でもある通り沿いの露店。
肉や野菜を鉄板で炒める音がまるで音楽のようにアシュリーの耳を楽しませ、スパイシーな香りが胃袋を刺激する。
移動中半日以上何も口にせず我慢していたアシュリーに駄目出しするほどカインも鬼ではない。それに食べることが彼女の仕事でもあるわけで。
「うん、わかった」
それならばとカインの手を取るアシュリー。
「なっ!? なんで手を繋いでんだよ!?」
「だってこうしていればはぐれなくて安心でしょ?」
「お、おう……そうだな」
「ほら、早く早く!!」
そういや手を繋ぐなんて故郷にいたとき以来だな。
カインははしゃぐ幼馴染に頬を緩める。
騎士団で一人前になったらアシュリーを故郷に迎えに行く、そう思っていたカインだったが、アシュリーが王宮勤務になったことで計算が狂い、タイミングを逸してしまっていた。
予定とは違うけれど、これってデートみたいなものだよな?
相手がどう感じているかは別にして、たしかにはたから見れば、二人はデート中のカップルそのものではある。
「うわあっ!? ナニコレ……食べ物なの?」
露店で買った串焼きを食べていたアシュリーが、ある店の前で固まった。
「ん? ああ、これな、初めて見るとびっくりするよな。見た目はこんなんだけど美味いぞ」
通称『ラテル焼き』と呼ばれるスイーツの見た目は、完全にレンガそのものだ。甘い香りがしていなければ食べ物だと認識することは難しいだろう。
レンガ職人だった男が、空腹のあまりこれが食えたなら……と妄想したことで誕生したといわれるこの街の名物だ。
「一つ買ってみるか? 丸ごと一人で食べるとガツンと胃袋がやられて夕飯が食えなくなるから半分こがおススメだ」
「あはは、それは楽しみだね、じゃあ半分こで」
目をキラキラさせているアシュリーに内心悶えながら、カインはラテル焼きを注文する。
「おじさん、ラテル焼き一つ頼むよ」
「まいど! 今なら焼きたてもあるけどどっちが良い?」
ラテル焼きは冷めることで固さが増してゆくスイーツ。その固さが好きな人と焼きたてのまだ柔らかい状態が好きな人とで好みが分かれるのだ。
「焼きたてで頼むよ」
冷めた状態のラテル焼きならばいつでも買うことが出来るが、焼きたてとなるとそうはいかない。カインは迷うことなく焼きたてを選ぶ。
「うわあ……マズそうなのに美味しそうな香りがしてくるのはカオスね……」
「中身熱いから火傷しないように気を付けるんだぞ」
アシュリーは早速ラテル焼きを半分に割ってみようと試みる。
ラテル焼きはそのままレンガサイズなので、ずっしりと重みがある。たしかに一人で食べたらカロリーが大変なことになりそうだと納得するアシュリー。
「む……柔らかいといっても結構固い……わあっ!! なんか出てきた!!」
半分に割れたラテル焼きの中から真っ黒なものがドロリと流れ出てくる。
「ダンジョンで採れるヨルベリーのジャムだ。これまた見た目はアレだが甘酸っぱくてクセになるんだよな」
へえ……これがヨルベリーなんだ。
最近ようやく王都でも食べられる店が出てきたところで、アシュリーはまだ食べたことが無い。
真夜中の空のように黒々としたベリーは、ダンジョンから持ち出すとすぐに鮮度が落ちてしまうため、生食できるのはラテルのみ。通常はジャムなどに加工されて流通している。
「ふはっ! しっかりとした皮の部分が美味しい! 中はふっくらモチモチで……じゅわっと溶けて染み込んだバターの塩味と、贅沢な生のヨルベリーのプチプチとした食感と酸味、ジャムの甘みがたまらないわ~!!」
アシュリーは幸せそうに息を吐く。
「む~、まだ食べられそうだわ」
カインの持っているラテル焼きを恨めしそうに見つめるアシュリー。
「食べかけで良ければ食うか? 後で後悔すんなよ」
「わーい、ありがとうカイン」
結局、一人で四分の三食べきったアシュリー。
「う……食べ過ぎたかも……」
「だから言ったのに……まあ歩いていればそのうち腹も減るだろ」
腹ごなしついでに、各種ギルドを回って情報を集める二人。
今回調査するのは、ラテルダンジョン地下十階にある噂の世界最深レストラン『ラテル亭』
カインはともかく、非戦闘員であるアシュリーがダンジョンの奥深くへ行くためには、どうしても護衛を雇う必要が出てくるからだ。
事前に広報省が手配してくれているものの、冒険者ギルドの人選を信用出来るかどうかは別問題。実際に現地で自分の目と耳で確認するのはカインにとっては当たり前の感覚である。
とはいっても、ラテルを宣伝するために王宮から派遣された広報官に何かあったらそれこそ信用問題以前の話であって、今回はギルドのメンバーも同行する以上その点ではまったく心配はしていない。あくまでアシュリーのために街を案内しているついでといったところだ。
「そろそろ宿に向かおうか」
「そうだね!」
日も落ちてきたので、一旦宿へ向かうことにするアシュリーとカイン。
ラテルはダンジョンを中心に発展した都市なので、中心にはダンジョンの地上部分にある尖塔がそびえ立っている。天気が良ければ隣の都市からでも望むことが出来るほどの構造物で、スタンピード――――ダンジョンから大量の魔物があふれ出てくる現象――――発生時にいち早く情報を伝達するために古代文明によって作られたのではないかと言われている遺跡だ。
ラテルでは日常的にダンジョン内の魔物を狩っているので、スタンピードが発生する危険性はない。
ダンジョンから近いエリアは、旧市街と呼ばれ、雑多で無秩序なスラム街と化しているところが存在するため、観光客が宿泊するならば新市街が安全ではある。
旧市街にももちろん宿は存在するし、新市街に比べて割安でダンジョンから近いという利点もあるため冒険者たちは旧市街に宿をとることが一般的だが、あくまでも自己責任。初心者向きでは当然ない。
今回はアシュリーがいるので、当然新市街一択。
「え? 同部屋……ですか?」
「はい、騎士団の方からは二人部屋を一部屋ご予約いただいております」
あの野郎……余計なことしやがって。
同じ同郷出身の友が今頃ニマニマしていると思うとため息が出る。
「あの、二部屋に変更出来ませんか?」
「明日から祭りが始まるからね……どこも今の時期は予約でいっぱいだと思うよ? 旧市街の怪しい宿なら空いてるかもしれないですけど」
くそっ、一体どうすれば……
「カイン、私は別に一緒で構わないけど?」
アシュリーがそう言ってくれるのは嬉しいけど、俺が理性を保てない。
このままの曖昧な関係で同じ部屋に泊まるのは誠実な態度とは言えないよな……よし、ここははっきりと俺の気持ちを伝えるか?
受け入れてもらえなければ、俺が旧市街に宿を取れば済む話。でもその場合、残りの日程がめっちゃ気まずくなるよな……
悩んだ末、自分が旧市街に泊まると伝えようとしたカインだったが――――
「だって私たち結婚するんでしょ? だったら一緒の方が安心だし」
「……へっ!?」
待て待て、俺はまだプロポーズしてないぞ?
「む~、もしかして忘れたの? カイン町を出るとき私に言ったじゃない。必ず迎えに来るって」
あ……そういえば言ったな。あれはプロポーズになるのか? 結局アシュリーが王都に来ちゃったから有耶無耶になってたけど。
「忘れているわけあるか。なんていうか言い出すタイミングがな?」
なら何も問題ないじゃないと笑うアシュリー。
「問題大ありだ。こういうことはちゃんと伝えないとな。アシュリー、俺と一緒になってほしい。もちろん仕事は続けてもらって構わない。幸せにするよ約束する」
「まったく……カインは真面目なんだから」
笑いながらも涙を浮かべるアシュリーがカインの胸に飛び込む。
「はい、末永くよろしくね」
カインの瞳に映るアシュリー、彼女の瞳に映るのもまたカインだけ。
固く抱きしめ合う二人。
「うーん、若いって素晴らしいですな」
宿屋の主人の拍手にハッと我に返るカイン。
「い、いつからそこに……?」
「最初から」
「……ですよね」
その瞬間、仕事から実質新婚旅行になってしまったわけだが、そもそもの話、今回の仕事は中々進展しない二人にモヤモヤしていた広報省と騎士団の上司たちが背中を押すために結託したものであったりするのだが、本人たちはその事実を知らない。
レンガのつもりが生チョコっぽい感じになってしまった……(-_-;)