キャンドルライトの夢
第六話ですね。
灯った火がぽぅと儚げに揺らめきます。
今、私は夢を見ているのだと気づきました。明晰夢と呼ばれ、自分の見ている景色が夢とわかり、自由に思考や行動が取れるものを言ったような気がします。
まず目に入った火は、机の上に載った蝋燭のものです。徐々に暗さに目が慣れ、蝋燭の明かり程度でも周囲の状況がわかるようになりました。夢なのにこういうところが現実っぽいのは、自分の思考回路のせいでしょう。
周囲を見渡し、ここがそこそこ大きな部屋の中だということがわかりました。二十畳分でしょうか。でも、広さの割りには、家具は目の前の机に、簡素なベッド、クローゼットくらいしかありません。窓はカーテンが引かれ、外の景色は伺えませんが、夜であることは確かなようです。
出口を見つけ、私はそっとドアノブを回します。樫の木よりももっと丈夫で重い扉が微かな音を立てて開きます。
ですが、それは暗い無音な世界では大きく響いて、思わず肩を震わせました。ドアの外も真っ暗だったので、蝋燭が立っている飾台を明かりにして部屋を出ると、石造りの廊下でした。蝋燭の明かりで見える範囲は限られており、それ以外は真っ暗闇です。
何かが出てきそうで怖いです。
と、私がいた部屋の向かいに同じような扉がありました。ドアノブを回そうとしましたが、鍵がかかっていました。
そのとき、ガタンッと大きな音が廊下に広がる暗闇から響いてきました。悲鳴をあげなかったのが奇跡です。私は恐怖と好奇心がごちゃ混ぜになるのを自覚しながら、声がしたほうへ進みます。
しかし、歩けど歩けど似たような景色ばかりが広がります。もしかしたら先はないのかもしれません。夢ですし。
すると、また音が聞こえました。先ほどよりも近くなっています。私は心臓が大きく跳ね上がっている気配を感じながら歩く速度をあげます。
やがて廊下の向こうに薄明かりが現れ、近づくにつれ強くなっていきます。
私がたどり着いたのは、装飾された大きな部屋でした。最初に立っていた部屋よりもずっと大きく、学校の体育館なんかよりも広く、まるでパーティー会場のような煌びやかさを持っています。明かりは天井につるされたシャンデリアの群れです。思わず見とれましたが、視線を戻せば部屋中にたくさんの料理が載っていたと思わしき食器の群れが見えます。どうやら、本当にパーティーをしていた様子です。一体何のパーティーだったのでしょうか。考えていると、近くで声が聞こえました。
「何だと?」
物静かなその女性の声には聞き覚えがありましたが、苛立ちが感じられます。その人は感情を表に出すような人ではないので、別人かと思いましたが、見れば思ったとおりの女性がいました。
ヘル・ディースゼロという名前で、命を狙われている私の身を日夜守ってくれる冥府の女王様です。青と金色の衣装に大きな鎌を持つ姿は見慣れています。ですが、いつもしかめている顔をもっと険しく、そして怒っている姿は初めてで、とても怖く迫力があり、とてもクールなヘルさんとは思えない様態です。
鬼のような形相のヘルさんの前に、男の人が立っていました。ヘルさんよりも背が高く、顔はこちらから見えませんが、タキシード姿に帽子をかぶっている姿は、若い紳士を思わせます。
紳士はヘルさんの激昂を前にして、怯えも見せなければ震えてもいません。
「お願いします、ヘルさん。どうかあの子を助けてあげてください」
若い男の子の声でした。声変わりはしているようです。聞いているだけなのに、優しさを感じられる、そんな冷静な声。
彼はヘルさんに向け丁重に頭を下げました。
ヘルさんはその姿を見て一瞬だけ意外そうな表情――目を小さく見開いていましたが、すぐに険しい顔に戻ります。
「何故だ。何故、私が見ず知らずの小娘を助けなければならない」
「これは、俺から貴方への依頼です」
その言葉を聴いたヘルさんの目がほっそりと細められました。
それが研がれた鋭い刃物のように思え、背中につめたいものが走りました。
「依頼……だと?」
「はい。これを」
紳士はヘルさんへ一枚の紙を渡します。
受け取ったヘルさんはちらっとそれを見て顔を上げ、
「報酬は?」
「私のできる範囲で用意できるものをお渡しします」
渡されたものを見てヘルさんは本当に、本当に一瞬だけ、口元に笑みを浮かべたように見えました。
「まぁいいだろう。ただし、依頼が達成された場合の報酬に関してだが・・・・・・」
そっと指を紳士に向け、
「お前の大事なものをいただくとしよう」
「私の大事なもの、といいますと?」
「そうだな。命、とまでは言わない。だが、私の命令をひとつ、聞いてもらうぞ」
「・・・・・・それで、あの子が救われるなら、お願いします」
紳士は最後まで静かな雰囲気を崩さず、ヘルさんへ頭を下げます。
ヘルさんは持っていた鎌を消して羽ペンを取り出し、紳士からもらった依頼書へ書き込みを始めました。
「これで依頼書は整った。私は早速準備に取り掛かる。次に会うときは楽しみにしているといい」
ヘルさんは冷徹を体現したような風体のまま紳士に背を向けました。
その姿が部屋から消えると、紳士はふぅ・・・・・・と長い息を吐きました。
「怖いな・・・・・・できる範囲って言ってなきゃ、どうなっていたことやら」
先ほどまでの物々しい空気は全く感じられず、少し砕けたような口調で肩をすくめます。
「だが、これであの子は救われる・・・・・・頼みます、ヘルさん」
紳士が踵を返します。初めて見た顔は、どこにでもいる優しそうな東洋人男性です。目にはこれからどうするのかを考えているように見えます。
「ん」
そのとき、紳士が足を止めて、
「え?」
私を見てきました。
もしかして後ろに誰かいるのかなと振り返りますが、誰もいません。ということは、彼が見ているのは私ということになります。夢ですから、何が起きても驚きません。
紳士は少しだけ驚いたようにぼぉっとしていましたが、やがて口元に笑みを浮かべ、
「貴方は時間と世界を超えて、私たちの出来事を見ているようですね」
「どういうことですか?」
「ヘルさんは上手くやってくれている・・・・・・いや、この時間から見れば、やってくれる、ということなのでしょうね」
紳士さんの口ぶりから察するに、この夢で見ている出来事は、ヘルさんが私の前に現れるよりもずっと前の出来事ということなのでしょうか。だというのであれば、この紳士さんは、私の意識がこの世界を理解するために用意した案内役なのかもしれません。
自分でも何を考えているのかわかりませんが、この紳士の存在が、ただの夢幻とは思えないのです。
「あの、これは本当に夢……なんですか?」
ついそんな質問をすると、紳士は笑みを浮かべたまま頷いてくれました。
「その通りですが、ただの夢ではありません。貴女は今、夢という現象を通じて、時空を超えているのです。一文字日向さん」
「どうして、私の名前を?」
「実は貴女と会うのは二度目なのです。最も……貴女は覚えていないでしょう」
もしかして、街中で出会ったりしているのでしょうか。顔立ちは十代半ばから後半に見える彼の顔は整っている方だと思いますが、すれ違った程度なら覚えていないでしょう。
「ところで、貴方はここで何をしているのですか?」
「ええ、それなんですが……私も今、夢でこの出来事を再体験していたところなのですから」
つまり、この紳士さんも私と同じ、明晰夢を介してこの出来事を体験している人ということなのでしょう。
そして、再体験していたということと、今までの会話から察するに、もしかして・・・・・・。
「あの、もしかして貴方が私を守るように、ヘルさんへ依頼した方なのでしょうか」
「えぇ、そうです。ただ、名前を明かすことはできませんので、ご了承を」
紳士は私の前まで歩み寄り、私の頭にぽんと手を載せます。
夢の中とは言え、見知らぬ男の人に触れられるのは不快なはずなのですが、何故か気持ち悪くなく、お父さんとは違うけれど、何か心があったかくなるような感じがします。
見上げると、紳士は目尻を緩くさげて、優しく私を見下ろしていました。
「大きくなったな日向・・・・・・無茶苦茶で理不尽だけど、あの人は決して君を見捨てたりはしない」
知っています。
いつも不機嫌そうな顔をしていても、ヘルさんはいつだって私のことを守ってくれました。
「信じてあげてくれ、ヘル・ディースゼロを」
はい、わかりました。
答えようとしましたが、口に出す前に視界が真っ白に染め上げられ、紳士へついに返答することはできませんでした。
――そう言えば、夢の中で出会った紳士さんは、何者だったんでしょうか。私のことを知っているようでしたが。
それに、ヘルさんとの関係も気になります。あの時、ヘルさんが笑ったように見えたのですが、勘違いだったのでしょうか。
――――日向ちゃんの日記より一部抜粋。
???「その日向ちゃんっていう子を、助けたかったんだ?」
――――ええ。ですが、その時に俺は別の任務を受けていたので、知り合いに頼みましたが。
???「そうなんだ。日向ちゃんって、普通の女の子なんでしょう? どうして狙われていたのかしら?」
――――そうですね。彼女は――……。
――――とある家での通話より。






