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地獄の契約者

第二話ぁっ!

 小さいころ、くもの糸の絵本を見て、死後の世界に猛烈な恐怖を覚えたことがあります。

 血の池が流れ、亡者を茹でる大きな鎌、高くそびえる針山に、終わりのない責め苦。

 死後の世界がこんなにも恐ろしく、辛いものであると、夜、お母さんに泣きながら抱きつきました。

 しかし、お母さんはおびえる私にこういったのです。


 悪いことをしなければ、地獄に落ちることはないのだ、と。


 私はいい子でいようと、その日から決心しました。嘘をつかず、いたずらもせず、誰かに迷惑をかけるようなことはしないように心がける。困っている人がいたら出来得る限り力になる。

 たとえ、周りの人たちがどう行動しようと、私だけはいい子でいようと。

 いい子にしていれば、地獄に行かないから。


 そう思っていた時期が、私にもありました。


 私、一文字日向が中学生一年生の春休みに出会ったのは、この世の人とは思えないほど美しい女の子でした。

 お昼前、私は図書館に本を借りに行こうと家を出て、これを渡ればもうすぐという横断歩道に差し掛かったところで、対岸で見慣れない格好をしている女の子の姿を見かけました。


 青を基準に金の装飾をつけた衣装は、お洒落なお姫様が着ているドレスにも見えます。それに、着ている女の子もとてもきれいで、最初に述べましたが、この世のものとは思えないほどでした。ですが、その女の子の姿に、誰も目を向けていませんでした。少し変わった格好だから、あまりかかわらないほうがいいと思っている、わけではないようです。ほかの人には、女の子の姿見えていないように取れました。


 ふと、女の子と視線が合いました。

 私は何とはなしに目礼だけして目線を逸らそうとしましたが、女の子の視線は私に向きっぱなしでした。どうしたんでしょう。私、何か彼女の気に障るようなことでもしたのでしょうか。

 信号が変わり、横断歩道を渡り始めた私と件の女の子がすれ違うとき、


「ふぅん」


 きれいなのに、心が底冷えするような声が小さく耳朶をうちました。

 一瞬、背中がぞっと冷たく感じ、ちらっと振り返ると、女の子は私を無視して私が先ほど立っていた、彼女にとっての対岸へついていました。私も先ほどの感覚に困惑しながらも横断歩道を渡りきり、もう一度振り返ると、女の子の姿はどこにもありませんでした。


 図書館で本を借り終え、さて、夕飯の材料でも買って帰ろうかなと考えながら歩いていると、


「お、いたなー」


 どこか粘着質な女性の声音が聞こえてきました。先ほどの女の子の時のように背中がぞっとしますが、私の知り合いに今の声質の人はいません。私ではないと結論付けて先を行こうとしますが、


「待ちなさいよ、君ー」


 声という名の矢が、明らかに私を射っていました。こんな声をかけてくる相手は知りません。誰かに難癖をつけられるような事をした覚えもありません。


 恐怖に心が鷲掴みされたような窮屈な気分になりながら振り返ると、金色の髪の毛を後ろで束ねた女性が私を見据えていました。先ほど出会った女の子と同じ、外国の、西洋の人です。この人はかわいいというより、美しいという表現が合う、と思ったのは一瞬です。振るえと嫌悪感で思わず胸を押さえてしまいました。

 人をこんなに気持ちが悪いと思ったのは初めてです。胸焼けも、生まれて初めての経験です。


「そう、君。やっぱり見えてるんだー、私が」


 流暢な日本語をしゃべりながらゆっくりと近づいてきます。この場を早く離れないと、誰かに助けを呼ばないと、そう思っているのに体が思うように動きません。声も「うわ」とか空気が抜けたようなものしか出てきません。


「へぇ、そこまで抵抗できるんだ」


 ちょっとばかりうれしそうに女の人は口元をほころばせますが、私はぜんぜん笑えません。


「じゃあ、ちゃっちゃと斬っちゃうかー」


 言いながらすらりと束ねた髪の中から長い刀を取り出しました。どうやって入っていたのか、ふと疑問に思いましたが、それがさらに女の人への恐怖感と疑心間を増大させてしまいます。怖くて仕方ありません。誰かに助けを求めようとあたりを見回しますが、誰も私のことには気づいていません。それに、人の数が徐々に減っていっています。今はお昼時ですし、それにあまり活発的な街ではありませんから、人の姿がなくなるときだってあります。ちょうど、私はその時間に大変な人にであってしまったようです。


「冥土の土産に教えてあげるとねー」


 もう数歩手前まで来た女の人が「かったるいけどー」とつぶやきます。


「私の姿、君以外には見えてないからー」


 そして、女の人が右肩を揺らしたのが見え、次にその姿が消えたのが見えました。


 何が起きたのかわからず、ただ、自分がまだ生きているということは確かで、急に動けるようになった体から力が一気に抜けました。ひざから落ちて痛かったですが、それが生きているということを実感させてくれて、私は心の底からほっとしました。

 それから、今の今までの出来事は夢だったのではないかと思い、顔を上げてあたりを見回すと、


「ぐはっ」


 先ほどの女の人の苦しそうな声がして、肩が思わず震えます。恐る恐るそちらを見れば、女の人が倒れていて、その前には、図書館への道すがらに出会った女の子が立っていました。その手には大きな鎌が握られています。


「あの子はまだ死ぬ時期じゃないの。うんとうんと先のはず。勝手に人の仕事を増やそうとするな」


 女の子はそう言うと、まるで缶蹴りのように女の人を蹴り飛ばしました。すると女の人の姿がまた消えてましたが、


「絶対覚えてなさいよー!」


 という悔しそうな声が空から聞こえてきました。え、本当に何がどうなっているんですか。

 もしかして、今までのはすべてドッキリ撮影とか言う、あれだったのでしょうか。だとすれば、女の人が刀を急に取り出したり、消えたりしたのにも説明がつけられそうな気がします。しましたが、違和感といいますが、やっぱりあれは現実の出来事なのだと、心と頭のどこかでもう一人の自分がつぶやいているような、そんな感覚がします。


「やっぱり、見えてるのね」


 突然、女の子が口を開きました。私に話しかけているわけではなく、考え事が口に出たような印象を受けます。


「ねぇ」


 今度は、しっかりと私に向けて話しかけてきました。再び肩が跳ね上がります。


「はい!」

「あなた、名前は?」


 突然そういわれましても、知らない人には名前を名乗らないようにするのが常識ですが、何となく、この人には逆らわないほうがいいと思えたこと、そして何より、たぶん命を救ってくれたであろう恩人に対して礼節を欠くといけないという思いから、私は自らの名前を教えることにしました。


「一文字日向です」


 その瞬間、私の人生が大きく揺らいだのでした。

 女の子は「日向?」とつぶやき、「なるほど」とすぐにうなずきました。


「日向、ならばそなたに私の名を教えよう。私の名前はヘル・ディースゼロ」


 ヘルディー? スゼロさん? 変わった名前の方です。


「ヘルでもゼロでも好きに呼ぶがよい」

「ヘル?」


 英語で地獄の意味。私が好きじゃない言葉、ナンバーワンに輝いています。


「そう、ヘルだ」


 少しも気取らずごく自然と答え、ヘルと名乗る女の子は持っていた鎌を肩に担ぎます。鈍く輝き、重厚な雰囲気を放つ鎌は本物にしか見えません。模造品でも、あんな物で殴られたら大怪我をするに決まっています。


「知り合って早速で悪いが、契約を済まさせてもらう。お互い名前は名乗ったし、半分は整っているんだがな」


 言いながら、どこからともなくA4サイズの紙を取り出し、私の前にやってきました。紙面に記載されている内容を目で確認すると、なにやら小難しいですが、要するにこの女の子と共にしばらく行動を共にする、という契約を交わすというものでした。


「何ですかこれ」

「見たとおり契約書だ。小難しいことは考えるな。とにかく名前を書いてもらう」

「いえ、注意事項までしっかり読ませて頂きました」


 即読は私の特技です。おかげで図書館の本を短期間でたくさん読むことができます。読書感想文には困りません。


「その、あの、スゼロさん?」

「ディースゼロだ」


 どうやら、ヘルというのが名前で、ディースゼロが苗字のようです。本当、すごく変わった名前の方です。もしかしたら本名でないのかもしれません。


「・・・・・・ディースゼロさん。私、この契約にサインはできません」


 注意事項に、多少危険があるが我慢すること、と書いてあるのは一体どういうことでしょうか。多少の危険とは一体何なのかはわかりませんが、大方先ほどのような女の人が襲い掛かってくるとか、そういうことでしょう。


「危ないところを助けていただいたことには感謝しています。ですが、あなたと行動するという点、そして、危険が付きまとっているのにそれを承諾してほしい、というのは一体どういう了見でしょうか」

「そのままの意味だ。だが安心しろ。お前の命は必ず守り通す」

「命?」


 ついさっき、女の人が私に向かって刀を向けてきた光景を思い出し、それだけで心臓がきゅっっと締め付けられるような衝撃に教われました。


「またあの人が来るんですか?」

「察しが早いな。今回あいつは楽な仕事と思って油断していたが、次は私がいるという事を念頭に置いて仕掛けてくるだろう」


 背中かが自分の意思が抜けていくような、よくわからない感覚と共にまた心臓がきゅぅっと締め付けられます。


「も、もういやぁ・・・・・・」


 体が震えだし、急に寒気を感じます。これが絶望感というものでしょうか、でも、


「騒ぐな」


 私が感じている寒さよりももっと冷たい声音が降り注いできました。だというのに、寒気と震えがとまりました。絶望感も和らぎ、締め付けられている感覚もきれいさっぱりときえました。


「簡単に絶望するな。自分の命をあきらめるな。言ったはずだ。私はお前を必ず守り通すと」


 地獄の名前を持った女の子が冷ややかな目で見下ろしています。その顔は険しく、とても怖くなっています。


「私はヘル・ディースゼロ。お前を守ることなど造作もない」


 心の底からそう思っている、そんな芯の通った言葉がつむがれます。


「お前が恐れているものは、死だ。ならばお前は幸運だ。お前は決して死なない」


 そんな風に言われ、私は自然とすがりつくように手を伸ばします。


「何故ですか?」

「私が冥府の女王だからだ」


 一瞬、伸ばした腕が止まります。死後の世界の女王だなんていきなり言われ、どくんと胸が大きく跳ねます。でも、あの女の人がまた来たら、今度こそ私は死んでしまうでしょう。家にいれば、その時に家族や友達がいれば、巻き込んでしまうかもしれない。


「私を、私と周りの人を、守ってくれますか?」


 気がつけば、そんな事を口にしていました。


「ほう・・・・・・まぁいいだろう。正直契約外だが、お前がそう望むなら、守ってやろう。ただし、私が基本的に優先するのはお前だぞ」

「構いません」


 私は伸ばした手で契約書をつかみます。渡された羽ペンにちょっと驚きましたが、とても書きやすく、字も普段より綺麗な気がします。


「これで契約完了だ。一文字日向、今日から私はお前のガーディアンとなろう」


 この時、私は知る由もありませんでした。

 契約書を交わしたこの女の子が、本当に冥府の支配者だったということを。




この物語は、怪機譚を書いた少しあとに(衝動と共に)作ったものです。

時代設定がほんの少しだけ古いかもしれません。

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